表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/8

Midnight Loop: 羽田から渋谷へ①


Tokyo Express Night ―


距離:30km|所要:約30分(深夜首都高)|景観:東京湾岸→汐留→環状内回り→渋谷




『Midnight Loop: 羽田から渋谷へ』


羽田空港第1ターミナル、深夜0時03分。

到着フロアのガラスの壁が、内部の光を柔らかく街へ放っていた。

そこに吹く風は、海と滑走路の気配を含んでいて、どこか金属的な冷たさを孕んでいる。

シャッターを降ろしたJALのカウンター、消えかけたディスプレイ。

照明は控えめで、動くのは空港職員か、深夜便で戻ってきた数人の旅客だけ。


彼女はスーツケースを引きながらロータリーへ出た。

並ぶ黒塗りのJPN TAXIの列、その中の一台がライトを点けて前へ出てくる。

その瞬間、空港という一大構造物の中で、わずかに感情のようなものが動いた気がした。


「渋谷まで。湾岸線からC1、内回りで。」


そう言って乗り込むと、ドアが音もなく閉まり、空気が切り替わる。

そこからは、東京という巨大な“都市の血管”を走る、静かで濃密な時間の始まりだった。


出発して間もなく、右手にはP1駐車場ビル、立体的な鉄骨構造の奥で赤い「P」のサインが点滅している。

左手には、JALとANAのサテライト棟が並ぶ滑走路の外縁が広がる。

羽田の構造は海に囲まれており、道路もまた埋立地の上を縫うように走っている。


誘導標識が現れる。


「第1ターミナル →」「銀座・芝浦 →」「C2中央環状 →」


彼女の目線は、ガラス越しに遠くの明かりへ向けられていた。

コンビナートのタンク群、煙を吐く塔。

その下をくぐるように、高速道路のランプウェイが滑らかに曲がっていく。

この都市では、道路すら美しい。


少し先で、湾岸線(首都高B)に合流。

右手には大井ふ頭のコンテナヤードが広がり、無人のガントリークレーンが赤い警告灯を点滅させている。

音はなく、ただ、巨大な都市構造が静かに呼吸している。



ここからは、まっすぐな道がしばらく続く。

速度が乗る。エンジン音が一段、低く唸る。


左手には京浜運河、そしてその向こうに羽田空港第3ターミナルの遠景。

飛び立った機影が一機、湾の向こうに小さく光の尾を引いた。

右手には城南島、その向こうは黒々とした東京湾。

夜の海は見えないが、海面に反射する光の断片から、その存在だけが確かに感じられた。


運転席ではFMラジオが小さく流れていた。

TOKYO FM、夜中のクラブ・ジャズ。

ベースのリズムが、アスファルトの振動と溶け合う。


彼女は窓に額を寄せ、息で曇ったガラスに円を描いた。



辰巳JCT、芝浦方向へ。

左に分かれた道を追うと、タクシーは次第に都市の中心へ向かって昇っていく。

そして、視界が一気に開ける瞬間が来た。


レインボーブリッジ。

彼女は、思わず背筋を伸ばす。


眼下に広がるのは、暗闇に浮かぶお台場の人工島。

観覧車はすでに止まり、ビルの明かりもまばらだが、その沈黙が逆に深みを与えている。

海の上を走る高架の道。

風は強く、タクシーの車体がわずかに揺れる。


右手にレインボータワー、左手には晴海、勝どきの高層マンション群。

夜空を突く光の帯。その背後に、さらに遠くの銀座の灯りが重なる。

都市の階調が、幾重にも折り重なっている。



橋を渡りきると、東京はその姿を変える。

タクシーは汐留JCTにさしかかる。


正面に現れるのは、カレッタ汐留。電通本社の巨大な壁面。

その下をすり抜けるように、道は分岐する。

左へ行けば築地、勝鬨、銀座。

彼女たちは、右へ──C1内回りへと合流。


コンクリートに覆われたトンネル区間。

音が変わる。

外の世界は断ち切られ、ただ車内の呼吸音と、エンジンの回転数だけが支配する。


だが、それは恐ろしい静寂ではなかった。

むしろ、胎内のような安定がそこにはあった。



外堀通りの真下、都市の中心軸を回る環状道路。

タクシーは静かに、しかし確実に、丸の内、霞ヶ関、溜池山王を越えていく。


右手に見えるのは、皇居の森。

都市の中心にあるこの深い闇は、どこか異質で、神秘的だった。


南青山あたりまで来ると、道の上に再び高層ビルの輪郭が現れ始める。

青山一丁目の青い光、左手には赤坂御所の樹々。

その向こうに、東京ミッドタウンのガラスが夜風に濡れていた。



渋谷ランプ。

都市の軸から、少しだけ逸れると、そこには別の表情が待っていた。


道玄坂下。

ハチ公口は既に終電が終わり、人影はまばら。

だが、スクランブル交差点の電光掲示板はまだ煌々と街を照らし、

24時間営業のファストフードの窓際には、ノートPCを広げた若者がぽつりといる。


タクシーが停車したのは、MODIビル近く。

運転手がメーターを止める音が、やけに静かに響いた。


「3,980円ちょうどです。」


カードをかざし、彼女はドアを開けた。


外は、思ったよりも暖かかった。

渋谷の坂が、まるで「おかえり」とでも言うように、なだらかに上っていた。


彼女はスーツケースを引いて、しばらく動かずにいた。

都市の音。

車のエンジン、誰かの笑い声、ビル風、信号音。

それらが、まるで一曲のジャズのように響いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ