怒りは静かに
晩餐は終わり、あとは寝るだけだ。
だが11歳のアリアはまだ眠らない。それはこの邸宅の常識だった。アリアはこの歳ですでに才媛と名高い少女だったからだ。その彼女の勉学の時間を邪魔をするものはいない。
「お茶をいれてまいりました。休憩になさいますか?」
「いいえ、そこに置いてもらえるかしら? あとで飲むわ」
メイドが温かい紅茶を持ってきてもアリアの顔は上がらない。
どんなにメイド達が心配し『そんなにお勉強なさらなくても』と言ってもアリアは変わらなかった。
一人のメイドが、少し残念な顔をしながら、アリアの机に紅茶を置く。
少女らしさなど欠片もない重厚な机に。
そして、退室しようとしたときだった。珍しくアリアから声がかかったのは。
「エレナ、このカバーありがとう。とても気に入ったわ」
「っ! それはよかったです!!」
エレナと呼ばれた少女は、喜色を顔一面に浮かべ退室していった。
最近、白いノートをアリアは大切に使っている様だった。
そこで、縫物の得意なエレナはお嬢様の気に入るようにと、レースと布地でノートのカバーをつくったのだ。
エレナは他のメイドに自慢しようと、急いで自室に帰って行った。
――紅茶、美味しいのである。
図書館で借りた本も読み終わった事だし、今日もまた一日の反省といこうと思う。
(その日の愚痴では? とか言わないでくれたまえ。本当に今日は愚痴ではないのだ。……今日はもう、図書館で一度吐き出しているのだ。残りはないぞ!!)
今日は、エミリオ少年の敵はとても多い事が分かった。
そして、彼はそれを当然だと思っている事も。
彼に味方はいるのだろうか。心を許せる相手は。
思わず、昔エミリアにしてもらった事をしてしまった。
兄上が御隠れになったときだ。
私はそれまで、悠々気ままな次男坊でよかったのだ。
公爵家の後継者の責任は全て兄上が請け負ってくださっていたのだ。
それを一気に背負う事になって私は、押しつぶされそうだった。
だから、彼女が、エミリアが何も言わないで手を握ってくれた事に本当に安心したのだ。
――エミリオ少年が、あの時の私に見えた。
彼の力になることと、彼の心を守ること。どちらがいいのだろう。
彼の力になるなら、私は彼ともっと距離をもった方がいい。
(近くにいすぎると、敵の警戒対象に含まれてしまう)
でも、私は彼に悲しい気持ちでいてほしくない。
彼に真の友がいればいいのだが。
だが、それまでは。私が、彼が悲しそうなときには手を握ろう。
(器用な事は出来ないから)
まぁ、いつもは恥ずかしいから無理だがな。
――明日もまた、頑張ろう。
――――等と、昨日の私は思っていたのだな。
今は昼である。クラスのみなは食堂で楽しいひと時を過ごしているであろうよ。
ここは食堂ではない。だが私の前に食事はある。しかし私はそれを食べない。
嫌い等という理由ではない。とても、怒っているからだ。
ふふっ私をここまで激昂させるとは何事か気になるかね?
今日はいきなり肌寒くなった。なのに、右手は温かい。
なぜかエミリオ少年が、ずっとずっっと手を握ってくるのだ、私の手を。
(講義中はしていないが、移動中と休憩中だけ自然に握ってくるのだ)
まぁ、それはいいのだ。驚くかね? だが、いいのだ。
それで、彼が安心するなら。
(私の男としての誇りが、多少すり減るだけである。心を海のように広くすればいいのだ)
――問題はここからである。私に幻想を抱く、馬鹿で阿呆で、どうしようもない男どもの事である。
この男どもは、どうやら一学年だけにとどまっておらず、他学年を含めた大多数の集団となっていたようである。まぁ、これも本来ならどうでもいいのだ。直接私に関わっていないならば。
ここまで書いたなら分かるであろう。今日、私に接触を図ってきたのだ。
最悪なかたちで。
エミリオ少年と午前最後の講義を終え、食堂にむかうところだった。
彼は、私が握られた右手を気になって何度も見るたびに笑みを深くした。
そんな時だった。
なぜか私たちは、恐らく年上の少年達に囲まれた。
その少年達が言うには。
私はエミリオ少年にむりやり付き纏われているのだそうだ。
それを、お優しい私は拒むことができず、エミリオ少年が好き勝手にしていると。
そんな事は当然ない。
(確かに昨日の午前は少し思ったが)
だから勿論、私は反論しようとした。
だが、それは遮られ、少年達とエミリオ少年の言い争いになってしまった。
そして、なぜかなぜか、私の自由をかけた決闘がはじまるそうだ。
そのせいで、昼食後の講義は潰れるらしい。
(講師は生徒の自由の為に、貴重な講義を一つ潰すのだそうだ)
お優しい私は、エミリオ少年の言葉に左右されない様にと軟禁されてしまった。
――みな、何も知らぬから、この様な事ができるのだな。
私は前世、金獅子と呼ばれた男である。
戦場で“あえば生きて帰れぬ”と、言われたのは伊達ではない。
ああ、怒ってしまった。