返礼はお早めに
――――私という人間を私は許せない。なにをした、一番傷つけてはいけない人に。
そしてなぜ、彼は怒らない。手元が狂って、目を突いたかもしれない。喉を突いたかもしれない。
なぜ、許す。彼は言った。
『貴女にだったらそれでもかまわない。それに、背後から近よった私が悪いのだから』
そんな事はない。剣を向けた私がすべて悪いのだ。許せない。
泣く事は許さない。絶望する事も許さない。お前にその様な自由などいらぬのだ。
強くならなくては。もっと強くなって、何があっても冷静に、動じずに対処できるように。
弱い私は消えよ。
――昨日の私は、過去最高の落ち込み具合だったな。
一ページしか書いてないのに鬱々とした空気が漂ってくる。
(ど、どんよりしている。我ながら恐ろしい)
昨日の私には自虐行動も許せなかった。だが、一ページだけ自分に許して書いたのだ。
(もし自由に自虐文を書いていたら、この一冊は書き終わっていただろうな)
今日もまた、頑張ろうと思う。よし、大丈夫そうだ。これくらいでは負けてられぬ。
彼は生きている。なら、できる事をすればいいのだ。
――あと、昨日について一つだけ。彼を子どもと思っていたが。
(経験がなのはどうしようもない事だからな)
だが、人を好きになる事は子ども大人もなにも関係ないのかもな。
『一緒にいたい。君がいないと寂しい』
私もずっと思っている。私はもう“彼女”には会えないが。
「……エミリオ、君に私と同じ思いはさせたくないのだが」
アリアは、聞き取れないような小さな声でつぶやいた。
部屋には朝の陽ざしが窓から入ってくる。ペンにインクをつけ最後に一文付け加えることにした。
――天気もよいようだ。心配させてしまった、家族と執事とメイドに元気な私を見せなくては。
――今日は無事に一日を終えれ、なかったな。大丈夫だ。昨日に比べれば悲惨ではない。
自分の能力に絶望し、女性にお説教されたぐらいでは負けぬよ!!
(前向きな事くらいしか自分の強みはないかもしれん)
エミリオ少年、彼は本当にすごいのである!
なんと、大陸の列強三国の公用語、つまり三言語がもう使えるようだ。
(彼は外交官でも目指すのかね。まぁ、列強の一つは我が国なのだから母国語の分、楽だが)
本来、今から学院で学ぶものなのに、もう習得済みとは。恐れ入ったのである。
あと、彼は他国の情勢、歴史、貿易、多国間の関係問題に相当詳しい。
(未来の王の側近候補とはここまで能力がいるのかね。正直、想定外である)
最後に剣術の実習を見たのだが。 少年は講師に来ている騎士となら同程度に戦えると思う。
まぁ、騎士といっても貧弱なものだが。
(彼は体格もよいし、剣筋もよい。公爵家お抱えの武人が手解きしたのかな)
……つまり、窮地である。
この27年の記憶をもってして、現時点で能力が拮抗しているのだ。
(いや、分野によってはすでに劣っているものもある)
つまり、私はこれから死に物狂いで努力しなければ彼の足もとにも及ばないという事だ。
うむ。そうだな勉学の時間は今の倍はするか。鍛練は体力づくりを重視しよう。
あとは、やはり実戦をしなくてはな。鈍る。
……リードに繋ぎをとるか。ちょうど明日は休息日だ。朝からいけばよいか。
(剣では負けぬよ。だが、あれではいつか、敵わないときが来てしまうかもしれない。……剣は、剣だけは負けたくないのだ!)
はぁ、次は女性からのお説教。いや、大変今後に活かせる話だな。
(たじたじになってなどおらぬ。おらぬのだ)
――それは今日の講義が終わり、皆の帰る時間だった。
私は図書館に行くた為に荷物整理をしていた。
そこへ突然クレア嬢がやってきたのだ。
「エミリオ様にお返ししましたの?」
「え? いえ、本ならまだ読み終えていませんの。だから返していないのです」
私は、まさか彼女もあの戦術集が読みたいのかと驚いていた。
「……それ、本気で仰っていて? まさかですわよね」
人外を見る様な目で見られた。
「な、なにかおかしいかしら?」
「はぁ、そういえば貴女はいつも贈物は突き返しておりましたわね。……誕生日以外にもらった贈物は、何かしらすぐに“お礼”するものなんですの」
勿論、知らなかった。
「……なにを返せばいいのかしら?」
「まぁ、内容も大事ですが贈る日も大事ですわ。昨日頂いたのですから、今日返すべきでなくて?」
今日は無理であろう。もう夕方なのだから。
「あ、明日は休息日ですし、明日買いに行きます!!」
「遅いですわ」
「えっ」
「エミリオ様と対等な関係を望んでるのではなくて、貴女?」
そ、その通りである。
「このままでは貴女、貢がれた状態なのよ!!」
雷が直撃したような衝撃だった。
「なら“今日”よ。即座に行動しなさい! 買わなくていいの。貴女の愛用品でいいの!! むしろそっちの方が喜ぶ確率も高いわ!!」
「そ、そんなことは」
「いいから私を信じなさい! 彼が帰る前に用意して!」
「は、はい」
な、なぜか私は突き動かされるように、自分の持ち物でよさそうな物を探した。
そして、なぜかクレア嬢のくれた包装紙に包み、エミリオ少年に渡した。
妙な達成感だった。
ああ、あと、渡したときのエミリオ少年の笑顔の輝き方はすごかった。
邪悪なものを消し去りそうだった。おかげで、使い古しを渡す罪悪感で消えたくなった。
だからちゃんと『私の使い古しですまない。よければ後日、違うものを贈る』と言った。
だが、彼は『これがいい』と何度も言ったのだ。
贈ったのはただの栞だ。銀の武骨というか、飾り気のない栞だ。
……気に入ったのだろうか。
なら趣味が合うのかな。だと嬉しいのだが。