表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バンドの名はない  作者: 安藤ぽてと
バンドの名はない
5/7

そのバンドの名は


 朝、一歌は洗面所で髪を整えていた。黒髪におさげ、前髪は綺麗に切り揃えられている。化粧はよく分からないので、眉毛を書いて下地と色付きのリップクリームしか塗っていない。

 

「これでよしっと」


 すると寝坊したのか、出勤前の忙しない敏之が一歌を鏡の前から追いやる。


「ちょっと邪魔」


 敏之は一歌の顔も見ずに低い声で一言だけ話すと、短い髪を整え始めた。

 いつも敏之と洗面所の奪い合いになるのが嫌で、今日は時間をずらしたのに、こういう日に限って寝坊したりする。歯車が噛み合わず、居心地が悪い。


「一歌ー?パパ仕事だから後にしてあげてー」


 昌美が朝食の洗い物をしながら、声をかける。


 この家では、この男が一番偉い。

 都内のマンションで自室を持てて、高校にも通えるのは全部この男のおかげなのだから。

 一歌は自分にそう言い聞かせて、今日も学校に向かう。生まれたばかりの妹、結衣の顔も確認せずに。


「行ってきます」





「おはよう」


 バンドに加入してから一ヶ月と少し、朝練で一歌が部室に入ると、藤孝と如月が楽器の準備をしていた。


「一歌、合わせられるか?」

「うん」


 ショルダーバッグを下ろし、急いで準備を始める。

 

 あの日、下駄箱ライブで聴いた曲の名は『エウレカ』。

 エウレカとは、ギリシャ語で何かを発見したことを喜ぶことに使われる感嘆詞で、古代ギリシアの数学者、アルキメデスが叫んだ言葉だと言われている。

 藤孝が一年の頃にギリシャにハマって、この曲名を名付けたらしい。


 一歌はこの曲をスマホに入れて、何度も練習している。


「じゃあ始めるぞ」


 イカベースをアンプに繋ぐ。

 藤孝からはこの曲のベースの音は半殺しにした餅米のイメージと言われているが、よく分からなかったので、自分なりにアンプのつまみを調整し、歪ませてみる。

 

 そして三人が顔を見合わせ、如月がスティックでカウントを取る。


 ──カンカンカンカン

 

 木材が擦り合う音を上げると、次の瞬間、地鳴りのような迫力で部室内を三人の音が響き渡り、音圧で部室の窓ガラスが共振する。

 

 テンポ百八十の比較的速いこの曲は、一歌には難易度が高く、二人に追いつくのがやっとだった。

 右手の指がテンポに追いつかず、もたついて弾くのが止まってしまう。

 それでも食らいついて追いつくまで弾き続ける。


 イントロを弾き終え、ベースのソロが一瞬入った後、歌に入る。

 下駄箱ライブでは歌のないインストの曲だったが、藤孝が一歌の加入を機に、歌入りでアレンジをやり直したのだ。


 一歌はこの一ヶ月、ベースの練習だけをしていたのではなく、歌いながら弾くという課題もこなしていった。

 右手と左手で違う動きをするのが難しいように、複雑なベースと絡み合わせて歌うのにはまだ慣れないが、意外にもこちらはすぐに解決できたように思う。


 藤孝の書いた詞は、『どうしようもない世界の中で自分の居場所を見つけた』というような事を言っていて、今の自分にぴったりだと一歌は思った。

 

(もしかして藤孝や如月もこんな思いを抱えてるのかな?いや如月はないな。絶対ない)


 高音が上がりきらず、フラット気味になり、声量が足りず、他の楽器に声がかき消されていく。


 苦しいのに、楽しい。


 一歌は人の作った曲をただ聴くだけの受動的な自分では、もうなくなっていたのだ。





 演奏が終わると、如月は早速悪態をついた。


「おい一歌、お前何回ミスしてんだ。グダグダじゃねえか」

「ごめん……」


 これでも加入して一週間目の時よりはだいぶマシだ。

 あの頃は一歌の下手な演奏に耐えられず、スパルタも驚くほどの如月の暴君っぷりが炸裂していた。


「でも、最初よりはだいぶ良くなったんじゃないか。一応曲にはなってるし」

「藤孝〜」


 一歌が藤孝を拝む。

 厳しい如月とは正反対で、一歌には藤孝が菩薩のように見えていた。藤孝は一歌の態度に「やめろ」と鬱陶しそうにしている。


「良くねえよ。ピッチもぶれぶれだし、ベースがもたついてるとやりづらくてしょうがねえ」

「まぁでも、このまま練習続けてもしょうがないかもな。何か目標がないと」

「あ、それなら対バンの話来てるぞ。クラブユートピアの」

「なに? 胎盤?」


 一歌が首を傾げる。


「対バン形式! 複数のバンドが入れ替わりながら演奏するイベントだよ! お前はそんなことも知らねえのか」

「如月、禁煙中? なんでそんなに怒ってるの」

「お前がアホすぎるからだ!」


 如月は煙草を取り出して吸うと、はぁーっとため息をつくように煙を吐く。


「クラブユートピアは俺たちも何回かやったことがあるライブハウスなんだよ」

「ふーん。あ、そういえばこのバンドってなんていう名前なの?」


 如月と藤孝が沈黙する。

 練習することに夢中で、一歌は一番重要な事を聞きそびれていた。


「バンドの名はない」

「へーバンドの名はないんだ」

「違う! バンドの名はない! これが俺達のバンド名」

「え……?」


 一歌の頭が混乱する。


「このバンド、最初は何人かいたんだよ。でも音楽性の違いでその度にやめていって……やめる度にバンド名が変わるから、めんどくさくなってこの名前にしたんだ」

(えー……嘘でしょ?)


 バンドの名はない。

 なんのひねりもない珍奇なバンド名だが、このスリーピースバンドが、後にインディーズ界隈で名を挙げるようになることを、三人はまだ知らない。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ