君の思い、私の心
聞いてください――その言葉を言い終わって、すぐにエミリオが話しだすという事はなかった。躊躇いがあるのか、椅子に腰掛け目線は下をむいたままだった。
その姿を見ながら、アリアスは今日リードから聞いた言葉を思いだしていた。
ハーウェルン公爵家に接触を図ろうとする貴族がいると。それは別段、不思議なことではない。だがリードがその身元をつかめないという事が異常だった。
だから今日の依頼もその事に関することかもしれないとも。
緊張を表にださぬように、だが言葉を聞き逃さぬようにと耳をすませた。
そしてか細い、苦悩に満ちた声を聞いた。
「大切な人を助けられない私に意味はあるのでしょうか」
「大切な人?」
父親、叔父、親友、家庭教師。彼の大事な人を思い浮かべる。
「以前お話した私の好きな方のことです」
目を見開いた。なら、今日のは――
「こんなことに、つき合わせてしまって悪いと思っています。ですが私は、心を、感情を吐き出してしまいたかった」
不甲斐なさ。無力さ。そんなものを。
「そんなことをしても変わらないことは分かっているのに――」
彼は両手をきつく握り締めた。
「役に立てないものに、意味はない。だから私は彼女の役に立ちたい。彼女の意味あるものになりたいから――だが彼女は、悩んでいる理由を言ってくれない。私にそれを改善する力がないと思っているのか。話す必要がないと思っているのか」
そんな事、あるはずがない。いえるものなら言いたかった。
「……傍にいて、自分の事をそれだけ大事に思ってくれる人がいて、なんの意味もないなんて事があると本当に思っているのか」
こんな顔をさせたくないのに。また私は間違えてしまった。
だから今、この姿で言える精一杯の言葉を。
「君の存在に感謝している。君がいてくれることに。君が思ってくれることに。……きっと、な。だから焦ることはない」
彼がようやく目線を上げてくれた。だが苦悩の影が消えていない。
「ですが私には……時間がない」
「なにかあったのか?」
静かに、微笑むように彼は言った。
「留学することになりました」
頭が真っ白になる。驚愕で思考が一瞬とまった。
どこの国に、なんの目的で。本当は聞いてしまいたかった。
この年齢、しかも公爵家の後継者が。尋常ではなかった。
だが今この姿で聞ける事には限りがあった。
「……どれくらい行くんだ?」
「予定では一年。長くて三年といったところです。……やはり言いだすのに緊張しますね」
「緊張?」
そう言う彼は少しだけおかしそうに笑った。心なし表情もやわらかい。
「アリアスにはじめて言いましたから」
「なぜ?」
「助けてくれたからですね。貴方には聞く権利がある。いえ、ただ私が聞いてほしいだけですが」
助けた?なら、あの事件で彼の打った手は――
「あの王女との縁談の代わりです。安いといえば安い、代償です。殿下をこちらに、というか私の味方になって頂くため、私の将来を買って頂いたというだけです。……そして、だから私は殿下の留学の供として一緒に行くことになった。ただ、それだけのことですが」
それは――
「……女のために主君を選んだのか?」
最高の後ろ盾。磐石な地盤。王女との婚姻など要らぬ最強のカード。
その代償に絶対の恭順を。
「いいえ――私のためです」
射抜くような、まっすぐな視線。曇り一つない。
「そうか」
覚悟を決めた彼に、他に言える言葉はなかった。
「そろそろ、帰らなくてはな」
窓から見える外は暗く、打ちつける雨しか見えない。それに髪も乾いたし、服も帽子と同じで私が彼の為に買ったものだ。このまま帰ってもなんの問題もない。
「泊まっていきませんか」
「はぁ!?」
あまりの言葉に素っ頓狂な声をだしてしまった。
それを気にせず、エミリオが言う。
「いいでしょう。雨が降っている」
私たちが一緒にいられる時間はもう残り少ないのだから。寂しげな顔で言われてしまった。
「そうだな」
思わずそう返事していた。
だが!!
「おいっ!」
「いいじゃないですか」
いや、よくないだろう。なぜ君の寝台に私と君が倒れているのかね。君が私の袖をつかみ、強引に引き倒したからではないのかね。そして君も私の横で、にこにことうつ伏せになっている。
――とても問題があると思うのだが。思わず心の捌け口、という名の日記があるなら荒ぶる筆跡で書いていただろう。
「こういう仲のいい兄弟みたいな、友達みたいなこと憧れてたんです」
その一言で抵抗は完璧に捻じ伏せられた。
「ねぇ、アリアス。もし私の傍で働いてみませんか、と聞いたらどうします?」
軽く晩餐を部屋でとり、寝台の上で雑談をしているときだった。
エミリオがそんな質問をしたのは。
「働いてほしい、とは言わないんだな」
「なぜか、いいとは言ってもらえない気がするので」
「そうか」
アリアスは明確な返答はせず、会話は流れた。
燭台の明かりがなければ、そこは暗闇だった。夜目のきく人間には見える世界だったが。
大きな寝台の上には眠る少年と、その彼をみつめる少年がいた。
正確にはその少年の片方の手を。切なく焦がれるように。
『私の傍で働いてみませんか』
私が中流階級に生まれ、少年で、剣の腕がたち、真実、アリアスだったなら。きっと快諾していた。そして今日は人生で最良の日になっただろう。
だが私は、アリアなのだ。
「君の友達になりたい」
なのにこの手はとれない。私は偽りなのだから。
アリアスとして生きれば体が嘘をつかねばならない。
アリアとして生きるには心が嘘をつかねばならない。
だから私は。
「この手に触れることはできない」
どう生きようとも。
儚い声は夜にまぎれて。
また更新までに時間がかかってしまいました。すみません。
悩んで苦労した分いいものになっていればいいのですが。
ですが勢いで書いた部分もあるので、修正するかもしれません。
ようやく今回のシリーズ(君と私とでも書けばいいのか)の山場というか
大事な場面が終わりました。
(といっても次の話とかもメインですが。)
第一部完結まであと少しです。みなさまに飽きられないうちに終われるよう
頑張ります。