君と生きたい
身体が焼けるように熱いのに寒気もする。
吐き気があるし身体の節々も痛い。
その上乗せられた馬車の振動が激しく伝わる現状では休めるわけもない。――だが、それがどうしたというのだ。
エミリオは彼女がかけてくれた毛布とわたされた剣を見る。
苦しくて悲しかった。身体がじゃない、心がだ。
馬車の扉を閉める前、アリアは微笑んだ。いつもの無表情が嘘みたいだった。清らかで優しい――そして儚く散ってしまいそうな笑顔を。
アリアの笑顔が好きだった。笑顔でない表情も好きだったけれど。
いつもは笑わないようにしてる。なのに些細なことで抑えきれないように嬉しそうな顔を彼女はする。――例えば、ただ私が“ありがとう”と言っただけで、彼女は心から幸せを感じてくれているようだった。
落ち込むと傍にいて手を握ってくれた。
どこにも行かないでと手を握ると困った顔をしながらそれでも振りほどかないでいてくれた。
何度も、そんな君に心奪われた。君が困っているのは分かっていたのに。
君の笑顔が好きなんだ。でも、あんな笑顔は見たくない。見たくなかったよ。君が私に別れを告げる。これが最後だと覚悟した顔なんて。
君が私に背をむける。それでも――
意思の力で目を開く。諦めることはできなかった。
塔を上る。反響する靴音はアリアのものだけだ。エリクの部下とは塔の入り口で別れた。
この塔を上るのは二度目の事だった。降りた事はない。今回はどうなるのだろうか。だが歩みに迷いはなかった。
決着をつける為に。
塔を上りきる。一度目は彼女を見つけた場所だった。そして今度は、彼女を殺した男に会うために。
扉を開けて一番に感じたのは、暖炉であたためられた部屋の暖気。それ以上に気になったのは――
陳列された、私の鎧に馬具と色褪せたマント。邸宅の執務室に置いていた本やペン。そして私の剣。蒐集されて、まるで“展示”されているかの様だった。その中心に置かれている椅子に腰掛ける一人の老人。私を見つけ、老いた双眸が輝く。身体が歓喜によってか震えている。
「あぁ、アリアス様! 本当にアリアス様なのですね!! ずっとお待ちしておりました」
かつての部下は、変わってなどいなかった。
――英雄に狂ったまま。
老人は告げる。あの夜に会ったときから気になっていたのだと。アリアスの顔立ちとは違う。けれど何か似たものを感じて。だからエミリオの同伴として来たアリアに接触をするためにハーウェルン公爵邸を訪れた。
そしてその日に公爵家の後継者と手合わせする赤毛の少年を目撃する。
「驚きました。かつての貴方の動きそのものでしたから。そして確信いたしました。この少年は貴方であると、だから身元を調べさせた。――すると驚いた事に、赤毛の少年は金の髪の伯爵令嬢であると分かった。貴方はなぜかその様な身体に生まれてきてしまった。だが、それはいいのです。貴方の剣技はその程度の事で腐るものではない」
老いたエリクは静かに、だが気迫をこめて言い募る。
「今の貴方でも、この国の騎士となれる。いいえ、この国で貴方より強い者などいるわけがない。最強の騎士となれる。戦はありませんが、今後はどうかも分かりませんし。――かつての貴方と同じ存在に貴方はなれるはずだ。その為になら、どんな支援も惜しみません」
エリクが今のアリアに望む、こうあるべきと願う姿。
アリアにとっては夢物語でしかなかった。
けれど、エリクにとっては夢ではないのだ。
「……だから、エミリオは邪魔だと?」
「あの少年、いえ――あの女がいると貴方は変わってしまう。ただの男に、今度はただの少女に」
アリアは目を見張る。エリクの顔には堪える気も、隠す気もない憎悪が浮かんでいた。エリクにも分かったのだろう、エミリオがエミリアの魂をもっているのだと。
「本当に邪魔な女だ」
遠い過去を思い出す。淡い金の髪の少年の事を。アリアスの遠縁にあたる少年、エリクの事を。
「貴方が“英雄”ですか。その……想像よりとても線の細い方で驚きました。これから貴方の部下として働く事になりましたエリク・ヴェルガンです。そう長い間ではないかもしれませんが」
頭の回転がはやく優秀で、そして身分の高さから傲慢で生意気と思われてしまう子だった。上官であるアリアスにも不遜な態度であったために、より多くの反感を買ってしまっていた。
だが、それでもアリアスにとっては大事な部下の一人だった。
けれど英雄と慕われる自分に不遜な態度を示すエリクに対する反感、嫌悪を軽く見すぎてしまっていた。
エリクは戦場で孤立させられたのだ。意図されて伝えられなかった情報。仲間からの裏切りだった。
戦場での孤立、それは死を意味する。
アリアスはそれに気づき、何とかエリクを救出する事ができた。といっても一人、馬で突撃しただけだったが。
他の仲間からはひどく怒られたがアリアスにとって仲間であるからした当然の行為。だがエリクにとってアリアスが“彼の英雄”になった瞬間だった。
その次の日の事だった。
あの誇り高いエリクが膝を地につけ、剣を捧げ持って言ったのだ。
「我が剣を貴方に捧げたい。我が命尽きるまで、忠誠を誓います。貴方の剣としてお使いください」
ぎこちない誓文、洗練とはかけ離れた動き。――エリクが今まで『剣を捧ぐ』練習をした事がないのは、あからさまな程に明白だった。
エリクは誰かに剣を捧げるつもりはなかったのだろう。そう静かに考えていると、不安げなエリクの目が見えた。
「どうか、許すと」
本当はこの様に主君になって頂きたい方に催促する様な事は言ってはならない。けれど真摯な気持ちは伝わってきたから。
「これからよろしく頼む」
捧げられた剣と意思。エリクはこの日から、アリアスに対する態度が一変した。他の仲間に対する態度は変わらなかったけれど、同じ目的をもった同志として上手くやれている様だった。
その記憶があるから、思い出がきえないから、苦しくてやりきれないのだ。
だが、その思いを振り切る。
「エリク」
静かに、その名を呼んだ。
「エリク、私がここに来たのは旧交をあたためる為でも、お前の願いを叶える為にでもないんだ」
まっすぐに見つめた。思いを伝えるために。
「私はお前の為には生きれない」
エリクは信じられない、というより信じたくないという顔をして思いを叫ぶ。
「貴方が少女である事や身分の低さを問題とする者など私が捻じ伏せる。だから、その様な事はおっしゃらないでください! 貴方は英雄なのです!!」
「そういう事じゃないんだ。終わりにしよう。私の事も、彼女の事も。お前のした事も、全部。――お前を、仲間を憎みたくないんだ」
アリアはリードの調査書の内容を思い出しながら言った。アリアスが死んだ後のエリクの事を。エリクはアリアスの死後、結婚をし、当然妻もいて、子どもも三人いる。孫も生まれたのだそうだ。
それに長くこの国の軍事に携わっていて部下からの信頼も篤く、剣を捧げた若者もいる。
だから生きたらいいんだ。アリアの事もエミリオの事も忘れて。
自分の憎しみを静めて、心からアリアは告げた。けれど――
「そんな事をいいながら貴方もあの女の“生まれ変わり”に固執しているではないですか!? 現世においても“自分のものにしたい”と思ったのでしょう?」
部屋に響いたのは老いた男の絶叫だった。
それでも少女は揺らがなかった。
「……私はお前のおかげで知ったんだ」
アリアスは金獅子と呼ばれた男。
弱くなってはならない存在だった。
少なくともこの男にとっては。
「ものごとに“こうあるべきだ”と押し付ける事は、ただの自己満足で身勝手な考えだと」
地の底へと埋めたものが少しだけ顔をもたげる。だがそれをすぐに埋めなおして言葉を続ける。
「だから私はお前の様に、彼女を思った事はない。例え前世で私の妻であっても、また私を好きに“ならなければいけない”という事はない。……そして私も彼が“エミリアだったから”愛するのであってはならない」
――彼が彼であったから愛するのだと思うまでは、私は彼に応える事はしない。
「そう、決めている」
アリアの言葉を聞き終えたエリクは不自然なほど静かだった。アリアは言葉を続けるか、反応を待つか悩んだ次の瞬間だった。
咆哮をあげたエリクは、老人とは思えない力で暴れた。エリクの剣が部屋を薙ぐ。陳列されたものが倒れ、机の上にあったものも倒れた。剣技などではない、ただ振り回して暴れている。
倒れた燭台の火と、割れた酒瓶の酒に引火する。小さな火はすぐに炎となった。
アリアは止めるため薙ぎ倒された剣を拾い、抜く。そして――
アリアが牽制で放った一撃をエリクは避けなかった。その剣は深く深くエリクの胸を貫いた。
「エリク……お前」
火のはぜる音以外に聞こえるものはなかった。ただ遠い昔、よく言われた言葉を思い出した。戦場で、前線にいくとき、危険な任務を行うときに必ず言われた言葉を。
『最後までついて行きます。貴方のいるところに。戦場だって、地獄だって、どこだっていいんです。私は、貴方のいない先ならいらない』
謝罪の言葉は言えなかった。言ってはいけなかった。それでも、名を呼ぶ。死を選んだ、選ばせてしまった私の仲間を。
「エリク」
最後をむかえるなら、考える事は前世と同じだった。
上れば、こんなにも空が綺麗で。一つ違うのは傍からでる黒煙だけだった。
「変わらないんだな」
死を迎えるまで、あとどれくらいか。エリクの身体から剣を抜き、服や髪を整えた。気がついたときには火は燃え広がり消せるものではなくなっていた。
だが、不思議と晴れやかな気持ちだった。
そんなときだった。聞こえるはずのない声が聞こえたのは。
空を見るために上げていた視線を下へと動かす。茶の髪の少年がまっすぐに近づいてくる。
崩落する塔へと――
「アリア!!」
塔は木で作られた骨組みが焼けて、かたちを保てなくなってきていた。
塔だったものが地に落ちる。軽い木片は風に流され、そして石が降るのだ。危険すぎる。
「だめだ!! 来るな!!」
声は聞こえているはずだった。木片が彼の腕を顔をかすめ、傷をつけていく。
それでも彼はとまらない。
「アリア!! 降りてこい! 私が受け止めるから」
とうとうアリアのいるすぐ下へと彼は来た。すぐ傍に石が落ちる。けれど彼は怯まない。
「君がなにを抱えてるかなんて分からない。そんなのどうだっていいんだ。重くて背負いきれないなら捨てたらいいんだ。捨てられないって言うなら私が背負う!! だから――」
まっすぐアリアをとらえる。
「私と生きろ!! アリア!」
わた、しは、わたしは、私はっ
エミリアの事。エリクの事。いろいろな事が思考を駆け巡る。
エミリオがエミリアだから、こうまで思ってしまうのだろうか。
分からない、明確な答えが、今このときになっても出ない。
けれど、勝手に心が願ってしまう。
――私は生きていていいのだろうか。
……許されてもいいのだろうか。
素直に、心のままに。吐き出してもいいのなら。
「君と生きたい、エミリオっ!!」
少女が飛び降りる。そして――
空は青くて、君の音が聞こえる。
「一緒に生きよう。ずっと、ずっとだ」
君と生きる物語。
第一部完結しました。
読んで下さった方、感想を下さった方、アンケートに回答して下さった方、全ての方に感謝しています。皆さまがいて下さったからここまで書く事ができたと思います。本当にありがとうございました。
恋愛ものも、ファンタジーも書くのも初めてで、戸惑いもありましたが書いてよかったなと心から思います。
……あまりの達成感で、現在燃え尽きています。このまま完結の方がきれいに終わっていいんじゃないか、なんて気分になっています。どうしよう。
(時間はかかるかもですが持ち直せるはずです。た、多分。)
この二人の話は第二部にも続きますが、以前から書いていました様に、ご自分で、読む読まないを判断して頂きたいと思います。
(嫌悪を感じる可能性が少しでもある方は、読まれない方がよいと思います。)
次は番外編のアンケートです。
番外編は第一部まで読んでくださった方にお礼として書きたいなと思っています。
(これから第二部も書くのに、途中で番外編はおかしいかな、とも思ったのですが。第一部で読了の方もいらっしゃると思うので書きたいと思います。)
あと、候補は4つですが、全てではなくご希望の多いものを書くと思います。
今のところの番外編候補。
1、クレア嬢視点のもの。とある一日。
(エミリオ少年の行動実況中継とでも思ってください。アリアは目ざとくな、いえ、観察眼がないので。……新たなエミリオ少年発見かもしれないですね。)
2、もしも、15歳のアリアとエミリオが初めて出会ったらの話。
(なぜ、11歳で二人を出会わせたのかが分かって頂けるだろう話。……今後のネタバレの危険多少あり。)
3、アリアの幼きころ、奮闘編。
(かならず兄上、いや、兄様が出張るでしょう。おっさんを期待して下さる方の期待には応えられるはず。)
4、アリアスとエミリアの話。
(おそらく二人の日常が分かる感じのもの。結婚生活編というのでしょうか。もしくは出会い編ですね。)
今、思いつくのはこれくらいですね。
絶対本編に入れられないのは1、2とかですね。3、4は回想で一言くらい本編ででるかもしれません。
(『1が読みたい』でもいいですし。『2と4が読みたい』など複数でも大丈夫です。一番多く要望があるものを書こうと思っているので。)
アンケート回答は感想でも、メールでもお好きな方法で回答して頂いて大丈夫です。
この様に長い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。