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 気が抜けたように窪地の壁面にもたれかかるフィンブルのHPはとっくに3分の1を下回って黄色くなっていた。すぐ近くに座り込む後の二人もだいたい似たりよったりだ。

 さっきから、視界の片隅にシステムメッセージが表示されている。


 【レベルが 3 に上昇しました。】


 やはり成長速度は速めなのか、とまだ戦闘の余韻が残る頭でぼんやりと考えながら疲れ切った声でステータスウィンドウを呼び出して、ボーナス分の成長値をLUKに振った。自分で自由に出来ない分のパラメータにの中で最初のレベルアップでは上がらなかった魔防が上昇していることに気がついて、自動上昇値には確率が作用しているのか、単位レベルごとに何ポイントと定められているのかとフィンブルは思考した。リアルラックは低めだから是非後者であってくれ、と胸の内で呟いてウィンドウを閉じる。

 フレアたちもパラメータ調整を終えてある程度MPが回復したところで、フィンブル一行は帰途についた。来たときと同じようにムートを抱えて崖の上に押し上げ、フレアとともにせーの! で壁面を思い切りよじ登りなんとか草原に出た後は早かった。


 《エルベルム》の北門に辿り着くまでに何度かエンカウントはあったものの、すでにレベルを2つ上げた上にある程度戦闘カンを掴んだフィンブルたちはさほど苦戦せずにやり過ごすことが出来た。ストレージにはそれなりの量の低級素材アイテムが入ったが、如何せんさして有効なアイテムが作れないことが分かったので全て売り払った。その金額もせいぜいポーション数個分ではあったが。

 エヴォルヴァースにおけるクエストの多くは依頼掲示板から受注することが出来るが、完遂して報酬を得るにはどのクエストも例外なく発注者の元に出向かなければならない。幸い《薬師見習いの悩み》を発注したNPCのテイハ氏には《エルベルムの薬師見習い》という肩書きがあったので見つけ出すのに時間はかからなかった――はずだったのだが。

 《ホッドミミル広場》をかすめる賑やかな大通りに軒を連ねる道具屋や武器屋にテイハ氏の姿は無かったのだ。店番ではなく使い走りやお手伝いなのかと店の周りをうろついたり、カウンターの奥の作業場を覗き込んでも、頭上のカーソルの中にクエスト進行中を示す大文字のQとPを組み合わせた紋章を浮かべた人物を見出すことは出来なかった。


「もう、掲示板じゃなくて直接本人から受注すればよかったわね……」

 2、3階建ての、木や石造りの家屋が立ち並ぶ裏通りを歩きながらうんざりしたようにフレアが言った。

「ま、《エルベルムの薬師見習い》なんだ。エルベルム中の薬屋探せば見つかるだろ? 俺とフレアは一度全部探索したしな、ゼロから探すよりもはるかにマシだって。……おいムート、はぐれんなよ」

 ムートは半分心細そうに、半分は珍しい街並みに心を奪われて、フィンブルたちから少し離れかけていた。フィンブルの呼びかけにとてとてと駆け寄ってくる。

「細かい裏道も合わせたら死ぬほど複雑だから、俺たちが未探索の場所も結構あるだろうな……っと、ここだ」

 足を止めたのはそこらと変わらない異国風の建物。しかしドアには赤い液体を満たした小瓶が彫られ、ドアノブには【OPEN】の札が架かっている。

「ここ……わたしたちがポーション買ったお店よね?」

「あのときフレアがドアの彫刻に気付かなかったら確実に素通りしてたな。品揃えは良くなかったけど、ごく低級なHP回復POTが格安で……いかにも初心者歓迎って感じだったな。大通りに建ってないのが残念だったけど」

 ちょっとの間ドアを見つめてから、フィンブルはある問題に気付いた。


「あのさあ、これ俺達3人が同時に入ったらマズい気がしないか?」


 テイハ氏は確か《妹の解熱剤を作る》という理由でクエストを出したのだ。現在の状況ではフィンブルとフレアが共同、ムートがソロで受注しているが、どちらかが薬草を手渡した瞬間、テイハ氏が笑顔で礼を述べてその後に進行している《薬師》のクエストが全て破棄される――理不尽極まりないが、そういうことが無いと断言も出来ない。

 以上のことを手短に2人に話した後、最初に口を開いたのはフレアだった。

「ムートが先に行くべきよ。年下は優先されないとね」

 その意見はフィンブルも大いに賛成出来る――これまで延々とMMORPGをプレイし続けていたにもかかわらず。

 MMORPGをプレイすることは、ゲームが供給する限られたリソースを《いかに大量に手に入れ》、また《いかにして他者から奪い取るか》に通じる。したがってMMOの廃プレイヤーは程度の差はあれ利己的な面が出てくるものなのだが、今のフィンブルにはそういう気持ちが1ミリグラムほども湧かなかった。初対面なのに不思議と仲良くなれた相手、それも年下にそんな気持ちを抱くなどとんでもないことだ。

 フィンブルはその思いを言葉にしてムートに伝えようとしたが、それよりも早くムートが遠慮がちに口を開いた。

「あ、あの……大丈夫だと思うよ、多分」

「へっ?」拍子抜けしたようにフレアが聞き返す。

「何ていうか……ボクの受けたクエストと、おねえちゃんたちが受けたクエストで、ストーリーが違うみたいなんだ」

「「えぇ?」」今度はフィンブルもフレアと揃って顎を落とす。

「ボクの受けたクエストでは、テイハさんが師匠に言われて仕込んでいたヒールハーブをダメにしちゃって、このままだと怒られるから採って来てください、って話だったんだ」

 確かに発注者と終着点は同じだが、出発点が違う。しかし、これでは、なんというか――

「どんだけドジなんだよ、テイハさんは」

 3人で顔を見合わせて同時に吹き出す。問題は片付いたが、やっぱり全員同時に入って連続で話しかけるのはいくらNPCといえどテイハ氏の面子が立たない、というムートの優しさ溢れる意見によってまず先にムートが店に入り、依頼を完遂して店から出て来たらフィンブルとフレアが次、という結論で決着を見た。


 数分のうちに、ちりりんとドアにかかったベルをならしてムートが店を出て来た。フレアが声をかける。

「おかえりー。どうだった?」

 そのあどけない顔に明るい光をたたえてムートは答えた。

「うん、大成功だったよ! 経験値も貰えたから、レベルも上がったし」

 フィンブルは軽く驚いてムートを見た。

「そんなにたくさん入るのか?」

「うーん、多分一人で受けたからだと思う」

「そっか、複数人でやれば分配だもんな……でも多い。アイテムは?」

 フィンブルの質問にムートが答えようとしたところで、フレアが割って入った。

「そんな話、行ってみればすぐ分かることじゃない! ほら行くよ」

 フィンブルの地味な茶色い革服の袖をぐい、と引っ張ってフレアはドアへと歩いていく。フィンブルはやれやれ、とフレアの手を振り解いてムートに声をかけた。

「ムート、しばらく待っててくれよ」

「うん、行ってらっしゃい」


 戸口に続く段を上がり、道具屋の扉を押す。またベルがちりんと鳴って、カウンターの奥で作業をしていた黒髪の少年が顔を上げた。NPCを表すカーソルが浮かび、その中には進行中のクエストの発注者であることを示すQとPを組み合わせたマークが光っている。

「い、いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 間違いなくテイハ氏であろう少年は、実に気の弱そうな顔をしていた。黒い瞳を持った垂れ目に、限界近くまでハの字になった眉。それを見て思わず笑いながら話しかけようとしたフィンブルだったが、口を開いた瞬間、身体がぎしっと凍りついた。

「う……う、あ……」喉からは幽かな呻きが漏れる。

 《ホッドミミル広場》で目覚めてから一度も起こらなかった、現実世界では馴染の感覚がフィンブルを襲った。薄い冷感と恐怖が身体を包む。


 ――なんで。……なんで、今。


「あ、あの、どうかなさいましたか?」

 テイハが心配そうに訊ねる。その顔には気遣いの色が純度百パーセントで表れているが、こちらの事情などどうして説明できよう。そもそも、トールにムートと、この世界で出会った二人に対してどちらにも拒絶反応は無かったのだ。フィンブル自身、この世界では厄介なあの症状が出ないのではないか、くらいに思い始めていたから、その驚きは不意打ちのボディーブローのようにフィンブルの身体をぐらつかせた。必死で足を踏ん張る。

 転倒だけは回避したフィンブルを見ていたフレアがテイハに手短に言った。

「依頼を受注したフレアとフィンブルです。ヒールハーブを持ってきました」

 この世界では掲示板からクエストを受注した場合も、実際に発注者に会うときに身分証明書的なものが無くても滞りなくクエストを進行させられる。ただしもちろんそのシステムを利用した詐欺は出来ない。

「ほんとですか! ありがとうございます」

 フレアの言葉をきいたテイハ氏の顔が一気に百ワット電球を点けたように明るくなる。フレアはフィンブルをちらっと見てから、メニューウィンドウの共有アイテムタブを操作してキュアハーブを実体化させた。分かり易過ぎる安堵と歓喜を示すテイハ氏に薬草が手渡されたところで、フィンブルの視界にもシステムメッセージが流れた。


【Lank2:薬師見習いの悩み を達成しました】


 クエスト達成ボーナスの経験値とトレノが加算されるのを凍りついた目で見ていると、テイハが店の奥から何か丸いものを数個、皮の袋に入れて持ってきた。

「あの……これ、大したものではないですけど、持っていってください。格別美味しかったり、高く売れるような代物ではありませんが、食べると気力が溢れてモンスターの攻撃に怯みにくくなるんです。剣士さまや魔導士さまのお役に立つと思います。どうか、お礼に」

 差し出された皮袋を、フィンブルは受け取ることが出来なかった。テイハはNPCで、自分の敵性存在ではない――そう頭では分かっているのに、出所の分からない恐怖が蜘蛛の糸のようにフィンブルの体を縛り付ける。


 フィンブルに何が起きているのかなどとうに察しているのだろうフレアが、テイハに礼を言いつつ皮袋を受け取り、先の戦いで消費したポーション数個を陳列棚から選んで購入した。またお越し下さい、の声を背に、未だ体が言うことを聞かないフィンブルの左手を掴んで店を出る。手のひらに伝わる自分よりも少し高い体温が、かろうじてフィンブルの足を前に動かした。ドアに釣り下がったベルが再び鳴く。店を出て、ステータスやマニュアルを見ながら時間を潰していたらしいムートを見たとたん、フィンブルを絡め取っていた硬直は氷が融けるかのように消え去った。


 ――でも、さっきのは、どうして。


 握ったフレアの右手に感じる温度以外の全ての感覚をシャットアウトして、フィンブルは思考を彷徨わせ始めようとした。しかしそれより先にベルの音に気付いたムートがウィンドウを消去する。

「おかえり、おねえちゃん、フィンブル。あれ、なんで手繋いでるの?」

 邪気皆無の顔でそう言われて、瞬間湯沸かし器のようにフレアが顔を赤くして手を離した。フィンブルもようやく自由になった体であわてて取り繕う。

「い、いや、ウム、なんでもないよ」

「そっか。それでさ、お金も入ったし、武器屋さんに行かない? 魔力を上げるアクセサリーとか買おうと思うんだ」

 どうにかこうにか平静を取り戻して、フィンブルは提示された案に自分の意見を答える。

「そうだな、俺もすぐに行きたいんだけど……流石に、今日は疲れ過ぎたよ。装備を悩むっていう楽しいイベントはまた今度に取っておいて、今は取り敢えずログアウトしたいかな」

「そっかあ、そういえばボクも疲れたよ」

「知らない街を探索してその後でクエストこなすって、この年になると堪えるわねえ」

「おいマテ貴様。俺の記憶が正しければついこの間16になったばっかりだろ」しみじみ、といった口調で語られたフレアの言葉ににつっこみを返すが。

「ロリコンからすれば16なんてババア同然よ」

「穿ち過ぎだ! 大体この場にロリコンは一人もいないだろうが」

「あら、いるわよ」

「俺、とかいうなよ」

「言わないわよ、だってわたしだもん」

「お前のはロリじゃなくてショタだろうが!?」

「ふっふっふ……わたしは二刀流の使い手よ」

「…………無意味なカミングアウトもその辺にしろ。ムートが引いてる」

「え」

 正気に戻ったフレアが、目を丸くしているムートを見た。

「あの、ムートくん……えーっと」

 ところがムートの台詞は、予想を見事に裏切った。


「二人は……あっちの世界でも友達なの?」


「「へっ?」」

「二人とも凄く仲良いし……相手のこと、よく知ってるんだなあって…………いいなあ」

 うっかりリアルの情報を漏らしてしまったことを悔やみつつ、ふとムートの目に浮かんだ寂寥の光に気が付いて問う。

「ムート?」

「な、なんでもないよ」

 即座にムートはかぶりを振ったものの、寂しそうな色は消えない。ムートの感じているものの根っこがなんとなく分かって、フィンブルは言った。

「俺は、ムートのことも、もっと知りたい! ムートにも俺のことを、もっと知って欲しいと思ってる」

 他人が苦手で仕方が無いフィンブルの、偽らざる本音だった。ムートには、フレアやトールと同じ、物凄く大切な仲間になれそうな《イイ》感じがしたのだ。

 しばらく無言でフィンブルを見つめていたムートはやがてはにかんだ笑みを見せると、かくん、と首を縦に振った。フィンブルも頷き返してから言う。

「ま、帰ろうぜ。ひとまずはまた明日、だ」


 フィンブルたちはエルベルムの大通りに向かって歩き始めた。



                            《一章完結》

ここまでお読み下さいましてありがとうございます。これにて一章終了です。

次章はもう一人の主人公が活躍する対章となります。

本編→対章→本編→対章と一章ずつ交代で話を進めるつもりです。

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