第七話:ようこそ新世界へ
移動中、俺とアウローラはこんな話をしていた。
「貴方、まだ死ぬ前の時代のことはどれぐらい覚えてるの?」
きっかけは、確かこんな質問だった気がする。
空を飛ぶ感覚はなかなか心地良かったが、見える景色が荒れ野ばかりで退屈したのだろう。
暇潰しの種ぐらいの気持ちで、アウローラは俺の記憶の確認作業を始めたのだ。
「自分に関することは殆ど抜け落ちてるが、それ以外の知識的なモノはそれなりに」
「そう、なら当時の大陸の状況は?」
「あー、そうだな。ちょっと待ってくれよ」
思い出そうと頭を捻る――とはいえ、別に学者ってワケでもない身だ。
元より大雑把な知識しか持ち合わせていない。
「大体、どこも鉄火場だったよな。
人間同士が争う場合も、ヤバい竜とかが暴れてる場合もあったはずだ」
「ええ、貴方の言う通り。大陸の殆どは古竜達の勢力圏で、人間は大半がその影響下にあった。
積極的に支配していた変わり者はバビロンぐらいで、後は気紛れに関わるぐらいだったはずだけど」
「バビロンの《王国》か」
その名前は、流石に馬鹿でも覚えがあった。
竜王バビロンは最も強大な古竜の一柱で、大陸の半分近くを支配していた大物だ。
そんで《王国》とは、彼女が統治していた国の名称だった。
辺境の田舎は度々争いに焼かれていたが、中央付近は発達した大都市で多くの人間が平和に暮らしていたらしい。
微かに知る噂話では、バビロンの寵愛を受けた街には見上げるような白亜の塔が無数に建っていたとか。
せいぜい煉瓦や石積みの建築しか知らない身としては、途方も無さ過ぎて想像も難しい。
《王国》の中心たる“大いなる都”は、大陸に咲き誇る文明の華そのものと讃えられていた。
「まぁ、今はどうなってるのか私も分からないけど」
そう言って、アウローラはさほど興味なさそうに肩を竦めた。
「大体あの売女、人間の事が好きだからって媚び売り過ぎなのよ。
竜の癖に肉欲の執着が半端ないし、それが行き過ぎて人間の品種改良まで始めちゃって」
「ほー」
「愛玩動物を可愛がるのも結構だけど、それで自分のキャパ超えてたら世話ないわね」
「良くご存じで」
何やら色々と複雑な事情があるのかもしれない。
バビロンは特に有名な竜王だから、俺でも多少なりとも知っていたが。
「こほん。……兎も角、今現在バビロンがどの程度大陸で影響力を持ってるか分からないけど。
仮に発達した都市があるのなら、十中八九バビロンの支配下でしょうね」
「聞く限り、確か人間に友好的な竜王だったよな」
「ええ、珍しくね」
竜――特に王と呼ばれる程に強大な古竜ともなれば、人間からすると自然災害と殆ど変わらない。
無関心であれば良いが、どんな気紛れで関わってくるかは竜次第。
それこそ『狩り』を愉しむが如く、町や村を攻撃していた竜も多かった。
「けど、人と竜では生物としてのスケールが違うから。
友好的っていうのは、必ずしもプラスだけを意味はしないけどね」
「デカい獣に思いっきり懐かれたら、人間それだけで死ぬ場合もあるしな」
常人が巨大熊に、力いっぱい抱き締められたらどうなるか。
耐えられない愛という奴は暴力みたいなものだ。
「……まぁ、貴方は大丈夫だと思うけど」
「ん?」
「何でもないわ」
一応聞こえたが、下手に突っつくと自由落下が待っていそうなので控えておく。
纏めれば、当時はバビロンという竜王が人間社会の半分以上を支配していた。
《王国》とも呼ばれた国の中心辺りは大きく発達していたようだが、詳しい事は俺も知らない。
多分だが、田舎の出だったのだろう。
それ以外は人間同士の小競り合いや、竜に焼かれるなりして大陸のあっちこっちが焦げ付いていた。
まぁ、ざっとこんなところか。
「で、竜殺しの目標はそのバビロンからか?」
「それができれば理想だけど、最初にいきなり大物を狙い過ぎるのもね」
まぁ貴方ならやれるかもしれないけど――とアウローラは呟いてから、一つ頷く。
「狙える首は大きいほど良いから、狙っていきたいけど。
それよりも、今は先ずは情報を集めることからね」
「なるほど、大事だな」
「ええ。私達はまだ、今の時代がどうなってるのかまったく把握してないもの」
先ほどの知識は、あくまで三千年前のもの。
当時は常識だったものなんて、今は一つも残っていないかもしれない。
竜は不変不滅と呼ばれるが、それでもどうなっているやら。
「先ずは一番近い街へ。あんまり小さい町や村だったら、通り過ぎても良いけれど」
「今の時代の人間から話を聞けるなら、どこでも良いんじゃないか?」
「その田舎者がラッキーなことに、外の世界に詳しい知恵者だったらね?」
より詳しく情報を得るなら、やはりある程度発展した街の方が良いと。
それは確かにその通りだな。
「ま、何にせよ最初の町が見えて来てからね」
「ひょっとしたら、凄い大都市がいきなり見つかるかもしれないしな」
「こんな大陸の北端にそんなものがあったら、バビロンの手腕を褒めて上げても良いわね。
まぁ流石に三千年も経過してれば弱ってるでしょうし、あり得ないと思うけど」
アウローラがそう自信満々に断言したことで、一度この話題には区切りがついた。
――だから聡明な彼女もまた、俺と一緒に目の前の光景を茫然と眺めていた。
「…………」
「…………」
廃城を出て、東から上った太陽が中天を過ぎた頃。
空を塞ぎ、陽光を遮る巨大な『ソレ』を俺とアウローラは二人で見上げていた。
デカい。そう、兎に角デカい。
《北の王》を『小さな山のよう』などと表現したが、これは文字通りの山だ。
いや、山と呼ぶにはシルエットは細長い。
形状から言えば塔の方が近いが、それにしてもサイズがおかしかった。
「何だコレ」
「分かんない」
眼前の――距離感が狂い、目の前にあるように錯覚しそうな程にデカい建造物。
塔に似ているが、噂に聞く“大いなる都”に並び立つ白亜の塔とはまったく印象は異なる。
根元の辺りは分厚い外壁に覆われ、そこから上は複数の建物が幾つも幾つも積み上がっているような。
バビロンの都は美しいと多くの詩人が歌っていたが、この塔はどこか歪んで見える。
まるで狂った誰かが、狂ったまま組み上げた玩具のように。
天辺は……駄目だな。高すぎて良く分からない。
「バビロンは、こんな辺鄙な場所にまでこんなデカい塔を建てたのか」
「……違うと思うわ。多分、だけど」
アウローラも自信無さげに応える。
外の世界は未知であるとお互い覚悟はしていたが、どうやらそれだけでは足りなかったらしい。
「流石にあの売女も、こんなデカくて悪趣味なものを建てる性癖はなかったはずよ。
……まぁ、三千年でいよいよ頭がおかしくなった、っていう可能性も否定はできないけど」
「それもこれも、確かめないことにはな」
とりあえず、外からアホみたいに眺めていても始まらない。
それだけは間違いないはずだ。
「……こう、出入りするための門とか無いのか?」
「見当たらないわね」
一応、アウローラに手を引かれて俯瞰できる高さから周囲をグルッと回ってみた。
が、どこにも人間が通れるような場所は見つけられなかった。
さて、どうしたものか。
「ブチ抜きましょうか」
結論は大変シンプルなものだった。
まぁ、良く分からん塔の周りをただグルグル回っていても仕方ないしな。
「上か? 下か?」
「別に上でも良いんだけど……何があるか分からないし、ここは下からにしましょうか」
そう言葉を交わしつつ、アウローラは魔法で高度を下げる。
距離が縮まると、見えるのはほぼ壁だけだ。
下手に見上げようとすると、それだけで首を痛めてしまいそうだった。
「ふぅん……建材も、私の知識にない代物ね」
「大丈夫か?」
「平気よ」
彼女は空いた手で、少し珍しそうに壁にペタペタと触れる。
俺も試しに触ってみたが、石材との区別は良く分からなかった。
逆にアウローラは、何度か調べるように注意深く手を触れさせてから。
「破るわ」
極めて簡潔に、自身の行動を宣言した。
一瞬。瞬き一つ分程度の時間で、壁の一部が崩壊した。
砂山に木の棒で小さな穴を空けるように。
分厚い塔の外壁に、あっさりと人間一人が通れるぐらいの穴を穿った。
「こんなところかしら」
やった本人は涼しい顔だが、全くとんでもない話だ。
「……崩れたりしないよな?」
「大丈夫だから、先に行って安全を確認してきて頂戴?」
促され――というより、殆ど放り投げられる形で開いた穴に突入する羽目になった。
無理やり開けた通り道。
崩落が少し心配だったが、穴の内側は意外としっかりしていた。
その辺り、気を遣って調整してくれたのだろう。
「……さて、行くか」
竜の巣穴に踏み込むのも、こんな気分だったのかな。
もう忘れてしまった感覚を思い出すように、慎重に歩を進める。
穿った穴の中に明かりはなく、その先も光のない暗闇だ。
が――まったく視界がないわけではなく、うっすらとだが暗い中でも見通す事が出来た。
「? ふむ」
良く分からんが、これもアウローラが魔法か何かで仕込んだことだろう。
あるいは、単純に目が慣れたって可能性もある。
浮かんだ疑問はとりあえず脇に追いやって、俺は闇の向こうを目指した。
ぼんやり閉じていた世界は、思いの外すぐに開かれた。
「な、何だ、コイツ……!?」
先ず聞こえたのは、狼狽える男の声。
漂う埃を軽く手で払いながら、一歩踏み出す。
狭苦しい壁の穴を抜けた先だが、そこもあまり広い場所とは言い難かった。
印象としては、古びた地下迷宮の片隅。
硬い床を軽く踏み締めて、眼前の状況を確認する。
「おい、止まれ! コレが見えねぇのか!?」
薄闇の向こう、警告を発して来るのは見慣れない出で立ちの三人組だ。
鎧……なのか? 良く分からんが。
服に装甲を張り付けたような奇妙な防具で身を包み、変わった兜で顔を覆う男達。
彼らが手にしているのは、見た目としてはおかしな形状をした金属の塊だった。
その細長い先端をこっちに向けてくる辺り、あれで武器なのだろうか。
「……ふむ?」
視線を巡らせれば、その場にはもう一人の人間がいた。
距離を測りながら細かく立ち位置を変える男達の、その足元辺り。
口元から血を流した女が転がっていた。
暗い上に離れているためハッキリとは言えないが、まだ十代を半ば数えたぐらいだろう。
男達とは異なる軽装で、覗く褐色の肌は傷つき汚れている。
白く長い髪に隠れたその眼は、何か信じられないモノを見るようにこちらを凝視していた。
ほんの一瞬だけ、互いの視線が絡み合う。
蒼く深い――同時に、激情に煮え滾っている眼だ。
「事情は分からんが、どういう状況なのかは馬鹿でも分かる構図だな」
「オイ、聞こえねェのかテメェ!!」
こっちの独り言は、どうも男達の癇に障ったらしい。
一人の手にした金属塊が光った――かと思えば、破裂したような音と共に衝撃が走った。
「うおっ??」
驚いた。驚いて、思わず数歩下がる。
丁度、腰に下げた剣を抜いたタイミングだったのは運が良かった。
何か飛んできた小さな礫のようなものを、刀身と鎧で弾くことが出来た。
「はぁっ……!?」
「オイ、今何しやがった!」
俺が攻撃を防いだことは、男達にとっては予想外の事態だったらしい。
攻撃の瞬間に呪文の類はなかったが、今のは魔法か?
ならば手にしたのは杖で、光と共に幾つも鉄の礫を飛ばしてくるとかだな。
「種が分かれば単純だな、分かりやすくて良い」
「コイツ、何かおかしいぞ! 全員構えろ!」
目に見えて焦りが強まるが、男達の動きは素人ではない。
見覚えのない武装に、不可思議な魔法の杖――まぁ、魔法は元々不思議なものだが。
何にせよ、それを操る相手が三人。
慣らしとしては手頃な数だ。
「先に仕掛けて来たのはそっちだからな?」
だったら、殺される覚悟ぐらいは持ってるだろう?
それを言葉ではなく、構えた剣に殺意として示しながら。
杖を構える男達へ向けて、俺は鋭く踏み込んだ。