第三十六話:森林都市にて
森の中は複雑で、さながら天然の迷宮だった。
方向感覚はまるで役に立たず、右も左もまともに分からない。
とりあえずは黙って、先を行く森人たちの後を付いて行く。
五人共に無防備に背中を向けているのは、果たして余裕の表れか。
単純に侮っている可能性も十分にある。
「すみませんね、時間が掛かってしまって。
何分、距離がありますもので」
「いや、それは別に良いけどな」
五人組のリーダーらしき森人の男。
やや神経質そうな印象だが、声の響きには尊大さが混じっている。
さて、確か向こうは歓待がどうのと言っていたはずだが。
「まともに客扱いする気があるのか、正直怪しいわね」
傍らを歩くアウローラが、そう小さく呟いた。
その点は俺も同感だ。
が、「都市に案内する」と言うなら、一先ず従っても良いだろう。
罠なら罠で、踏み潰すなり食い破るなりすれば良い。
向こうの出方を伺う意味でも、俺たちは黙々と森人たちの後ろを歩いていく。
「ホント、何時まで歩かせる気だ?」
そうぼやいたイーリスは、固くテレサの手を握っている。
テレサも意識は周りの警戒に向けながらも、妹の手にしっかりと指を絡める。
薄暗い森の中にいるせいで、正直時間感覚は怪しい。
既に半日歩いているような気もするし、まだ一刻ほども経ってない気もする。
森人達だけが、時間から切り離されたように揺るがないまま。
歩く。歩き続ける。
時折、木々の影にも注意を向ける。
先ほどの《狩猟獣》とかいうのが沸いて来るとも限らない。
「……ご安心を。アレが襲って来る事はありませんよ」
振り向かず、リーダーの男がそんな事を言ってきた。
「《狩猟獣》が襲うのは森の影を侵した者。
或いは『狩っても良い』と定められた獲物だけです。
今の貴方たちはどちらも該当しませんので、身構える事は御座いません」
「ふーん。結局、アレはどういう類の化け物なんだ?」
森人達は正体を把握しているようなので、ストレートに聞いてみた。
答えが返ってくると、期待はしていなかったが。
「《鱗》ですよ。我らが支配者、偉大なる“森の王”たる真竜様のね」
「ほほう」
《鱗》という名称は覚えている。
マーレボルジェでは、真竜が使う下っ端の正規兵だったはずだ。
あっちでは武装した兵士だったが、この森ではあの黒い怪物がそうなのか。
「……あのような獣が、《鱗》なのですか?」
「その通りです。
森の『外』から来たあなた方の目には奇異に映るかもしれませんがね」
やや怪訝に問いかけるテレサ。
森人の男は、やはり振り向かないまま軽く笑ってみせた。
「あれなるは“森の王”たる真竜様の御力の一端。
栄えある《牙》や《爪》に比べれば確かに下等ですが、あれで優秀なのですよ。
疲れを知らず、恐れを知らず、森を侮る愚か者を喰い殺す」
「これ以上に優秀な猟犬が他におりますか?」と。
森人の男は、我が事のように誇らしげに語っている。
そういう自慢話はあんまり興味はない。
が、真竜と一口に言っても色々なタイプがいるという事は理解できた。
《鱗》がこれだけ違うとなると、この森の《牙》や《爪》はどんな相手か。
それもストレートに聞いたら、もしかして答えてくれるのでは……?
「さて――お待たせしました、皆々様」
と思った矢先に、森人たちが立ち止まった。
目の前にあるのは、変わらず生い茂った森の木々ばかり。
一見すると何の違いもないように思えたが。
「この先が、我ら森人達の領域。
偉大なる“森の王”が支配せし大いなる都」
詩でも吟じるように言いながら、リーダー格の男が手をかざす。
すると、森の一部に濃い霧が掛かった。
明らかに自然現象ではなく、恐らくは魔法によるものだ。
森人たちはその霧の内側へと躊躇なく足を踏み入れる。
「さぁ、どうぞ」
促されたので、先ずは俺が前に出た。
その直ぐ後にアウローラが続き、やや遅れて二人の姉妹が一緒に進む。
視界が真っ白に染まったのは、ほんの一瞬のこと。
霧はあっという間に晴れて、俺の目に飛び込んで来たのは……。
「……おぉ」
そこには確かに、都市があった。
鬱蒼と繁った先ほどまでの森とは違う。
だがどこか、森に似た雰囲気が漂う言葉通りの森林都市。
以前のマーレボルジェには、無数の塔に似た高い建物が幾つもあった。
ここにも同じように高い建造物は幾つも見える。
それらは塔ではなく、古い巨木と半ば一体化したような作りとなっていた。
古い森と混ざり合った不可思議な街並み。
草木と一つになった道には、多くの森人たちの姿も見えた。
「ふぅん……空間の位相がズレてるのかしら?」
そう呟いたのはアウローラだった。
後ろ――霧を潜ったはずの場所は、ゴツい木の根で塞がれていた。
見れば城壁代わりなのか、巨大な木々が都市の外周をグルリと囲っているようだ。
「御明察です、賢いお嬢さん。
この都市は森の中にありますが、“森の王”の御力によって守られています。
その力で、この都は物質世界から隔離された空間に存在します。
故に許しなき者は足を踏み入れる事もできません」
「なるほどねぇ」
森人の男の説明を聞きつつ、アウローラは空を見上げる。
釣られて上を見れば、木々の隙間からは青い空がちゃんと見えていた。
何だか別の空間がどうとか言っていたが、ならこの空も偽物か。
「……本当に賢い方ですね。ええ、察しの通り空は例外です。
外側から観測できない作りになっていますが、空は通常の空間と繋がっています」
「ふむ」
空は繋がっている、か。
俺の方も一つ納得して軽く頷いた。
「さて、質問はもう宜しいですかな?
このまま街を抜けて、来客用の館にご案内しましょう」
「外部と遮断されているのに、そのような施設があるのですね?」
そう聞いたのはテレサだった。
その疑問に対しても、リーダー格の男は慇懃無礼に笑って。
「ええ、最初に申し上げた通り。
森に入り込んだ者でも、『相応しい』と認めたならば客人として遇するのが掟。
そういった方のみをお通しする為の、謂わば「戦士の館」で御座います」
「……なるほど」
一応テレサは頷いたが、何とも胡散臭い話である。
まぁ何の裏も無しに、本心から客として歓迎しようなんて話もあるまい。
そんな茶番とも言えるやり取りを交わしつつ。
俺たちはまた、森人達について森と融け合った街へと入る。
意外と言うのも変だが、都市から伝わる空気は和やかなものだった。
マーレボルジェの時のような、退廃とした気配は薄い。
年月が過ぎた森の空気そのままに、街の様子は酷く穏やかだ。
年若い……いや、森人を人間の俺が『年若い』と言うのはおかしいんだが。
兎も角、人間換算で見た目二十代や十代ぐらいの森人たちが、街では多く見られた。
彼らは表情も明るく、どうやら普通の日常を過ごしているらしい。
時折、談笑している声も耳に入ってくる。
「街の様子がそんなに珍しいですかな?」
「まぁなぁ」
リーダー格の男が聞いて来たので、俺は素直に頷いた。
「前に通った都市は、もっと雰囲気暗かったからな。
そういう意味じゃちょっと驚いたな」
「なるほど」
ぴくりと。
穏やかに頷きながらも、リーダー格の男の肩が少しだけ動いた。
何に反応したかは不明だが、今の発言に引っ掛かる事があったのか。
「……この森林都市サルガタナスは、我ら森人達の理想郷。
“森の王”たる真竜様の庇護の下で、私達は何不自由なく過ごすことができる。
故にこの地では、諍いも憂いもありません。正に楽園ですよ」
「ほー」
それが本当なら大した話だ。
まぁ鵜呑みにする気はないし、そもそもこっちの目的はその真竜の首だしな。
そんな風に話しつつ、俺達は大きな通りを進んでいく。
ぱっと見ても都市全体の広さはかなりのモノだ。
マーレボルジェの時のように縦に長いわけではないが、横の広さは半端じゃない。
端から端までとなると、徒歩で辿り着くのにどれだけの時間が掛かるか……。
「……ん?」
ふと、目に付いたモノがあった。
それは通りを歩く森人の一団――の中に混じっているモノ。
それは明らかに。
「人間だな」
「ええ、そうみたいね」
俺が呟くと、アウローラも反応して来た。
細身の森人達に混ざって、見るからに屈強そうな人間の男が何人か見えたのだ。
派手ではないが上等な服装の森人に対し、人間の身なりは明らかに質素だ。
ついでに言えば、首には金属製の輪っかが付いている。
ここまで揃っていれば、その人間達の立場は一目瞭然だ。
「奴隷か」
「その通りです。別に珍しくもないでしょう?」
答えたのは、やはりリーダー格の男。
男はいっそ芝居がかった仕草で街の様子を示した。
「ただ誤解無きように。彼ら人間は、森人にとって大事な『資産』。
それを乱雑に扱う者はこの都市にはおりませんよ。
彼らは『貴重』で『大事』だ。とても、とても。
取り扱いを誤れば、損をするのは主人の森人の方ですからね」
何やらたっぷり含みのある言い回しだった。
まぁ別に、奴隷そのものは俺が死ぬ前の時代も珍しいものじゃない。
この男が言う通り、奴隷は主人にとって大事な資産の一部。
それを粗雑に扱うのは一部のアホぐらいで、丁寧に扱うのは基本も基本だ。
見たところ、この都市の人間奴隷はどれも立派な体格をしている。
森人達の線の細さを考えると、かなり貴重な労働力だろう。
「……ふぅん」
ただ、アウローラは何かが気になる様子だった。
ちらりと何度か視線を街のあちことに向けてから、小さく声を漏らす。
果たして彼女は、今見た街の様子で何に引っ掛かったのか。
「……なぁ、アレか? その来客用の館ってのは」
そう声を上げたのはイーリスだった。
彼女が指差す方を見ると……成る程、何か立派そうな建物が一つある。
他の森の木々をイメージさせる建物とは、少しばかり赴きが違う。
背は低いが、石材を積み上げて造られた館は何処か小型の『砦』にも見えた。
周りは小さな広場にもなっていて、言われなければ飾りか何か勘違いしそうだ。
「ええ、その通りです。こじんまりとしているのは、どうかご勘弁を。
元より客自体が少ないので、余り大きく作る意味はないのですよ」
「まぁそういうことなら仕方ないよな」
俺たち以前に客が来たのはどれぐらい前なんだろう。
そんな事が少し気になりながら、案内されるままに館の扉を潜る。
そこは思ったよりも広めに作られた玄関広間。
魔法か機械式かは分からないが、天井に下がった光源不明の光で照らされている。
その中に。
「……来たか」
一人の、森人の男が俺たちを待っていた。
長身で金髪、長く尖った耳と基本的な森人の特徴は変わらない。
見た目は、人間換算だと恐らく三十代前後。
森人としても余り老齢には見えないが、纏う雰囲気は違う。
一瞬。ほんの一瞬の錯覚だったが。
その男を見た時、大きく古い森を前にしたような気分にさせられた。
白くゆったりとした衣服の裾を揺らして、男は俺の方へと近付いて来る。
敵意はない。だが、鋭い目線は棘のように俺に刺さってきた。
「はじめまして、客人方。
久方ぶりの来訪者の知らせを受け、ついつい顔を出してしまった」
「困りますよ、都市長。ご自分の仕事もあるでしょうに」
リーダー格の男が、嗜めるような言葉を目の前の男に向ける。
都市長と呼ばれた男は、小さく肩を竦めて。
「別に職務放棄をして来たわけではない。
偶の好奇心を満たす事ぐらい、大目に見て貰いたいものだ」
そう言いながら、都市長と呼ばれた男は俺の方へと右手を差し出した。
「この森林都市の都市長を務めている、ウィリアムという。
大層な肩書きだが、所詮はお飾りだ。だから君たちも、あまり気にしないで欲しい」
「レックスだ。こっちはアウローラで、後ろの二人はイーリスとテレサ。
歓迎してくれてアリガトウ、とか言えばいいかな?」
差し出された右手を、俺は遠慮なく握り返した。
思ったよりも――いや、ある意味予想通りの硬い感触が返ってくる。
都市長、ウィリアムは穏やかに笑って。
「久方ぶりの《狩猟獣》を突破した人間が現れたと聞いたが……成る程。
都市外からこの森に来ただけあって、只者ではないようだな。
差し支えなければ、この森にやって来た理由を伺っても構わないかね?」
「真竜を殺しに来た」
ザワリ、と。
今まで黙っていた他の森人達を含めて、騒めきが起こった。
リーダー格の男の表情からも、さっきまでの余裕らしきものが消えている。
変化がなかったのは、都市長のウィリアムただ一人。
「……って言ったら、どうする?」
「なかなか面白い冗句だ」
俺の言葉に、ウィリアムは本当に愉快そうに笑みを浮かべた。
「もしそれが本当ならば、残念な知らせもある。
真竜様――“森の王”は、我らも容易く御目通り叶わぬ御方でな」
「む、そうなのか?」
「あぁ。都市長である俺も正確な居所は知らない。
定期的に行われる《狩猟祭》の時にのみ、森の民らの前に姿を現される」
ふむ。詳しい事は分からんが、何やら真竜に会うには条件があるらしい。
《狩猟祭》、というのも知らない単語だ。
「ウィリアム都市長」
「……おっと、軽口が過ぎたようだな。いやすまない。
外の客人と言葉を交わすなど、それこそ百年ぶりの事なのでな」
「森人の時間感覚すげーなぁ」
百年前を、まるで「ちょっと昔のこと」ぐらいの口ぶりである。
「では、邪魔したな。
何か分からない事があれば、そちらの者に聞いてくれ」
そう言って、ウィリアムは俺達の脇を通り過ぎる。
何故か分からないが、リーダー格の男もそちらに付いて行くようだった。
黒衣と白衣、二人の森人の男が去ろうとする。
その背中に向けて、俺は最後に言葉を一つ投げかけた。
「なぁ、森の外でのアレはアンタだろ?」
向けた先はウィリアムの方だ。
果たして都市長は、ほんの一瞬だけ足を止めて。
「……さて、何の話か分からんな」
それだけ応えると、後は足を止めることなく館を立ち去って行った。




