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君を守りたい  作者: 長井雪
第一部
32/62

盤上の駒となり

 よくある一日と変わらない朝だった。


「おはようございます、アリア」


 エミリオはいつもと同じ様にアリアの横に座った。講堂の中で日常の一つとして、アリアの確認をせずに手を握る。


――最初は不慣れなのかアリアは戸惑う素振りを見せていたが、ここ最近はそれもない。だがこの日は違った。

 アリアの身体に緊張が走ったのだ。いつもと同じ無表情。だが、ここまで拒む様な雰囲気ははじめての事だった。


「気分でも悪いのですか? 救護室にお連れしましょうか?」


 エミリオはアリアの体調が悪いのかと思い手を離し、心配気に見た。

 アリアの顔はさらに強張った。それでもか細い声で返答する。


「なんでもないのです。……心配なさらないで」


――この日、久しぶりに彼らの手は離れた。






――もう風は冷たすぎて冬そのものだ。それでも図書館は夕方といえどあたたかい。暖炉に火がくべてあるのだ。資料室にもその恩恵はくる。

(足元は石材からの冷気を感じるが、我慢できぬ程ではないよ。)


 今日は、今日はとても頑張った日だ。そうなのだ。よく、よくやったのだ。


「――……私は私に、負けなかったぞ」


 消え入るような声がした。資料室は金の髪の少女以外は誰もおらず、その声を聞いたものはいなっかった。


 まず朝は、エミリオの声も、手も、優しさもちゃんと拒絶した。きっと彼は――いや、なんでもない。

 次は昼ごろだ。彼が用事があると言って、空いていた講義室に二人で入った。

 そこではじめて、彼に頼まれ事をされたんだ――――



「貴女に頼みがあるのです。できれば聞き届けて頂きたい」


 絶望した様な暗い気持ちが一気に明るくなった。彼の助けになる――彼の傍にいれる理由だったから。


「今度、ダンスの講師の方を我が邸に招いて、ワルツを習得しようと思っているのです。そこで貴女に、できれば練習をするときのパートナ―になって頂きたいなと」


 彼は朝のやりとりを忘れたかの様な、はにかんだ笑顔で言った。

 すぐにでも『はいっ!』と言ってしまいたかった。

 でも――


「……友としての、頼みですか?」


 『はい』と言ってと願いながら言った。

 だが彼は途端に強張った顔になり、深く息を吐いた。


「……私には過ぎた要求をしてしまった様です。申し訳ありませんでした」


 彼は手を胸に置く動作をして『では、失礼します』と退室しようとした。

 だが、すぐに立ち止まる。

 私が、思わず服の裾をつかんでしまったから。

――私は、私では


「友では、駄目でしょうか?」


 少し切なくて、声が震えてしまった。



「……私が貴女にそれを言われて、頼むと思いますか?」


 心を押さえつけた様な声がした。彼は振り返らなかった。

 胸が苦しい。でも、彼の方がもっと、ずっと傷ついたんだ。


 少女は震える手で日記を閉じた。





 あの風が冷たかった日から一か月たった。学院は変わらない。行く講義室も変わらない。

 ただ、いつも手を握ってくれた人はいない。


 同じ講義室にはいる。横にいないだけだ――知り合う前と同じになっただけ。

 エミリオは以前と同じ様に取り巻きに囲まれ、そしてアリアも一人ではない。なぜかクレアが横にいる事が多くなった。




「貴女、“お姫様”したいのかしら?」


 突然のクレアの発言だった。脈絡がつかめない。今は講義が終わったばかりの休憩時間である。アリアは今日の講義中に“姫”という言葉がなかったか記憶をたどるも、やはりない。素直に聞く事にした。


「姫? なんの事か分かりませんが、なりたいと思った事はありません」


 クレアは異物を見る様な目でアリアを見た。


「……貴女、ここ最近の学院に対してなにも感じていないの?」


 そういえば、とアリアは思い起こした。学生たちの落ち着きがない。あとなぜか(いつもより)よく見られている気がする。アリアはそうクレアに言った。


「……そこまで分かっておきながら『よく分からない』で済ますのが貴女でしたわね。学院祭、というものがあるのです。簡単に言えば発表会ですわね。論文の発表や、知識を披露する祭典ですわ」

「そう、なのですか」


 七十年前はなかったはずだが、と思いつつもアリアは頷いた。ここ最近できた行事なのかもしれない。


「そして一学年は“劇”と決まっていますの。論文などはもっと高学年の話ですわ。ですから、まぁ、このままだと貴女……姫役ですわね、確実に。きらびやかな衣装を着て、自分にうっとりする男相手に恋する演技か愛しあう演技をする事になりますわ」


 アリアはぞっとした。悪寒が全身を走った。そして鳥肌も立つ。全身で拒絶していた。


「ま、まだ分からないではないですか。確かに女性が少ないので、姫を必要とする演目をする事になった場合、私がする可能性は高いかもしれませんが」


 今度はアリアは可哀相なものを見る様な目で見られた。


「……前向きな事は悪くないですが、現実を見ていないと痛い目にあいますわよ。――貴女は、この学院に一体何人自分の信奉者がいるか考えた事はあって? 学院のほとんどと言ってもよいと思うわ。ならばこの“劇”であわよくば貴女の相手役をしたいと考えている人間がどれだけいるのか」


――クラス単位で劇は行われますけど、我がクラスは“恋物語”になるでしょうね。予言しましょうか、絶対にです。まぁ“相手役”の決定には激闘、いえ、激戦が待っているでしょうが。


 アリアは気が遠くなった。現実から逃げたくなるというのは、こういう事のなのだなと実感した。

 それもクレアの次の言葉ですぐに終わる事になったが。



「でも……私の案に乗って頂けるなら“姫役”なんてしなくても大丈夫ですわ。ええ、恋や愛の演技などする必要ありませんわ」


 アリアは思わず、すがる様な眼差しをしてしまった。ここ最近よく話をするし、相談めいた事もした事があるからだろう。


「勿論、貴女の人気や美しさで裏方は無理なのだから役はしてもらうのですけれど。大丈夫」


――助けて差しあげますわ


 その言葉にアリアはクレア嬢の案とやらに乗ってしまった。

 アリアは気づかない。


 クレアの盤上の駒の一つとなった事を。



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