告白
案内を受けて初めて踏み入れた王女の私室は、ディアンヌ邸のどの部屋も比べるべくもない。広さは勿論のこと、使われている家具・調度品は決して下品ではない。
落ち着いている質感と華美すぎない豪華さとどこか女の子らしい色調で統一されているが、一際目を引いたのは本棚だ。
「妹は昔から本が好きでな」
室内に目を引かれていたエリクは、ベッド近くに置かれた椅子に腰掛けていた王太子に今ようやく気づいた。未婚の、それも自分より上の立場にある女性の部屋に礼をとらずに入った非礼を皮肉る言葉を告げ、しかしすぐにベッドに目線を移す。
誘うような視線を再び投げかけられて、エリクは近づいていく。寝かされている誰かをその目でしっかりと見定められていくごとに、胸が引き締められていく心地だった。
息をしているかどうか、具にたしかめなければいけないほどの弱々しく小さな息遣い。色という色を失った生気のない、まるで死体のそれと変わらないシャルロット。
奇妙なことに、ベッドの脇のキャビネットと王太子の手には、本がいくつも積み重ねられていた。
「お前のところでも、本を読みたがったのではないか?」
「たしかに。よく私の書斎にある蔵書を読んでいました。時間が合うときには、内容について話も」
「そうか・・・・・・・」
それきり、王太子はぽつぽつとシャルロットの幼い時分のことを訥々と話し始めた。よく本を読んでくれとせがまれたこと。夜は必ず気に入った本を読み聞かせなければ寝入らなかったこと。そうすると、必ずうとうとと微睡むより目が覚めて困ったこと。
「こうしている今も、なにか読み聞かせればすぐに飛び起きるのではないかとな。おかしいだろう?」
「いえ・・・・・・・・・・」
「だが、そんなことにしか縋れないのだ」
徐々に弱っていっているのが、目に見えてわかってしまう。最初は熱を出し大量の汗をかき続けた。合間に血を吐き、そして今は意識を失って昏睡している。
自分のときを思い出し、呪いを連想したがそこまでだった。遙かに危険な状態に陥っているシャルロットを見て、なにも考えることができなくなる。
「お前のときは、どうして助かったのだ?」
「わかりません。意識を失っていましたので。屋敷の使用人に改めて尋ねても、ただ看病をしてくれていたというだけで」
シャルロットを連れて王宮まで戻ってからすぐにエリクは呪いだと見当をつけた。自身のときと重ね合わせてなんとか救おうと考えを巡らしたが、叶わないままだ。
「そうか。当然か」
「申し訳ありません」
「何故、謝る? そなたがなにかしたわけでもあるまいに」
「愛とは、呪いか。父上も上手いことをおっしゃる」
皮肉か、それとも本心か。それを推し量ることは、エリクにはできない。自嘲めいた笑みを浮かべながら繰りだされた独り言にも、なんと返せばよいかわからない。
「お前を殺し、シャルロットの呪いが解けるのであればそうしよう。だが、望みがないわけではない。お前の呪いは、一度解けた。なんらかの関わりがあるのかもしれん。エドモン・シャウロッドが引き渡してきた魔術師も面白い反応をしていたしな」
「奴は・・・・・・・・・・喋るでしょうか」
「なんとしても喋らせる。父上と私はそのつもりだ」
王太子はこれから、陛下と一緒に魔術師を尋問するのだとエリクに話した。兵士や騎士に任せないで自ら臨もうというには、なんらかの考えがあるのか。
しかし、王太子は一笑に付すのみでエリクには教えなかった。来た理由、自分達に代わってここに残り看病をしにくる侍女がなにかしないか、怪しい者が来ないか見張れという命令を簡素に下しただけだ。
「親衛隊でなくとも・・・・・・・室内にいなくてもよいのではないでしょうか」
「そのほうがシャルロットも喜ぶ」
「・・・・・・・そうでしょうか」
「譫言でお前の名をしきりに呼んでいた」
「っ、」
「ああ、そうだ。お前に渡すものがあった」
どう答えるべきか逡巡していると、キャビネットの一番上に置かれた本を一冊、差し出してきた。いつだったかシャルロットが乞うて読みたがっていた本だ。王宮の書架にはまだ続きがないからだと。
「何故、シャルロットがこれをもらいたかったのかわからないのか?」
「読みたかったからではないのでしょうか」
本を離さないまま、王太子はエリクに対して鼻で笑った。小馬鹿にしているような笑い方だ。
「持っている」
「え?」
「シャルロットは、このシリーズの本を持っている」
ならば、どうして本を欲しがったというのか。エリクにはわからなかった。訝しんでいるエリクに対して、王太子はもう一度鼻で笑った。
「以前、収穫祭でそなたに申したことを覚えているか? シャルロットがそなたをどうおもっているのかを」
「はい・・・・・・・・・・」
「オーランと母上にとっての、指輪と同じだ。単なる愛玩として接しているならば、思い出の品など欲しがるものか」
「っ、」
「今一度、よく考えよ」
とうとう本から手を離し、最後にシャルロットを愛おしそうに数秒見つめて、王太子は部屋を後にした。
代わるように侍女が数人入ってくるまで衣服を脱がせ、体を綺麗にし、髪を梳かす。唇に水を含んだ布を当て、シャルロットの世話を終えた侍女が再び姿を消す。
そうなるまで、エリクは動くことができなかった。
王太子に言われたことが、ずっと頭の中にこびりついて消えなかったのだ。つられて、シャルロットと出会ったばかりの記憶がめまぐるしく思い起こされていく。
(シャルロットが俺をどうおもっているかだって?)
彼女の護衛であることを抜きにして、考えることなど本気でしたことがあっただろうか。只でさえ誰からも恐れられ、忌み嫌われるのが当然であった身だというのに。
寝台から、枯れた木が漏らすような呻き声が上がった。弾かれたように体がビクつき、しかし引き寄せられていくように足が進んでいく。
苦しそうに眉間に皺を寄せているシャルロットに、いてもたってもいられずに濡れたタオルで拭いてやり、水を口に含ませることしかできない己の無力感に苛まれる。
「エ・・・・・・・・・・ク・・・・・・・・・・ま」
「シャル?」
なにかを探るように毛布から飛びでた手を優しく包みかけ、己の醜い毛むくじゃらの腕に気づいてしまい、エリクは躊躇った。
触れられることを誰からも恐れられ避けられていた己を思い出してしまう。そして、自分が呪われ騎士であるということを。
そんな呪われ騎士を、シャルロットだけはおそれなかった。触れられることを嫌悪せず、むしろ触れにきていた。
「ク・・・・・・・・・さ・・・・・・・・・・」
「なんだ? なにかほしいのか?」
「エリク・・・・・・・・・・・・・様」
体が、いや心が震えた。そして、温かい心地が胸いっぱいに広がり溢れだしそうなほどになり、シャルロットの手を掴まずにはいられなかった。
どんなに理由を探しても。誤魔化そうとしても。心を錆び付かせてしまおうとしても、無理だった。
「愛している」
告げずにはいられなかった。
そうだ。そうなのだと言葉で紡ぎながら改めて実感する。かつてエレオノーラに対して抱いていた感情をこの王女に対して抱いているのだと。
もう自分には縁が無いと諦めていた。そうでないと、期待したときにより失われたときがおそろしいから、直視しないようにしていた。だからシャルロットが自身に対して抱いている気持ちについて、深く考えることをしなかった。
たった一つ残った騎士としての生き方を貫くことさえも難しいとおもえる熱く激しい心の昂ぶりを、ときめきを、再び抱いているのだ。
だが、事ここに至ってエリクは誤魔化すことはしなかった。彼女を死に至らしめようとしている呪いを、今一度自分が引き受けてもかまわないというほど。
彼女が無事であるならばこの気持ちが成就しなくてもかまわないというほどに。
シャルロットも、そうであってほしいと助け出そうとしているときにおもった。
エリク・ディアンヌはシャルロットを心の底から愛している。
「愛している」
聞こえるはずなどないとわかっているのに、今更遅すぎる気持ちを、呟くようにもう一度告げた。




