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二 隠し部屋

二 隠し部屋


桐忠は牡宵に連れられて書架から廊下に出た。牡宵は首を左右に振って何かを探しているようだった。その姿を怪訝そうに桐忠は見つめる。


「何してんだ?」

「ちょっと式神をね、可能なら先に連絡したくて」


そう話すとどこからともなく、手のひらサイズの蝶々がヒラヒラと飛んできた。どこから入ってきたのだろうか、牡宵の周りで、その濡羽色の羽をはためかせている。嬉しそうに牡宵は目を細めた。


「おや、ちょうどいい所に、これが僕が探してた式神さ」

「式神?これが?」

「おや、葉祥から聞いてないのかい、これは珠様の式神なんだ、とりあえず見ていておくれ」


牡宵はそう言うと指に蝶を留める。そして口元に近づけて話しかけ始めた。


「珠様、聞こえているかな?」

『……はい、こちら珠依、聞こえてるよ〜』

「!?蝶が喋った!?」

『あれ、牡宵だよね?もしかして誰かといる?』

「桐忠と一緒にいるんだ、君に用事があってね、人払いをお願いしたい」

『分かったよ、執務室にいるから、待ってるね』


そう言って声がふつり、と途切れる。用が済んだとでも言うように、ひらひらと蝶はどこかへ行ってしまった。その蝶の後をしばらく見守ってから、「これでよし」と牡宵が頷く。桐忠は牡宵に尋ねた。


「さっきの蝶、式神って言ってたよな」

「あぁ、あれは珠依様の式神だよ、一匹だけじゃなくて複数が常にこの『玖燈籠』の中を飛んでいるんだ」

「通話も出来んのか」

「通信機器が得意ではない宿者もいるからね、ああやって双方で話ができるように、珠様が手づから設定したんだ」

「すげえな」

「ちなみにやろうと思えばその場所も映像としてみれるらしい」

「やんねぇのか、いい見張りになるだろ」

「よほどの事がない限りその機能は使っていないんだよ、覗き見してるみたいで嫌だって」

「へぇ、契約した宿者にデリカシーなんてあんのかねぇ、宿者を完全に管理してる司書だっているだろうに」

「珠様は僕達を同じ人として見てくれるからね」


そうこう話しているうちに、珠依の執務室の前までたどり着いた。牡宵は外から戸を叩き、声をかける。


「珠様、僕だよ、入っていいかな?」

「どうぞ!」


声をかけられ桐忠も後に続いて部屋に入る。そこは、壁一面を本棚が埋め尽くしている部屋だった。書架には古びた和綴じの書物から、時を経た羊皮紙の書巻まで、あらゆる時代の言葉が静かに息づいている。


来客のために設けられたソファーは、小花の模様がそっと散らされた優しい意匠。テーブルには、使い込まれた湯呑と文箱が置かれている。


部屋の奥には、淡く光を反射する木目の机と、その背にしっくりと馴染む椅子がある。いずれも珠依の執務に長く寄り添ってきた道具であり、無駄のない配置がかえって落ち着きを感じさせた。


部屋には、どこか甘い香りが漂っていた。桐忠は思わず鼻をひくつかせる。嗅ぎなれぬその匂いに、ふと背筋がそわつく。けれど、すぐにお茶の香りがふわりと鼻先を掠めた。焙じ茶のような、すこし焦がしたような香ばしさが、胸の奥に静かに広がる。


部屋に満ちる柔らかな匂いと、茶の香気とが混ざり合って、そこには不思議と心をほどくような空気があった。落ち着かないはずの香りが、次第に穏やかさへと変わっていく。


目を向けると、珠依は来客用テーブルの上でお茶を入れていた。良い質の茶葉なのだろうか。湯を注ぐ度に落ち着く香りが、室内に漂う。


「二人ともいらっしゃい、桐忠くんは傷の様子はどうかな?」

「問題ない、そっちの体調は?」

「こっちももう平気、ありがとうね、さ、座って」

「お茶は僕が並べよう」


ひらひらと手を振る珠依は本当に調子が戻ったようだった。着席を促され、桐忠は素直に従う。座ったソファーの向かい側に珠依が座る。


牡宵が音もなく手馴れた動作でお茶を差し出す。そしてそのまま珠依の隣に腰掛けた。


「さて、人払いも済んでる事だし、要件を聞こうか」

「じゃあ率直に聞く」

「私に答えられることならなんでも」

「あんたは俺らの流血を避けているように感じた、それは気のせいか?」


珠依が纏っていた緩やかな空気が、ぴん、と糸を張ったように切り替わる。穏やかな笑みは絶やさぬまま、しかし視線はそらさずに珠依は口を開いた。


「どういうことかな?」

「珠様、僕も最初は戸惑ったのだけれどね、彼自身が気になるだけで、一言主様の報告対処などではないらしいよ」

「なんだ、びっくりしたなぁ!」


ほ、と珠依は胸を撫で下ろした。途端に張り詰めていた空気がたわみ、先程の緩やかな空気を纏った。


「そういうことなら話してもいいかなぁ」

「そんなあっさり許可していいのかよ」

「牡宵がここに連れてきてる段階で、もう答えていいかなぁと」

「まぁ、まずいと思ってたなら僕だって断ったり、はぐらかしたりはしてただろうからね」


そう言って互いに顔を見合せて笑う。ここまで信頼関係を築けていることは、司書として誇るべきことなのだろう。しかし、牡宵の珠依に対しての気持ちを知っている桐忠はどうにもそこに居るのがむず痒い。そこで話の続きを促した。


「そう言うってことは、ただ避けてるだけじゃない、何かしらの理由があるんだろ」

「そうだね、でもそれがちょっと面倒な問題でねぇ」


そう言って珠依は湯のみに口をつけた。丁寧な仕草で茶を啜る珠依は「美味しい」と顔を綻ばせる。「いい茶葉が手に入ったんだよ」と牡宵が嬉しそうな声をあげた。


その様子を見る限り、本当に面倒な問題なのかと疑いたくなるほど、穏やかだった。桐忠はそのまま続けて質問を投げかけた。


「宗教上とかそういう問題か?人は敬ったり恐れたりするもんなんだろ」

「そういう考えももちろんあるけど、今回はちょっと違うかな」


そう言って珠依は立ち上がり、すぐ近くの本棚に触れた。棚の側面に何かあるのか、触れるとかちかちと音が鳴る。そして「えい」と掛け声を出して本棚を押すと、回転して棚の半分が壁にめり込んだ。棚が回転式のドアになっていたのだろう。珠依は中に入っていく。


「おい牡宵、なんだこれ」

「隠し扉に隠し部屋さ」

「浪漫があっていいでしょ?」


にゅ、と珠依の手が出てきて、おいでおいでとこちらに手招きをする。桐忠は従って扉の中に入っていく。最後に牡宵が続き、扉を元に戻した。


扉の向こうにはすぐ下に階段があった。慣れた様子で珠依は階段をおりていく。


そのまま奥へ奥へと進む。道中には一定の距離でランプが置かれており、明るかった。そして歩いていくと行き止まりにたどりついた。


「何も無いじゃねぇかよ」

「隠し部屋だから隠してるの、まぁちょっと見ててよ」


珠依はそう言って行き止まりの壁に両手を当てた。そして息を吸い込み壁に伝えるように声を出した。


『真木の戸を、

あけて夜深き梅が香に、

春のねざめをとふ人もがな』


朗々とした声が辺りに響く。するとなんの変哲もなかった木目がある壁が、まるで機械仕掛けが動き出したかのように一部が前に迫り出した。そのままその壁は戸になり、先に行けるようになった。珠依がくるりと振り向く。


「開けるよ、心の準備は?」

「準備も何も、何も知らねぇのに出来ると思うか?」

「それもそうだね、じゃああけまーす」


するすると音もせずに戸が開く。恐る恐る、というふうに部屋を覗く。そこには、畳が敷き詰められた、何の変哲もない和室。襖には薄く蝶の絵が描かれており、淡い光に浮かび上がっている。鼻先をくすぐるのは、乾いた畳の匂い。ただそれだけの、静かな空間だった。


桐忠は拍子抜けした。何があるのかと思えば、ただの和室が広がっているだけだった。


「なんだよ、ただの和室じゃねぇかよ」

「そう、ここ自体はただの部屋なんだ」


珠依はそう言って部屋の中に入り、横を向いた。すぐそこに、もう一対の襖があった。どうやら奥へと部屋が続いているらしい。だがその襖には、ただの仕切りとは思えぬ異様な気配があった。そこには札が貼られ、紙垂がいくつも垂れ下がり、空気を裂くように揺れている。厳重すぎるその結界は、何かを封じ、あるいは隔てているようだった。


――近づいてはならぬもの。

――覗いてはならぬもの。


直感のようなものが、桐忠の胸を静かに打った。奥にあるのは、ただの部屋ではない。薄い紙一枚の向こうに、名状しがたい何かが待っている――そんな予感が、ひたひたと背筋を這い上がってくる。何か嫌な予感がする、と桐忠は思った。


「おい、そこは」

「ここからが本番」

「気を引き締めるんだよ」


待て、と言うよりも先に珠依が勢いよく襖を開けた。その途端、ぞわりと嫌な気配が空気を包み込む。意を決して桐忠は部屋の中を覗く。そこには。


そこには、ぽつんと、着物がかけてあった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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