チュリッヒ空港からグリンデルワルト経由でユングフラウヨッホへ③
【夕暮れの帰路】と【村のレストランでの夕食】
【17:30|夕暮れの帰路――傾く陽と影の記憶】
尾根でひとときを過ごし、ゆっくりと来た道を戻り始める。
太陽はすでに山の肩にかかり、光は横から差すようになっていた。
草原の一面が金色に照らされ、木々の影が長く伸びて道をなぞる。
歩くたびに、影が少しずつ形を変える。
同じ道を戻っているのに、風景はまるで別物のようだ。
森に入ると、ひんやりとした空気が肩に落ちる。
樹々の間をくぐる風が、昼よりも静かで、少し湿り気を帯びている。
鳥たちの声も低くなり、誰かが「今日の終わり」を告げているようだった。
遠くに教会の尖塔が見えてきたとき、村の存在がふたたび現実として浮かび上がった。
その姿が、どこか懐かしい場所のように感じられたのは、たぶん、心が少しだけ"山の時間"に順応していたからだろう。
【18:45|村の夜、始まりの灯り】
宿に戻り、汗を流して着替えを済ませる。
窓の外では、空の青が墨のように濃くなり、家々の窓にやさしい光が灯り始めていた。
レストランは、村の通りに面した小さな石造りの建物。
木製の看板には「Gasthaus Edelweiss」と手描きの文字。
中に入ると、テーブルクロスの赤い格子柄が、どこか祖母の家の食卓を思わせた。
【19:00|ディナー――滋味と沈黙】
席に案内され、メニューはドイツ語と英語の併記。
迷わず頼んだのは、**ワイルドの煮込み(Hirschragout)**と、地元の赤ワイン。
店員は柔らかな笑みで「鹿はこの村の裏の山で獲れたもの」と誇らしげに添える。
しばらくして運ばれてきた皿の上には、赤ワインと香草で煮込まれた鹿肉に、クリーム状のポレンタ。
添えられたリンゴと赤キャベツの煮込みが、肉の深みをほんの少し甘く中和する。
一口食べると、静かに目を閉じたくなるような味が広がる。
重すぎず、派手すぎず、けれどしっかりとした「土地の記憶」が舌の上に残る。
グラスに残った赤ワインを傾けると、窓の外に満月が昇りかけていた。
まるでその夜の終わりを、ワインとともに味わうかのように。
【20:15|夜の村路、息の中の余韻】
店を出ると、石畳の道に月の光がうっすらとかかっていた。
観光客の姿はすでになく、あたりはひっそりとした夜の呼吸をしている。
わずかに聞こえるのは、どこかの家の2階から漏れる食器の音と、遠くの牛舎の鈴の残響だけ。
まるで時間が、ゆっくりと布団に潜っていくような音だった。
宿に戻り、部屋の窓を少しだけ開ける。
夜の空気は冷たく、でも不思議と肌にやさしかった。
そのまま、何も言葉にせず、ベッドに身体を預ける。
今日という一日が、「記録」ではなく「気配」として残ることを、
この旅は、最初から知っていたのかもしれない。