四面楚歌
中間テストが終わり六月に入ると、いよいよ初ライブに向けて本格的に練習が始まる。
出番は六月二十五日の午後六時、出演時間は三十分、MCを入れると四曲ほど演奏できる計算だ。
セットリストは『エウレカ』、藤孝が以前作曲したニ曲、そして新たに作曲した新曲で構成される。
しかし新曲にはまだ歌詞がない。
「一歌、今回はお前が詩書け」
「ええっ詩を!? 無理無理!」
「馬鹿。ボーカルが詩を書かないでどーすんだよ。自分で歌うのに感情移入できないんじゃ元も子もないだろ」
(そういうもの……?)
つくづく、如月と一歌は音楽へのプロ根性が対照的だ。一歌も最近は如月に感化されつつあるが、それでもまだ足りない。
「難しく考えなくていい。テーマを決めて、自分の思った事を歌詞にしていけばいい」
「う……うん」
イヤホンを耳につけ、スマホに入った新曲を流す。
(テーマ……テーマかぁ)
一歌は目を瞑りながら頭を悩ませる。
「一歌、ごはーん」
「今日いらなーい」
一歌は机の上に突っ伏して、新曲のテーマについて考えていた。
「ちょっと一歌、昨日もそう言ってご飯食べてないじゃない。今日は食べなさい」
「いらないって。お腹空いてないの」
一歌は昌美の誘いを鬱陶しそうに断る。
すると、ミシッと床が軋む音が近づいてくる。一歌は条件反射で肩を震わす。
「母親が作ってくれたんだから、食べろ」
重々しい低い声で、敏之が怒る。
一歌は目を合わせずに背中を向け、「はい」と返事をした。
食卓では敏之がテレビでお笑い番組を見ていて、時折り声をあげて笑うが、一歌には何が面白いのか全く分からない。
昌美は傍に結衣を寝かせながら夕飯を食べている。
「この人最近よくテレビに出るよねー」
「面白いんだよこいつ」
キャベツの千切りにコロッケ、お笑い番組、別に好きでも嫌いでもないけど、
美味しくない
楽しくない
早く食べ終えて自分の部屋に戻りたい。
「なんだこれ」
一歌が一晩で書き上げた歌詞の曲名は、『四面楚歌』。
テーマは周りの人間が全員敵というような攻撃的なものだ。
自信たっぷりの一歌とは裏腹に、部室では如月と藤孝が歌詞カードを見ながら苦い顔をする。
そこには『殺戮』や『堕天使』といった見るのも恥ずかしい単語が羅列している。
「お前、厨二病だろ」
「はぁ!? 違うよ!」
「暗すぎるだろ! こんなの恥ずかしくてライブでできるか!」
「違うよ! 私はただ……思ったこと書いただけだもん」
一歌は如月に反抗するも、次第に勢いがなくなる。
藤孝は何かを察するように一歌を見遣る。
「まぁ、四面楚歌っていうテーマはいいんじゃないか。もう少し聴き手に刺さるような語彙にしぼってみるとか」
「うん……」
「こんなのは、ただのオナニーだ。自己満で気持ち良くなってんじゃねえよ」
悪態をつく如月に、一歌がムッとする。
「自己満って、それを言うならこのバンドだって自己満じゃん。この学校で立ち止まって耳を傾ける生徒なんて、一人だっていないじゃん」
今まで溜まっていた不満が爆発すると、一歌は怒りに任せて口走る。
自分の発した言葉の意味を理解した時に、とんでもない事を言ってしまったと後悔する。
「そうかよ。お前には刺さったと思ったんだけどな」
如月は凍てつくような冷たい目で一歌を睨むと、部室の引き戸を力強く閉めて出て行った。
引き戸を閉めた振動で、ドラムのシンバルが小さく揺れる。
一歌は藤孝と二人、部室に取り残されて、気まずい空気が流れる。
「ごめん……」
「いや、今のは如月が悪い……っつうか、お前はよくやってるよ」
初心者から約二ヶ月で大きく成長した一歌を、藤孝は知っている。
「歌詞書くの大変だったら俺がやるから。お前は歌とベースの練習だけしてればいいから」
藤孝の優しく思えるその言葉に、一歌はなぜか突き放されたような感覚を覚える。
「今日は俺も帰るな」
楽器を片付け、部室を出て行く。
一歌は俯いていて、どんな表情をしているのか分からない。
(はぁー自己満かー)
藤孝は部室を出た後、図星を突かれたかのように、深くため息をついた。