12、私の気持ち
「お疲れ様です。お先に失礼します。」
「はぁいお疲れ様です。」
月曜日の仕事終わり高田さんと棚橋さんと3人で報告会をするつもりだったが残業になると朝から決定してしまい結局、お昼にランチをしつつ報告会を済ませてしまった。その時についでに侑ちゃんにも残業になるとメールしておいた。
「藤間さんお先にすみません。」
「いいえ、気にしないで。遅くなったから気を付けてね。」
「ありがとうございます。失礼します。」
事務所から出て誰もいない受付の横を通り玄関の扉を開けると侑ちゃんがそこに立っていた。
「あら、侑ちゃん迎えにきてくれたの?」
白いTシャツに黒のシェフパンツに黒いスニーカー。あのシェフパンツは私があげたやつだ。
「そうやけど、良かったぁ。気持ち悪がられるかもって思ったけど10時やしなぁって。会社の人もいーひんやろうし良いかなって。」
「いや思わないよ。ありがとう、帰ろ。」
「うん。」
とても自然に鞄を持ってくれた。侑ちゃんは多分、私の捻挫を心配して来てくれたのだろう。テーピングをしてるしそんなに大したこと無かったので大丈夫だって言っているのに。家まで10分だし。
「いいよ。自分で持つよ。」
「大丈夫、大丈夫。走って逃げへんから。」
「あははは。やめてそれがなかったら今月ご飯食べられないから。」
「そうなったらご馳走してあげるね。」
「先、鞄返さんかい。」
「あら久しぶりの関西弁。コンビニ寄って帰ろう。僕、アイス食べたい。伊織ちゃんは買うもんある?」
「いいね。私もアイスだけ買いたい。いつもの。」
本当は迎えに来てくれて助かった。今日は色々あって落ち込んで疲れてしまったので気分転換したかったのだ。こちらに非はないがどうしても私が100%悪者になってしまった。そのせいで残業になり藤間さんにも迷惑をかけてしまった。藤間さんは全てを理解してくれて一緒に謝ってくれた。そのおかげで早くおさまったけど罪悪感がすごい。
「侑ちゃん来てくれてありがとう。」
正直、1人だったら泣いていた。
「いいえ、どういたしまして。可愛いね。」
「ちょっと。」
「ふふっ可愛いね伊織ちゃん。」
「置いて行きます。」
「ふふふ。置いて行かんといて。なあそうや、今日ええもん撮ってん。見たい?」
「ええもん?見る。」
「よしちょっと待ってな。」
スマホの画面を操作して私の前に出してくれる。コンビニの前に着いてしまったので人の邪魔にならない場所で見せてもらう。
「花火だ。」
「そう。家から見えてんあれ何時やったかなぁ。急にボンボン言い出して。2階のベランダに上がって撮ってん。」
「そういえば薫ちゃんが言ってたかも。目の前にあったマンションが老朽化で壊す事になってそれで一昨年から、花火が見えるようになったって。今目の前は普通の戸建てが建ってるもんね。」
「そうなんや。じゃあ伊織ちゃんも初めてやったんやね。可哀想にそんな日に残業って残念やったなぁ。」
「本当に。一緒に見たかったな。ベランダに椅子を置いてビールでも飲みながら。」
「伊織ちゃんちょっと待ってて。」
私にスマホを渡したままコンビニに入って行く。そしてすぐに戻ってきた。
「はい。あっお姉ちゃん今日だけですよ。毎日はダメ。」
侑ちゃんがビールを開けて渡してくれる。優しいなぁ。
「侑ちゃんは本当に優しいね。じゃあ乾杯、いただきます。」
侑ちゃんと乾杯をしてスマホを見ながら一口ビールを飲む。少し前に雨が降ってすぐに止んだのでモワッとした中、火照った体で冷えたビール飲むと胃に冷たいものが流れ込んでくるのを感じる。
「じゃあ帰ろうか。伊織ちゃんのアイスはいつものスイカのんにしたよ。」
「ありがとう、帰ろ。」
「今日、角煮作ってんすごない僕?」
「すごい。」
ビールを片手に身軽な体で歩いていると心も軽くなっていく。
「明日の朝、食べてな。」
「ありがとう。ねえしりとりしよう。」
「やから嫌やって。」
「大人気ないなぁ。」
「だからどっちが。」
私はまたビールを飲む。歩きながら飲むなんて初めてかも。侑ちゃんもまた一口飲んで鞄を肩にかけ直す。
「自分で持つのに。」
「してあげたいんよ、なんでも。可愛い伊織ちゃんにはね。はぁービール美味しいなぁ。」
「はいはい、美味しいねぇ。」
「おんぶしてあげようか伊織ちゃん?」
「いい、嫌だ。」
「なんかしんどそうやからさ。」
「はいはい。大丈夫よ。ありがとう。」
「おんぶしてあげるのに。」
「やめて。」
「ふふふ。」
家に着く頃にはビールはすっかり温くなっていたけど美味しくてまた私は泣きそうになった。
侑ちゃんが鍵を開けて、すぐだから付けといたとクーラーのきいたリビングは涼しくて角煮のいい匂いがした。
「水野さん昨日の件、全部終わったからね。もう気にしなくて大丈夫ですよ。」
藤間さんが朝1番で優しく伝えてくれる。
「本当にすみませんでした。これから気を付けます。」
私は深く頭を下げた。
「水野さん大丈夫、謝らないで。さあ気持ちを入れ替えて仕事をしましょう。」
「はい、ありがとうございます。」
藤間さんが優しく微笑んだ。目尻の笑いジワも優しい微笑みもとても素敵だけど前より冷静でいられた。反省しているというのもあるけど少し落ち着いている。藤間さんへの気持ちが消えたわけではないと思うけど落ち着いている。
「申し訳ないんだけど急遽、用事ができてしまってお昼にあがるから、後をよろしくね。」
すまなさそうに藤間さんが言うので私は努めて明るく返事をした。
「はい!」
いつものルーティンワークを終え定時ちょっと過ぎには終わり帰る事ができた。そういえば朝、寝坊をしてしまって朝食を食べずに出てしまったので侑ちゃんに冷蔵庫の角煮は夜に一緒に食べよう?とメールをしたら、うん、じゃあ待ってる。朝からは重いかもって思ってたしちょうど良かったけど会社で何か胃に入れや、という返事がきた。早くあがれたしもう1品だけ何かお惣菜を買って帰ろうとスーパーに寄り、枝豆とこんにゃくが入った白和えと電子レンジで温めるだけで食べられる具だくさんの味噌汁を2つといつものアイスを買って帰路に着いた。
「ただいま!」
「おかえり。」
なんか侑ちゃんの声がいつもより低いな。声も小さいし元気がない。
「伊織、手を洗ったらこっち来い。」
な、こ、この声は……。私は勢いよくリビングの扉を開けた。
「お、お兄ちゃん。」
「正月以来やな。」
いつもの無表情のお兄ちゃんがダイニングテーブルの椅子に座りその隣に少し浮かない顔の侑ちゃんが座っている。
「なんで?なんでいるの?」
「おかんに伊織と侑が一緒に住んでるって聞いて来たんや。」
「なんで?」
「あかんやろ…侑、お前は分かるよなぁ。出ていくやろ?」
侑ちゃんが少し顔を伏せる。どうして今までろくに何も関わらなかった人がこんな事を?そして何より、私と侑ちゃんが作り上げた落ち着く空間に部外者のくせに1番偉そうな態度で居るのが気に食わない。
「伊織ちゃん……。」
「やけど侑も出て行くって言わへんねん。」
お兄ちゃんの自分が絶対という態度、いつもはそういう特性だからと流しているけどこの場所でそれをされるのが気に食わない。
「いや、なんで?今更どうしてお兄ちゃんが私に何の用があるの?」
「なんやその言い方。」
「意味わかんない。今までろくに面倒も見てくれなかった人が。」
「俺はお前を心配して!」
「言わせてもらうけど、心配して来る人の態度じゃない。子供の時から私の事なんて気にかけた事無かったくせに今更、何?」
「伊織、俺を怒らせたいんか?」
「違う、でも思い出してほしい。家の横の坂でコケて膝から血が出て歩くのも痛くて泣いてた時、おんぶしてくれたのは誰?遊園地で子供向けのアトラクションに一緒に乗ってくれたのは?小学校で男の子にからかわれて泣いて帰ってきた時、公園で話を聞いてくれたのは?中学校でいじめられて学校まで着いてきてくれてやっぱり入れなかった私に大丈夫、明日は入れるようになるって言ってくれたのは?受験の時、深夜でも電話で相談に乗ってくれたのは?全部、侑ちゃんだよ。お兄ちゃんはこんな事初めて知るでしょう。思い出せないよね。」
「そ、それは。」
「お兄ちゃんは1度だって助けてくれなかった。恨んでないよ、それは本当。でも今更、私の人生に首突っ込まないで。」
私も色んな事を忘れていたけどこの前、熱を出した時、お母さんと話して色々思い出した。お母さんもお父さんも私を助けてくれてたし、志保だって妹なりに助けてくれた。侑ちゃんとの記憶も蘇ってきた。だけどお兄ちゃんは違う。いつもそばには居なかった。
「それでも、大人の男女が一緒に住むのはあかんやろ。侑はお前が好きやねんで。」
「健吾……。」
「私、侑ちゃんが好きよ。好きだもん。」
「「えっ。」」
私の言葉に2人はびっくりしているが、正直、私が1番びっくりしている。こんなに自然に口から言葉が出た事に。
「お前……また来る。」
「うん、今度は奈々ちゃんと。」
「ああ、悪かったな侑。伊織を頼む。」
「うん、気を付けてな。」
お兄ちゃんが玄関で靴を履きネクタイをを正してから出ていった。私が持っているエコバッグの中のアイスはすっかり溶けてダメになっている。私は手を洗いエコバッグを置いて椅子に座る侑ちゃんの前に立つ。
「おいで侑ちゃん。」
侑ちゃんは子供みたいにお腹に巻きついてきた。
「大丈夫?ごめんね。」
「ううん、僕もなんにも言えなくてごめん。でも伊織ちゃんが好きって言ってくれたの嬉しかったなぁ。」
お腹に顔を隠して話す。意外とケロッとしている。
「なんか侑ちゃん元気じゃない?」
「ふふふ。健吾とは何年の付き合いやと思ってるん?なんとなくこうなるって分かってたもん。」
「なんだよー。めちゃくちゃ傷付いてるのかと思ったのに。」
「僕が考えてたのは伊織ちゃんに傷付いてほしくないなぁって。」
「そっか。」
「でも健吾が正しいよ。分かってる、分かってるけど一緒に居たくて。大人やのにあかんなぁ。」
「ていうかさ、そもそもお母さんと薫ちゃんが仕込んだ事じゃん。どうして私と侑ちゃんが責められなくちゃいけない訳?薫ちゃんが家をあけるからその間、一緒に住むっていう約束でしょ。」
「まあ、そうやね。」
「そうなのよ。」
自分で言っておきながら期間限定なんだと気が付くと少し寂しくなった。お腹が空いてるからだな。
「侑ちゃんお腹空いちゃった。白和えと味噌汁買ってきたよ。食べよ。」
「ありがとう伊織ちゃん。ご飯は炊いてあるよ。なんか作ろうとした時に健吾が急にきたから。何も作れてないけど。角煮チンするわ。」
「うん、着替えてくる。」
人生で初めてお兄ちゃんを言い負かそうと頑張った。その原動力はもう少しだけ、侑ちゃんと一緒にいたいという気持ちだった。




