夜の語り手[一夜]
月のない夜だった。邸宅は寝静まり、風の音しか聞こえない。
明かりのない部屋の中、金の髪の少女が寝台から起きだした。少女は迷いなく戸棚にむかうと中から鞄を取りだした。可愛らしい布地の遠出にも使えそうな大きさのものだ。
少女は鞄を足元に置くと、金の長い髪をまとめ上げた。次に鞄からだした少年の服を着て、革の靴を履いた。最後にかつらをつけて、帽子もかぶる。何度か髪がちゃんと収まっているか手で確認すると、窓にむかった。
傍のユリエの木につかまり、するすると降りていく。番犬が走ってきた。少年の姿をした少女はその頭を撫で、颯爽と庭を出ていく。
――少女が抜け出した事に誰も気づかなかった。
王都の中でも特権階級の邸宅が連なる区域に、赤毛の少年はいた。
少年は決してみすぼらしくはなかったが、この場には相応しくなかった。昼日中であれば、見咎められたろう。だが、今は夜。闇に紛れるように、ただ歩く。
目的の邸宅を見つけたようだ。この区域で最も大きく荘厳な邸宅だった。少年は正門にむかった。
門番は不審なものを見る様な目で少年を見た。だが、少年は武器ももたず、紙をもつのみ。警戒する程の事でもないと門番は判断した。
「ここに一体、なんの用だ。間違いではないのか?」
「ここは、ハーウェルン公爵邸ですか?」
「……そうだが、なにか用があるのか」
少年は紙片を、門番に見えるようにかかげた。
「エミリオ・ハーウェルン様のご依頼により、こちらに参りました。導きの塔の“アリアス”がきたと、お伝え願えますでしょうか」
公爵家の紋章が入った紙片。
――依頼状であり、証明の証でもある。少年は間違いなく客人だった。
少年は丁重に中へと案内された。
――アリアスは邸宅の中を歩いていた。
勿論、眼の前には案内の人間、いや、監視がいたが気にする程ではない。邸宅の全容が分からぬよう、連れまわされるのは分かっていた。
だから、その間に状況を整理しようと思った。
今日、エミリオが学院にこなかった。講師が言うには急病と連絡があったらしい。
アリアスは不安だった。彼の様子、彼の依頼。――不吉な要因しかなかった。夕方、急いで王立図書館に行った。
図書館の係の男に『お勧めの小説はありますか?』と聞いた。
「……なにがお好きですか?」
「そうね、戦術集、戦記、伝記などかしら」
「では、ちょうど私のもっているこれなどがお勧めです」
そして一冊の本が手渡された。
「ありがとう」
早速、個室に入り手渡された1冊を開いた。中には、今回の依頼状があった。そこには――
「こちらでございます」
部屋に到着したよ様だった。扉が開かれる。
「待っていた」
「……依頼通りに、きた」
邸宅のおそらく最深部、彼の自室だろう。だが――扉の前に立たされた人間。護衛とは名ばかりの監視の数。
ここは彼の牢獄なのだろう。
「依頼内容は伝わっているかな? 人に頼んで依頼しに行ってもらったんだ。――ここから、動けなくてね」
広い部屋の椅子の一つに案内された。彼もとなりに置かれた椅子に座る。アリアスは部屋を見渡した。
大きな机に本と紙が大量に置かれている。彼は今日、一日をここで過ごしたのだと思った。一人で。
「君の話し相手になれと」
「うん、そう。だんだん拘束が厳しくなってね。会う人間の制限もされたんだ。……一人、学院には関係のない人間なら会わせてやると言われたんだ。だから君を呼んだ」
「なぜ――我慢している」
悲しみや、苦しさが伝わってくるのに、彼は穏やかに話し続ける。
「……君も私が間違っていると思うかな。――叔父に『王女と結婚しろ』と言われたんだ。そして私は拒否した。『好きな人がいるから』と。そしたら『お前は公爵家の後継者としての責任を分かっているのか』と言われた」
ここから話されたのは、彼の苦悩だった。
「父は彼女で問題ないと言ってくれた。だが、叔父は“望めるだけの最高の結婚相手”を得るべきだと言う。叔父は当主である父の弟で、強大な権力をもっている。……私がずっと目指してきた人だ。その叔父が言うには“恋着”などは判断を誤らせる、厄介なものでしかないそうだ。正しい事をしたいなら恋などするな。貴族とは責任を果たして、はじめて生きる事を許されるのだと、だから」
「王女との婚姻を、か」
「……私は今まで公爵家の後継者としての責任を全うしてきた。求められる基準を満たせなかった事はない。いや、なかったと思う。でも――」
彼が泣いた。静かに。頬にしずくが滑る。
「分かってる。言われなくても、分かっているのに。胸が、苦しい。泣いた事などなかったのに」
正しい事がしたい。
責任を全うしなければ。
目指してきた人。
恋しい人。
――ああ、ここに彼を守る人はいない。それを強く感じた。
彼がアリアスに依頼してまで、吐き出したかった事は“彼の弱さ”だ。
受け止めてくれる人がいなければ、中でこごらすしかない。
“アリア”なら、彼の手を握る。
なら“アリアス”は。
「抜け出したいなら連れて行ってもいい」
「……この監視の中で、抜け出せるの?」
「多少、手荒な真似をしてもいいなら」
剣がある。道具もある。できない事ではない。今日、彼がはじめて笑った。
「ふふっ私はどこかのお姫様の様だね。さしずめ君は、王子か騎士か盗賊か。――でも私は姫ではないから、大丈夫だよ」
本気にとってもらえなかった。私なら――私ならば、君を守る盾になるのに。
アリアスはそう思いながらも、彼の表情が柔らかくなった事が嬉しかった。
夜は更けて。
明日、25日に
『今後について』を次話「夜の語り手[二夜]」の後書きに載せて更新する予定です。
あと『アンケートについて』を削除します。
(+質問文なども。活動報告に移します。)
なので、もしかしたら最新話を投稿した事にならないかもしれません。
(本当は念のため2話更新するつもりでしたが、頭痛が酷く断念しました。)
次話は今、8割は書けているので、あとは気力で仕上げます。