雑記
テンプレート的な所謂「なろう系」の歴史的な位置付けはどのようになるのだろうか?ふと、疑問に思った。
こういう風に書くと臨戦体制になる人もいるかもしれない。しかし、別に悪い意味で、ではない。文学の一つの潮流なんじゃないかと思い始めているからだ。
テンプレート的な所謂「なろう系」を〇〇ニズム的な言葉に当てはめると、ナローニズムかテンプレニズムなんじゃないかと思うが、テンプレニズムはどうも言葉的に悪いというか……。シミュラークルは当てはまるのかわからないし、当てはまればシミュレーショニズムだし…………もう、わかんない。\(^o^)/
しかし、これだけで終わるのは流石にアレなので、先月、リサイクルショップで古伊万里を見つけた話をしたいと思います。
―――――――――――――――――――――
以前、東京、上野の某画廊を訪れた時に物の縁という話を聞いた事がある。今回は、まさにそれ、物縁があったという話。
去年の忘年会で当たった景品が使う予定がなかったので、邪魔になるくらいなら売ってしまおうと帰りがけに近所のリサイクルショップに持っていった。書類に必要事項を書き、査定が終わるまでの待ち時間、何気なーく店内を見ていた時のこと。ふと、見たインテリアコーナーの一角で民芸品や作家物の壺に混じって、花瓶が二五〇円で売られているのを見つけた。
見た瞬間、古伊万里だと直感した。私は焼き物は専門外だが、これが古伊万里だということは理解できた。しかし、大きかったので一旦は諦めたのだが、なんだか気になってしまい、結局、買ってしまった。
量産品なので、そんなに高価なものではない。大体、千円から数千円程度だろう。色も濃く、ハッキリとしている。おそらく、幕末か明治の頭と思っている。
しかし、笹の絵が堂々と真ん中にバランスよく描かれていて、裏の雲も真ん中に描いてある。鑑賞に耐え得る風格があり、しかも、状態も良い。(僅かなニュウはあるが、)これで、二五〇円は安い。
あの時、私がリサイクルショップに行ったのはまったくの偶然だった。まさに物縁、ということである。