五 任務開始
任務開始
珠依は説明を続ける。
「彼女は貴族の生まれ、藤原家の娘だったの。薬子は自分の娘を、当時の天皇である平城天皇に輿入れさせ、侍女として一緒に入内したんだけど……」
「寵愛は薬子に与えられたんだってね」
牡宵はそう口を挟む。それに頷きながらまた珠依は説明を続けた。
「その後平城天皇は体調が理由で位を返上し、次の帝は嵯峨天皇に任命されたの」
「しかしそこで薬子が平城天皇を唆し、再度帝の位を奪い返そうとしたのが、藤原薬子の変って訳か」
資料をめくりながら郁南香が呟く。補足事項とでも言わんばかりに、知識豊富な牡宵はあとの言葉を続けた。
「と、資料には薬子が悪女のように描かれているが、実際は平城天皇が、自発的に動いていた説もあるんだ」
「とりわけ悪人だった、ってわけではないんだね」
なるほど、と理解を促すように稀南香が呟いた。「それで?自害の方法は?」と、隣に座る冷静な面持ちの郁南香が珠依に訪ねた。
「服毒自殺って言われてるね、この時代……平安時代のの貴族らしい死に方」
「じゃあ毒を飲んで死んだ事を、確認出来れば任務は完了というわけか」
「そういうこと」
「ねぇ、思ったよりも簡単じゃない?なにか影から手助けする訳でもないんでしょ?」
さらさらと金色の巻き髪をゆらして爛が声を上げた。「こら、気を抜くんじゃないよ」と磐津が垂れた目尻を下げ、たしなめるように話しかけた。苦笑しながら珠依は続ける。
「さ、作戦というより任務の流れ簡単にまとめるとこう」
・平安時代に任務へ向かう
・薬子の変を確認
・薬子の自害(服毒)を確認
・既存の歴史と差異がないか確認し、終わり次第帰還
大丈夫そう?と珠依は五名に確かめる。それぞれ頷き立ち上がった。それぞれの顔を見て、珠依は言葉を続ける。
「ではこれより詞司を行う牡宵に、指揮をとって貰います」
「皆、話は聞いたね、では準備を行い一時間後、再度ここに集まるように」
「「「「「応」」」」」
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一時間が経過し、それぞれ準備を終えて書架に集まる。書架では珠依が一冊の腕に抱えるほど大きな本を持っていた。爛は軽やかに走り出し、珠依の側へと行く。
「お待たせ!その本はなぁに?」
「これはね、みんなを薬子の元に送るための必要な本」
「ふーん?え、でもこれ真っ白だよ?」
珠依の腕の中にある本を除きながら、不思議そうに爛が小首を傾げる。珠依は微笑みながら「じゃあみんな、本に手を当てて」と言った。そして、ふと、思いついたかのように、彼女は「そういえば」と口を開く。
「あのね、確認なんだけど、みんな乗り物酔いとかするタイプ?」
「乗り物酔い?」
「うん、ちょっと気になって」
「……乗り物も何も、体を得て二ヶ月すぎしか経ってないけど」
「乗り物に乗ったことがないからねぇ」
「なにか関係あるの?」
「あ、そうだったよね」
稀南香と磐津がそう答える。
「うーん」と珠依はうなった。そして「よし」とうなずく。
「物は試し!やってみよう!」
「……だから何するの?」
「珠様、大丈夫なのかい?」
「理論上とかは平気!じゃあ牡宵後はよろしくね、こっちでも様子は見れるようにしてるから!何かあれば式神に話しかけて!」
「いや、乗り物酔いの話は…」
「じゃあ行くよ、みんな手を当てて静かにしててね」
珠依の勢いに押され、みな恐る恐る大きな本に手を載せる。勢いで言ってみたもののやはり緊張はする。するとポン、と肩に手を置かれた。振り向くと優しい顔をした牡宵が「まぁ、なんとかなるさ」と呟いていた。そうすると肩の震えが止まった、無意識に震えていたのだ。一度牡宵と目を合わせて頷く。すると手は離れていった。
す、と静かに息を吸い珠依は「おまじない」を唱え始める。
『集へや集へ、文字のなか
文字は言葉、言葉は歴史
今ぞ渡るは 薬子の変
詞 宿す身を 頁に返せ』
珠依が言葉を重ねていくと淡い光が本から溢れ出す。それと同時に、手を当てた四名はぐっ、と手が引き込まれていくのを感じた。その様子を冷静に見つめながら、珠依はまた言葉を紡いでいく。
『送れや送れ、文の川
綴るがための 命なら
迷ふことなき 道標
還れや還れ、灯のもと』
本の紙面一が輝きだし、目を開けていられないほどの眩さとなった。そして本の光は四人を包こもうとゆらぎ始めた。
光が四名を完全に包み込んだ瞬間、珠依はぱたん、と本を閉じた。一瞬にして光がぐにゃりと折れ曲がりながら、本の中に吸い込まれていく。そして―――
そこには珠依と護衛である郁南香だけが残された。よしっ、と嬉しそうに珠依は本を抱きかかえた。
「転送成功!」
「乗り物酔いと言ってたのはあの光が曲がった時か」
「うん、私もお師匠様の元で一回だけ、場所の転送として、あれを受けてみたことがあるんだけど……」
「どうなった」
「気持ち悪くなって、吐いちゃった」
「……まぁ宿者は丈夫な体と言われているから問題ないだろう」
「でもお酒に強かったり、弱かったりするタイプがいるじゃん?」
「あぁ」
「それなら、三半規管の強いよわいもあるんじゃないのかなーと」
「……他に方法はなったのか」
郁南香が責めるように珠依を見つめる。目付きが悪い訳では無いが、鋭い方に分類されるため、郁南香は眼力が強い。厳しい視線を向けられれば、押しつぶされるような感覚になる。その圧を避けるように珠依は視線をずらした。
「だってこれがいちばん適正あったんだもん……」
「他にも方法はあったんだな」
「あるにはあるけど、自分が上手く行くやつじゃないと危ない目に合うんだよ」
「例えばどうなる?」
「上半身と下半身が、泣き別れになったって例があったかな」
「……アイツらが吐かないように祈るしかないな」
「ね……」
「ね、じゃない、改善可能ならしてけ」
「そのつもりだよ!郁南香、圧強いんだから、そんな怖い顔しないでよ!」
「はぁ、とりあえずこれの件はいい、アイツら、無事に着いたのか?」
「それならこれで確認できるよ!」
珠依は閉じていた本を目の前の机に置いた。そしてもう一度ページを開き直す。するとそこには先程の四人の顔が映っていた。
磐津が胸元を抑えている、どうやら酔ってしまったのだろう。隣にいる郁南香が「酒は強いのにな……」と呟いた。聞こえないフリをして珠依は本に向かって話しかける。
「みんな聞こえてる?」
「珠様、聞こえてるよ、因みに磐津が酔ったみたいだ」
「磐津さん、吐きそう?大丈夫?」
「吐きはしないけどこれが乗り物酔いと言うやつなんだね……」
「磐津、二日酔いよりはマシなはずだよ」
そう言って優しく牡宵が磐津の肩を叩いた。「ゆすらないでくれ……」と磐津が絞り出すように呟く。その様子を眺めていた郁南香が、再度珠依を見つめる。その視線を真っ向から受けないように、珠依は受け流す。
なんだかんだありながらも、こうして初の監査任務が始まったのである。
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