仮初は真実をともない
「おはようございますお嬢様。今日は王立図書館に行くんですの?」
使用人たちが起きだして間もない早朝の事だった。メイドの一人がお嬢様に声をかけた。
「えぇ。そんなに遅くまでいるつもりはないわ」
ウォルシュ伯のアリア嬢は休息日でも変わらない。勉学に勤しむのだ。
「そう言って、むこうで宿をとったこともありますでしょう。……本に熱中しすぎです!!」
「今日はきっと大丈夫よ。まぁ、多分だけど」
メイドの心配はなんのその、アリアは綺麗な笑顔で出発していった。
王立図書館から一人の少年がでてきた。
下層階級ではないが、裕福というわけでもない、小柄な少年だ。帽子を目深にかぶり、顔立ちは分からない。少し見える髪は赤毛の様だ。
王都の中心地から離れ、小道を突き進んでいく。少年は迷いなく目的地へむかっている様だ。
やがて一つの塔が見えた。入口に小さな小窓が一つある。少年は小さな首飾りを取り出して、窓に見える様にかかげた。
「導きの塔の主に“アリアス”が来たと言ってくれ」
返事はない。ただ、人の動く気配がして、扉が開く。“通れ”という事だ。
階段を上る。かなり急だ。だが少年の用があるのは二階だから、それ程登らなくて済む。
二階の扉は開かれていた。中の人物がすぐ見える。
大きな机が一つに、棚がいくつかある。椅子に腰かけている赤毛の男が1人いた。
リード。この塔の主をしている。情報屋であり、仕事の斡旋もする男だ。
「嬉しいですねぇ。茶ぁでも飲みに来てくれたんですかい?」
リードは少年に、いやに丁寧だ。だが、これが彼らの“普通”だった。
「いや、仕事がしたい。一日で出来て、多少、難しいものがいい」
「“アリアス”の“多少”ねぇ。盗賊、暗殺者相手でもいいって事で?」
「そうだな、実戦がしたい。腕が鈍りそうなんだ……まぁ、今の私でできる程度だが」
その言葉を聞くと、リードは棚の中から紙を1枚取り出す。
「じゃあこれですぜ」
アリアスの前に1枚の紙が差し出された。
――指定の場所に『封筒』取りに行き、それを指定された場所に持っていく。
「運び屋の仕事です。この仕事は“あんたがいい”はずだ。――だが、注意してくだせぇ。殺しはしない事をすすめますぜ」
紙を受け取ると、アリアスは無言で部屋を出て行った。
――だから彼の呟きを聞いたものはいなかった。
「いつだって――したくてした事はないさ」
「これか」
指定の場所は、空家のポストだ。中流階級の住む地域によくある普通な家だった。
――どこからか盗んできたのか、ここを一度中継地点にした様だ。
それを次に届け先に持っていく。それで仕事は終わりだ。
――三人、いや、四人。どうやらこの『封筒』はそこそこ以上の価値があるようだ。
「それを渡してもらおうか」
帯剣した男が四人、アリアスを追いつめるように立っていた。
アリアスの後ろには“川”。逃げ道はない。
「……こっちも仕事なのでね、簡単には渡せない」
アリアスは軽口を言いながら剣を出す。大きめの上着の下に隠していた、小振りのものだ。
男たちは少年を馬鹿にしたように笑う。
――その笑いは長くは続かなかったが。
「……ふう、予想より手強いぞ。なんだ?」
足元には四つの体。意識はないが、命はある。『殺さない様に』そのリードの忠告を守ったのだ。久しぶりに手ごたえのある人間だった。
アリアスの外見に惑わされたのは一瞬だけだった。すぐ分かる。戦い慣れている。この時代では珍しい。
――そう思いながら、川を上流に向かって歩いていた。
そのときだ。
「それを渡してください!!」
少年が走ってきている。男たちを転がしてきた方向からだ。見るからに“貴族”と分かる少年だ。身綺麗な格好をしている。
――走る姿さえ、優雅な少年。アリアスは彼を知っていた。
だから驚いているうちに、少年に腕をつかまれ態勢を崩してしまった。
――そして封筒は、手から離れてしまう。
このままでは、落ちるのは地面ではなく川だった。
それを追って飛び込んだ少年。そして、追いかけるのは――
そこに“赤毛の少年”はいなかった。少年の服を着た、金の髪と青の瞳の少女しか。
だいぶ流されてしまった様だ。
気を失った少年と、彼の大事な『封筒』を流さずに岸にたどり着く事は簡単ではなかったから。
飛び込んだ茶髪の少年の息はあるが、意識がまだなかった。
急いで少女――アリアは上着から帽子とかつらを取り出し頭につけた。見られるわけには、いかなかった。
彼を起こそう、そう思って、やめた。彼が目覚める前に『封筒』の中身が気になった。彼のあの必死な様子、只事ではない。
『非公開文書』『重要な契約書』
彼がこの歳で、公爵家の仕事をしているなら不思議ではない。もし、そうなら彼に自然に渡せばいい。彼の為なら仕事の放棄くらい簡単な事だ。
躊躇いは捨てて、封筒を開けた。
「……馬鹿だ。君は馬鹿だ、エミリオ」
銀の栞だった。アリアの手元を離れて間もない。
こんなものの為に死ねるのか。阿呆だ。
なのに、なんでだろう。胸があつい。