第十二話:日陰者の流儀
全身を浮遊感が包み込む。
空を飛んだ時とは、また異なる感覚だった。
自分自身が全てあやふやになってしまったかのような頼りなさ。
だがそれもすぐに消え、足の裏に硬い地面が触れる。
同時に――いや微妙に遅れて、重さも帰ってきた。
何度か足元を踏み締めて確認してから、ゆっくりと目を開く。
「……おぉ」
驚きのあまり、つい間抜けな声が漏れてしまった。
隣いるイーリスも同じ様子で、何度も周囲を見回している。
ただ一人、アウローラだけが余裕の笑みを浮かべていた。
「どう? この辺りで間違いないかしら」
そう言って彼女は目の前を――多くの人々が行き交う通りを示した。
ついさっきまで、俺たちは迷路の真ん中にこさえた隠れ家にいたはずだった。
しかしアウローラがイーリスの手に触れて、何事かを呟いたと思ったらこの有様だ。
ここまでに何度も、アウローラが起こす不可思議には驚かされてきた。
その中でも、今回は特に極めつけだ。
イーリスなど、驚きが過ぎて目を白黒させてしまっていた。
「すげェ……一体、何したんだ?」
「《空間転移》を使っただけよ。ホントは目的地に直接飛ぶこともできたけど。
それだと流石に面倒かと思って、少し座標をズラして人気のない場所にしたわ」
アウローラが言う通り、俺たちがいるのは大きな通りが見える細い路地の一つ。
地面には色々なゴミが転がっていて、お世辞にも清潔とは言い難い。
逆にそれは、ここには人の営みがあることを示していた。
「場所は――あぁ、問題ない。あの通りの向こうに、クライブの野郎の店がある」
まだ落ち着いたわけではないようだが、イーリスはそう言って目的地を指差す。
そちらへ視線を向ければ、確かに大きな建物が一つあった。
何だか良く分からない、ピカピカ光る装飾が大量に付いた奇抜なデザイン。
あんまり見てると目がチカチカしそうだな。
恐らく看板らしき物にも、同じように光る文字が描かれていた。
見辛いが、『ヘッドクラッシュ』という店名だけは何とか読み取れた。
「脳天割られんの?」
「無駄に度数の強い酒が売り物なんだよ。
あんなもん、クライブ含めた一部の馬鹿客しか呑まねェけど」
頭が割れる程に強い酒を出すわけかぁ、なるほど。
「……ふむ」
見る。目覚めてから初めて、他に人のいる場所に来たが。
少なくとも、その光景は俺が知るどんな街の様子とも異なるものだった。
無数に踊る色とりどりの光に、殆ど隙間なく敷き詰められた見慣れない建物。
多くの店は俺の知らない何かを商い、時に例の鉄の塊――銃を突きつけ、脅し合う光景も見られる。
俺が死ぬ前とはまったく違う、今の時代の街の姿。
だがそこにあるもの全て、知らないモノというわけでもなかった。
見たこともない、けれど襤褸に近い恰好をした人間が、くたびれた様子で道を歩く。
中にはもっとみすぼらしい風体の者が、道の端に座って物乞いをしていた。
力と余裕のある者だけが、自信たっぷりの肩で風を切っている。
生きる人間の雑多な活気と、諦めた者の虚無感が綯交ぜになった場所。
それは確かに、俺が知っている『人の街』だった。
やはり時代がどれだけ変わっても、変わらないモノはあるらしい。
「……ねぇ、大丈夫? ボーっとしてるようだけど」
「ん? あぁ、悪い。ちょっと街の様子を見てた」
気が付くと、すぐ傍でアウローラが心配そうにこちらを見上げていた。
ついつい見入ってしまっていて、気付くのが遅れたな。
それを詫びようと、軽く頭を撫でてやる。
「全然知らんモノがいっぱいで珍しくもあり――デカい街は大体こんな空気だったな、と。
何かちょっと懐かしい気持ちになってたんだ。悪いな」
「それは別に構わないけど……」
「……見てて面白いモンでもないだろ、こんな街」
心配性なアウローラを宥めていると、イーリスが小さく呟いた。
その視線が向いた先は、目の前にある混沌とした街の風景。
声に込められた感情は、酷く複雑なモノに思える。
「こんな地の底みたいな場所に押し込められて、どいつもこいつも腐った臭いを漂わせてやがる。
生きてるか死んでるかも分からない状態で、上からのお零れを漁って何とか食い繋いでる」
「…………」
それは果たして、誰に向けられた言葉なのか。
恐らくはイーリス本人も分かってはいないだろう。
単純に現状への怒りと不満を、吐き出さずにはいられないだけか。
まぁ、俺から言えることは一つぐらいで。
「生きて死ぬのは、それがどんな場所でも同じことだろうからな。
なるようにしかならんし、やれることをやればいいだろ」
できるか否かは別にして、そうすることだけは誰にだって同じ話だと思う。
幸運に恵まれて生きるのも、理不尽に死ぬのも。
誰でも普通なことかもしれないし、逆に特別なことかもしれない。
俺自身、難しい話は良く分からない。
だったら生きてる内に、やれることをやるのが一番だ。
「……お前、結構深いことを考えてんのか、それとも馬鹿なのか、良く分からんな」
「そうかぁ?」
別に頭は良くないので、単純に生きることを心掛けているつもりだな。
愚痴も吐いて気も晴れたか、イーリスは改めて目的地に目を向ける。
趣味の悪い装飾のせいで分かりづらいが、一つだけ付いた分厚い金属製の扉が入り口のようだ。
「裏から忍び込む手もあるが、どうせ警報もある。
解除の手間かけるより、正面から踏み込もうと思ってるが異論あるか?」
「分かりやすいのが一番だな」
「ええ、どっち道手荒くするのだから、お行儀よくする必要ないんじゃない?」
意見は綺麗に一致したようだ。大変素晴らしい。
「そういえば、この甲冑だとやっぱり目立ったりするか?」
「まぁ目立ちはするだろうが、そこまで奇抜だと逆に傾いてると思われてファッション扱いだろ。
少なくとも騒ぎになるような事はないから、堂々としてりゃいい」
「なるほどなぁ」
普通、全身甲冑で帯剣までして街をぶらついたら衛兵を呼ばれるものだが。
時代が変われば常識も変わるわけだ。
「それじゃ、さっさと済ませましょうか?」
「おう」
アウローラに促され、こっちが先に歩き出した。
淑女二人が付いて来やすいように、通りの人の波を掻き分ける。
ぶつかって多少迷惑そうな顔をする者もいるが、こっちのナリを見ると黙って行ってくれた。
イーリスの言う通り、武装を見て騒ぐような輩はいないようだ。
「……ま、武装っつったら普通は銃器だからな。
今時鎧と剣で武装してますとか、そんなことを言う奴は頭の病気か薬のヤり過ぎ扱いだわ」
「うーん、ありがたがるべきか悩むところだ」
「楽でいいじゃない。本命前に小競り合いとか面倒だわ」
そう笑うのは、目立つという意味では多分この中で一番目立つアウローラだ。
当たり前の話だが、かなり通行人の目線を集めてる気がする。
なので一応、安全対策にその手を軽く引いておいた。
彼女の方は意図が分からず一瞬きょとんとしたが、手を繋ぐこと自体は嫌ではなかったらしい。
素直について来るアウローラと、少し遅れて来たイーリス。
二人の淑女と共に、俺は目的地の前に立った。
響いて来る喧騒からして、中にはそれなりの人数がいるようだ。
「入っていいか?」
「あぁ、どうせなら派手にやろうぜ」
「おう」
どの道そのつもりだったが、イーリスからの許可も出た。
なので、そのまま扉を蹴破る事にした。
思いっ切り蹴りを叩き込むと、派手な音と共に扉が拉げて折れる。
そしてガラガラと音を立てながら、店の床へと転がり落ちた。
漂ってくるのは煙と酒、後は甘ったるい何か混ぜ合わせた臭い。
甘いのは多分薬か何かだろう。嗅いでいて、あまり気分の良いものではない。
弱い明かりで照らし出された店内は、一瞬前までの喧騒など嘘のように静まり返っていた。
その沈黙の中を、視線を巡らせて観察する。
乱雑に並べられたテーブルと椅子。掃除が不十分で薄汚れた壁と床。
奥には幾つもの酒瓶が置かれた棚がある――が、当然全て見た事のない銘柄だ。
この時代の酒には少し興味はあるが、今は置いておく。
見たところ、店内にいる人間の数は十人ちょっと。客だか店員だかは知らないが。
驚いて呆けた顔をしている者に、険しい顔で身構えている者など反応も様々だ。
さて、お目当ての相手は――?
「クライブ! おいこの玉無し野郎、とっとと顔出したらどうだ!?」
「……まさかノコノコと顔出しに来るとはなぁ、イーリス。
まったく、お前はとんだ間抜け女だよ」
敵意を込めて叫ぶイーリスに、男のだみ声が店の奥から応じて来た。
のっそりと姿を現したのは、髭面の良く肥えた中年男。
その背後には、なかなか鍛えられた男の部下二人を連れている。
見た感じ、後ろの二人は装甲の付いた服や銃とやらで武装しているようだ。
太った中年男――目標のクライブは、だらしなく着崩した格好で余裕の表情を見せていた。
「もうちょっと賢いと思ったんだが、所詮はドブネズミか。
《鱗》の追跡から逃げ切ったって聞いた時は、ちょいと肝を冷やしたけどな」
「仕返しされるとビビったか? 信用商売じゃなかったのかよ、あ?」
「テメェの首に懸かった賞金の額を知ったら、お前もきっと自分で自分の首を切り落とすぜ」
ニヤつくクライブに、イーリスは懐から取り出した銃を突きつける。
それに対し、二人組の男も素早く反応した。
向こうもそれぞれ銃を構えて、イーリスと一緒にいる俺たちの方にも狙いを付ける。
成る程、それなりに使える部下を抱えているようだ。
「……なぁクライブ、オレも鬼じゃない。テメェもテメェの事情があったろうさ。
だからこっちの要求に素直に応じるんだったら、この場は見逃してやっても良いぜ」
「ハッ! 何を言い出すかと思えば、随分お優しいじゃねぇか。
で? その要求ってのは? お優しいイーリスの免じて、聞くだけ聞いてやろうじゃねぇかよ」
「中層へ入る為のルートを教えろよ。当然知ってるんだろ?」
一瞬、クライブは何を言われたか理解できなかったらしい。
目を数度瞬いてから、堪え切れない様子で吹き出す。
「なっ、お前、何を言い出すかと思ったら……中層へ? 入る為のルート?
オイオイオイオイ、お前みたいな馬鹿女がそんなもん聞いてどうするつもりだっ?」
「テメェにゃ関係ねェだろ。教えるのか、教えないのか」
「……ガキが」
あくまで強気の態度を崩さぬイーリスに苛ついて来たか。
嘲るように笑っていたクライブの表情は、一転して怒りと敵意に歪んだ。
ガリガリと薄い頭を掻き、腫れたミミズのような指を突き付けて。
「いいか、テメェなんぞが『上』を目指したって何にもできやしねェんだよ。
《鱗》からちょっと逃げたぐらいで調子に乗ってるようだが……」
「ハゲた豚の御高説なんてこっちは聞いてねェよ。
こっちの話をちゃんと聞いてたか? それとも耳まで腐っちまったか」
垂れ流されるクライブの戯言を、イーリスはバッサリと切って捨てる。
そうしてから一言一言、噛んで含めるように。
「教えるのか、教えないのか。お前が選ばなきゃならんのは、それだけなんだよ。
分かったか? ブ・タ・野・郎」
「下手に出てりゃあ付け上がりやがって……!」
よっぽど気にしていたのか、イーリスの罵倒は覿面に効いたらしい。
顔を怒りで真っ赤にしながら、クライブは片手を振り上げる。
「イカれた格好のお友達が出来て気が大きくなったか知らねェがよ!
舐めたクチ聞いた事を後悔させてやるよ!!」
相変わらず、クライブという男は自分の絶対的優位を確信しているようだった。
なので。
「もういいよな?」
「ええ、退屈で欠伸を噛み殺すのが大変だったわ」
ホントに眠そうなアウローラの横で、俺は鞘から剣を抜き放った。
それで先ず、後ろの方で銃を構えようとした客――いや、客に扮したクライブの部下を斬る。
店に入った段階で当たりを付けていたが、どうやら外れではなかったらしい。
「は……?」
最初から、踏み込んでくる可能性を考慮しての罠だったのだろう。
客に紛れ込ませた部下の一人がいきなり死んだことで、クライブは間抜けな声を漏らした。
「……誰が後悔するんだ? なぁ、クライブ」
イーリスはもう大分慣れたようで、実に落ち着いた態度だ。
他のクライブの部下達は動揺こそ見えるが、同時に警戒を強めた様子で銃を構え直す。
つまり、ここからが本番だ。
「よし、関係ない奴と死にたくない奴はさっさと外に出ろよ」
襲撃した側の一応の礼儀作法として、一言だけ警告は飛ばしておく。
これを聞いた上で、まだこの場に留まるようなら仕方がない。
「っ……殺せ! その頭の悪い鎧を着た男を殺せ! 金は後で言い値で払ってやる!」
「お、言ったな?」
俺の頭が悪いのは事実だし、この時代に甲冑姿が奇抜なのもまぁ理解したが。
だからと言って、アウローラが用立てた鎧を馬鹿にされるのはなかなかトサカに来る。
「死なない程度に殺してやるよ、クライブ!」
俺の気持ちをしっかり代弁する言葉を、イーリスの方が吐いてくれた。
なので俺は心置きなく、剣を片手に襲い掛かった。




