爆音バンド
桜が舞う季節、私立めじろ高等学校の玄関前広場では、「新入生歓迎下駄箱ライブ」と称した軽音学部の演奏が行われていた。
少し憂いを含んだ煌びやかなサウンドのギター、パワフルなのに繊細でいてかつ美しいドラム、流行を無視した奇天烈な楽曲、そこには二人の青年の姿があった。
「すご……」
二年生からこの学校に編入することになった鴻 一歌は、玄関前広場を通ると、響き渡る轟音に初めて花火を見るかのような衝撃を覚えた。
「うるさ」
立ち止まって熱心に耳を傾ける一歌とは裏腹に、通り様に小声で文句を垂れる生徒や、スマホを凝視しながら素通りする生徒が多く見られる。
(なんで? なんで誰も立ち止まらないの?)
一歌は自分が感銘を受けた演奏に誰も立ち止まらないことを不思議に思い、しきりに辺りを見回す。
すると、一人の体育教師が、演奏する青年達の前に立ちはだかる。
「こらこら、朝からこんな所で演奏されちゃ困るよ。近所の方からもクレームが来てるんだ」
「顧問の佐渡先生にちゃんと許可もらってますけど」
「だとしても、もっと音量下げて。うるさくてかなわないよ」
青年二人は諦めたようにお互い顔を見合わせると、ギターのアンプのボリュームを下げ、ドラムも先程より音量を抑え目にして、再び演奏を始めた。
(ちょっと! 何余計なことしてんのよー!)
一歌は強い不満を覚えつつも、指で耳栓をしながら立ち去る教師の背中に、心の中で文句を言うことしかできなかった。
十日前。
「おんぎゃぁ、おんぎゃぁ」
「はいはい今行くよー」
生まれたばかりの結衣が泣くと、一歌の母、昌美は化粧をする手を止め、結衣を腕に抱いた。
一歌が五歳の頃、両親は離婚。
昌美が付き合っていた彼氏との間に子供ができ、子供が生まれたタイミングで再婚した為、当時住んでいた長野から再婚相手の住む東京にみんなで引っ越すことになった。
「一歌、今日の夜おばあちゃんちでみんなでご飯だから。忘れないでね」
(おばあちゃんって……)
一歌はテーブルに肘をつきながら、怪訝な顔で結衣を見る。母に彼氏を紹介されて一年足らずで起きた出来事に、まだ頭が追いついていなかった。
それもそのはず、やっと学校生活に慣れてきた所で、東京の高校に転校する羽目になったのだから。
「結衣ちゃんはお母さんそっくりで目が大きいねぇ。でも鼻は少し敏之に似てるかな?」
昌美の再婚相手の敏之の実家では、生まれたばかりの孫を愛おしそうに見つめる祖父母の姿と、敏之の妹、里絵の姿があった。
「本当だねぇ。でも一歌ちゃんはそんなにお母さん似じゃないよね」
悪びれた様子のない里絵のデリカシーのない一言に、一歌は苦笑いしながら「そうですね」と返すしかなかった。
(どうせ私は離婚した父親似で糸目だよ)
「昌美ちゃん産後はいつまで休むの?」
「とりあえずは次の仕事が決まるまで。土日に就職活動してさっさと保育園預けて働こうと思うけど」
「わぁ大変だね。でも介護の資格あるし、引く手あまたでしょ」
昌美と里絵は年も近く、気が合うようでお互いよく喋る。そこには一瞬たりとも話に入る隙はなく、気の弱い一歌はただただ黙って相槌を打っているしかなかった。
「一歌ちゃん、お腹すいたでしょう。ご飯食べなさい」
「あ、ありがとうございます」
テーブルいっぱいに並んだ料理を前に、手をつけずにいた一歌に気づいたのか、祖母が声を掛けてきた。
再婚が決まってから、祖父母に会うのがまだ二回目ということもあり、一歌は他人行儀が抜けなかった。
「そういえば一歌ちゃん、新しい学校どう?」
「春休みに入ったので、四月の新学期からです」
「そうだよお母さん、今春休みだって」
ピンポーン。
チャイムの鳴る音がする。敏之が仕事を終えて実家に帰ってきた。
「お兄ちゃんお帰りー」
「ただいま。結衣ーただいま」
敏之が猫撫で声で結衣に近づく。
「ちょっとお兄ちゃん、ちゃんと手洗ってからにしてよ?」
「あはは悪い悪い」
敏之が脱いだスーツを昌美に渡す。
仲の良い幸せな風景、一歌は食事を口に運んでも、乾いた粘土のような味がして、どうしようもない虚無感に苛まれていた。