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第五十九話:祭りの終わり


 ――その二人の戦いを、あたしはじっと見ていた。

 見ていることしかできなかった。

 指が裂けて血が滲む程に鍛錬した弓も、あの男にはまるで通じない。

 直接割って入ろうにも、彼らの戦いは私の理解の外だ。

 凄まじい戦いだった。

 言葉で言い表そうとすれば、どうしても陳腐になってしまうぐらい。

 真竜を殺し、自らが竜と化したウィリアムも。

 そんな相手に一歩も退かずに、刃を交えるレックスも。

 今の私では、どちらもまるで届かない。

 弓を構えたままで、あたしは見ている他なかった。

 ……本当に?

 物心ついた時から、私は母さんとあの館で暮らしていた。

 何も知らないあたしを、あの人は厳しさと優しさで育ててくれた。

 弓を教え、森での生き方を教え、そして『都市』の現状を教えてくれた。

 好奇心から本当の両親のことを尋ねたのは、今も少し後悔している。

 優しい母は酷く辛そうな顔をして言葉を濁すだけだった。

 母を傷つけてしまったと思い、それからは一度もその話はしなかった。

 それから毎日、毎日、あたしは弓の腕を磨き続けた。

 今、この森がどうなっているのか。

 かつて何があって、如何なる仕組みがこの地を支配しているのか。

 それらを母さんに聞かされた時から、何を成すべきかは心に決まっていた。

 真竜の生贄として《狩猟祭》で狩られる人たちを助け、いずれは森の支配を打ち砕く。

 夢物語に等しいと、自分でも分かっていた。

 けれどいつか、どれだけの時間がかかると成し遂げてみせると。

 あたしはそう誓って、母さんにもそう告げた。

 母さんの教えの全ては、その為にあるのだと確信していたから。

 ……その時の母さんの表情は、喜びと悲しみ、それと痛みを堪えるように見えて。

 以前に実の両親について聞いた時とは、また異なるモノだった。

 あたしはその意味が分からなかった。

 その時、母さんは何を思ったのか。

 分からないまま年月は流れて――そして、今。

 本当に、今さらのようにあたしは理解してしまった。

 全てはきっと、この時のためだ。

 それが母さん自身の考えなのか、それとも別の思惑によるものかは分からない。

 確かに言えるのは、母さんはあたしが望む通りに鍛えてくれたこと。

 この森を支配する竜を討つ。

 それはあの真竜ではなく、それを狩って自らが竜と化す男を止めるため。

 ウィリアムを――父を射貫くために、この弓はあるんだ。

 理解しても、あたしの心は揺れなかった。

 むしろ「必ず成し遂げなければ」という覚悟だけがあった。

 怒りや憎しみではない。

 そうしなければあの男は止まらないと、流れる『血』が理解させる。

 その気になれば、ウィリアムはいつでもあたしを殺せたはず。

 殺す気はなくとも、排除する手段なんて幾らでもあったはずだ。

 けど、それをしなかった。

 今この時も、あたしがこの場にいるのは予定外のように振る舞った。

 片手間に無力化できるだけの力の差があるのに、敢えて何もしないでいる。

 ……「お前に出来るものならやってみろ」と、そう言われた気がした。

 

「……ふー……」

 

 思考を冷やし、呼吸を整えて弓を構える。

 矢を番えて絃を引くが、まだ放たない。

 未だに視線の先では、ウィリアムとレックスが死闘を繰り広げていた。

 やはり、辛うじて見えるぐらいで動きはとても捉えられない。

 これまでの鍛錬など欠片も届かない領域で、あの二人は戦っている。

 それでも、この矢は当てなければならない。

 森を支配する竜を討つために。

 ここで勝ってしまえば、恐らくもう止まることのできない男を止めるために。

 あたしでは無理だ。あたし一人だけでは。

 だから。

 

()()()()()()()()()

 否はあるか?」

「いつ言い出すモノかと待っていたぞ」

 

 あたしの言葉に応えて、これまで大人しくしていたボレアスが笑った。

 彼女もきっと、あたしがそう言うのを待っていたのだろう。

 その身の一部を炎に変えながら、恐ろしい竜は笑う。

 

「力を貸してやるのは一度だけ。

 その一矢だけ、お前には古き御力が宿るだろう」

「それで十分」

「外せば終わりだ、良く狙え」

 

 ボレアスの手が、弓を構えるあたしの腕に触れる。

 彼女の身体を形作る炎の一部が、触れた箇所を伝っていく。

 腕から弓、弓から弦を伝って番えた矢に。

 全身に焼き尽くされそうな力が宿るのを、あたしは感じていた。

 それはかなりの苦痛を伴い、声を上げぬよう歯を食い縛る。

 ウィリアムもまた、真竜を殺してその力を奪っている。

 あの男はこれと同じかそれ以上の苦痛を味わっているのだろうか。

 そんな様子は欠片も見せずに、あれ程の戦いをしているなんて。

 

「……認めたくは、ないな」

 

 英雄という言葉が、自然と浮かぶ。

 間違いなくウィリアムは、全ての森人(エルフ)の英雄だ。

 だからこそ、あたしがそれを止めなければならない。

 一度切りの力を得たことで、この矢は今のウィリアムでも貫けるはず。

 後は、一度だけの機会をあたしが当てられるかだ。

 弦を引いて、狙うべき相手に意識を集中する。

 さっきまでは見える程度だった動きも、ギリギリ捉えられそうだ。

 それでも、確実に当てられる保証はない。

 

「――さて、行こうか」

「あぁ、合わせるぜ。姉さん」

 

 そう短い言葉を交わして。

 此方が矢を狙い打つのに先んじて、二つの影が跳んだ。

 テレサと、今はイーリスが操る《金剛鬼》。

 彼女らも介入の隙を狙っていた。

 一人と一体の奇襲を、ウィリアムはあっさりと対応してのける。

 邪魔だと言わんばかりに排除し、続くアウローラの魔法も黒狼で受け止めた。

 その上で、レックスを相手に一進一退の攻防を続ける。

 本当に凄まじい。

 これだけ攻め手がいても尚凌ぐのか。

 ……外せば終わりだ、次はない。

 その緊張感に精神を削られながらも、ウィリアムを見る。

 やはりあの男は、此方に一切注意を向けていない。

 あたしがまだ弓で狙っている事ぐらいは察しているはずだ。

 それでも視界に入れる事さえしない。

 お前には無理だと、そんな声まで聞こえる気がして。

 だからそう、無性に腹が立った。

 ()()()()()()()

 

「ウィリアム!!」

 

 自然と、叫ぶようにその名を呼んでいた。

 見ていなくても声は届く。

 此方の呼びかけが耳に入った瞬間に、ウィリアムの動きが僅かに鈍る。

 やっぱり聞こえているじゃないか。

 レックスが動く。彼は一瞬の隙も見逃さない。

 あたしは弓の弦を引き絞る。

 聞こえていても、ウィリアムはやはり此方を見ない。

 見ていないなら、それで良い。

 見ていないのならば――!

 

「今――ッ!!!」

 

 矢を放つ。

 ただそれだけの、慣れ親しんだ動作。

 しかし込められた力は桁違いで、腕が吹き飛ぶ錯覚が襲った。

 衝撃に倒れかけるが、何とか踏み止まる。

 矢は、どうなった。

 狙った通りにウィリアムへ向かっていくのを眼で捉える。

 背後の黒狼が敵意を感じ取ったか、矢を叩き落すべく爪を振り下ろす。

 本来なら簡単に弾かれるはずの矢。

 しかしその一撃は、逆に黒狼の爪を打ち砕いた。

 離れているこちらにも、その衝撃が伝わる程の威力だ。

 これまで一切崩れる事のなかったウィリアムが、驚きを表情に見せる。

 そして。

 

「あ――」

 

 剣が真っ直ぐに振り抜かれた。

 赤い血と、月の光と、鋼の煌き。

 時間の流れが酷くゆっくりに見える。

 終わったのだと、確信できた。

 森の英雄は致命の傷を受けながらも、僅かに後ろへ下がるだけ。

 倒れず、その意思は決して折れない。

 けれど竜の力の顕現である黒狼は崩れ去り。

 月の鱗である一振りは、切っ先を地に向けたまま動かない。

 かろうじて命は繋いでいるが、戦う力はどこにも無い。

 終わった。その言葉を、胸の内で繰り返す。

 

「……()()()

 

 ウィリアム自身、分かっているはずだ。

 あたしが分かることぐらい、いくらでもこの男は理解しているはず。

 だというのに、彼だけは諦めを拒絶し続ける。

 

「まだ俺は生きている。まだ剣は握っている。

 この程度の傷ならば、直ぐに塞げる。

 まだ、俺は負けていない」

「だろうな」

 

 ウィリアムの言葉に、レックスは再度剣を構えた。

 確かにウィリアムはまだ生きている。

 竜の力や土地の魔力を使えば、受けた傷も塞がるだろう。

 だがそれはすぐにではないし、レックスがあと一度剣を振ればそれで終わりだ。

 分かっているのに、ウィリアムは止まらない。

 止まらないなら、レックスも剣を引く理由はない。

 だから。

 

「ふざけるな……!!」

 

 気付けば、あたしは走っていた。

 絞り出すように叫び、風にならんと駆け抜ける。

 何故か視界が滲んでいるが、構わない。

 自分でも説明できない衝動は、怒りのはずだ。

 その激情を右手に宿して、あたしは行く。

 深手を負ったせいで、ロクに動けない男のところへ。

 

「アディシア、何を……っ!?」

 

 呆気に取られたウィリアムの顔を、思い切り張り倒した。

 相手が瀕死の重傷とか、その瞬間は頭から抜け落ちていた。

 本人が『傷は塞げる』などと言ってるんだから、まだ大丈夫のはず。

 気を利かせてくれたのか、レックスは後ろにそっと下がった。

 だからあたしも遠慮なく、倒れかけたウィリアムの襟元を力いっぱい掴んだ。

 

「お前の負けだ、ウィリアム! 分かってるだろう……!」

「ッ、いいや、俺はまだ」

「無駄に死ぬために、ここまでやったのか!」

 

 喉が千切れそうなぐらいに、思い切り叫ぶ。

 もうこの男に対し、我慢するのは止めた。

 

「真竜は死んだ! 狩りは終わった!

 お前はレックスたちに負けて、それで全部終わりでしょう!?」

「アディシア、俺は」

「未来の話をしようと、あたしに言ったのはお前じゃないのか!」

「………」

 

 自分でも、何を言いたいのか分からない。

 ただその勢いに押されたか、ウィリアムは僅かに沈黙して。

 

「お前は、俺を憎んでいるはずだ」

「それだけならこんな話はしてないっ!!」

 

 もう一発殴りたかったけど、相手は半死人なので止めた。

 頭の中はグチャグチャで、流れる血を見てまた泣きそうになる。

 こんなボロボロで、こんな血まみれで。

 たった一人で戦って来て、死にかけても諦めない。

 本当にどうしようもない。

 

「……お前が父親だと言われたり、本当の母を殺したとか言われた時。

 憎いとかどうとかより、『何故』としか思えなかった。

 事実だけを告げられたって、何も納得できない」

「事実だけでは不服か」

「当たり前だ。あたしを見ろよウィリアム。

 あたしを娘と言うんなら、ちゃんと向き合って話してよ。

 でないと、憎むのも許すのも、何にもできないじゃないか……!」

「…………」

 

 見る。今度は真っ直ぐに。

 ウィリアムはあたしを見ていた。

 どれぐらいそうしたか。

 

「……お前の母、クリスも俺には遠慮のない女だった」

「えっ……?」

「どれだけ理詰めで説いても、納得しなければいくらでも食い下がる。

 だが納得させれば、どれだけ身を削ってでも俺を支えてくれた。

 逆に自分がそうと決めたことは、俺が何を言っても貫き通すタイプだったが。

 ……今思えば、随分と勝手な女だった気もするな」

「…………」

 

 思い出を語るウィリアムの声は、今まで聞いた事がないぐらいに穏やかで。

 あたしは黙ってその告解に耳を傾けた。

 

「お前の母も半森人(ハーフエルフ)だった。

 文武に秀でていたが、身体は余り丈夫な方ではなかった。

 ……お前を産んで身体を壊した直後だ。

 サルガタナスの意向で、彼女は《狩猟祭》の供物に選ばれた」

「っ…………」

「逆らう事はできた。が、確実に弱みになる。

 だがクリスをむざむざ奴の腹の中に捧げる気もなかった」

「……それ、で……?」

「殺した。《狩猟祭》の前に。

 対外的には産後の肥立ちが悪かったことにした。

 子供も死産と偽って、ヴェネフィカに預けて育てさせた」

「…………」

 

 言葉にすれば、たったそれだけ。

 たったそれだけで終わる話。

 そこに一体、どれ程の葛藤があったのか。


「……どうして?」

「どうしてお前を手元から離した、か?

 先ずお前を、俺自身の弱みにはしたくなかった。

 それにお前ならば、ヴェネフィカの元で強く育つと分かっていた。

 俺とアイツの血を継ぐ子なら、そのぐらいは当然だ」


 そしてそれが正しかったのは、今この瞬間に証明された、と。

 ウィリアムは特別誇るでもなく、ただ当たり前の事のように語った。

 あたしはそれを聞いて、何も言えなくなってしまった。

 そんなあたしの様子を見て、ウィリアムは小さく息を吐く。

 

「……ヴェネフィカから、首飾りは預かったか」

「えっ……あ、うん。ここに来る前に」

「アイツめ、今さら渡したのか。

 ……それは、お前の母であるクリスの形見だ。

 女の子に俺の守り刀だけでは可愛げが無いと、わざわざ用意した物だ。

 好きなタイミングでお前に渡せとはヴェネフィカに言ったが」

「……本当の、母さんの」

 

 懐にしまっておいた首飾りを、改めて手に取る。

 幾つもの花を象った銀細工。

 其処に込められた想いが、何であるのか。

 ――「貴女の本当の両親も、貴女の事を愛している」。

 母さんの言葉が、今さら胸に刺さる。

 

「……レックス」

「おう」

 

 涙が零れて、声も出せなくなったあたしを。

 ウィリアム()は死にそうにも関わらず、そっと支えてくれた。

 

「どうやら俺の負けらしい。

 お前の好きにしてくれて構わんが、娘は見逃して貰おうか」

「こんな態度のデカい命乞い始めて聞いたわ」

 

 そうは言いながらも、彼はそれに否とは答えなかった。

 気付けば、空の月から赤い気配は消えている。

 戦いは終わった。

 この森で狩猟の祭りが行われる事は、もう二度とない。


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