七 小千谷(おじや)
七 「小千谷」
桐忠が振り返ると、そこにはパーカーに浴衣を重ね着した、大柄な男性が立っていた。よく見ると珠依と顔が似ている。彼が珠依の双子の兄である小千谷だった。隣接している移動図書館『千漆箱』の司書である。
小千谷の横には彼とほぼ同じ背丈の艶やかな美女が控えていた。彼女は彼千針という彼岸花の宿者だ。小千谷の側近である筆継の役割を担っているのも彼女である。
小千谷は珠依の元にかがみこんだ。手を伸ばし、さらりと珠依の頬に触れた。
「わぁ、酷い顔色」
「ごめん……」
「いいよいいよ、葉祥君にいろいろ聞いたし、あとは兄ちゃんに任せて」
「……よろしく」
そうして目を瞑った珠依に、小千谷は手をかざした。なにか唱えたかと思うと、す、と何も無い空間に手を振り下ろした。まるで見えない何かを切っているようにも見えた。
その途端、ずきん、ずきん、と桐忠の体は痛み出した。
「っ、」
「ごめんごめん、今はとりあえずこうするしか無かったんだ、君の治療もするから、とりあえず救護室に行こう」
桐忠の後ろから包み込むように大きな手が肩に置かれる。ぐいぐいと押されて桐忠は珠依の資料室を出た。
それと入れ替わりで部屋の外に待機していた葉祥が資料室へと戻る。小千谷はそばに控えていた彼千針と葉祥に声をかけた。
「ひちばり、葉祥君、終わったらすぐ戻るから、少しの間、珠依の事よろしくね」
「お任せ下さい!」
「良いですヨ、でもお早く戻ってきてくださいネ、さみしいノデ」
「わかってる、すぐ終わらせるよ」
艶やかに微笑んで言う彼千針に、小千谷はからりと微笑んだ。
桐忠は小千谷に連れられて救護室へと戻って行った。先程寝ていたベットに座らされた。そして小千谷は伝えてもいないのに欠損した部分に触れた。
「言ってねぇのにわかるのか」
「ん?怪我した場所のこと?わかる、というか見えるんだよね」
「ふうん」
「珠依とはちょっと違った痛み止めになるからね」
「なぁ」
「何かな?」
「あんた怒んねぇのかよ」
「怒る?」
こてん、と小千谷が首を傾げる。まるで温厚な大型犬のような男だ。不思議そうな目をして桐忠を見る。
「どうして俺が君を怒るのさ」
「俺はあんたの妹を苦しめた、葉祥から聞いてないのか」
「聞いたよ、でも仕方がないじゃん、珠依だって死んだ訳じゃないし」
あっけらかんと小千谷は答える。なんだこいつ、普通人ってやつは、家族が痛めつけられたら、怒るんじゃないのか。桐忠はそう思い、訝しげに小千谷を見る。
その間に小千谷は桐忠の左腕の前に手をかざす。「これだね」、と言って懐から小さな糸切りばさみを取り出す。何も無い空間にそれを動かすと、ぷつんぷつんと糸が切れる音がした。それと同時に桐忠の体の痛みが少し落ち着いた。
「だいぶマシになったでしょ」
「あぁ」
「まぁ珠依のこの部屋には叶わないけどね、いい部屋だろ?ここ、考えられて作ってるんだってさ」
「その結果が痛みの跳ね返りになったんだろ、俺が言えたことじゃないけど」
「まぁ、そこは細かくルールとかの縛りを決めなかった、珠依にも非があるよ」
「……あんた、俺といて怖くねぇのか」
「どうして?」
「俺がまた痛みを跳ね返すとは思わないのか?」
「それでもいいよ、皆の痛みが肩代わりできるなら」
そう答えた小千谷の瞳の光はまっすぐと前を見つめていた。そこに迷いや恐れは一切なかった。その瞳に嘘偽りはないのだろうな、と頭の片隅で桐忠は考えた。
「むしろ今回のことで、痛み分けが可能であることを証明できたから良かったよ。鎮痛しかできないのな歯がゆいって珠依と話してたんだ」
「お前ら二人とも正気かよ」
桐忠は思わず言葉が漏れた。は、と口を抑えて小千谷を見つめる。「どうなんだろう」とぽつり、小千谷が呟いた。つるり、と言葉が口から零れる。
「家族同然の君たちを戦場に送り出してるんだ。今までも、そしてこれからも、もう正気じゃやってられないのかもしれない」
そう呟いた小千谷の目の光は失われていなかった。むしろ狂ったような光が奥深くに宿っている。その光を目の当たりにして、桐忠は肌が総毛立つのを感じた。
「……」
「なーんてね、ちゃんとまともに司書やらせてもらってるから大丈夫!ちょっと怖がらせたね、これが君への仕返しってことで!」
はい終わり!と小千谷は桐忠の肩を軽く叩いて立ち上がった。それと同時に音もなく戸が開かれた。葉祥が頭を下げて入室する。
「小千谷様、ご対応ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそすぐ呼んでくれてありがとうね」
「もう珠さまの体調は安定してます、お顔を見ていかれますか?」
「そうしようかな、あとは任せて大丈夫?」
「はい、お任せ下さい、彼千針さまは、珠依様の元に控えていただいてます」
「ありがとう、じゃあ宜しく、桐忠くん、じゃあね」
「お、おう、綴り治し感謝する」
「いえいえ」
軽く手を振って小千谷は部屋を後にした。残されたのは葉祥と桐忠だけである。重たい空気が救護室に流れる。なにか言おう、でも何を言えば、とぐるぐると桐忠は頭を悩ませた。
先に沈黙を破ったのは葉祥であった。無言で桐忠が横になるベットに近づき、近くの椅子に座る。そして静かに問いかけた。
「桐忠さん、先程、珠さまがなんと僕に言ったか分かりますか?」
「……助けて、とか」
「いいえ」
「じゃあ、兄貴を呼べ」
「牡宵に伝えないで、です」
突拍子のない言葉に桐忠は困惑した。なんでまたそんなことを葉祥に伝えたのだろうか。そう思っていると葉祥は言葉を続けた。
「もし伝わってたのなら、あなたはここにいないですよ」
「……処罰されてるってことか」
「はい、牡宵様はこの移動図書館の中で誰よりも珠さまを大切にしているお方です。珠さまに何かあれば首が飛ぶでしょうね、もちろん文字通りの意味で」
「……」
「罰したとて、言霊蔵本部も罰せないでしょう、なにせ一言主様は全てを見通すお方」
「こうなることも分かってたってことか」
「どこまでご存知なのか分かりませんが、恐らくは」
一言主は桐忠の失態を予知した上でここに送ってきたのか。なぜそんなことを、気でも狂っているのか。そう思っているうちに、ずい、と葉祥が椅子を近づけた。
「それでもこのことを内密にしようとしたのは、珠さまのご意思。どれほど害をなそうと貴方を仲間だと想ってくれているからです。この恩情ゆめゆめ忘れないように」
「……わかった」
「……うん、わかってくれればいいです、僕は言いたいこと全部言いました……あ、でも、最後に一つだけ」
「なんだ」
「珠さまをただの年若い娘さんだと思っているでしょう、それは大きな見当違いです」
「俺もそう思い始めてた」
「ならよし」
すっくと、葉祥が立ち上がる。そしてそのままくるりと回転し部屋の戸口の前に立った。
「僕はこれで失礼します、ご飯冷めちゃったので後で別の持ってきますね!それじゃあ」
「まて、葉祥」
桐忠は思わず葉祥を呼び止めた。はた、と葉祥は手に御膳を持って立ち止まる。
「何か?」
「その、すまなかった、酷いことをした」
「もう、僕に言ってもしょうがないですよ、ちゃんと珠さまに伝えないと」
「伝えるつもりだ」
「それならいいです!でも絶対安静ですから今日はそこから動かないように!」
そう言って葉祥は救護室を出ていった。
は、と一息ついて桐忠はベットに体を完全に預けた。
珠依は大丈夫なのだろうか。しかし見に行こうにも絶対安静を伝えられた。と言うよりも珠依に拒絶されるのではと桐忠は思った。どんなに恩情があると言っても、自分を苦しめたやつなんて置いておきたくないだろう。潔く失態を謝罪し、ここを立ち去ろう。
自分の身の振りを決めた桐忠は目を瞑る。先程と比べればマシになったが、まだ痛みが残り続けているのだ。けれどこれは、痛みが自身の元に返ってきたという証拠。となれば珠依の方は多少はマシになったのだろう。
ほんの少し気持ちが軽くなったかのような感じがした。これが安堵するというものだろうか。そう思うとどっと疲れがおしよせてきた。桐忠は目を瞑ったまま、しばし意識を切り離した。
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