赤の王子と黒の王子[一幕]
――昨日は動揺そのままに書き連ねてしまったな。
だが、大丈夫であるよ。本気でエミリオ少年と決闘するわけではないのだから。
(それに、姫なんぞをしなくてよくなったではないか。物事は前向きに考えねば。)
……なぜ彼は“赤の王子”役を引き受けたのだろう。とても気になる。
(クレア嬢に尋ねたが、答えてはくれなかった。)
気にしても仕方のない事だな!やめよう。とりあえず分かっている事を書こう。
脚本はクレア嬢が一人で書く事になった。結末も進行も彼女のみが知るという事だ。できれば、彼との決闘が激しくない事を祈るばかりだ。
無理な願いかもしれないが。
――学院祭まで、あと一月となった。
学院の空気、いや雰囲気が変わった様に思う。午後の講義がなくなり、準備期間となったからかもしれぬ。
そして今日、脚本ができた。つまり、これからは役者の演技練習をしていく事になる。配役も全員決まったしな。
衣装は、みな自分の家のお針子に任せるらしい。赤の王子と黒の王子の衣装だけは、クレア嬢のお抱えのお針子がつくるそうだ。
だが問題が一つあった。渡された脚本に、肝心の決闘部分がなかったのだ。どういう事だと、みなクレア嬢につめよった。
――秘密にしたいそうだ。結末が重要なのに、もし誰かが口を滑らせたら台無しになってしまうからと。
それに結末は“赤の王子と黒の王子”しか出番はないのだから他の役は知る必要がないとの事だ。
だから本番まで、結末を知るのはクレア嬢とエミリオ少年と私だけという事だ。そして黒の王子役の私でさえも、結末を知るのは本番直前まで控えたいとの事だった。
一体どうなるのだろう、少し不安だ。
――今日の練習では、ちょっと戸惑ってしまう事があった。
この演劇で彼と、て、手をつなぐ事になるとは思わなかったのだ。
劇の中央から下手(たしか観客席から見て左側の事はそう言うらしい。)に移動するときの話なのだが。決闘前は仲がよかった事を示すのにちょうどいいそうだ。
まだ衣装ができていないから仲のいい兄弟には見えないのだろうが、彼と兄弟になった気持ちになれて、少し嬉しかった。
彼の顔に、表情はなかったとしても。
――なんだか最近、この日記を劇の進捗日誌の様に感じるな。まぁ、いいのだが。
今日は衣装ができたのだ。
(さすがクレア嬢のお針子殿である。一週間で仕上げてしまうとは恐れ入った。)
手渡されたのは黒衣だった。詰襟の軍服の様な貴族的な衣服、マント、剣、長靴、手袋といった小物にいたるすべて。
そして、黒地に映える金の縁取り、鮮やかな金刺繍。
まさか人前で少年の姿になるとは。そう思いながら着替えた。
……なぜかクレア嬢とお針子殿が『この部屋は大丈夫です。安心して着替えてくださいな』と言ってきた事が印象深い。
(他の部屋は危険という事かね?)
金の髪は三編みにして、背に流した。
アリアでもなく、アリアスでもない。姿見にうつったのは“黒の王子”だった。
そして、赤の王子の衣装を纏った彼も見る事ができた。
今日は衣装合わせ、という日らしい。仕立て上がった衣装をみな着て顔合わせをするのである。
(……主役でもないのに豪奢な衣装を着ていた少年はクレア嬢に却下されていた。)
エミリオ少年は役の名の通りに“赤”で統一された衣装だった。
深みのある深紅。鮮やかではないのに、鮮烈な印象を与える。
そこにいたのは“赤の王子”だった。
本番を明日に控えた日の事だった。
アリアはここ最近で最も困難な事態に行きあたっていた。
冬の寒い廊下を静かに歩く。手には黒の王子の衣装を抱えていた。目的は衣装置き場として使っている部屋だ。劇の練習を終えてただしまいに行くだけ、だったらよかったのだが。
前を歩くのはエミリオだ。彼もまた赤の王子の衣装をしまう為にいる。
他に人はいない。いつもなら他にも何人かと一緒に衣装部屋にむかう事になるのだが。今日は“結末”についての話しがあったせいで少し遅くなってしまったのだ。
主役であるアリアとエミリオ、そして脚本を書き、総指揮もとっているクレアの三人だけの話し合い。
この話し合いはアリアにとって“まさか”と言える内容だった。
劇全体を通しで劇をする事にも慣れ、後は本番を待つのみという状況だった。ただアリアには一つ、懸念があった。
“結末”を役者本人であるアリアですらまだ聞いてなかったのだ。
他のクラスメイトは三人で練習でもしていると思っているのだろう。不安な顔などしていない。
だからアリアは今日の練習を終えてすぐに、クレアにこっそり尋ねた、結末をどうするつもりなのかと。
そしてクレアは答えた。なぜか穏やかに微笑みながら。
「……結末は、私が決めるのではありませんわ。エミリオさまと話してみてください」
あまりの言葉に驚いているうちにエミリオがクレアに呼ばれて会話に加わった。
「衣装部屋で話しましょうか。衣装を戻しに行かなくてはいけませんし」
――それは、エミリオとの対話を意味していた。
衣装部屋に着いた。中には衣装棚がいくつかと、長椅子とテーブルが一組。
アリアのクラスの衣装で一杯だった。甲冑や盾、武具があるせいかもしれない。
使う衣装棚は奥にあった。主役の衣装は失くさない様にと、収納場所も指定されていた。
衣装をしわにならない様にかけ、小物など一式もしまう。無言で作業をこなした。
アリアが終わるのとエミリオが終わったのは、ほぼ同じだった。
自然と目線があう。彼はただ、無言でアリアを見つめた。
それに困ったアリアは自ら話し出した。
「あ、あの結末についてお尋ねしたいのですが」
「――結末などないのです、はじめから。今回の事は、貴女と闘う為に舞台を整えたにすぎません」
アリアは目を見張った。彼の言葉に、そして――
「私と全力で戦ってください」
心がない、と思っていた彼の顔は崩れ去っていた。
「貴女の手を握れば、貴女が剣の修業をなさっている事はすぐ分かりました。女性に決闘を申し込むなど、気が触れたかと思いになるかもしれませんが……私は、こうでもしなければ」
彼の心はなくなったのではなかった。溢れない様に押し殺していただけだった。
「貴女の事が諦められない」
手をとられたわけじゃない。距離を縮められたわけでもない。
ただ強い感情をぶつけられただけだ。
なのに言葉がでなかった。
――そのとき
鍵の閉まる音がした。
エミリオが足早に扉にむかった。扉を開けようとしたが、開かない。
「巡回の者が鍵を閉めてしまったようですね。家のものがすぐ気がつくと思うのですが……」
長椅子に座る事になった。アリアは自然にエスコートされていた。
冬、暖炉の火すらなく。ドレスのせいで覆いのない首筋に途端に寒気がした。防寒などできないこの衣服がとても心許なかった。
「失礼します」
エミリオが取り出してきたのは、ビロードのマントだった。それを巻きつけてくれる。
「すみません、これくらいしかない様です。ですが、すぐに人も来ると思いますし」
彼はそのまま横に、離れて座った。彼は自分のものは持ってこなかった様だ。外套もない、ただの室内着だというのに。
「寒く、ないのですか?」
「触れてもいいのなら、一緒に被りたいなとは思います」
彼は冗談の様に軽く言った。
「寒いのなら、どうぞ」
アリアはマントの裾を持ち上げて言った。
彼は目を丸くさせた。そしてはっとする様な、切なさと嬉しさが溢れた様な顔をした。
そして胸に抱きこまれた。
――かき抱く、それが正しい表現かもしれない。
して、よい事。悪い事。頭に一瞬浮かんだ。
でも今は、今だけはこのままで。