奮闘。
オーラン団長が加わったことで奇怪としかいえない一行には常に緊張感が漲った。さほど口数が多かったわけではない男達は無口になり、乱雑だった口調も身ぶりも溜まっているであろう疲弊も押し隠している素振りだ。
それは、シャルロットも同じだった。粗末な食事と水分補給以外では荷物として扱われ、喋ることも強引に封じられている。座り心地も転がり心地が悪い荷台で体の節々は痛みが耐えがたいほどになっていて精も根も尽き果てかけていてオーランとジャンヌを睨みつけることさえも難しくなってきている。
持ち前の明るさも失われているとき、彼女の耳にとんでもない言葉が入って来た。聞いたことのない地名と船、そして海のむこうにある国の名前が頻りに頭の上で飛び交っている。
目を閉じて大人しくしていたから眠っていると思われたのだろう。だがオーラン達はこのままシャルロットを連れて海を渡る算段なのだと、絶望した。
もう用意は万全らしい。まさかそこまで用意周到だったとはおもわず、シャルロットは息を呑んで耳の神経を疑った。だが、どうやら目的地までさほど遠くない場所まで来ている。時を置かずしてそのまま船に乗り込める手筈であるというのも知ってしまった。
(嫌ですわ)
シャルロットの脳裏に過ぎったのは恐怖よりもまず王宮での暮らしや産まれ育った王国への悲しい郷愁、そして家族だ。それらが郷愁にも似た切なさを伴って目まぐるしく移り変わり、最後にエリクのことが浮かんだ。
彼と過ごした日々。嬉しかったこと、楽しかったこと。苦しかったこと。淡い恋心が記憶と一緒になって、消えかけていた感情に火を灯したように胸を疼かせる。
(嫌だ)
そうおもったら、途端に我慢ができなくなっていた。鳴りを潜めていた活発な行動力が、意志が、ムクムクと蘇ってきた。
例え報われぬ恋であっても。自分とエリクが結ばれぬことがなくても。エリクが好きで、彼に会いたい、側にいたい、気持ちを告げぬまま離ればなれになるなんていられない。だからこのままオーラン達のおもいがままに大人しくしていられるかと思い始めてきた。
「あ、あのう・・・・・・わたくしお花を摘みたいのですけれど・・・・・・・・・」
「は?」
折しも食事を与えられるとき、猿轡を解いて硬くぼそぼそのパンを食べさせようとしてきたジャンヌが虚を突かれた。
馬車が止まるのは御者が交代するときと用を足すときだけ。それもあるかなきかの短い刻限でのことだ。逃げるにはそれしかないとおもった。
「おかしいですね。あなたが尿意を催さずともよいように与える水分は計算していたはずなのに」
しかし。まさかもまさかな方向でジャンヌが訝しんだ。
「は、早く行かせてください、まし・・・・・・」
おもわず意図を読まれやしないかとギクリとしたまま、シャルロットは大袈裟に身を捩りモジモジとして見せて誤魔化そうとした。
「オーラン様。どうしましょう?」
「・・・・・・・・・」
「オーラン様?」
「ん、すまん。なんだ?」
硬い渋面のオーランはハッとして、今初めてなにか聞かれていたのだと気づいたというような、あやふやな反応を見せた。うとうとしていたというわけではなく、どこか億劫そうでもあり、額と頬に脂汗を滲ませている。
「シャルロット様が用を足しに行きたいと」
「ん、そうか・・・・・・・・・ならばこれにさせればいい」
投げて渡してきたのは空の革袋だった。
「そ、そんなもので皆様方がいる前でなんて、できるわけがございませんわ!?」
オーランがいわんとしていることを察したシャルロットは、おもわず叫んだ。ここでしろと言っているのだと。
嘘ではない。例え本当に尿意を催していたとしても人前で、皆に見られながらするだなんて、そんな辱めを受けるくらいならば舌を噛み切って死んでやりたい。
「そうですよオーヴェンヒルムの旦那。いくらなんでもそんなことをしたら匂いが残っちまうだろ。勘弁してくだせぇよ」
「そうだそうだ。只でさえ散々動けなくってイライラしてんだ。これから先、小便くせぇ匂いに耐えて進むなんざ嫌でさぁ」
はからずも、男達から不平不満が上がった。そうだそうだとやまない大音声に、シャルロットはいけると確信し、男達のブーブーという不平に便乗した。
「いや。いいんじゃねぇか? お前ら王女様の用を足すところ、見たくねぇか?」
「え・・・・・・・・・お前見たいのか?」
「・・・・・・・・・・・・」
だが、なんだか変な方向に話が逸れてきている。別の意味でシャルロットは背筋がゾクッとした。
そのまま男達が五月蠅くなると徐にオーランが立ち上がった。頭上に手を翳すと、乾いた銃声がパァン!! と響いた。一斉にシン・・・・・・・・・と静まり返り、そのままぐるりと荷台を見回すオーランに対して、一同がビクつく。
「お前達、いい加減にしろ。ここまでなんのために耐えてきたとおもっている。これ以上無駄な言い争いを続けるのなら約束の報酬は支払わん。それだけではない」
短銃を見せつけるように構え直し、暗にそれだけではないということの意味をありありと示す。もう誰も声を上げようとしない。どこからかゴクリと唾を飲みこみ、恐怖が伝播していく気配が漂ってくる。
「お、お願いいたしますわ! 後生です! 後生ですから!」
シャルロット以外は。
「一回だけ! 一回だけでよいのです!」
「こ、こいつ・・・・・・・!」
「ああ! 触らないでくださいまし! もう、限界ですわあああああ!」
しかし、シャルロットには勝算があった。
彼らと違い、シャルロットは人質のようなものだ。復讐とはいえ、まだ命を奪おうとしていないのがその証だ。いずれは・・・・・・どうなるかはわからないがまだ殺されるときではなく、利用価値があるからこそここまで連れてきたのだから。
「くそ、おいジャンヌ。もういい」
ホッと気が緩んだ。これでまずは第一の関門を突破できたのだ。
「ここでするのを手伝ってやれ」
「!?」
「かしこまりました」
「!?!?!?」
しかし、違った。強制的にこの場で用を足させられることになった。
まさかそんなことになるとは露ほどもおもっていなかったシャルロットは面喰らった。
「お、おやめになって! いや! やめなさい!」
「恨むのならご自分の膀胱を恨みなさい」
革袋を持ってジリジリとにじり寄ってくるジャンヌからずりずりと這うようにして逃げようとする。
「一番辛いのは誰だとおもっているのですか。あなたのトイレを手伝わなくてはならない私なのですよ」
「いやああ! 王宮でもさせたことなかったのにいいいい! やめてえええ!」
ピンチだ。足とスカートを掴まれてペラリと太腿が顕わになるまで捲られている。最早シャルロットの想定していた、別の意味で絶体絶命だ。足に力を入れなんとか拒んでいるが最早時間の問題だ。
「ぬ、く、うう! ううううう~~~~!」
「こ、この! 一体どこにこんな力が! あまり抵抗を入れると漏らしますよ!」
しかし、間一髪。あと一歩のところで救われた。
「う、ぐう・・・・・・・」
「旦那?」
呻きながらその場で膝をついたオーランによって。
ひどく苦しそうだ。バランスを崩したというわけでないのは見てわかる。熱さよりも寒さが目立つ季節で走らせている馬車の荷台の中にも冷たい風が入りこんでいる。だというのにオーランの肌にはあちこちで滲んでいる脂汗が玉といて顔面が蒼白となっている。
体に力が入らないのか、支えにしようとしている腕もプルプルと震え今にも折れてしまいそうな危うさがあり、立てそうにない。
(このかんじは・・・・・・)
おそらくジャンヌも同じことを考えたのだろう。はからずも目が合った。このところ不調に陥ったときのシャルロットと、同じ様相なのだ。
「大事ない・・・・・・・慌てるな・・・・・・・!」
「いえ。少し休みましょう。おいっ」
「いや。ジャンヌよい。かまうな」
気遣わしげに体を支えながら御者に呼びかけるジャンヌと、それを拒むオーラン。短くも激しいやりとりの果てに馬車は止まった。
臨んでいた展開だったのに、妙にしこりが残る。甲斐甲斐しくジャンヌに看病しかねないオーランに、己とを重ね合わずにはいられない。
(これは、偶然なのでしょうか?)
「おい、王女様よ。今のうちにトイレに行っといたほうがいいんじゃねぇのか?」
「え? ・・・・・・・・・?」
「ん?」
「あ、ああああ! いけませんんんんんんんん! もう、もう限界を超えてしまいますわあああああ!」
ハッと我を取り戻し、再び演技をし直す。
「見張りを一人、一緒にいかせりゃあいいでしょうよ。おい」
「へい」
止めようとするジャンヌを、そう言いくるめてやっとこさ荷台の外へと降り立つことができた。暫く体を動かさず、狭い場所にいたことで平衡感覚を失っていたために倒れそうになったが、なんとか上手くいった。
しかし、問題はここからだ。抜け出すところまでは上手く運んだが民家はおろか見渡すかぎりなにもない平原しか広がっていない。少し離れたところに雑木林があるもののとてもではないが、ここから先どうやって逃げおおせるか。シャルロットは頭を抱えた。
(どうしましょう! なにも考えていませんでしたわ!)
「おい、どうした。早くしろよ」
冷や汗がドバッと吹きだし、ダラダラと滝のように流れる。見張りの男が問い直しながら近づいてくる。もうどうしようもなくなり、泣きだしてしまった。そしてそのまま自暴自棄になり、走りだした。
「ああ! 待ちやがれこの!」
「きゃうん!?」
必死の疾駆も虚しく、いとも簡単に捕まってしまった。
「こ、このガキ! 殺されねぇからってなめてんじゃねぇ! 大人しくしねぇと痛い目に遭わせてもかまわねぇんだぜ!」
それでもなお、這うように地面の上でズリ、ズリと逃げようとする姿を見せるシャルロットに、剣が突きつけられた。
「なんだぁ? その面ぁ。恨むんだったらよぉ。てめぇを守りきることができなかった間抜けな騎士を恨むんだなあ!」
「っ!」
「なんだっけか? ええ? ああ、そうだ。呪われ騎士だっけか。へん! 忌々しい気色の悪い化け物が!」
その言葉が、シャルロットの胸をついた。
呪われ騎士。エリクを蔑む呼び名。それ以降も男はエリクを罵り、馬鹿にし続ける。裏切りに気づかなかった間抜け。化け物。能なし。聞くに堪えないものばかりだ。
(違う)
エリクは、罵られるような人ではない。誰よりも真面目で誇り高くしっかりとした、騎士にふさわしい人だ。それこそシャルロットが好む物語に出てくるような立派な騎士なのだと、シャルロットは知っている。
だから、好きになった。側にいたかった。最初は愛くるしい見た目に興味を惹かれた。彼の胸の中に抱かれ、顔に触れたふわふわの体毛、その奥に感じた体温、毛むくじゃらの中にあるぽつんとある濡れたようなつぶらでありながら凜々しさが灯っている瞳。そして動物のそれと大差が無い尻尾。
そんな彼と一緒にいるうちに、一人の男性として好きになった。噂されているような日とでなく、使用人に対しても優しい性格で、以外にも甘い物が好きで本が好きなことも、好きな本のことになると饒舌になるところも。
そして自分自身の外見を他人以上に気にしている繊細な傷つきやすい一面があり、ずっと悩み苦しんでいるということも。
誰よりも人間らしい人だということを、シャルロットは知っているのだ。
(なのに、なのに!)
この人がエリクのなにを知っているのだろうか。決して馬鹿にされるようなことも蔑視されるようなことなど、何一つしていないというのに。
「ん? なんだその目ぇ」
ヒュ、と軽く腕が振られた。同時に剣が閃き、スカートの一部が裂けた。つい悲鳴を上げそうになるのを、シャルロットは我慢した。
「どうした? へへ、叫んでみろよ。呪われ騎士様ー、どうか助けてー、えーんえーんってよぉ」
がさつで品のない、下卑た笑い声が谺する。そして尚も遊んでいるように剣を振り、にじり寄ってくる。
絶望の中にありながらも、シャルロットは決して声を上げない。
「それとも、やっぱもうおかしな真似できねぇように痛めつけといたほうがいいよなあああ? 大事な商品とはいえ、命がありゃあそれでいいんだからよぉ!」
シャルロット目掛けているであろう、剣が振り上げられる。襲ってくる痛みを予感し、目をぎゅっと力を入れて瞑る。しかし、それでも心の中でシャルロットは否定するのをやめない。
「おい、てめぇなにしてんだ!」
様子を見に来たのか、二人ほど新たに駈けてきた。興が冷めたとばかりに剣をしまい、ふて腐れながら男がぶう垂れる。
「なんだよ、別にいいだろ。どうせまだ出発しねぇし、それにこちとらもう数日も遊べてねぇんだ。ちょっとくらい愉しませてもらったってよ」
「それどころじゃねぇ!」
意識を向け直してみると、二人は粟を食ったような雰囲気だった。物々しい目をしていて、おもわずシャルロットまでも意気を呑まれそうになる。
「大変なことになりやがった!」




