第五十一話:裏切りの時間
「真竜を殺すために手を組む――ね。
それを私たちが受ける意味はあるかしら?」
最初に言葉を返したのは、アウローラだった。
俺の腕に指を絡めて、竜の眼差しをウィリアムへと向ける。
心の奥まで見透かそうとする視線にも、男は全く動じた様子を見せない。
「この都市の支配者である真竜、サルガタナスの居所。
まだ掴めてはいないのだろう?」
「条件としては弱いわね。
今の時点で掴めてなくとも、いずれは見つけ出せるもの」
「本当にそう思うか?」
ウィリアムの言葉は、等しく力に満ちていた。
常に確信を持っていると言うべきか。
「なるほど。北の真竜を殺し、ソイツが支配する積層都市を壊滅させたお前たちなら。
隠れ潜むサルガタナスを見つけ出す事も、あるいは可能かもしれん」
「あら、そこは認めるのね?」
「だが、奴がいる場所はかつての森の聖域たる『深淵』。
最初に森が生まれた場所であり、森人たちの魂が還るとされる聖地だ」
「つまり?」
「奴が“森の王”を僭称出来るのも、その聖地を抑えているが故だ。
お前達が《狩猟祭》の際に取り込まれた場所は、『深淵』の力で隔離された森。
最も古い精霊の力で護られた森は、踏み込んだ者を惑わせる。
通常の手段では『深淵』に辿り着く事は困難だ」
「ふむ」
とりあえず、真竜がいるのは森でも特別な場所で。
そこは普通に目指しただけでは行く事ができないわけか。
その辺はどうにかなるものなのかと、アウローラの方を見てみる。
彼女は少し考える仕草をして。
「……確かに、土地の霊力や精霊の魔力を利用してるのなら厄介ね。
森人たちがそういう場所を管理してたのも、聞いた覚えがあるわ」
「理解はして貰えたようだな。
サルガタナスは『深淵』から基本動く事はない。
お前達だけで辿り着くのは、無理とは言わんが骨が折れるぞ」
「なるほどなぁ」
何とも面倒くさい話ではある。
ぶっ殺そうにも、居場所を探す事が先ず難しいとは。
「……今、その話をしているという事は。
そちらには問題を解決する手段がある、と考えても?」
「当然だ」
テレサの問いに、ウィリアムは即答する。
「サルガタナスが身を置く『深淵』には、通常の手段では辿り着けない。
辿り着けるのはサルガタナス自身か、それが許可した者のみ。
後者は今のところ、《爪》であるウェルキンしかいない」
「アイツか」
真竜の腹心である《爪》なら、当然その辺の権利は持っているわけだ。
そうなると、先ずはウェルキンをとっ捕まえる必要があるのか。
俺の考えを予測したか、ウィリアムは否定するように首を横に振る。
「ウェルキンを抑えて『深淵』へ向かう権限を奪う。
これも可能だが、あの男は臆病で慎重だ。
仮にも《爪》の立場を与えられるだけの力もある。
狙うべきは真竜の首で、それ以外の面倒は避けるべきだろう」
「なら、どうするんだ?」
「そのために準備をして来た、という話だ」
言いながら、ウィリアムは傍らに立つヴェネフィカと。
座ったまま俯くアディシアをそれぞれ見る。
「先ほど言った通り、辿り着くのは困難だが不可能というわけではない。
これまでに何度となく行って来た《狩猟祭》。
その最中に少しずつ、『深淵』に繋がる道を構築して来た」
「できるのか、そんな事」
「俺一人では無理だったろう。俺を疑うウェルキンの目もあった。
だから俺の意思が介在している事を悟らせない、第三者の手が必要だった」
「ッ……」
ピクリと、アディシアの肩が震える。
ここで彼女が関わってくるわけか。
「ヴェネフィカの支援を受けたアディシアが、《狩猟祭》に介入する。
それにより他の狩人たちの目を引いている間に、少しずつ作業を進めた。
おかげで完了目前に至るだけで百年以上かかってしまったがな」
「気の長い話だなぁオイ」
抜け道を作る為だけに百年以上とか、なかなかとんでもない話だ。
ヴェネフィカは何も言わない。
口を閉ざし、その眼は時折アディシアを見ていた。
ウィリアムの方は早々に視線を外し、俺の方に向き直る。
「サルガタナスのいる『深淵』への道は、俺が提供出来る。
お前たちはそれを使い、真竜を殺す。
そう悪い話ではないと思うが、どうだろうか?」
「……うーむ」
確かに、これだけ聞けば悪い話ではないだろう。
真竜を殺すための最大の問題が解決するわけだからな。
ただ、気になることは幾つかある。
「返事する前に、俺の方からも聞いていいか?」
「なんだ? 答えられることなら答えよう。
しかし密談の場とはいえ、余り時間を取るのも良くはないぞ」
「まぁそんな難しい事でもないから。
単に、お前が何のために真竜を殺したいのか聞きたいだけだ」
こっちはこっちで、目的があるから真竜を殺したいわけで。
ならウィリアムはどういう理由で真竜の殺害を考えているのか。
少なくとも森林都市は平和で、いっそ繁栄すらしていた。
裏で行われている血生臭い狩猟も、聞いた話では始めたのはウィリアム自身のはず。
その安定を崩してまで、何故この男は真竜を殺したいんだ。
「奴に従っていては、種の未来が無いからだ」
俺の言葉に、ウィリアムは一秒の迷いもなく応えて来た。
種の未来とはどういう意味だろうか。
確かここに来る前、「未来について話す」とか言っていたが。
「言ってしまえば、今のこの森はサルガタナスのための餌箱だ。
一部の哀れな生贄を差し出すことで、それ以外の多数の安寧を得ている。
これは俺が考えて、構築したシステムだ。
犠牲の数を必要最小限に抑え、奴の機嫌を取るためのな」
「良く考えて実行しようと思ったな。ホントに」
「そうでなければ、森を含めた全てがアレの胃袋の中だからな。
他にできる者がいない以上、俺がやる他なかった」
他にできる奴がいなかった。
その言葉で思い出すのは、都市で話をした森人のことだ。
年月で危機意識が麻痺したあの様子では、確かに難しいかもしれない。
あるいは、ウィリアムだけが特別異端なのか。
「森人が滅ぶことを避けるために、奴に多くのモノを売り飛ばした。
だがあの怪物が気紛れの一つ起こせば、滅亡はいつだって容易く起きる。
自分たちの意思で未来の保証すら得ることができない。
そんなものを平和だの繁栄だの、俺は認められんよ。
だからあの真竜を殺す。これまでの全ては、そのために行って来た」
「……それだけか?」
「逆に聞くが、他にどんな理由が必要だ?」
語る言葉に、欠片の嘘偽りも感じられなかった。
ウィリアムは本心しか口にしていない。
多分、それは間違いないはずだ。
この男は本気で、ほんの僅かな私心を抱く事もなく。
ただ純粋に、森人のために全てを行って来たと言ったのだ。
その信念と精神は、鍛えられた鋼などより遥かに硬いかもしれない。
「で、今の答えで納得して貰えたか?」
「あぁ。とりあえず、お前がどんな奴かは良く分かった」
「それは何よりだ」
多分、コイツにどんな皮肉言っても響かないんだろうなぁ。
何をどうしたら、こんな鉄心具合に育つのか。
聞いてみたいところだが、本人がそれを特別な事とは思ってない気がする。
だからそのことは置いといて。
「……なぁ、こっちも良いか?」
そう声を上げたのは、イーリスだった。
彼女はウィリアムを軽く睨みながら片手を上げる。
これは予想していなかったのか、ウィリアムは少しだけ不思議そうに。
「なんだ?」
「いや、言いたいことあるのはオレじゃないけどな。
……おい、アディシア」
ここまで一つも言葉を発せていない相手の背を、イーリスは軽く叩く。
そうして震える肩を抑えるように、彼女は指で触れた。
「言いたいことあるなら言えよ。無いわけねェだろ?
ここでタイミング逃したら絶対後悔するぞ。
それで良いのかよ、お前」
「っ……それは……」
イーリスの言葉は多少乱暴だが、真剣にアディシアを思っての言葉だ。
彼女自身、親を誤解したまま話す機会を失ってしまった。
その経験があるからこそ、アディシアの背を押しているのだろう。
自分と同じ後悔を背負って欲しくはないと。
その言葉を受け、アディシアは意を決して顔を上げる。
「……ウィリアム」
「なんだ?」
「あたしは、お前を父とは呼ばない。呼びたくはない」
「そうか」
「けど……一つだけ聞かせて欲しい。
あたしの、本当の母について」
「彼女は俺が殺した」
……また爆弾をブン投げて来たな、オイ。
再びアディシアは言葉を失い、イーリスは反射的に彼女の身体を支える。
ウィリアムは、やはり声も表情も一切ぶれないまま。
「お前の母は半森人だったが、優秀な女だった。
一時期、ヴェネフィカと共に俺の下で働いていた事もある。
お前を産んだ後に、そうする必要があったから俺がその手にかけた。
俺から語るべきことは、そのぐらいだ」
「ウィリアム、貴方……っ!」
今まで黙っていたヴェネフィカも、思わず非難の声を上げた。
いや、何か色々はしょりすぎて駄目だろう、その言い方は。
起こった事実を並べただけで、実際のところがどうなのかとか分からんぞ。
ただアディシアには兎に角衝撃がデカい。
よろめく彼女を支えていなければ、イーリスは殴り掛かっていたかもしれない。
「聞きたい事はそれだけか、アディシア」
「っ……どうして、そんなこと……!」
「そうする必要があったからだと、今言ったはずだ。
それ以上でも、それ以下でもない」
突き放すような物言いは、わざとなのか本気なのか。
この辺は傍から聞いていても区別がつかない。
マジで言ってるなら大分人の心がないが。
「それで、あまり時間に余裕があるわけでもない。
いい加減に答えを聞いておきたいんだが」
「この空気で話進めろと」
まぁ一応敵地のど真ん中みたいなもんだし。
あんまり呑気に話をしているべきじゃない、ってのは分かるけど。
アウローラとテレサをチラっと見るが、彼女らは何も言わない。
判断はこちらに任せる、ということだ。
とりあえず、こっちに大きな不都合はないはず。
この糞エルフが何か企んでたとしても、それはそれでぶっ飛ばせば良いし。
だったら一先ずは頷いて良いかと結論づける。
他に異論があるならまた話をすれば良いだろう。
そう考えて、ウィリアムに答えようとした――その時。
「……んん?」
ポタリと、赤い雫が落ちた。
それはウィリアムの口元から、真っ赤な血が零れる。
何事が起こったのか。
胸元を押さえて、血を流しながらウィリアムは笑った。
「ふん、やっとか」
「下がって!」
ウィリアムの呟いた言葉に、テレサの声が被さる。
俺はアウローラを抱えた状態で、イーリスとアディシアを庇うために動く。
鋭く叫んだテレサは、そのまま扉の一つと向き直った。
同時に、扉が爆ぜるように吹き飛んだ。
飛んできた木製の扉をテレサは片手で叩き落した。
そして次に向かって来た『何か』を、真正面から受け止める。
ソレを見た時、最初は甲冑を着込んだ人間が飛び掛かったのかと思った。
だが違う。人に似てはいるが、それは人の形を模しただけの物だ。
妙に長い手足には鋭い刃が幾つも付いており、テレサの装甲と擦れて嫌な音を立てる。
敵である事は間違いない。
ウィリアムの様子からして、コイツの仕込みでもなさそうだが。
「《金剛鬼》とはな。
虎の子をここで出すとは、とうとう後がなくなって来たようだな」
「口を慎めよ、ウィリアム。この裏切り者め」
鎧のお化けの後に入って来たのは、神経質そうな顔の男。
確か、都市に入る時に最初に出会った森人の一人だった気がする。
男――ウェルキンは、血を流すウィリアムを睨みつけた。
「事を急くあまりに油断したな。
そうやって前ばかりを見ているから、足下が疎かになる」
「まさか、お前に説教される日が来るとはな」
明らかに追い詰められている状況にも関わらず、ウィリアムは余裕を崩さない。
ウェルキンの方は、そんな態度が癇に障っているようだった。
さて、なかなか面倒な状況だな。コレは。
テレサが鎧の化け物――《金剛鬼》とか言っていたか?
それを抑えているが、ウェルキンの背後には他の狩人たちの姿も見える。
「事が露見しないよう、お前は注意深く動いていた。
なのに何故、それが私に知られたのか。
知りたいんじゃないのか? なぁウィリアム」
「大方、ヴェネフィカがそう伝えたんだろう」
淡々と。それこそ何でもない事のように。
ウィリアムは傍らに立つ相手の裏切りを口にした。
余裕の笑みだったウェルキンの顔から、さっと表情が消える。
ヴェネフィカは沈黙したまま、裏切りを否定しなかった。
……どうも立て込んで来たようだし、こっちはこっちでそろそろ動くか。
「大丈夫か、テレサ」
「ええ、特に問題は」
「じゃ、あっちは忙しそうだしお暇するか」
こうなった以上は仕方ない。
気になる事もあるが、内輪揉めに付き合う義理もないからな。
「捕らえろ、客人方を逃がすな!」
ウェルキンの命令を受けて、《金剛鬼》と狩人達が動く。
当然、そんなものに構う気はない。
俺たちは扉ではなく、その反対側の壁に向かって走る。
「アウローラ!」
「はいはい、両手塞がってるものね」
俺の腕に抱えられた状態で、アウローラは軽く指を振るう。
それだけの動作で、壁の一部が消し飛んだ。
テレサが付いて来てるのを確認してから、イーリスとアディシアもしっかり掴む。
ここがどこだか良く分かってないが、とりあえず壁の穴から飛び降りた。
すぐ傍を矢やら投剣やらが掠めていく。
眼下には森林都市が広がり、頭上に浮かぶのは――赤い月だ。
狩猟の始まりを告げる血染めの月。
赤い月光を浴びながら、俺たちは落下する。
その時、どこからか響く獣の咆哮が聞こえた気がした。




