第三十九話:脱出
「これで全員ね」
そう言って、アウローラはその場に揃った顔を改めて見渡した。
現在地は今も変わらず森の一角。
空では赤い月が不気味に輝き続けている。
森人達や獣の気配はまだ遠いが、いつまでもそうとは限らない。
「驚かせてしまってすまない。
こちらも余裕がなく、手段を選んでいられなかった」
謝罪を口にしたのは、例の赤髪の女だった。
その姿を改めて確認する。
身長は恐らく女性としては高い方だろう。
スラっとしているが、身体の凹凸も非常にハッキリしている。
それらを隠すように纏っているのは、暗褐色に統一した外套や衣服。
背には大きめの弓と矢筒を背負っている。
出で立ちは古い時代の狩人そのまま、と言ったところか。
意志の強そうな精悍な顔立ちに、空に浮かぶ月にも似た真っ赤な髪。
そしてやはり気になるのは、その髪から覗く尖った耳の先端。
森人……にしては、どうにも短い気がするな。
「半森人ね。
しかもその髪色、あの連中が赤帽子と言ってたのは貴女ね」
治療のため、矢の刺さっていた俺の腕に触れつつ。
アウローラは視線だけを赤髪の彼女に向け、そんなことを口にした。
「赤帽子?」
テレサの傍、木の根に腰を下ろしていたイーリスが首を傾げる。
俺の方は何となく聞き覚えのある単語だったが、イマイチ思い出せない。
「森人たちの伝承よ。
人との血が混じった半森人の子は、多くの場合は黒い髪をしている。
だから彼らは黒帽子と呼ばれ、森人たちはそれを不吉と忌み嫌った。
森を追われた黒帽子はやがて森人たちに復讐し、その血で髪を赤く染める。
それこそが古い森人達が最も恐れた怪物。その名前の由来よ」
「だから赤帽子、か」
なるほど、そういう伝説があるわけか。
しかし彼女の髪は、別に血で染めたとかそんな様子はなさそうだが。
「……あぁ、貴女の言う通り。あたしは半森人。
連中が言っていた赤帽子というのも、あたしの事だ」
自分の髪を指先で少し弄って、赤髪の彼女は頷く。
「名乗ろう。あたしはアディシア。
確かに森人の血は流れているけれど、貴方たちの敵ではない」
「レックスだ。その辺の話は詳しく聞きたいが、今はそんな余裕もないか」
とりあえず腰を落ち着けちゃいるが、直ぐに動くべきだろう。
とはいえ、こっちはどこに行けば良いのかも良く分かっていない。
アディシアなら、それを知ってる可能性もあるかと見ているが……。
「この森には脱出するための出口がある。そこに案内しよう」
「マジか」
期待はしていなかったが、本当ならありがたい話だ。
アディシアは周囲に警戒を向けつつ、木々の隙間を指で示す。
「当然、《牙》である狩人達の妨害はあるだろう。
安全とは言えない道だが、どうかついて来て欲しい」
「……如何しますか?」
確認するテレサの言葉に、俺もアウローラも頷く。
少なくとも、諸々の事情についてもアディシアの方が詳しいだろう。
今は大人しく付いて行った方が良いはずだ。
そんなわけで、メンバーに新たな一人が加わって。
俺たちは再度、森の中を進んでいく。
月の放つ赤い光によって、木々の全てが血に染まったかのように見える。
そんな不気味さにmイーリスは顔を顰めた。
「しっかし、この森は一体何なんだ?
都市に入る前に見た森とは違うっぽいけど」
「……あの森と同じだけど、似て非なるモノと言うか。
森の一部――『深淵』と呼ばれる場所を切り取り、別空間に隔離した場所だ」
イーリスが口にした疑問に、アディシアは難しい顔で応える。
うむ、とりあえず良く分からんな。
「《狩猟祭》の犠牲者は、等しくこの森に取り込まれる。
そして待ち構えた狩人……あの《牙》たちに狩られ、強制的に供物とされる。
この森を塒とする主、真竜サルガタナスに捧げるための餌に」
「なるほどなぁ」
連中は客人だの何だの言っていたが、要するに体のいい生贄扱いか。
改めて聞くと気分の良い話じゃないな。
ウィリアムは確か、「《狩猟祭》の時だけ真竜は姿を見せる」と言っていたが。
それもこういう意味だったわけか。
……ふむ、しかし。
「なぁ、アディシア――で、良いよな?」
「? あぁ、なんだろう」
「そうすると、真竜は今この森のどっかにいるってことか?」
それならそれで、こっちとしては話が早い。
今までは、真竜がどこにいるのか分からなかったから大人しくしていた。
だが位置さえ分かってしまえば、後はその首を取りに行くだけで済む。
完璧な理論だと思ったが、アディシアは驚いた顔をして。
「そ、それを聞いて、どうするつもりなんだ?」
「ちょっと一狩り」
「いやダメだ、落ち着いて欲しい。
そもそも分かっているのは『この森の何処かにいる』だけだ。
あたしも真竜の詳しい位置は分からないんだ」
「ふーむ、そうだったか」
この森の広さがどの程度かは不明だが。
流石に虱潰しに探すのは色々しんどい気もする。
「この結界、さっき説明した通り時限式だから。
多分、闇雲に探すだけだと時間切れで追い出されちゃうでしょうね」
「そうか、そっちの問題があったか」
悪戯っぽく笑いながら、アウローラは問題点を指摘する。
具体的な広さも不明、かつ時間制限あり。
思ったよりも、今度の竜殺しは面倒なのかもしれない。
「一番高いところで待ってたマーレボルジェの奴は、むしろ楽だったんだなぁ……」
「馬鹿と煙は何とやらって言えば良いのかしら」
いや実際、上に向かえば良いだけのアレは大変分かりやすかった。
そんな風に話していると、アディシアは困惑した様子で俺の方を見て。
「……その、まさかとは思うが」
「うん」
「貴方たちは、真竜に挑むつもりなのか?」
「うん」
挑むというか、殺すつもりなんだな。
まぁ、それはワンセットだから同じようなもんか。
あっさり肯定したら、アディシアの顔が何とも言えない感じになった。
驚愕とか困惑とか、後は一抹の恐怖も混じっている。
やはり真竜の脅威は、身近にいる者にとっては相当デカいのだろう。
「それは……あまりに、無謀過ぎる。
この森が奴の塒なのは確かだけど、どこにいるかはごく一部の者しか知らない」
「おう」
「加えて、森には奴の分身である《鱗》の獣共と。
サルガタナスに屈服した狩人である《牙》たちがいる。
それも数は不明で、《牙》に至っては月が出ている間は不死身という始末だ」
「あれ面倒臭いよなぁ」
「今だって、奴らがどこに潜んでいるかも分からない。
だからこうして慎重に……」
「ちょっと待った」
と、制止したのはイーリスだった。
声は低く、何やら耳を澄ますような仕草をしている。
さて、何がどうしたのか。
「イーリス?」
「姉さんも、ちょっと静かにしてくれ」
気遣う姉の声も一時遮って、彼女は集中しているようだった。
ほんの少しの沈黙を挟んでから。
「……通信だな。多分、あの狩人連中のだと思う」
「つーしん?」
また知らない単語であった。
此方の物知らずは慣れたもので、イーリスはキチンと説明してくれる。
「アレだ、アウローラが魔法で使ってる《念話》の機械バージョンだ。
電波っつー……まぁ、目に見えない波を使ってな。
専用の機械を使えば、離れた相手とも会話が出来るんだよ」
「便利そうだなぁ」
「実際便利だよ、魔法の《念話》とかだって便利だろ?
ただまぁ、欠点もある」
言いながら、イーリスは自分の耳を軽く指で叩く。
「通信用の電波を横から引っ張る方法があれば、盗み聞きができるんだよ」
「あぁ、なるほどね?
確かに《念話》も、高位の術者なら似たような事が出来るわね」
頷いたのはアウローラだった。
そういう事もできるのかと、俺は感心するばかりだ。
「普通だったら、それができないよう暗号化……。
まぁ、盗み聞きされない細工するんだけど」
「だけど?」
「コイツら、軽い暗号化しかしてねェな。
これだったら、オレなら大した手間もなく傍受し放題だわ」
「すげぇ」
「流石。できる子だな、イーリス」
良く分からんが凄い事だけは分かった。
姉であるテレサも手放しでベタ褒めである。
「姉さんもやめてくれよ。
あーちょっと待って、何か話してるっぽいから」
羞恥で赤面しながらも、イーリスは自分の仕事に集中する。
相手もまさか、自分達しか聞こえない会話を横から盗み聞きされてるとは思うまい。
それで、肝心なつーしんとやらの内容だが。
「……こっちを探して、幾つか部隊で巡回してるみたいだな。
ブン殴るなら別だけど、避けるんだったらこの先は迂回した方がいい」
「ふむ」
少し悩むな。
削れるなら削って良いが、それで集まられるのもまた面倒か。
今は脱出を優先するべきだな。
「とりあえず避ける方向で」
「分かった。こっち注意しとくから、警戒も頼むわ」
「オッケーオッケー」
こういう場面のイーリスは実際頼りになる。
こっちが何してるのか、アディシアはイマイチ理解できてないようだが。
「こっちのイーリスが、まぁ何か機械とかそういうの強いんで。
信用して大丈夫だぞ」
「そ、そうなのか?」
そうなんです。
魔法関係はアウローラがいるし、その辺は実際隙がないのだ。
「……しかし、ちょっと意外ね」
「ん? 何がだ?」
「通信とか何とか、森人は機械も使ってるってことよね?
こんな規模の結界も使ってるし、てっきり魔法一辺倒かと思ってたわ」
そのアウローラの言葉に、俺もちょっと首を傾げた。
確かに扱う武器も剣や弓で、どちらかというと俺が生きていた時代に近い。
前の都市みたいに『はいてく』は余り無いイメージだったが。
「……都市長の仕事だと聞いてる」
そう呟いたのはアディシアだった。
声に籠った感情は暗く、陰鬱な重みを感じさせる。
「都市長というのは、あのウィリアムという人物ですか?」
「もう会っていたのか。そうだ、その男だよ」
テレサが確認すると、アディシアは苦い笑みを浮かべながら頷いた。
「森林都市の整備や機械技術の導入など。
多くの『新しい事』を森に持ち込んだのは、あの男だと聞いてる」
「本人は、自分はお飾りぐらいの言い方だったけどな」
「……お飾りか。
確かに、都市の支配者はどこまで行っても真竜だ。
そういう意味では、お飾りという表現はそう間違ってないかもしれない」
「ふーむ」
確かに、アディシアの言葉も正しいだろう。
都市の支配者はあくまで真竜。
この血染めの月を中心に広がる森も、全て真竜の支配下だ。
森人たちを不死の狩人に変え、《牙》として使役する。
《鱗》である影の獣は際限なく増え、その膨大な数は間違いなく脅威だ。
……それでも、これは単なる勘ではあるが。
この森で一番危険なのは、あの男かもしれない。
それこそ本当に、何の根拠もない話だが。
「――ま、誰であれ最終的に全員殺せば同じよ」
「アウローラは賢いなぁ」
「ええ、主人の判断に誤りはないかと」
実際、真竜だろうが都市長だろうが狩人だろうが。
全員ぶっ飛ばしてしまえば同じ事ではある。
アウローラの大変論理的な結論に、テレサ共々賞賛を送る。
イーリスは諦めの境地に達した顔だし、アディシアは大変困惑なさっているようだが。
「……その、いつもこうなのか?」
「大体は」
アディシアが問いかけると、イーリスは深々と頷いた。
信用度とか信頼度とか、そういう大事なモノが削れてる気がしないでもない。
イーリスの言う通り、大体このノリなので早急に慣れて頂きたい。
表情に色々葛藤が見えたが、アディシアも何とか呑み込んでくれたようだった。
「とりあえず、詳しい話は落ち着いてからにしよう。
そろそろ見えてくるはずだ」
そう言いながら、赤髪の彼女が示したのは森の一角。
他は月の光に染まる中、そこだけは暗い色の闇が蟠っていた。
確かに、他とは少し雰囲気が違うようだが。
「これが《門》だ。森の外と繋がってる。
この森に取り込まれた者は、時間まで狩人の手から逃げ続けるか。
あるいは、この《門》を探して抜け出すしかない」
「なるほどなぁ」
イーリスのおかげで無駄な交戦は避けられたし、存外簡単に脱出できそうだ。
「……この《門》ですが。
これはいつも、同じ場所にあるのですか?」
ふと、そんな問いかけをしたのはテレサだった。
それに対して、アディシアは軽く首を横に振って。
「いや、違う。《門》の出現位置は定まっていない」
「ですが貴女は、殆ど迷いなくこの場所まで我々を案内出来ましたね」
「……それについても、理由があるんだ。必ず話す」
だから今は、脱出を優先して欲しいと。
アディシアはそう語って、先ず自分から《門》の方へと近付いた。
木々の隙間に生じた、暗く先の見えない闇。
傍から見るとなかなか不気味ではある。
「じゃ、行くか」
そうしなければ話が進まないようだしな。
ならば特に躊躇う理由はないと、俺も《門》へと向かう。
アウローラは当たり前の事のように傍らへ。
確認していたテレサもまた、イーリス共々何も言わずに続いてくれる。
驚いた様子のアディシアを見ながら、俺は《門》を指差して。
「あれを抜けたら、色々聞かせてくれるんだろ?
だったら早く行こうか」
「……あぁ。あたしも、貴方たちに話したい事がある」
うむ、互いの意見も一致したな。
頷き合い、先ずはアディシアが先に《門》へと踏み込んだ。
続いて俺も闇の向こうに歩を進める。
視界が黒く染まり、全身を一瞬の浮遊感が包み込む。
そうして、俺たちは血染めの森からの脱出を果たしたのだった。




