二人きり。そして、
エレオノーラが落ち着きを取り戻しはじめたのはすぐのことだ。空の真ん中に近づいていた真昼の太陽が、少し傾いている。
「あの香水の話だったわね」
すっきりとした面持ちのエレオノーラは、陽の光が入らなくなり薄暗さが目立つ室内に明かりを灯す準備をしながら訥々と話す。
あれは元々家業を手伝っていた試作品を応用したものだと。まだ商品にする前段階の物を様々な改良や調整段階にあるもので、使われる材料の量や値段で商品化できるかどうかを決めている。
つまり商品化できないと判断され半ば放置されていたのをここで改良、売っていたのだと。俺が伝えた特徴からどの香水かわかったが新しく作ったり渡したりするのは時間がかかる代物だと。
「じゃあ、収穫祭まではその香水というのはどこにも出回っていなかったのか? 絶対に?」
「ええ」
「似たもの、というのは?」
「あのねぇ。香水というのは絶対に同じもの、似たものというのはないわ。製法も材料も違うのだから。そもそもあれだって試作の段階で止まっていたんだもの」
「そうか・・・・・・ならいい。ちなみに収穫祭の日、夜外に出たりしたか?」
「いいえ。その日は夜、皆で外で食事をしていたの。大したものではなかったけれど。帰ってすぐ片付けてそのまま寝てしまったわ」
店の名前を聞いて、そこでの証言と捜査で、エレオノーラが関わっていないということはもっと確実になるだろう。
「でも、どうしてそんなことを?」
「いや。その日、なんでも物騒なことがあったというから、心配でな 」
財務大臣のことをそれとなく話題に出してみるがそうなの? と知らない様子。まだ噂も出回っていないし、新聞にも載っていないから当然だが、だからこそ無関係だと確信し、バレないようにホッと安堵する。
だとするなら、益々謎が深まる。どうしてあの刺客が香水を持っていたのだろうかと。
「なに? そんなにお気に召したかしら? でも、本人が気に入るかどうかじゃないかしら?」
「いや、だからそれは」
「ねぇ、ジャンヌさん。もしでしたら、他の香水なんて、どうかしら?」
「ジャンヌ?」
「も、申し訳ありません。服が乾いたかどうか気になっていまして」
盛大に肩透かしを食らった。まさかそんなことを考えていたとは。
「ええ。本当にあの香水は私好みのものでした。手に入らないというのは残念です」
「そう。ごめんなさいね。あ、」
「? どうかしたのか?」
「いいえ。ちょっと父に言われたことを思い出してしまって」
「? どんなことを?」
「私が試作品の図面を持ち出そうとした時、一度王族の方に献上したことがある品物だぞ、と」
「っ、」
「それは本当か!?」
「え!? ええ・・・・・・」
何故そんなに驚くのか、と言いたげなエレオノーラを置き去りにそれはいつだ本当かと更に喰いついていく。
「父が、かつて謁見されたときに。王族の方に気に入られればそれは王族がお墨付きを与えた品物ということになるでしょう? だから父はよくそういうことをしていた、と」
その後、商品化を目指したが値段や材料。様々な点から採寸が合わないということで販売することは諦めたのだ。
(だとするなら・・・・・・刺客がもっていたのはそのとき献上してもらった品なのか?)
だとするならシャルが嗅いだ覚えがあるというのにも頷くことができる。そして、更に刺客は元々王族のごく近くにいた人物だったということにはならないか?
警備が万全だった王宮に現れたのも納得がいくし、いつだったかシャル自身も貰った物を侍女達に分け与えていたと。
「あの、服はもう大丈夫でしょうか」
「そう・・・・・・ね。もうそのはずだけど」
「では、私は着替えに行かせていただきます。もしでしたらエリク様はまだここに。私は先に帰らせてもらいます」
「おい?」
立ち上がったまま名残を惜しむことすらせず部屋を後にするジャンヌを、止める間もなかった。
「あ、そうだエレオノーラ様。一つ言っておきたいのですが」
「?」
「私はエリク・ディアンヌ様の恋人ではありません」
「っ?!」
「え、」
では、と最後にそれだけ言い残すと去って行ってしまった。
(あのやろう・・・・・!)
「え? え? 恋人ではないって、え?」
「あいつは訳あって、今屋敷で働いている使用人。それだけだ」
「そ、そうだったの・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
「「・・・・・・」」
「「あの」」
とてつもない爆弾発言は、二人の間に焦れったい気まずさを生じさせるのに充分だった。
「あ、そうだわ。貴方の服もちょっと見てくるわね」
「あ、ああ・・・・・・」
パタパタと小走りで逃げていくエレオノーラに助けられた心境に陥りながら、これで少しは落ち着く時間がとれるだろうと一人息をつく。
(余計なことを)
ジャンヌの思惑がどうかはわからないが、一体なにを考えているのかと恨みが募る。ただでさえ頭がこんがらがりそうたったというのに、このままではまともに思考すら定まらなさそうだ。
(そういえばあいつに聞けばあの刺客の死体が誰のかわかったんじゃ?)
もしも王族に近しい人物なら、当然その可能性は高い。しかし、ジャンヌはそれらしいことは言わなかったし知らない風でもあった。
「ただいま! 乾いていたわよ!」
「早いな!?」
まさかすぐに戻ってくるとは露ほども考えていなかった。そしてまた蘇りかけている気まずさを誤魔化そうと受け取ってすぐに服を着替えていく。
丈の合わないシャツを脱ぎ、ズボンに手をかけたところである重大なことに気付く。
「す、すまない・・・・・・!」
「い、いえ!」
エレオノーラが部屋を出ていかず、留まったままだということを。
注がれている視線とが合うやいなや。バチンと弾けるように揃ってくるりと百八十度、互いに背中向きになった。
「「・・・・・・」」
さっきよりも格段にやばい状況になったと自覚していながらも、どうすることもできない。剣で戦う命のやりとり、今まで経験してきた修羅場と大差がない緊張で息を吸うことすら困難な、互いに相手の出方を窺う空気が満ちていく。
身動き一つできない。まるで体が心臓そのものになってしまったかのように熱く、鼓動が高まっている。
(くそ! どうすればいい?!)
「傷、増えたのね」
「っ、!」
おずおずとした調子で、恥じらっている反応は修道女の立場からすれば至極当然のことだ。しかし、彼女を知っている立場からすれば別のこととして捉えてしまう。
かつて裸を重ね合い、絡み合い愛し合い、裸を見たからこそ言える発言だ。そのまた男女の契りを交わした時のことまで想起するには十分過ぎて。
「〜〜〜っ!」
錯乱した。
「エレ、俺はーーー」
今の自分の気持ちを形にして、言葉にして表すには難しい。言い訳じみた葛藤や正当化しようと渦巻いている感情。それらを掻き分けて掴み出すことは雲を掴むのと似て不可能な作業だ。
錯乱しつつもしどろもどろになっている中で一つだけ垣間見えたのはかつての恋心。愛し合ったという事実。そして綯い交ぜになった感情の中で不意にシャルのことが浮かび。
(何故だ!!!)
そして、身に異変が生じた。
苦悶が、口中より漏れ出た。息もできなくなるほどの、全身が引き裂かれ続けているような痛み、内側を業火で焼かれているような熱さが迸っている。
「が、ぐ、うう、」
「エリク?」
これまで時折起きていたものとは比べるべくもないをまるで別のなにかに変貌を遂げている最中のような得体のしれないおぞましい苦しみは、しかし収まった。
「が、は、はぁ、はぁ?」
呼気の乱れを治す暇もない。苦痛の残滓はまだあり、ビクビクとする脈動もまだ止まらない。何が起こったのかと確かめると、衣服のあちこちが破れている。
「あ、ああ? エリク?」
驚愕で引き攣っているエレオノーラに聞くまでもなく、ちらりと視界の端に映った鏡に、完全に真っ白になってしまう。
「・・・・・・え?」
顔まで覆われた毛むくじゃらの風貌と長く巨大な尾。
かつて呪われ騎士と呼ばれた時の姿しか、そこにはなかった。




