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悪役令嬢シリーズ

悪役令嬢は、彼女だけは階段から突き落とせない

彼女は階段の前に立っていた。


少女は、すぐ背後に立つ私の気配に気づいたらしい。


「リーゼロッテ様――?」


あどけない少女が振り返る。

私はニヤリと唇を歪めた。


私の目に、少女の目が何かの危険を感じ取った、次の瞬間。

私は彼女を思い切り突き飛ばした。


「あ……」


声を上げながら、ロレッタは虚空に身を躍らせた。


振り返りながら、ロレッタは私を驚愕の表情で見つめる。

ロレッタの目に私の凍りついた顔が写った気がした。

そのままロレッタは体を崩し――。

階段を転げ落ちて――。


「ふんッ!」


転げ落ちて――ゆかなかった。


体勢を崩したロレッタは身を捩ると、空中で一回転してみせた。


「うぇ――?」


私が驚愕に目を見開いた瞬間。

ロレッタは空中で膝を抱え――。

くるくると前転の要領で回転すると――。


スタッ! という、小気味よい音とともに、階段の踊り場に着地した。


「え?」


私の目が点になった。

えっ……何、今の?


階下にいて事態を見ていた令息令嬢たちが呆気にとられてその様を見ていた。

なにかのパフォーマンスだとでも思ったのだろうか。

その目はまさに空中ブランコを決めるピエロを見る目つきだ。


そこに、人混みを掻き分けて走ってきた人物がいる。

美しく輝く金髪の髪に、白を基調とした服装。

この王国の王太子、スコット王子だ。


「お、おい大丈夫か、君!」


スコット王子が駆け寄ると、ロレッタは振り返って言った。


「え? えぇ大丈夫です! ちゃんと着地しましたから!」

「え?」


スコット王子が呆気にとられたような表情で言った。


「着地ってなんだい? 捻挫は?」

「大丈夫です! 怪我ひとつしませんでした!」

「えぇ……?」


スコット王子は呆気にとられてロレッタを見ている。

「では、私はこれで」というなり、ロレッタはどこかへと走り去っていってしまった。


「なんですの、今のは……?」


私は階段の上でひとりごちた。

完全に肩透かしを喰らわせられたスコット王子は、駆けてゆくロレッタの背中を呆然と見ていた。



『スコット王子:大丈夫か、君!』

『ロレッタ:え? えぇ大丈夫です! ちゃんと着地しましたから!』

『スコット王子:え? 着地ってなんだい? 捻挫は?』

『ロレッタ:大丈夫です! 怪我ひとつしませんでした!』

『スコット王子:えぇ……?』



「ダメだ……完全に乙女ゲームとして有り得ないシーンになってますわ……」


iPhoneを握りながら、公爵令嬢の私――リーゼロッテ・グローリーデイズは頭を抱えた。


私が今プレイしているこのゲームこそ、この世界の元となっている乙女ソーシャルゲーム《ミエナイチカラ 〜INVISIBLE LOVE〜》である。


ちなみにこのギリギリチョップ魔法学院に入学する人間は、全てこのゲームの登場キャラクターである。


私たちは全員、剣と魔法の世界での疑似恋愛を楽むべくこのゲームをプレイするプレイヤーたちの行動通りに動き、あるものは彼女と恋愛し、またあるものは彼女と敵対し、一時の娯楽を与えるために創られた存在である。


そこでの私、リーゼロッテ・グローリーデイズは、いわゆる悪役令嬢だ。

プレイヤーキャラクターである少女、ロレッタ・ウルトラソウルをいびるのが仕事である。


王子であるスコット王子の婚約者であることを鼻にかけ。


平民であるロレッタを卑しい存在だと嗤い。


五人いる各攻略可能キャラクターとの恋路を邪魔し。


エンディング後半では黒魔法で魔物化し、ロレッタを殺そうとすらする。


だが真実の愛に気づいた攻略対象キャラクターはロレッタと協力し、黒魔法によって怪物化したリーゼロッテを打ち破る。


そして最後にリーゼロッテはロレッタに対する数々の罪を暴かれ、スコット王子からの婚約も破棄され、国外追放される――。


それがこのゲームの筋書きなのであった。


しかし――スコット王子ルートで、この『階段落ち』イベントが発生したプレイヤーたちは、今頃呆気にとられていることだろう。

何しろ、悪役令嬢に突き落とされたはずの主人公が、階段を転げ落ちるどころか、ウルトラCの着地を決めてみせたのだから。


「だいたい何ですの、スコット王子……『え? 捻挫は?』ってロレッタに訊いてしまってるじゃないの……これじゃロレッタが階段から突き落とされて捻挫すること知ってたみたいですわ……」


私はポチポチとiPhoneを操作しながら愚痴った。

まぁスコット王子の気持ちはわからんでもないのだが。

それにしても思わず素になっているスコット王子は情けなかった。

今まで何万何千何百のロレッタに愛を囁いてきた男とは思えない素の戻り方である。


普通、階段から突き落とされたら無事では済まない。

大概は捻挫か骨折かするはめになる。

このイベントもその通りだ。

悪役令嬢に突き落とされたロレッタは階段を転げ落ち、捻挫する――。

これは最初からそういうイベントなのだ。


だから私はこれまで、何十何百何千回とロレッタを階段から突き落としてきた。

悪役令嬢たる私はいわば主人公を階段から突き落とすプロなのだ。

だから私は殺さぬよう、かと言って無傷でもいられないよう、絶妙の力加減でロレッタを突き落とす。

今までの『ロレッタ』はみんなみんな落ちてくれた。

そして階段の下でうずくまって、捻挫してくれた。

そして駆けつけたスコット王子にお姫様抱っこされて、医務室に連れて行かれて――。

それがこのゲームの、スコット王子ルートでのお互いのファーストコンタクトとなるのである。


しかし――今回突き落とした『ロレッタ』は怪我ひとつしなかった。

それどころか、綺麗な放物線を描き、見事な着地を決めてみせたのだ。

栄光への架け橋――そんな言葉を思い出すほどに美しく。


「なんですわのこれ……バグかしら?」


訝りながら、私は《ミエナイチカラ 〜INVISIBLE LOVE〜》のイベント直前のセーブデータをロードし直してみた。


やがて、イベント直前まで来た。

画面に、階段から突き落とされるロレッタのスチル絵が大写しになる。

そして気配を感じたロレッタが振り返ろうとした次の瞬間。

私が悪魔の微笑とともにロレッタの背中を突き飛ばす。


「よし、今回の突き落としはやっぱり上出来ですわね……!」


悪魔の微笑を浮かべる自分のスチル絵を見て私は頷いた。

カメラワーク、照明の当てられ方、編集の仕方、全てが完璧だった。

何よりも、今回の突き落としはいつもよりも勢いがあった。

これならロレッタは景気よく階段を転がり落ちてくれたことだろう。


だが、やはりその先の展開はやはり違っていた。

ロレッタは差分絵の中でくるっと一回転し。

見事に着地を決めてみせる。


私は嘆息した。


バグではない。明らかにスチル絵が増えている。

一体これはどういうことなのだろう。


そういう風なイベントにする追加パッチでも配布されたのだろうか。

でもおかしい、近頃運営さんからの追加パッチ配布の連絡は来ていないはず……。


私の部屋には『運営からの情報』と書かれた書類棚がある。

私がごそごそと書類棚のあたりを探っていたそのとき、iPhoneが鳴った。

見ると現時点では私の婚約者であるスコット王子からの連絡だった。



【ねぇ、今日のあのイベントだけど、彼女はどうしたのかな?】



やっぱり、スコット王子も昼間のロレッタの行動が気になっているようだ。

私は素早く返信した。



【やはり、殿下にも運営さんから追加パッチとかの連絡は来ていませんのね?】

【そんな追加パッチ来るわけないだろう】

【ですわよね。有り得ませんわね】

【彼女との医務室イベント起きなかったんだけどいいのかな?】

【さぁ】

【このままだとロレッタ、僕ルートのトゥルーエンドに向かわないけど大丈夫?】

【私に聞かれましても……】

【後で運営さんに確認する必要があるね】



その連絡を最後に、私はiPhoneの画面の電源を落とした。

まぁ、そのうち運営さんから今回の件についてのアナウンスがあるだろう……。

そう安心することにして、私はごそごそとベッドに潜り込んだ。

明日も一日中悪役令嬢をしなければならないのだ。



やはり、今回のロレッタはおかしい――。

私だけでなく、このギリギリチョップ魔法学院のほとんどがそう思い始めるまで、一週間とかからなかった。


何しろ、彼女は攻略可能キャラクターの全員にフラグを立てようとしないのである。

いや、フラグと思われる行動はいくつか取っているのだが、それが安定しないのだ。


「おい……いいのかな、ロレッタのやつ。今回はなんかヘンだぞ」


このゲームの攻略可能キャラクターの一人、コンラッド・ラブファントムが不安そうに言ってきた。

学食で一緒に食事をしていた私とスコット王子はコンラッドに訊ねた。


「何がです? コンラッド様?」

「俺さ、ほら最初の方に魔法訓練イベントあるだろ? そこでロレッタに言われちゃったんだよ。『突然ですけど、魔法特訓は今日で終わりにしましょう』って」

「えぇ? 本当かい?」

「嘘なんかついてない。その代わりアイツ、『苦手な魔法を特訓するよりも、コンラッド様は体術とか、剣術とか、身体を動かしている時のほうがよほど素敵ですよ』なんて言って笑うんだよ」

「それは……反応に困りますわね……」


魔法特訓イベントとは、コンラッドルートで発生するごく初期のイベントである。


魔法が苦手で赤点を取りそうなコンラッドのために、平民でありながら優れた魔法の才能を持つロレッタが、彼に秘密裏に魔法の勉強を特訓してやるイベントがある。

神であるプレイヤーに、貴族でありながら平民の少女相手に平身低頭し、真摯に魔法を学ぼうとするコンラッド様の気さくさや真面目さをさり気なく説明するためのイベント。

同時に、彼のために懸命に頑張って魔法の特訓に付き合ってくれるロレッタを見て、コンラッドはロレッタの一途さを知る――それがこのルートの役割だ。


さらに重要なのはストーリー後半だ。

黒魔法で怪物化し、ロレッタを亡き者にしようとする私・リーゼロッテを、コンラッドとロレッタが破壊魔法で打ち破る展開があるのだ。

つまりこのイベントはコンラッドルートにおける重大な伏線なのだ。

これがなければトゥルーエンドに到達するどころか、ストーリーの進行自体が止まってしまうことになる。


なのに――ロレッタはあろうことかコンラッド様との秘密の特訓を打ち切ってしまったのだという。


コンラッドは不安そうに言った。


「なんか、いいのかな、ってさ。せっかくフラグ立ったってのに、途中でやめちまうなんて……これじゃあ俺ルートはもう無理だぜ。スコット、お前ルートは?」

「僕もこの間、医務室イベントが上手く行かなかったな……彼女、階段転げ落ちなかったし」

「そうそう、アレすごかったよな。リーゼロッテ、お前はどう思う?」

「確かに……魔法訓練イベントはコンラッド様ルートでの重大な伏線ですものね。今回のロレッタ、なんだかちょっと様子がおかしいのは私も同意しますわ」

「だよなぁ……」

「それよりコンラッド、君の方も大丈夫なのかい?」


スコット王子に訊ねられ、「へっ?」とコンラッドが驚いた表情を浮かべた。


「君、このイベントが発生しないと破壊魔法学は赤点になるんだろう? 考査は半月後だぞ、大丈夫なのかい?」


そう言われたコンラッド様の表情が、徐々に青くなっていった。


「そ、そんなことに……なるのかな」

「なるんじゃないのかい? だって魔法特訓しないんだし。今からでも勉強したほうがいいんじゃ……」


そう言われたコンラッド様は狼狽えたように学食の椅子から腰を浮かせた。


「や、やべ……俺こんな事してる場合じゃねぇかも。悪い、邪魔したわ」


コンラッドが浮足立って学食を出ていった。

私とスコット王子は、困惑した表情で顔を見合わせた。



私はタイミングを見計らいながら扇子を取り出した。

それが作戦開始の合図である。


「ねぇ、そこの平民の子。ロレッタとか言ったかしらね?」


私が棘のある声で凄むと、学院のベンチで本を読んでいたロレッタが顔を上げた。


「はい?」

「あなた、近頃私の婚約者であるスコット王子と随分仲良くしてらっしゃるようね? 正直、平民の分際で何様のつもりでいるのかしら?」


取り巻き役の貴族令嬢たちも同意するように鼻を鳴らした。

よし、今回の脅迫イベントはなかなか上手く行っている。

内心ほくそ笑みながら、ちら、と横の方を見た。


目だけで、スコット王子に合図する。

物陰に隠れたスコット王子が頷いた。

彼が出てくるタイミングがこのイベントの肝である。


「あ・ま・り、調子に乗ってスコット王子に色目を使っていると、この公爵令嬢、リーゼロッテ・グローリーデイズの勘気を被ることになりますわよ――?」


ここまでは完璧である。


このイベントの名は通称『対峙』イベント。

スコット王子ルートで、ロレッタに対するスコット王子の好感度が一定数を超えた場合に必ず発生する、突発イベントである。


ここで悪役令嬢たるリーゼロッテは、公爵令嬢としての権力をチラつかせてロレッタに身を引くよう迫る。

既にスコット王子のことが気になりだしているロレッタは当然反発する。

思わぬ反撃を喰らったリーゼロッテは嫉妬と怒りの余り彼女をなじる。

そこにスコット王子が駆けつけ、リーゼロッテの行いを非難する。

あたふたとまごつくリーゼロッテを放置し、スコット王子は彼女の手を引いて颯爽とその場を後にする。


取り巻きの令嬢、そして婚約者。

その二つの存在の前で恥をかかされたリーゼロッテは、今までにも増して激しくロレッタを憎むようになる。

それはいわば悪役令嬢最大の見せ場――絶対に失敗が許されないシーンであった。


だが、ロレッタは――というと、何の変化もなかった。

何を言ってるんだろう? というような、本気で真意を掴みかねている顔だ。


後ろの取り巻き令嬢たちが戸惑い始めた。

通常であればここで「色目なんか使ってません! 私はただスコット殿下を――!」といきり立ったロレッタがリーゼロッテに喰ってかかるのである。


だが――いつまで経ってもロレッタが反応する気配はない。

慌てて、私はロレッタの反応を待たずに次の台詞を言った。


「あっ、あなたがスコット王子と釣り合うつもり? はっ、馬鹿な平民ね、身の程を知りなさい! ただ特例で学院に入学できたからって、夢を見るのも大概に――!」

「あの……私、スコット殿下のこと、別に好きじゃないんですけど……」


は!? と、私だけでなく、取り巻きの令嬢たちも声を上げた。

ロレッタは戸惑った顔で私を見て、更に信じられないことを言った。


「それに私――別にお付き合いを考えてる方がいますし……なにかの間違いでは?」


その時の私たちは。

きっと物凄く間抜けな顔をしていたと思う。

そして出番を待っていたスコット王子も。

きっときっと、とんでもない顔をしていたに違いない。


と、そのときだった。

「あ、いたいた!」という声とともにやってきた青年がいた。


見ると――学食の給仕の青年である。

彼はさっさとロレッタに駆け寄ると、「ごめんごめん、待った?」と実に気さくに話しかけた。


「いいえ、そんなに待ってないわ」

「あぁよかった! ……ん? このご令嬢たちは?」


ご令嬢たちは? と言われて、私たちは戸惑った。

取り巻きの令嬢たちとなんと言おうか視線を交錯させていると、青年がおずおずと言った。


「あの……僕らこれから学外に遊びに行くんです。もういいですか?」

「あ、は、はい。お引き止めしてすみませんでした……」


あまりにあっけらかんと言われて、私は思わず素に戻って言ってしまった。

青年は不審そうに私たちを見ると、ロレッタの手を引いて「行こうか」といい、どこかへ歩いて行ってしまった。


取り巻きの令嬢たちが一斉に話し始めた。


「い、今のは……?」

「付き合ってる、って言ってましたわね……」

「っていうか、付き合ってますわねアレは」

「あの殿方って誰かしら?」

「学食の給仕さんよ」

「ってことは、貴族どころか生徒ですらない?」

「モブですわね」

「こんなことありえますの?」


おいおいおい、一体何が起こってるんですの?

プレイヤーキャラクターが攻略対象を攻略しようとしない?

しかももう他の誰かと付き合ってる?

しかもその相手が、名前どころか、名前・立ち絵・CVそのすべてがない、全くのモブとは。


このゲームの基本理念が崩れかねないことだった。

ここでロレッタが彼と付き合ってしまっているとしたら。

それはもう、トゥルーエンドにもバッドエンドにもなりはしない。


「一体何が起こってますの……一体、何が……?」


私は去ってゆくロレッタの背中を消えるまで眺め続けた。



「ねぇ、ちょっとよろしいかしら?」


ロレッタは例によって、学院のベンチで本を読んでいた。

ロレッタは私の顔を見ると「あ、この間の……」と声を上げた。


「あの、まだなにか?」

「え? あ、いやいや、違うのよ。今回はちょっと貴方とお話したいと思ってここに来ましたの。隣よろしいかしら?」

「はい、どうぞ」


私はギリギリ、悪役令嬢としての体面が保てる口調で言った。

敵意がないことをわかってくれたのだろう。

ロレッタはにこにこと尻をにじってスペースを開けてくれた。


ベンチに座った私は、なんと言おうか迷って、空を仰いだ。


「あなたは何? 一体何者?」――これは違う。

「どうしてあなたはスコット殿下のことを愛さないの?」――これも違う。

「あなたのせいでこのゲームはメチャクチャなのよ」――これは一番違う。


うーん、あー、と私が思い悩んでいるのを見て。

ロレッタが言った。


「あの……もしかして、この間のことでしょうか?」


私はロレッタを見た。


「あ、そうそう……その事、と言いましょうか、なんと言いましょうか……!」

「私がスコット王子と付き合ってるとかないとか」

「そ、そうそう! その事、なんですれけど……ううーん……」

「あの、リーゼロッテ様」


ロレッタは遠慮がちに私に話しかけた。


「もしかして――私がスコット王子とフラグ立てないこと、怒ってらっしゃいます?」


直球の逆質問が――思わず彼女から放たれた。

私は思わず彼女の顔をまじまじと眺めてしまった。

その表情をイエスと受け取ったのか、ロレッタは、あはは……と笑った。


「すっ、すみません。皆さんなんだか必死になって私とスコット殿下やコンラッド様と私をくっつけようとしてくれてたみたいで……ご期待に添えずにガッカリさせちゃいましたね」


私は首を振った。


「い、いや! そういうことじゃありませんわ! ただ……」

「どうして私がこのゲームのストーリーと違う行動を取るのか、ですよね?」


私が何を言わんとしているのか、完璧に理解した先回りだった。

ロレッタは困ったように笑った。


「私、実はこのゲームの世界の人間じゃないんですよ。いわゆる元人間、ってやつなんです」


私はあんぐりと口を開けた。


「は――? 人間?」

「そう、人間なんです。本当は人間だった頃の名前もあるんですけど……言わないほうがいいですよね」

「そ、それはどういう……」

「私にもわかりません。私は気づいたらロレッタ・ウルトラソウルになってたんです」


理解できないでいる私に、ロレッタは説明した。


元々、自分は人間だったこと。

前世は身体が弱くて、一度も病院の外で暮らしたことがないこと。

体感時間では数年前、治療の甲斐なく病院で死んだこと。

そして気がついたらロレッタという少女になっていたこと。

魔法の才を見込まれ、平民でこの学院に入学してきたこと。


にわかには信じられない話だった。

なにしろ、人間は私たちにとっては神である。

私たちはその神の意思の通りに創られ、その意思の通り動く。

それが私たちの存在理由の全てなのである。


ロレッタは言った。


「私、ずっと考えてたんです。もし生まれ変わることがあるなら、今度は絶対自由に生きようって。好きなところに行って、好きな存在になって、自分が心から想える人のことを好きになろうって――そしたら私はロレッタになれた。だから、今度こそは好きに生きよう、って思ったんです」


ロレッタはふっと笑った。

自由――その言葉は、ひどく私の心を掻き乱した。

今まで一度も触れたことがない、心の奥底を。


ロレッタは苦笑しながら言った。


「すみませんね、この間もなんだか色々小芝居打ってもらっちゃったみたいで。でも、あのときも言った通り、今、付き合ってる人がいるんです。だから私はスコット王子とはそういう関係になれないんです」


ロレッタの言葉に、私の心の動揺はますます大きくなる。


「でもこれってゲームのストーリーとは違いますよね? おかげでみんななんだか振り回しちゃったみたいで。私、乙女ゲームとかあんまりやったことなくて、上手く立ち回り方がわからなくて――」

「かっ、勝手なことを仰らないで!」


胸を掻き乱す苛立ちに絶えられず、私は思わず立ち上がり、大声を出した。

ロレッタは驚いたように私を見た。


「すっ、スコット殿下は――乙女ゲームの登場キャラクターですのよ! 貴方を見初め、貴方と恋愛し、貴方と結ばれるためだけに彼は存在している! スコット殿下だけじゃない、コンラッド様や、他の攻略キャラクターたちも、みんな貴方に選ばれるためだけに存在してるんですのよ! 貴方がそんな事を言いだしたら、私たちはどうすればいいの!? みんなあなたのように自由になれるわけじゃありませんわ!」


ロレッタは呆気にとられて私を見ている。

その表情があまりに無責任に見えて、私は更に語気を強めた。


「あっ、あなたが悪い人じゃないことはわかります! ですが貴方は間違ってますわよ! 

今の貴方はロレッタ・ウルトラソウルであって人間ではない! それはワガママではなくて!? あなたは、あなたに愛されないスコット王子の気持ちも考えて――!」

「なんでですか?」


思わぬ問いかけに、私は言葉を飲み込んだ。

ロレッタは言った。


「私が彼の気持ちなんか考える筋合いはないですよ。第一、スコット王子は、私じゃなく、あなたの婚約者なんですよ?」


その一言は、私の胸にざっくりと深く突き刺さった。

絶句している私に、ロレッタは更に問うた。


「リーゼロッテ様は、彼のことが好きじゃないんですか?」


好き?

彼のことが好き?


私の頭は真っ白になった。


私はリーゼロッテ・グローリーデイズ。

高慢で、傲慢で、嫉妬深くて、意地悪な悪役令嬢。

最後には断罪され、婚約破棄され、追放される存在。

私は今まで何回も何回もそれを繰り返した。

この世界に新たな『ロレッタ』が来る度、同じことを。

同じように彼女をいじめ、同じように断罪され、同じように婚約を破棄された。

それが私の存在意義だった。

それが私の辿るべきレールだった。

そうでなければこの世界は回らない。

私個人の意思より、主人公であるロレッタの意志が重要だった。

私は何度でも婚約を破棄された。

王子の婚約者、それはただの設定だった。

ゆくゆくは否定される設定である。

何度も破滅を繰り返した。

私たちはエンディングを迎えればまたもとに戻る。

私たちはまた新たな『ロレッタ』を受け入れる。

だから――いつしか未来を考えることすらなくなっていた。

それが今日の今日まで盤石だと信じていたサイクルだった。

それなのに。

それなのに……。


絶句している私に、ロレッタはにっこりと微笑みかけた。


「ここが乙女ゲームだとか、誰に選ばれないといけないとか、そんなこと、どうでもいいことですよ。重要なのは自分が何を選ぶか、でしょう?」

「自分が――何を――?」

「ええそうです。だから世界がどうなるとか、ストーリーがどうなるとか、リーゼロッテ様が考えることじゃありませんよ。それは運営さんが考えることですからね。……あ、彼が来ました。私はここで」


そう言って、ロレッタは何かを示唆するような微笑みとともに私に一礼し、学園の奥に走っていった。


「待った?」「いえ」という会話がかすかに聞こえた。

その時微笑みあった二人の顔は、今までの『ロレッタ』がエンディングで見せる笑顔と同じ、まるでこの世の全てを赦してしまったような笑顔で――。


私は、今まで一度もあんな表情を浮かべたことがないのに――。


悪役令嬢としてではなく。

リーゼロッテ・グローリーデイズという一人の女として。

私はその時、初めてロレッタに心の底から嫉妬した気がした。



『ロレッタ:ここが乙女ゲームだとか、誰に選ばれないといけないとか、そんなこと、どうでもいいことですよ。重要なのは自分がを選ぶか、でしょう?』

『リーゼロッテ:自分が――何を――?』

『ロレッタ:ええそうです。だから世界がどうなるとか、ストーリーがどうなるとか、リーゼロッテ様が考えることじゃありませんよ』


学食の椅子に座ったまま、私はiPhoneで繰り返しそのシーンを眺めていた。

あれから二日経つのに、いまだに私の心はかき乱されたままだ。


乙女ゲームとしてはあるまじきシーン――というより。

ゲームとして、純粋にわけがわからない展開が配信されてしまった。

何しろ悪役令嬢と主人公が親しく会話してしまったのである。

そして昨日の私とロレッタのやりとりは、ゲーム上のイベントとして既に全プレイヤーたちに配信されてしまっている。

反則とも言える、私のプレイヤーキャラクターへの直接対話。

それがすべての生徒に受け入れられたわけではないだろう。


だが、ロレッタの発言はすぐに反響を呼んだ。


『自分が何を選ぶか』

『誰がどうしたかは関係がない』

『リーゼロッテ様は、彼のことが好きじゃないんですか?』


自由意志――。

それは私たちゲームのキャラクターには全く存在しない概念だった。


「また不正解! もう、一体何回やってんのよ!」

「うえぇ!? これ間違いか?!」


ふと――そんな声が聞こえ、私は顔を上げた。


声の主はコンラッド様だった。

コンラッド様は黒髪の貴族令嬢と一緒に、食事そっちのけで破壊魔法学の教本を見ながら過去問題を解いていた。


「炎系の破壊魔法に水系のルーン刻んでどうするの! もう十回は言ってるわよ!」

「だってこの間はここをこうしたじゃねぇか! なんで間違いなんだよ!」

「だからそれは応用の考えだって言ったでしょ! 何遍言わせるの! このままだとあなた、破壊魔法学は赤点よ!」

「た、頼むよ! もういっぺん教えてくれ! 明日の分の学食も奢るからさ、な?」

「もう……ロレッタに代役頼まれて引き受けた私が馬鹿だったわ! ハイもういっぺんやり直し! できるまでやるわよ!」


キーキーとコンラッドをしばき倒しているのは、リーゼロッテの取り巻きの令嬢だった。

コンラッド様は脂汗を流しながら教本に齧りついている。


なんだか、二人は傍目に見ていてもいい雰囲気だった。

しかも今、あの令嬢は『ロレッタに代役を頼まれた』と言っていた。

確証はないが、ロレッタがそれとなくあの二人を取り持ったのかも知れない。

だからロレッタはコンラッドとの特訓を打ち切った――それは考えすぎだろうか。

いや、彼女が人間であるという事実を知った今では、有り得ない話ではなかった。


はぁ、と私はため息をついた。

キャラクターたちが一斉に仕様外の行動を取り始めている。

今頃、運営さんたちは大騒ぎだろう。

でも、一度自由意志というのを知ってしまった私たちには、ゲーム上の展開などはもはやどうでもいいことになりつつあった。


その時だった。

私のiPhoneが鳴り、私は画面を見た。

スコット王子からの連絡である。



【放課後、二人で会えないかな】



どきり――と、私の心臓が強く鳴った。

予想外、とは言えなかった。

あのイベントであんなことを言われた時点で。

いずれ彼から連絡があることは確定的だった。


随分迷った挙げ句、私は【どこに集合します?】と返信した。



「……待ちましたか?」

「いや……」


スコット王子は小さな声で言った。

いつもロレッタが待ち合わせに使っているベンチである。

スコット王子は私と視線が合うと、慌てて視線を逸してしまう。


「あの……」


私が言うと、「あっ、ああ!」と訳のわからない反応をして、スコット王子が尻をにじって座る場所を空けてくれた。

私はスコット王子からちょっと距離をとって座った。


しばらく、お互いに無言だった。


気まずい――きっと彼もそう思っていることだろう。

私は髪をかきあげたり、股の間に手を挟んだり、もじもじと動きまくった。


「あのイベント、見たよ」


スコット王子がぽつりと言った。


「はっ、はい」

「なんか、驚いたよね。人間がゲームの主人公に転生するなんて」

「そっ、そうですわね」

「あり得ることなんだね」

「そうですわね」

「それであんなことまで言われちゃって」

「……っ」


『あんなこと』、と言われて、ますます私の心臓がバクバクした。


一体どんな顔でいるのが正解なのか――。

というより、王子はどんな顔をしているのか。

私は、ちら、とスコット王子を見た。


「な、なぁ、今更だけど――僕たち、婚約者なんだよな?」


スコット王子の顔は。

爆発しそうに見えるほど、真っ赤っかであった。


「で、殿下……!?」

「ほ、ほら、僕たち、今まで一度もそういう話したことないじゃないか! きっ、君には悪いけれど、最後には婚約破棄するし、僕ルートだった場合、ロレッタと婚約し直すことになるし……! でも、ぼっ、僕、ロレッタにあんな事言われて、この先どうすればいいのか、正直わかんなくてさ……」


最後は尻すぼみになっていた。

『正直わかんなくてさ』と言われても、私にもわからなかった。


私とスコット王子は名目上婚約者である。

だが、ゲームの進行上、それは必ず破棄されることになる。

だから――今までただの一度も。

ただの一度も、私たちはお互いが婚約者であることなど意識したことはなかったのだ。


「でっ、殿下は!」

「うぇ……!?」

「殿下は、どうお考えですの?」

「ど、どうって?」

「わっ、私たちの関係ですわ! 私たちは婚約者同士であるということに対して、どうお考えですの?」

「なっ、なんで僕に訊くんだよ! 僕が質問してるんだぞ!」

「わっ、私だってお訊ねしたいですわ!」

「どう答えればいいのかわからないよ!」

「私もです!」


お互いにわけのわからないことを言い合うしかなかった。

正直、逃げ出したい――私は両手で頬を覆った。

熱病を疑うほどに掌が熱い。


「――僕たちは乙女ゲームのキャラクターなんだ」


スコット王子は自分に言い聞かせるように言った。


「こんなこと、おかしいじゃないか。僕と悪役令嬢がそういう関係になるなんて……きっとプレイヤーの人たちも戸惑うだろう。なにより、僕や君、いや、僕らの存在理由が消えてしまう……だから僕、本気で、どうしていいかわからなくて……」


違う。

そんなことは私だってわかっている。

わかっているからこそ――。

私が言われたいのはそんなことじゃないのに。


私は黙って席を立った。


「あ、ちょ……!」と引き止めるスコット王子のことも無視して、私は走り出した。



「――僕たちは乙女ゲームのキャラクターなんだ」


あれから三日。

そう言ったスコット王子の声が脳裏にこだまし続けていた。

はぁ、と、私はため息をつき、学院内をとぼとぼ歩いていた。


そんなことはわかっている。

私だってそんなことは……。

でも、私が言ってほしかったのは、そんなことじゃなかった。

考えたこともなかったスコット王子への思い。

否――ずっと否定し続けていた思い。

そんなものが、もし私の中にあるとしたら――。


酷く悶々としていたときだった。

私は誰かと話しているスコット王子を見つけた。


思わず、無視して歩き去ってしまおうとした。


だが、王子が親しげに話している人間を見て、私は声を上げた。


「ロレッタ――?」


スコット王子が話しかけているのはロレッタだった。

ロレッタはスコット王子と親しげに話しながら、時折笑い声を上げたりしている。


この場所と日時から推測するに、このイベントは――。

このイベントは、スコット王子ルートの『親密』イベントだった。

これはスコット王子ルートではいちばん重要なイベントである。


平民でありながら白魔法の才能に恵まれたロレッタ。

彼女が魔法学院に来た理由は、ロレッタの母親が幼くして病で亡くなっているからなのだ。

だから立派な癒し手になって困っている人を救いたい。

だから自分は頑張るんだ、たとえ誰かにいじめられても、階段から突き落とされても。

助けられなかった母親を助けられるような偉大な癒し手になるまで――。

彼女の口から、彼女の過去、そして一途な思いを聞いたスコット王子は、彼女をやがて特別な思いで見ている自分に気づく。

いわゆる――『フラグが立つ』イベントである。


なんだ――。

私は自分がとんでもない独り相撲を取っていた可能性に思い当たった。


そうだ。如何にロレッタが人間だとしても、この世界は乙女ゲームの世界。

乙女ゲームの主人公はやはり、やがて誰かと結ばれる運命なのだ。

悪役令嬢はそれを僻み、妬んで――最後には追放される。


それでいいのだ。

それがこの世界の決まり事なのだ。

悪役令嬢は主人公の添え物。

今まで何回も何回も繰り返してきたじゃないか。

それが正しい。

それでいいんだ――。


私は二人に背を向けた。

背を向けて歩き出そうとしたけれど。

足が前に進まなかった。


嫌だ。

ここから離れるのは嫌だと。

このまま見て見ぬ振りは嫌だと――身体のどこかが言っていた。


『ここが乙女ゲームだとか、誰に選ばれないといけないとか、そんなこと、どうでもいいことですよ。重要なのは自分がを選ぶか、でしょう?』


眩しいほどに自由を謳歌していた、あの一言。

私だってその自由に手を伸ばしたい。

自由に、この人が好きだと叫んでみたい。

一度でいいから、私はスコット王子と、あんな顔で笑い合いたい――!


私は踵を返した。

そのままツカツカと二人に歩み寄ると――。

私は背後から、スコット王子の右腕を掴んだ。


「えっ!? り、リーゼロッテ――!?」

「殿下! なにをしていますの!」


私が大声を出すと、スコット王子だけでなく、ロレッタも目を丸くした。

私はスコットの目を見て言った。


「殿下は私の婚約者ではなくって!? どうしてロレッタと親しげにお話してますの!? 私のことをお忘れになられましたか!」

「な――何を言ってるんだよ……!」


なにをやってるんだ、私は――!

私は頭の中で自分を怒鳴りつけた。

本来、このイベントでは、悪役令嬢のリーゼロッテが出ては来ない。

ここでフラグが立たないと、ロゼッタとスコット王子は結ばれないのだ。

だから――絶対に邪魔してはいけないイベントだったのに。


それでも、私は止まらなかった。

悔しくて悔しくて、涙を浮かべながら、私は叱るようにスコット王子に言った。


「とにかく! 私はあなたの婚約者ですわ! 他の女性と親しくするのはおやめになって! 行きますわよ!」

「おっ、おい! いい加減にしないか! 何やってるんだよ……!」


スコット王子が小声で耳打ちしてきた。

何やってるかなんて自分でもわかるもんか。

とにかく、嫌なものは嫌なのだ。

ワガママで嫉妬深いのは悪役令嬢の特権なのだ。

私は何もおかしなことはしていない。

悪役令嬢が嫌なものを嫌だと言って何が悪い!


「うるさいうるさいうるさい!」


子供のように頭を振って、私はスコット王子をロレッタから引き剥がした。


「あの、リーゼロッテ様」


その声に私が振り返ると。

ロレッタがすべてを見透かしたような、意味深な顔で笑った。


「リーゼロッテ様は、本当に殿下がお好きなんですね」



「な、なぁリーゼロッテ。いい加減泣き止んでくれよ」

「うるさいですわ! 人の気も知らないで、一人だけ抜け駆けしてルートを進めようとする人間の言うことなんか聞く耳持ちませんわ!」

「だ、だって、仕方がないじゃないか……」


スコット王子は困ったように言う。


「このゲームは乙女ゲームで、僕らのいずれ誰かは彼女と結ばれる運命なんだよ。他のルートはほとんどふさがってしまってる。だから僕が……」

「聞きたくありません!」


私が鋭い声で言うと、スコット王子が口を噤んだ。

私はぐずぐず泣きながら言った。


「口を開けば、それがゲームだとか、存在意義だとか、そんなことばっかり! スコット殿下は――そんなに私のことがお嫌いですかッ!」


私が言うと、スコット王子の顔が真っ赤になった。


「な、何を――!?」

「乙女ゲームがどうとか、存在理由がどうとか、そんなものはもういい! 私のことが好きか嫌いかでハッキリお応えください! 嫌いだと仰るなら、私は今ここで一人で勝手に婚約を破棄して国外に出ていきます! 悪役令嬢が婚約破棄されて、追放されて、それで早めのエンディングですわね!」

「何言ってるんだ!? おかしいぞ、君! そんなこと許されるはずが……!」

「運営さんから怒られたって、私はテコでも動きません! 私にだって拒否権がありますわ!」

「ほ、本気なのか……!?」


ええ本気です、というように、私はずびっと洟をすすった。


「それに、私は今、なにもおかしなことをしたつもりはありません」

「え?」


スコット王子が私を見る。


「私は――悪役令嬢です。ロレッタをいじめる嫌な女。でも、そうするのは、きっと悔しいから、殿下をロレッタに取られるのが嫌だから嫉妬する、そういう設定であるはず――。なら、私が殿下のことを好きであること自体、別におかしくはない……そうでしょう?」


もう、自分は何を言ってるんだろう。

私の頭は怒りと羞恥と鼻水とで沸騰寸前であった。


長い長い沈黙があった。


やがて、スコット王子が言った。


「リーゼロッテ」

「はい?」

「ロレッタは――もう真実の愛を見つけてることになると思う。僕のルートはおろか、他の攻略キャラクターのルートだって、運営さんが用意した通りのまともなエンディングに繋がることは、おそらくもうないだろう」

「そ、そうですわね……」

「君の言う通りだ。もう何も心配することなんかなかった。今回は僕とロレッタが結ばれる可能性なんか最初からないってわかってたのに……僕は義務的にあんなことをした。僕は……彼女に教えられた自由が怖かったのかも知れない」


自由が怖い――。

その気持は痛いほどわかった。

私たちは意志のない存在だった。

みんなひとりひとり、ルール通りに行動し、彼女の選択を中心にして変化し、役割を演じていく存在だ。

自我や自由なんて――最初から持っていない存在だったのだ。


「ストーリーはもう終わった。だったらエンディングまで僕らが婚約者のままでいたって――おかしくないよな?」


私は目を見開いた。

スコット王子は私を見た。


「僕だって――嫌だ。君が遠くに行ってしまうのは……嫌だよ」


それはきっと、王子として。

このゲームの攻略キャラクターとして。

私に言えるギリギリの一言だっただろう。

おそらく、今このゲームをプレイしている人間は、主人公そっちのけで繰り広げられるイベントに、大いに戸惑っていることだろう。

でも、そんなことはもうどうでもよかった。

私たちは今、生み出されて初めて、自由だったのだから。


「殿下……!」

「うん」

「殿下……! 殿下、殿下、殿下っ!」

「うん、僕はここにいるよ」

「殿下……嬉しい! 私、嬉しい……!」

「うん」

「私、今まで、ずっとわからないフリをしてました……私はっ、殿下のことを、好きになっちゃいけないってっ……! 私は、悪役令嬢だからってっ……!」


その先は言葉にならなかった。

スコット王子は無言で私を抱きしめた。

彼の腕に顔を埋めながら。

私は安堵感と、幸福感と、ちょっとの喪失感で、人目はばからずわんわんと泣いた。


こんな奇妙な安堵感は生まれて初めてだった。

悪役令嬢だから。

所詮は主人公じゃないから。

そんな卑屈な諦念で蓋をしていた思い。


その思いは、一度蓋を外してしまうのと同時に――。

後から後から溢れて、涙となって吹きこぼれた。


スコット王子はずっと、泣きじゃくる私の背中をさすってくれた。


どれだけ泣きわめいただろうか。

私は王子から身体を離した。


私は眦の涙を指ですくい取りながら言った。


「私たち――後で運営さんに怒られてしまうでしょうね」

「あぁ、下手すれば修正パッチを当てられてしまうかもな」

「それで済めばいいですけど」

「その時はその時さ。僕らは――その時までは」


私たちはどちらからともなく、手を握りあった。

そして今までで初めて、お互いの顔を見て、幸福に笑い合った。



瞬く間に三年が過ぎ、ギリギリチョップ学院の卒業式が明日に迫ってきた。


結局、ロレッタは給仕の彼と三年間付き合い続け、攻略可能キャラクターの誰ともくっつくことはなかった。

今まで卒業パーティでは必ず断罪され、追放されていた私は、生まれて初めて穏やかな卒業パーティを終えることが出来そうだった


「明日で、全て巻き戻ってしまうんだね……」

「えぇ、そうですわね」


私とスコット王子は、学院内のベンチに座って、今までで一番長かった気がする三年間に思いを馳せていた。


スコット王子がしみじみと言った。


「本当に、この三年間はいろんな事があったね」

「えぇ、本当に。みんなロレッタのおかげですわね」

「そう言えば、ロレッタはどうするんだい? 癒し手になるのかな」

「いいえ」


私とロレッタは、最近ではすっかり仲良くなってしまい、親しくお話する仲になっていた。

おかげで「悪役令嬢がプレイヤーキャラと仲良くなってどうする」と運営さんにボヤかれたりしたのだが……それはもう、どうでもいいことだった。


「癒し手にはならないそうです。給仕の彼、王都で小さなお店をやりたいんですって。彼女、そこの女将として料理の勉強をするそうですわ」

「そうか……彼女らしいね」

「本当にそうね。自由ですわね」


私たちは春を迎えつつある学院の庭を、しばらく無言で眺めていた。


卒業パーティはこのゲームのエンディングである。

エンディングが終われば、私たちの時間は再び巻き戻り、私たちの世界は新たな『ロレッタ』を迎えることになる。

そうなれば二年半年続いた私たちの関係は再びリセットされる。

スコット王子は新たな『ロレッタ』と真実の愛を育むことになるだろう。

そして私は、また意地悪な悪役令嬢に戻ってゆく――。


正直、辛くないと言えば嘘になる。

この二年半、私たちは本当に幸せな時間を過ごした。

それは人生で初めて謳歌した自由な時間だった。

誰も邪魔せず、誰にも邪魔されず、誰の意見も気にせず。

「彼が好きだ」と大声で叫べた時間は、明日で終わってしまうのだ。


ふと――スコット王子が私の右手をそっと握ってきた。


「殿下?」

「リーゼロッテ、今のうちに君に言っておきたいことがある」


スコット王子は少しだけ寂しそうな表情で言った。


「明日になれば僕らの時間はまた巻き戻ってしまうけれど……僕は、君とこういう関係でいられた二年半、僕は本当に幸せだった」

「私もですわ、殿下」

「だからもし、また人間に転生したロレッタが現れて、君が悪役令嬢である必要がなくなったときは――その時は、また僕とこういう関係になってくれるかい?」


私はスコット王子に微笑んだ。


「もちろんですわ。リーゼロッテは――いつまでもその時を待っていますわ」





――と、そのときだった。

私のドレスの裾に入れていたiPhoneが振動した。


「運営さんからですわね……」


私とスコット王子は、同時にiPhoneを取り出し、運営さんからの連絡に目を通した。


そして――同時に顔を見合わせた。


「これって……」






【運営からのご連絡:大規模アップデートについて。

明日の○月○日の大規模メンテナンス&アップデート時に、《ミエナイチカラ 〜INVISIBLE LOVE〜》のゲームのシステムについて、複数の大きな変更点があります。

詳細については公式HPにて各自ご確認ください。



◆新プレイヤーキャラクター追加:

今時メンテ以降、プレイヤーキャラクターとして、『悪役令嬢リーゼロッテ・グローリーデイズ』の選択が可能となります。



◆ストーリーについて:

リーゼロッテストーリーは、スコット王子ルートのみの特別なルートとなります。


以後、プレイヤーキャラクターとしてリーゼロッテを選んだプレイヤーは、卒業までの三年間で、ライバルであるロレッタの干渉を回避しながら、婚約者であるスコット王子と真実の愛を築いていくことになります。


素直でなく、プライドも高く、また極めてツンデレな彼女を操作し、見事スコット王子のハートを射止めることができるかについては――プレイヤーの皆様の選択にかかっております。




それでは、サービス三年目を突破し、今後ますます広がってゆく《ミエナイチカラ 〜INVISIBLE LOVE〜》の世界観をお楽しみください!】

ここまでお読みいただきありがとうございました。

なんだか訳のわからない作品になってしまいました。

もしお気に召しましたら、評価・ブックマーク等よろしくお願いいたします。



新連載始めました。

こちらの連載作品をよろしく↓


『悪役令嬢・オブ・ザ・デッド ~転生悪役令嬢は回避不能の世界破滅フラグにイケメン貴公子たちと立ち向かいます~』


https://ncode.syosetu.com/n5373gr/

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― 新着の感想 ―
[一言] 嫌な人間がいなくてほっこりと読ませていただきました。 きっとラストには愛のバクダンが降り注いだのでしょうね(*´∀`) そして某アーティストの影がチラチラとみえるー!という衝動に身を任せて…
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