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シャルロットの異変

 茹で上がってしまいそうな熱さ、呼吸をするたびに擦り切れるような喉の痛みと友に漏れでる喘鳴にシャルロットは襲われていた。朦朧とした意識と靄で覆われた朧気な視界の中で、彼女に感じとれていたのは微かな記憶と誰かに背負われているらしいという認識だけだった。


 ディアンヌ邸で昼食をとり、全員でお菓子作りをはじめたところまでは覚えているが、そこで起った身の異変。手足が痺れるような感覚と頭の奥だけがつん、と冷えてなにもかもが遠のいていく感覚。


 最近よく体調不良に陥るたびに生じる感覚だ。その直後、歪んだ体幹と鈍い体の衝撃から倒れて起き上がることもできず、ただひたすらに苦しいだけだったのだ。マリーとサムが慌てふためいている輪郭が耳朶に、そして瞼の裏に浮び上がる。


(・・・・・・また、わたくしは、どうしてしまったのかしら)


 最近崩すようになった体調を、ぼうっと纏まらない頭で疑問におもった。産まれてから一度も、シャルロットは風邪を引いたことさえもなかった。元々体は丈夫なほうであったのだから、怪我だってしたこともない。


 なのに、ここ最近立て続けに生じる異変、体の不調は一体どうしたことだろうと疑問を持つが、すぐにまとまりが無くなってごちゃつき、苦痛によって霧散していく。


「エリク、様・・・・・・」


 無意識に、シャルロットは愛しい人の名を呟いた。


 短い言葉を吐いただけなのに、途端に激しい咳に見舞われる。喉の痛みが増し、胸の中からなにかが込みあげてきて吐き出しそうになり、苦しくなる。


「エリク隊長でなく申し訳ございませんね」

「けほ、けほ・・・・・・ジャン、ヌ?」


 ただ唯一、少しだけまともな聴覚が、聞き慣れた女の子の声を捉えた。定まらずぼやける視界にぼんやりと映る髪色と声音がジャンヌのものだと結びつくまで数秒の時を要した。そしてそこから更に時間を経て、ジャンヌに背負われているのだと今更気づいた。


「ど、して・・・・・・・」


 たしかジャンヌは、エリクと一緒に出掛けていたはずだ。彼女が自分を背負っているということはエリクと一緒に帰ってきたのだろうか。なら、お出迎えしないと。お茶とお菓子を用意して、残り少ない時間をエリクと一緒に。


「大臣と刺客が、死体で見つかりました」

「っ」


 息が、おもわず詰まった。


 そして、苦しさとは別のなにかがこみあげてきて、目頭が熱くなり、すべて終わりを迎えたことを悟った。


 しきりに咳をし続ける中で淡々と告げられた事実がなにを意味しているのか。上手く働かないシャルロットの頭の中でもす~~~~っと、沁み渡ってくるのだ。


 エリクと一緒にいられる時間が終わりを迎えたのだと。ただ、それだけでシャルロットは悲しみで打ち据えられる。


(せめて、一言だけでも最後にお礼とお別れを告げたかった・・・・・・)


 それさえできれば、シャルロットは自分はきっと報われた。今後も彼と一緒にいられた時間をこの胸に刻みつけて彼を愛した事実とともに糧として生きることができただろう。


 叶わない恋を、綺麗な思い出として記憶に残すこともできただろう。


 エリクと、そして彼と一緒にいる人達との暮らしは、シャルロットにとってかけがえのない大切な日々だった。命を狙われて守られている立場なのに呑気な、とおもわれるかもしれないが、それでもずっとこんな日々を送りたいと願うほどに幸せな時間だ。


 サムにはよく助けてもらった。マリーには迷惑をかけたが様々なことを教えられた。エリクトは違うが、どうか幸せになってほしいと願うほど大切な人達になっている。


 そして、エリク。初めて好きになった、愛しい人。迷惑をかけた。たくさんたくさん。大切なものをもらった。本当に愛するということを知った。もっともっと一緒にいたかった。


「ジャン、ヌ・・・・・・・エリク様は・・・・・・・」


 彼と一緒にいられない生活を、王宮に戻ってからの暮らしを想像し、思い出し、また泣きそうになる。我が儘を言いそうになってしまう。


 そして、自分と離れてからのエリクを想い、自分とは別の人といつか恋をして、結ばれるだろうかということまで考えてしまい、また苦しくなった。


(ダメですわ・・・・・・・・)



 彼は騎士としての職務を、ただ全うしただけだ。生真面目な性格のままに、護衛として自分と一緒にいただけにすぎない。辛いことだが、現実のこととして改めて受け止め、そんなエリクだからこそ好きになったのだと自らを言い聞かせる。


 きっと彼は生真面目に騎士の職務をこなすのだろう。もしかしたら、事件の後処理について調べるかもしれない。もう使用人のシャルでなくなった自分と係わることは、ないだろう。最後に収穫祭に行けたのがきっと思い出として今後も――――


(あら?)


 そこまで考えて、ぼうっとしていた思考にある引っ掛かりを覚えた。エリクが気にしていた、ある物の存在を思い出してしまった。


 どこかで嗅いだ気がする、あの独特で懐かしい、それでいながらいつも嗅いでいた気がする香水。結局、あの香水は一体なんの関係があるのだろう。


 嗅覚と、そして曖昧な記憶の残滓が、呆けたようにまとまりを欠く頭の中であちこちへと飛び巡っているように際限なく脳内をグルグルグルグルしてとまらない。


「もう・・・・・・・じっとしていてください。そうしていただいたほうが」


 自らの背中からずり落ちそうになったシャルロットを、背負い直そうとした拍子にふわりと汗、体臭が混じったものが芳り、鼻腔を刺激した。


「あ・・・・・・・・・・」


 その刹那、シャルロットのまとまりがない意識の中で、なにかが繋がった。


「ジャン・・・・・・・・・・ヌ・・・・・・・・・・」

「なんですか? よいですから大人しく寝ていてください。そうでないと」

「あの香水・・・・・・・・・・いつから・・・・・・・付けておりませんの?」


 とりとめのない、ほぼ無意識的な一言だった。


 なにを意味するのかもわからず、ただシャルロットの記憶と嗅覚が急速に繋がり、呆けた思考のままに出たものだ。あの香水は、ジャンヌが使っていたものであることを瞬間的に思い出してしまっただけのこと。


 その証として言った直後に思考がばらけ、とりとめのないものへと変わってまたぼうっと靄がかかったように薄らいでいく。


「・・・・・・・・・・・・・」


 ジャンヌからの返答がないことも、背中の筋肉が強張ったことも、僅かに感じとっただけだった。ジャンヌの反応が一体なにを意味しているのかも、シャルロットは理解していない。理解する状態ではない。


 ただ漠然とジャンヌの背中から離れ、冷たくひんやりとした場所に下ろされ寝かされた感覚がしただけでそれがなんであるのかもわからない。ジャンヌへ問うことすらもできないほど、意識が遠のきつつある。


「お待たせしました」


 そしてけたたましい車輪が転がり石畳を叩き滑る振動と音を直にその身で感じても、そもそもジャンヌと自分はどこへ向っていたのだろう、王宮だろうか、それとも別の場所だろうかと呑気ともいえる無闇矢鱈と浮かんでは消える疑問を浮かばせながら。


 エリク様、ともう一度口中で唱えることしかできなかった。


「少し静かにしていてください」


 自分はどうなってしまったのか。


 どうなってしまうのか。


 そして、自分は一体どこに運ばれているんだろう。


 そんな疑問を最後に、また意識が暗く、遠くなっていく。


 それが最後にシャルロットが思いだせることであった。

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