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幕間:見果てぬ欲望のその果てに


 真竜にとって、己が支配する都市とは庭のようなものだ。

 思うが侭に振る舞い、思うが侭に手を加える。

 それに異を唱える者など一人もおらず、好きなだけ自らの欲望を満たせる。

 故に本心から憂うことなど何もなく、そこにあるのは享楽ばかり。

 マーレボルジェもまた、長らく喜びと楽しみ以外の感情を覚えたことはなかった。

 今、その時までは。

 

『……何だと?』

 

 都市の最上層。

 美々しく煌びやかなる虚無の空間にて。

 マーレボルジェは、忠実な《爪》より報告を受けていた。

 持ち帰ってくるのは例の“奇跡”の娘を無事回収した、という言葉だとばかり思っていた。

 それを期待し、極上の酒を樽で飲みながら待っていたというのに。

 《爪》が語ったのは、予想すらしていない事実だった。

 

『我が愛しき《爪》よ。今、今お前は何と言った?』

「報告します、我が主。“奇跡”の娘の確保には失敗。

 現在は外部から侵入したと思しき協力者二名と共に、上層に潜伏していると思われます」

『それはいい、その協力者とやらは何だと?』

「竜です。二人の内の片方は。

 極めて高度な魔法の行使も確認しましたので、間違いないかと」

『馬鹿な!』

 

 この都市に、我が庭の内に、自分以外の竜が入り込んでいる。

 あり得ぬはずだと、マーレボルジェは思わず声を荒げる。

 

『竜? 竜だと?』

「はい、我が主。

 もう一人の男は、その戦闘力から竜に従う《爪》と判断致します」

『竜が《爪》まで連れて、私の都市に侵入したと?

 一体誰なのだ、ソイツは! 何たる不届きな!

 《大竜盟約(レヴァイアサンコード)》を忘れたとでも言うのかその愚か者は!?』

 

 苛立ちのままにマーレボルジェは叫ぶ。

 そう、それは本来あり得ぬことだ。

 この大陸を支配する、時代の覇者たる真竜たち。

 彼らの総意で結ばれた《大竜盟約》は、先の戦争での教訓が生み出したものだ。

 細かい決め事は多くあるが、大半はさほど重要ではない。

 その一番の目的は、『真竜同士の直接的な争いを禁じる』ことだ。

 盟約に参加した真竜、その全てから委託された魔力によって機能する大魔術。

 どれだけ強大な力を持つ真竜であろうと、《大竜盟約》に違反する行為を行うことは不可能だ。

 絶対に不可能なはずなのだ。

 

『《爪》を何らかの工作の為に送り込むならまだ分かる。

 だが真竜自身が、無断で他都市に侵入するなど《大竜盟約》に抵触するはずだ!』

「仰る通りかと、我が主」

『一体どうやった? 如何なる手を使って《盟約》をすり抜けた?

 いやそもそも、この北の鎮守を預かる私を害そうなどと考える不埒者はどこの誰だ!?』

 

 マーレボルジェの怒気は、物理的な圧力を伴って空間を震わせる。

 怒り狂う嵐を前にして揺るがないのは《爪》だけだ。

 見えない場所に控えている楽団や世話役は、ただ震えて身を低くするしかない。

 竜の怒りが自分を引き裂いてしまわぬよう、無力に祈りながら。

 

『誰だ? 一体どこの誰だ? あの愚鈍な《闘神》か?

 それとも私の宝石を味見したいなどとほざいていた《暴食》か?』

「我が主よ」

『《妖蛆》の淫売め、嫌がらせのためだけに《爪》まで連れて来たのか?

 それとも日和見を決め込む私に、《大公》閣下がとうとう業を煮やしたか……?』

「僅かではありますが、相手の姿を映像に記録しております」

『おぉ! 素晴らしいな我が《爪》よ! さぁ、それを早く私に見せてくれ!』

 

 ブツブツと心当たりの名を呟くマーレボルジェ。

 《爪》が相手の姿を記録していると聞くと、跳ねるように顔を向けた。

 主が促すのに従い、《爪》は装備に組み込まれている記録装置を起動させる。

 掲げた手のひらから細い光の線が走り、空中に映像を映し出した。

 そこに現れるのは、美しい金髪の少女の姿。

 マーレボルジェは息を呑んだ。

 未だかつて、これほどの『美』の体現を目にした事はない。

 単純に見た目だけの話ではない。

 機械によって記録された映像越しでも分かる程に、少女は『美』そのものだった。

 あり得ないと、マーレボルジェは言葉にせず繰り返す。

 

「如何でしょうか、我が主」

『……知らぬ』

「? 我が主?」

『知らぬぞ、私は知らぬ。誰だ? これは一体誰なのだ?』

 

 真竜の数も決して少なくはない。

 木っ端のような雑魚なら記憶してない可能性もある。

 が、これほどの『美しさ』を持つ相手を知らないはずがない。

 マーレボルジェは困惑しながらも、食い入るように映像の中の少女を見つめる。

 美しい。本当に美しいものは、美しいというしかない。

 自らも美を体現するマーレボルジェにとって、他者をそう思うのは本来屈辱のはずだ。

 だというのに、そのような不快感を微塵も感じない。何故だ?

 それは人間が大自然の美しさを前にして、妬みを抱くことなどないのと同じようで。

 

『……もしや、古竜か?』

 

 あり得ぬとは思いながらも、マーレボルジェはその可能性を呟いた。

 相手が真竜でないのなら、残る可能性はそれぐらいしかない。

 だが古の王は先の大戦で全て死に絶え、僅かな生き残りは冠を戴かぬ古竜だけ。

 その殆どが、真竜の目から逃れる為に隠れ住んでいるはず。

 どういう目的であれ、真竜の支配する都市に入り込むとは考え難いが……。

 

『……まさか』

 

 その時脳裏を過ったのは、一つの可能性だった。

 あり得ないはずの――しかし、あり得ないと諦めきれなかったモノ。

 マーレボルジェが、この最果ての地に居城を置いた最大の理由。

 

『まさか、いやまさか。だが、他に在り得ぬ……!』

「我が主……?」

 

 かつて経験した事のない激しい高揚に、マーレボルジェは身を震わせる。

 主の異変を感じ取った事で、《爪》も僅かながら困惑を見せた。

 しかしそんな些細なことは、今のマーレボルジェの眼中にはない。

 気付けばその口元からは、ダラダラと汚らしい涎が溢れ出していた。

 嗚呼、奇跡の娘を追っていたはずが、よもやこんな運命に出くわそうとは!

 

『は――ハハハハハッ! ヒヒヒヒッ、ギハハハハハハッ!!

 そうだ運命だ、これは運命だそうに違いない間違いないっ!!

 今さら巡り会えるなどと一体誰が思う!?』

 

 金剛石の瞳をギラギラと輝かせ、欲望に煮え滾った視線を少女の映像へと注ぐ。

 それは光が見せる幻に過ぎず、手を伸ばしても何も掴む事はない。

 それでもマーレボルジェは、何度も幻影の少女を手にしようと虚空を掴む。

 溢れ出る熱情が抑えきれないのだ。

 

『もう消えたと思っていた……!

 三千年の前から、誰もその影すら踏む事も出来なかったのだから!』

「我が主、一体何を……?」

『《()()()()》!!』

 

 マーレボルジェは感極まったとばかりに、とうとうその名を口にした。

 遥か神話の時代において、最も恐れられた者。

 その真名は口に出すのも憚られたが故に、数多の異名で呼ばれるようになった。

 《最強最古》という呼び名もその一つ。

 

『今まで幾度となく禁域である北の荒野を調べたが、何の成果も得られなかった!

 誰もが三千年前に貴方は消えたのだと結論した! それが、今――!!』

 

 叫ぶ。吼える。本能のままに。

 悪徳の王は滂沱の涙を流していた。

 夢にまで見た至上唯一の『価値』を前に、マーレボルジェは猛り狂う。

 

『この手が届く場所に、貴方がいる! これは運命だ! 天命だ!!

 どうやら我らが真竜にも、神なる御方がおわすらしい!!』

 

 ゲラゲラと汚い哄笑を撒き散らし、マーレボルジェは身勝手な欲望を吼え続ける。

 忠実なる《爪》は、そんな主の狂態を無感情に眺めるのみ。

 そして。

 

『――《爪》よ、私の最も愛する宝よ』

「はい、我が主」

『お前は私の為なら何でも出来るな?』

「はい、我が主。貴方が望むことならば、それが何であろうと」

 

 暗く、陰惨な響きを秘めた主人の問いに。

 忠実なる《爪》は欠片の迷いも無くそう答えた。

 無感情に、無機質に。

 上辺だけの感情の残滓はあっても、そこには僅かな心さえなかった。

 望む通りの答えに、マーレボルジェは満足げに笑う。

 醜悪な本性を見せかけの輝きで飾り立てた、それは毒々しい笑顔だった。

 

『奇跡の娘は当然として、あの麗しき最古の姫君も必ずや我が物とするぞ』

「はい、我が主」

『その為ならば、それ以外の全てを犠牲にして良いと思っている』

「はい、我が主」

『例えばこの都市の全て。

 支配者たる私が使い潰して、悪い道理など何処にもあるまい?』

「貴方の仰る通りです、我が主」

『そうだろう。私が正しい。私は真なる竜(トゥルードラゴン)が一柱。

 勝利者たる私は常に正しいのだ』

 

 果てしなく傲岸に、不遜に。

 マーレボルジェは笑い、そして天を仰ぎ見た。

 監獄のように塞がれた天井も、支配者にとっては容易く破れる卵の殻だ。

 この庭も都合の良い場所だったが、こうなれば使い捨てるのに欠片の躊躇もない。

 わざわざこんな辺境に領域(レルム)を築いた努力も、これで報われるというものだ。

 

『――天よ、地よ。そして愚昧なる同胞どもよ。

 指を咥えて見ているがいい』

 

 両の手を広げ、全てに届けとばかりにマーレボルジェは歌う。

 己の運命を賛美する、自己愛の詩を。

 

『私は必ずや、この世で二つと無き至上の神宝を手に入れてみせよう。

 それこそが我が欲望、我が望みの果てである』

 

 笑う。笑う。嘲笑う。

 悪徳の王は、自ら以外のあらゆるものを嘲笑う。

 

『そして私は掴み取る。

 全ての真竜の頂点――千乗万騎を従える至尊の御座をなァ!!』

 

 笑う。笑う。けたたましく笑う。

 悪徳の王は、思い描く未来図を少しも疑わない。

 上には上がいるという、この世界の残酷な原理(システム)

 真竜たるマーレボルジェもその例外ではなく、それは当人も理解していた。

 だからこそ昂る。滾る。

 《最強最古》の価値を我が物としたなら、どれほどの高みに辿り着けるのか。

 至尊の御座も決して戯言ではないのだ。

 

『さぁ、その為にも働いて貰うぞ。我が《爪》よ』

「はい、私はその為に存在しています。我が主」

『そうだろう。そうだろうとも』

 

 興奮冷めやらぬ様子で、マーレボルジェはニタリと表情を歪ませる。

 映像からも姫君が弱っているのは見て取れたが、それだけで侮るのは愚の骨頂だ。

 何せかつての《最強最古》、どんな悪辣な手札を持っているかも分からない。

 こちらも使えるモノは全て使う必要があるだろう。

 

『《爪》よ、我が愛しき宝よ』

「はい、我が主」

『以前に言ったな? 私は飽きるまでお前を愛してやると』

「はい、我が主」

『今もその思いは変わらんよ、愛しき《爪》よ。だから――』

 

 ベロリと、真っ赤な舌で唇を舐めて。

 マーレボルジェは、己の《爪》に甘やかに囁きかけた。

 

『どうか最後の瞬間まで、私が愛する《爪》でいておくれ。

 そうすればお前を捨て去るその時に、私は狂おしいまでの喜びを得られるだろう』

「はい。仰せの侭に、我が主」

 

 自分を使い捨てると宣言した主人にも、《爪》の態度が変わる事はなかった。

 どこまでも透明なまま、命ぜられた言葉だけを受け入れる。

 

『ハハハ、宜しい! さて――何百年ぶりかの「宴」だ。

 出来るだけ華やかなものになるように、準備をしなければな』

 

 そう呟いて、マーレボルジェは来るべき未来に思いを馳せる。

 きっと愉快な『宴』になる事だろう。

 いっぱいの食材と宝石を並べて、それらで最も美しい宝を飾り立てて。

 その全てを自分が喰らい尽くす瞬間を、マーレボルジェはうっとりと夢想する。

 

『嗚呼、必ず。必ずや貴方を私のモノにしてみせましょうぞ。

 全ての竜で最も古く、最も偉大なる御方――()()()()()()()()()()

 

 マーレボルジェの声はどこまでも熱く、煮え滾るヘドロのように腐っていた。


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