第八十話:狂女との剣舞
とりあえず、状況は最悪に近い様子だった。
穴をぶち抜いて最初に見えたのは、半ば瓦礫の山と化した空間。
割れた床にはボロボロのテレサが倒れている。
その傍では身を竦めたイーリスが、見慣れない少女を抱えていた。
そして、彼女達の目の前。
丁度落下する俺の足下にいるのは――。
「■■■■――――ッ!!」
何やらノイズの混じる声で叫ぶ怪物。
ドレス姿の美人と、首の無い竜。
成る程、コイツが真竜バンダースナッチとやらか。
「イーリス! テレサで手一杯のとこ悪いが、コレ頼む!」
「はっ!? いきなり何――」
「ちょ、待って待って待って!?」
危ないので、片手に捕まえてたブリーデを先ずは放り投げた。
抗議の声が尾を引きながら、イーリスの横辺りをゴロゴロと転がる。
その無事だけを確認してから、意識を即座に真竜の方へと向ける。
落下する勢いも乗せて、先ずは一発上から叩き込む――が。
「硬っ……!!」
それは竜の腕であっさりと防がれてしまった。
思い出すのは悪夢の最後で戦った偽アウローラ。
あっちも最初は剣が通らなかったが、感触としてはアレと同じだ。
鱗が硬すぎて刃が役に立たない。
「何故、何故――ッ!!」
唐突に女が叫ぶと、その手に何かが現れた。
それは剣だった。
細腕には不釣り合いな、十字型の大剣。
重さを感じさせない動きで構えると、女は鋭い一撃を放ってきた。
こっちも剣で受けるが、まだ空中のため踏ん張りが利かない。
弾き飛ばされ、俺も派手に床を転がった。
一先ず大したダメージは無い、が。
「コイツはなかなかヤバそうだな」
即座に起き上がり、改めて剣を構える。
この迷宮に落ちる前に遭遇した、あの黒いの程じゃない。
それでも、この真竜が別格の化け物である事は一目で分かった。
今まで戦った連中とは、文字通り強さの桁が違う。
本調子でない今の状態じゃ、ぶっちゃけ勝ち目がない程度には。
「ま、やるしかないんだけどな」
「邪魔をしないで、私は、ただ――――っ!!」
支離滅裂な言葉を吐き散らし、バンダースナッチが動いた。
女の背後に立つ竜が俺に向けて腕を伸ばす。
開いた手のひらを翳す動作。
それに何の意味があるのかと、一瞬訝しんだが――。
「ッ!!?」
背筋を突き抜ける悪寒。
殆ど反射的に、何もない虚空に向けて剣を一閃する。
切っ先が何かに当たったと、そう感じると同時。
俺の直ぐ横の空間が爆発で抉り取られた。
衝撃と圧力にスッ転びそうになるが、何とかバランスを保つ。
肉眼では確認出来なかった。
が、今の攻撃が何なのかは直感的に悟った。
「《竜の吐息》か、もしかして……!?」
「消えなさい、不義を恥と思わぬ者どもよ……!
私は、私はそれでも正義を成すんだ!!」
狂ったように女は叫び、竜は更に不可視の《吐息》を放ってくる。
今度は一発ではなく、恐らく複数。
理屈は分からんが、目に見えない炎の塊を飛ばしてきているらしい。
見えないだけなので剣で弾く事が出来るのが救いか。
「まぁキツいんだけどな……!」
弾いても近くで炸裂すれば爆発は起こる。
衝撃は鎧が防いでくれるが、それも完全じゃない。
加えて、敵の攻撃手段は《吐息》だけではない。
竜の方が《吐息》を放った状態のまま、女は地を蹴り迫ってくる。
俺は最低限、イーリス達を巻き添えにしないよう動く。
「ああぁあああああッ――――!!」
「美人が台無しだなオイ」
むしろ下手に整ってるから、鬼気迫る表情はかなり怖い。
狂気とは真逆に、扱う剣は恐ろしく洗練されている。
鋭く細かい連撃をこっちは何とか弾く。
普段であればギリギリ捌き切れるのだが、今はどうにも身体が重たい。
大剣の切っ先に鎧の表面を何度も削られる。
分かっちゃいたが、やっぱりキツいな。
「おい、レックス!」
「こっちは良いから、巻き込まれないよう離れてろ!」
離れた位置からイーリスの声が飛んでくる。
音が届くって事は、敵の攻撃も十分届きかねない距離だ。
今の状態で《吐息》の一発でも浴びたら、それこそ即死しかねない。
「ッ……!?」
イーリスに離れるよう促した直後、強烈な一撃が俺の身体を打った。
女の剣ではなく、竜が叩き込んで来た拳。
そうだ、数的には二対一だったな。
上層で遭遇した石巨人とは比較にならない怪力。
俺は咄嗟に力を抜き、圧力に逆らわずに吹き飛ばされる。
身体で石床を削り、積み上がった瓦礫の一部に大きな穴が開く。
全身がバラバラになったかと思ったが、幸運にもまだ五体満足だ。
まぁ手とか足とか、間違いなく罅とか入ってるけど。
今、更に仕掛けられたら間違いなく死ねるんだが、バンダースナッチは動かない。
俺をふっ飛ばした体勢のまま、また何かブツブツと呟いていた。
「違う、違う違う違う……!
ラグナ、私の愛しい竜。私は、こんな事は望んでいない。
けど、貴方はあの時――何故……どうして……?」
「……ホント、何があったかは知らんけどな」
此処まで完全に狂うとか、よっぽど酷い目に遭ったのか。
まぁ現在酷い目に遭ってんのはこっちだし、同情するつもりもないが。
竜は殺す。やるべき事はそれだけだ。
調子悪いし、剣が代用だから色々辛いけども。
そういや、あっちの剣はアウローラ達が持っててくれてるのか?
違ったらまた別のピンチだ。
「違う――違う、私は……私はっ!!
私は、『正しい事』をしたんだ――――っ!!」
咆哮。竜の威を帯びた声で、女は叫んだ。
地下墓地内の大気が震え、音の圧だけで小さな瓦礫も転がる。
それから放たれた矢の如く、俺を狙って狂女と首無し竜が向かって来る。
動きは雑だが、そもそもの身体性能が圧倒的過ぎる。
技も無く振り回す剣さえ、今の俺では弾くのに専念するしかない。
剣だけでなく、竜の拳もランダムで飛んでくる。
こっちもこっちで、また直撃したら生き残る自信はない。
今はとりあえず、『敵を倒す』って思考は頭の隅に追いやっておく。
兎に角『死なない』為に、俺は攻撃を捌く事に集中した。
ほんの一瞬でも読み違えれば、俺は粉々に砕けて死ぬだろう。
余りにも際どい生死の境を綱渡りし続ける。
「キッツイなマジで……!!」
「ああぁああああああぁあ――――ッ!!」
最早言葉にならず、泣き叫ぶようになった女の声もキツい。
魔法が使えればもうちょいマシな状況になるかもしれないが、危険は大きい。
手元に《一つの剣》は無く、下手に魔力《生命力》を使えばどうなるか。
以前みたいに完全に動けなくなったら、その時点で即死だ。
とはいえ、このままの状態が続けばそれこそジリ貧。
遠からずに限界を迎えて、俺は死ぬだろう。
さて、どうしたもんか……!
「…………?」
と、不意に俺を殺そうとする圧力が弱まった。
文字通り、狂ったように仕掛けて来たバンダースナッチが動きを止めたのだ。
普段なら、攻撃が途切れたら即反撃に転じるところだが。
何故か猛烈に嫌な予感がしたので、俺は距離を開けるだけに留まった。
獲物が遠ざかったにも関わらず、バンダースナッチは動かない。
また呪文のように言葉を呟きながら佇んでいる。
うーむ、狂人の行動は分からん。
「そうだ……そうだった。私が、間違っていたんだ」
「んん……?」
待て、何かさっきまでと言ってる事が違うな?
いや狂人の妄言に一貫性とか求める方がおかしいかもしれんが。
バンダースナッチは動かないままなのに、纏う空気はヤバくなる一方だ。
普段だったら逃げ出すが、この状況で逃げても意味無さそうだしな。
八方がほぼ塞がっているのを感じる。
そんな此方の状況なんて気にも留めず、女は自分の狂気に没頭していた。
「最初から――最初から、こうしていれば良かったんだ……。
そうすれば、こんなに苦しむ事も、無かったのに……!!」
憎悪と憤怒。
燃え滾る炎を抑える事なく、女は吐き出し続ける。
それが原因かは知らないが。
女の身体も突然、物理的に発火した。
ドレスを燃え上がらせながらも、女は熱を感じた様子もない。
やがて。
「誰も、誰も救おうなどと、考えなければ良かった……!
正義など何処にも無い!! そんなものは何処にもなかった!!」
「……おいおい」
燃えているのはドレスだけじゃない。
女の背後に立つ首無し竜も、その全身が炎に変わった。
炎は狂った女の身体を包み込む。
渦を巻きながら、炎は何か別の形に変わろうとしていた。
「早々に変身するのは反則だろ……!」
追い詰められてるのはこっちだってのに。
突っかかるのは危険と予感したが、これなら見てるのも同じだな。
一か八かで、俺は燃え続ける真竜に向かって走る。
炎の中からは女の笑う声が響く。
怒りや憎しみが過ぎて、もう笑うしか無いのか。
兎も角、俺は炎に見える影へと剣を振り下ろした。
今出せるだけの力を乗せた一刀。
「――死に果てろ。『お前達』は過ちそのものだ」
それがあっさりと砕け散った。
ブリーデが鍛えた業物だってのに、半ばから枝のように圧し折られたる。
炎が散って、其処から現れた異形。
俺より二回りはデカい巨体を持つ、それは『騎士』に似た怪物だった。
全体のデザインは甲冑を帯びた騎士そのもの。
しかしそれは鋼の鎧ではなく、赤銅の鱗を持つ竜の肉体で形作られていた。
あの狂った女が、首無しの竜で出来た鎧を纏ったその姿。
それが真竜バンダースナッチの《竜体》だった。
「ッ……!?」
剣を折られた直後。
バンダースナッチがその手を一閃する。
其処に握られている――いや、正確には握っているわけじゃない。
腕の先が変形し、牙か爪がデカい剣の形状になっていた。
その刃が俺の身体を捉えて、そのまま思い切り吹き飛ばす。
紙一重で折れた剣で受けたのと、鎧の強度という要素に救われた。
胴体が真っ二つになってもおかしくない威力だったが。
俺は何とか床の上を転げ回る程度で済んだ。
痛みと衝撃で内臓潰れたかと思ったので、其処は勘弁して貰おう。
「イーリス、テレサとブリーデを連れてこっから逃げろ!」
声が届くよう、腹の底から絞り出す。
死の気配は濃く、躱し続けるのは多分難しい。
だが時間ぐらいは稼げるはずだ。
そう考えて、とりあえずイーリス達には逃げるよう促した。
運が良ければアウローラ達と合流出来るかもしれない。
「許さない、許さない、許さない……!!」
口から怨嗟を吐き、その眼を憤怒で真っ赤に染めながら。
バンダースナッチはその手の刃を振り抜く。
一撃ごとに大気が爆ぜて、炎と衝撃が地下墓地を揺さぶる。
このまま天井が崩落するんじゃないかと、別種の危機感も増えて行く。
狂った真竜はそんなもんはお構いなしだ。
まぁ生き埋めになろうが関係なさそうだもんな、ドラゴンは。
「殺す!! 殺してやる!! いや――いいや、違う。
私は殺したくなんて、無かったのに……!」
「話がしたいんならちょっと落ち着いてからにしろよ……!」
俺としては真面目なツッコミだったが、当然真竜は聞く耳を持たない。
言葉は支離滅裂なままで、振り回す刃だけは鋭さを増していく。
一時は乱雑な剣だったが、再び洗練された技術がその刀身に戻ってくる。
加えて馬力も増して来るとか、本当にキツい。
「嗚呼――許して、ラグナ。私が、愚かだったの」
嘆き、許しを請う狂女。
ラグナという名は知らないが、もしかしてウサギの中の人か。
今の見た目から随分とイメージの違う名前だな。
まぁそれは良い。
女の言う事はしおらしいが、振り回す刃には一切の容赦もない。
折れた剣でがんばって防いでいるが、それも限界が近い。
「私が、私が弱かったから、私が――――ッ!!」
ひと際悲痛な叫び声。
横薙ぎに払う刃を受け止めるが、止めきれずに俺は壁に叩き付けられた。
肉とか骨とか、身体中からヤバい音が聞こえる。
手足に力は届かず、剣の柄にまだ指が絡んでるだけでも奇跡だった。
バンダースナッチが近付いているのは分かっている。
頭のおかしい獣だが、いい加減トドメを刺す気になったらしい。
迎え撃とうにも剣を構える余力も無い。
身体の内に感じる熱は、もうごく僅かだった。
「……ま、やれるだけやるか」
まだ死んではいない。
身体も鉛に変わったようだが、まだ動く。
それならもうちょっとぐらいはがんばれるな。
死を前に引き伸ばされる時間の中で、バンダースナッチが迫る。
高く掲げた刃には、魔力が稲妻のように迸っていた。
何する気かは知らんが、当たったら死ぬ事だけは良く伝わってくる。
せめて防いで耐える可能性に賭けて、俺は気合いで折れた剣を持ち上げた。
「■■■■――――ッ!!」
が、間に合わない。
狂ったバンダースナッチの咆哮が目の前まで来ていた。
防御は困難で、回避はどう足掻いても無理だった。
これは流石に覚悟を決めた方が良いな、と。
そう考えた瞬間。
「待ちなさい……っ!!」
白く小柄な影が、俺の前に割り込むように飛び出した。




