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襲われていたのはフィンブルと似たデザインの白い革装備を着た、まだ小学生くらいの男の子だった。必死で逃げる少年の後ろを先ほど闘ったのと同じチャージラットと、茶色の毛並みを持った狼が追い掛けていた。
圧倒的にモンスターの方が速く、少年が背後から一撃を食らうのにはもうあと10秒弱だと思われた。
残り距離30メートル。フィンブルは走り続けながら渾身の力で叫んだ。
「加勢する!! こっちだ!」
その声が届き、顔を上げた少年がフィンブルの方へ進路を転換する。フィンブルはとっさに足元の石ころを走りながら掴み、取り敢えず速さも力もネズミより強そうな狼に向かって投げた。
投げられた石は意外にも狙い違わず飛んで茶色いオオカミに命中した。流石にHPを削ることは出来なかったものの、ターゲットがフィンブルに移動する。格上を表すマゼンタのカーソルが表示される。
「ガルルゥゥウウウウウ!」
「……カッコよく飛び出してきたものの結構ヤバいなっ!!」
チャージラットの攻撃パターンは先程の戦いで読むことが出来たからさしあたり警戒する程度で問題ないが、この狼は行動パターンも攻撃力もわからない。牙を剥き出して吠える捕食動物のプレッシャーというのは凄まじく、軽く膝が笑う程の恐怖を覚える。
後ろに名前も知らない男の子を守ったまま立ち尽くすフィンブルに、追いついたフレアの声が届いた。
「フィンブル、どうなってる?」
ネズミとオオカミを精一杯睨みつけながら早口で答える。
「チャージラット一体、狼一体。狼はレベル2か3」
「きみ、あのネズミだったら一人で倒せそう?」
分断を狙うべくフレアが男の子に声をかけるが、彼はふるふると首を振るばかりだ。
「ウグルァッ!!」
ついにオオカミが猛りながらフィンブルに飛びかかる。踏み切ったポイントの土が掘り返される。
筋肉の躍動や微かに滴る唾液が持つあまりのリアリティと恐怖感が、フィンブルの反応をわずかに遅らせた。右前足の鋭い爪が左肩を直撃する。ゲージ5%程のダメージ。
「つあっ!!」
幸いのけぞりもダウンも発生せず、フィンブルは大きく距離を取る。
そのとき、チャージラットの突進から男の子を庇ったらしくHPが1割程減少したフレアが、オオカミに向けて炎弾を撃った。
しかしレベル差のせいかさっきのネズミの魔防が低過ぎたのか、3割も減らすことが出来ない。しかし憎悪値は稼げたようで、オオカミがフレアに唸り声を上げる。
「フィンブル、ネズミをお願い!」
攻略し易いチャージラットを取り敢えず一人で倒し、強敵を複数人でやり過ごそうというのだ。
「まかせろ!」
大ネズミは未だに突進後の硬直が解けていない。
全力で走りこんだフィンブルは、無理にアクションスキルを使わず、ターゲットをこちらに向けるのに必要な最低限のダメージを与えるべく曲刀を振った。わずかに削れたゲージが表示される。
そのままフレアたちから離れ、ネズミを引っ張ってくる。
これでひとまずはと、フレアたちを見る。しかし。
「フレア、なんで前衛を!?」
物理防御の低いローブに身を包み、攻撃力がほぼゼロのワンドを構えたフレアが、オオカミの正面でヒットアンドアウェイを続けていた。時々オオカミの反撃を食らう度、目に見える幅でHPが減っていく。
慌ててくすんだ白革装備の少年に目を向けると、何か武器を構えてはいるようだが、その場から1ミリも動けていない。
つまりフレアは、恐怖に竦んだ少年を助けるために、凶悪な野獣そのもののモンスター相手に必死でヘイトを稼ぎ続けている。
きっと、フィンブルがすぐにチャージラットを倒し、戻ると信じて。
――フレア、物凄く強いよ。尊敬する。
――俺はなんて言った。理想の自分を演じるって決めたんだろうが。
その二つの思考がフィンブルの心を強く震わせた。
チャージラットが突進体勢に入っていたが、ユキナリは無闇に動くことなく、その相手の眼を見ながら低く腰を落とした。
技を使おうとするんじゃない。システムという名のこの世界の神様に、初動を認識させるんだ。
祈るような気持ちで、フィンブルは左手を軽く前に出し、片手持ちの曲刀を中段にタメた。
チャージラットがフィンブルに向かって一直線に走り出す。振動が微かに足元に伝わるのが分かる。
そこでついに、システムがフィンブルの動きを認識し、スキルが立ち上がるのを感じた。右手の曲刀が薄赤い光に包まれる。
「…………行けッ!」
フィンブルは草むらを強く蹴った。
システムアシストが開始され、これまでとは比べものにならない速度と滑らかさで身体が動く。相対的にネズミの動きはどんどん遅く見える。スキルの赴くまま、フィンブルは曲刀を振りかぶる。
照準が勝手に補正され、大きく動く相手のただ一点、その首筋に曲刀の刃がまっすぐ斬り下ろされた。
曲刀カテゴリ垂直斬り初期スキル、《クリーヴ》。
急所を攻撃したことでクリティカルが発生し、HPゲージは一瞬で3分の1を割り込んで黄色くなり、危険域手前で停止する。さらに攻撃中にカウンターとしてのダメージを受けたからか、大ネズミにダウンが発生した。
フィンブルは無防備な敵に迷わず曲刀を振り、2、3の通常攻撃でとどめを刺した。
「フレア! 今そっちに行く!!」
獲得アイテムと経験値を確認することなく、フィンブルは舞い散るモンスターの破片の中を、フレアの方へ走り出した。
スキルカテゴリ《移動マスタリー》は、そのスキルの多様性の無さの割にかなり重要な効果を持っている。
熟練度に応じて、悪路踏破能力と基本走行スピードにボーナスを与えるサポートスキル《走行強化》、ごく短い距離を高速で移動する初期アクションスキル《ステップ》など、使いどころ満載のスキル系統なのだ。
さらにダッシュスキルの熟練度は、派生スキル《ジャンプ》の解放条件でもある。
こう書くと物凄く強力なスキルだが、効果の表れかたが敏捷値依存なので、AGI先行のビルドでないとあまり意味は無い。
そして同様のパラメータ依存のスキルは幾つかあり、ダッシュだけが特別な訳ではないのだ。
現在フィンブルが使えるダッシュ系ASはステップ、SSも走行強化のみで、しかも熟練度もAGIも大したことはないからあまり効果を得られない。
それでもフィンブルは必死で、パラメータの限界を振り絞って柔らかな草地を走った。
「フレア! もう下がれ!」
フレアのHPは既に3分の1以下の注意域にまで落ちていた。無属性魔法には聖属性魔法ほどの効果はないが回復魔法があるはずなのに、詠唱の余裕すら無いということか。
「サンキューフィンブル、交代!」
一瞬の隙を突いてフレアはオオカミから距離を取り、かわりにフィンブルが覚えたばかりのASの感覚に最大限集中し、《ステップ》を発動してオオカミの目の前に割り込み、スキルを使わずに一太刀与える。
パーティーメンバーであるフレアがわずかながらもダメージを与えていたことで、交代前からフィンブルにも名前とレベル、ゲージが見えていた。レベル3、レッサーウルフ。
フレアが少年と共に後ろにさがり、回復ポーションを開けているのを確認すると、ユキナリはオオカミに向き直った。
やはり肉食獣というのは怖い。眼前のレッサーウルフは肉食獣にしては小さめだが、それでも低い唸りと剥き出した牙は本物だ。
それでもフィンブルは全力でオオカミを見た。視線で自らの怖れを喰らうように目を凝らした。
エヴォルヴァースに気迫だのオーラだのと言ったオカルトがあるのか分からないが、格上のはずのレッサーウルフが何かに押されたようにじりじりと下がり、身体をたわめる。
身体をたわめた!?
「ウグルルァッ!!」
レッサーウルフはただ気圧されて下がった訳ではなかった。突撃の予備動作を行っていたのだった。咆哮と共に、しなやかな体躯がバネのようにはね、恐ろしい速度でフィンブルへと迫る。レッサーウルフが左前足を振り上げた。もうフィンブルには回避を行う余裕はない。
フィンブルは曲刀を構え、クリーンヒットを食らえば看過できないダメージを受けるであろう爪をパリィしようとした。しかし、重さに欠ける曲刀では、野生のケモノのエネルギーを跳ね除けることは出来なかった。胸に激しい衝撃を受ける。
「ぐっ……は」
見ると一撃で体力を3割も持っていかれていた。つまりあと3回同じ攻撃を受ければ――死んでしまう。
集中しろ。相手の急所を狙い、確実にASを当てることが出来なければ勝てない。
ディレイしたフィンブルに追撃を与えようと繰り出された噛み付き攻撃を、掴んだばかりのスキル発動の感覚をフルに使ってほぼ勘だけでかわす。
連撃の合間を縫って、技後硬直のあるASは使わずに通常攻撃を脚と首に当てていく。
「クソッ……こんなん曲刀の闘い方じゃないっ……」
思わず弱音が漏れるが、辛抱強く攻撃を当てていく。こちらも数発被弾するものの、注意域にまでは落ちていない。少しずつレッサーウルフの体力が減少し、とうとう半分を切った、そのときだった。
「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」
激しい雄たけびに一瞬身体が固まるが、すぐに自分の思い違いを知る。
執拗に脚を狙った攻撃を当て続けたことによって、ついにレッサーウルフがダウンしたのだ。
焼け焦げた神経をもう一度振り絞って、フィンブルは曲刀を再び構えた。ダウン中は、被ダメージが1.5倍になるという効果がある。振り上げられた曲刀が、再び薄赤い光を帯びた。
「はあ、はあ………これで勝った……」
鮮やかなライトエフェクトがオオカミの首元を直撃し、ガラスを引き裂くような音と共にその身体が爆散した。
疲労しきっていたフィンブルは、そのサウンドが終わらないうちに目を閉じ、踏み倒された草地に前のめりに倒れた。