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episode.7

挿絵(By みてみん)


 時は少し遡る。


 少女の口から「好き」という言葉がこぼれ落ちたそのとき、あたりに漂っていたアクマの気配が一層強まった。テンシがそれに気付いて少女を強く抱きかかえようとした瞬間、黒い――暗い闇が、テンシを突き飛ばした。


「なつきさん!」


 テンシが床に倒れると同時に、少女の体は支えを無くしてふにゃりと崩れる。


「ゲームセットってところだな、天使あまつかい?」


 不明瞭だった闇がするりとヒトの形を作り、意識を失った少女を片腕で抱きとめた。

 闇から生まれたその影は、くつくつと笑い声を漏らす。少女が好きだと言った青年の姿で、テンシが忌むべき笑い声を。

 どこまでもどこまでも暗い、真っ黒な瞳。髪も服も、すべて黒に染まったアクマの姿。


「……っ、なつきさんから離れろ!」


 少女の元に向かおうと体に力を入れたテンシは、しかし、その場から動くことができなかった。


「ぐ、うっ……!?」

「威勢だけ良くて立てもしないんじゃあ、格好付かないよなあ?」


 まるで全身の骨を抜かれたかのように、入れたはずの力はどこかへ消えていく。


「お前はしばらくそこで寝てろよ」


 アクマの手から現れた槍のようなものが、テンシの体を突き刺した。





 テンシは闇の中で夢を見る。


 なんて温かい夢だろう。

 なんて愛しい夢だろう。


 それと同じくらい、憎悪に満ちた夢だ。



 テンシにはわからなかった。

 元はテンシだったものが、これほどまでに歪んだ思いを抱くことがあるというのか――。


 いや、違う。アイツはテンシなんかじゃない、アクマだ。



 テンシは暗い夢の中に、光を見つけた。


 あれは何だろう。

 こんな淀みの中で、見えないものに守られているみたいに輝く、あれは。



 その光は少女に似ていた。テンシが守りたかった人に似ていた。今度こそ、守護したいと望んだ人に。


 守らなきゃ。

 ぼくは彼女の守護テンシだから、こんなところで眠っていられない。



 なつきさん、気付いて。

 ぼくの、オレの声に気付いて。





 そして、現在。

 朦朧としていた意識が徐々に覚醒する。





 アクマに吸われていく。

 守るべき少女の魂が。「初恋」という尊い感情が。

 欠落する。壊れてしまう。


 テンシは声にならない声を上げて得物に手を掛けた。

 轟音。破壊のテンシの羽根から大量の光が放たれ、周囲が白く染まる。


「なつきさんから離れろおおおっ!!」


 鉛のような体を無理やり動かし、何も見えないはずの光の中へ突っ込んだ。


 自らアクマに触れてでも、彼女を取り戻さなくてはならない。アクマのくちづけを受けてしまった彼女を、それでもテンシは諦めたくなかった。

 自分が無力なせいで、過保護なせいで、救えないことなどあってはならない。だってそれは、正しくないことだ。


「言われなくてももう、そいつに用は無いさ」


 対するアクマは手に生み出した槍のようなもので光を弾き飛ばすと、少女の体を打ち捨てた。


「なつきさん……っ」


 真っ白な世界で、テンシは少女を受けとめた。心の欠けた少女の体は重かった。ただ、重いだけだった。

 テンシは少女を抱きしめた。大切なものを奪われた少女の体は温かかった。ただ、温かいだけだった。


「……なあ、天使。四人殺しのダテンシ」


 光は拡散し、アクマの手から槍が消える。


「お前も本当は、こっち側の存在なんじゃないのか?」


 一歩踏み出したアクマに、テンシは反応しない。


「お前には十分、堕ちる理由があるじゃないか。それが道理だと思わないのか? 理不尽だと思ってるはずだよな? それなら俺たちの仲間になればいい。そうすれば変えられるんだ。わかるよな?」

「……なつきさん。目を覚ましてください、なつきさん」


 アクマが大きな舌打ちをした、瞬間。


「っ――!?」


 黒い服の上から、その体の中心がどろりと溶け出した。


「な、……う、ゔえっ、っぐ、あっあ……」


 アクマの姿が変貌する。


「う……うう……」

「なつきさん!?」


 少女の微かな声が、呼び続けた名前の意味を果たした。



 *



 重くてあったかい。

 目を開けた私は、何かに抱きしめられていることに気が付いた。


 猫の毛みたいにふわっふわの金髪。背中には片方だけの羽。


 悪夢から覚めたときの呆然とした感じと、それが夢でよかったと安堵する感じが八対二くらいの比率で心を占めている。

 私はあの人を探した。


「どう、して……」


 掠れたような声は後ろから聞こえた。振り向こうとしたけど、私から離れた天使くんが私の頭を掴むほうが早かった。

 両手を使って顔を挟まれたら、後ろを見ることなんかできない。


「いけません」


 下を向いたままの言葉には強い意志があって、だけど、どこか不安そうというか、いまいち頼りないというか……なんとなく脆い印象を受けた。


 でも、今の私にはわかる。

 天使くんは守護テンシだから、私の心が揺れないように、正しい道を示しているんだって。


 天使くんは知ってるんだ。知ってたんだ。

 あの人はアクマで、私の心が食べられてしまうといけないから、必死に守ろうとしていたんだ。


 蚊帳の外にいたのは私だけ。

 天使くんの行動や言葉の中に、恋なんて感情はありえない。


 自由な両手で天使くんの頬を包むと、顔を上げさせた。

 柔らかな金色の髪の毛に、小さい頃から見守ってくれていた蜂蜜色の瞳。透明感のある白い肌。やっぱりかわいい姿。

 天使くん。私は今、泣きたい気分だよ。


「なつきさん……?」


 私の顔が動かせないなら、天使くんのほうを近付けさせればいい。そのまま引き寄せて、触れるだけのキスをした。

 あんなに悲しい思いは、抱えてちゃいけないよ。


「……」


 私の気持ちが伝わったのか、天使くんの手から力が抜けた。


 あの人は心を操るアクマだ。ヒトの「初恋」という感情を食べるアクマ。

 禁じられた恋をして堕ちてしまったテンシ。


 立ち上がって、振り返る。


「ひい、らぎ……」


 あの人はそこにいた。

 床に両膝をついて、真っ赤に染まった瞳を私に向けている。


「お前……」

「私、覚えてます」


 あの人の耳は尖り、肌は浅黒くなっていた。体の真ん中に大きな穴が空いて、黒い液体がどろどろと流れ出している。

 私の知っているあの人ではなかった。だけど元々、私の知っているあの人なんて頭の中にいなかった。


 ……でも。「私と一緒に過ごしたあの人」の記憶が無くても、私は覚えている。


「私はあなたが好きでした」


 楽しかったこととか、うれしかったこと。つらかったことや、腹が立ったこと。あの人と出会って感じた気持ちはたくさんあって、それは、あの人が私に植え付けた恋の種から生まれたものだった。

 きっかけが作られたものだったとしても、そこに嘘は無い。

 私の抱いた気持ちは、私だけの本物だから。


「違う……お前は何も、覚えていないはずだ。お前の心は俺が食ったんだ。俺が……どうして。なんでだよ、柊木ひいらぎ。どうしてお前は、そこにいる?」


 ぎゅらぎゅらした声で、怯えた赤い瞳で、あの人は言う。


「あ……あああ……」


 流れ出すものをいくらかき集めても、その形はぼろぼろと崩れていく。


「嫌だ……嫌だ。やめてくれ、嫌だ。消えたくない。消したくない。忘れたくない。みんな、無くなる……!」


 あの人は何もわかっていなかった。彼女のことも、他の女の子の心も、私の思いにだって気付かない。みんな食べたはずなのに、全然、向き合おうとしない。

 たった一人で悲しい気持ちを抱えて、光にくらんだ瞳は何も映さない。


「忘れちゃったんですか……?」


 そんなに苦しい理由も、ダテンシになったわけも、この世界に存在できることの意味も。


「私たちは、あなたのことが好きだったんですよ? 好きになれて、とっても幸せだった」


 恋を。

 まっすぐな、初めての恋を。


「それをあなたが否定しないでよ……」


 そこにあった感情をすべて嘘にして飲み込んで、悲観してほしくない。

 本物を引っくり返して押し込んでしまうなんて、それじゃあ私たちが嘘になっちゃうから。


「大門くんのことを好きになったわたしを、嘘にしないで。ちゃんと見てよ……!」



 ――ああ、やっと。


 幸せだったって。

 ずっと後悔していたあなたに、伝えたかったこと。


 やっと、言えた。



 膝を折って微笑みながら、あの人と目を合わせる。赤い瞳を見開いたあの人は、ほんのわずかに唇を震わせると、溶けるようにいなくなった。

 床や壁に散らばっていた黒い液体も、穴のあった空間に吸い込まれて跡形もなく消える。


 息をつくと気が抜けて、私はその場に座り込んだ。


 あの人が何を言ったのか、私にはわからなかったけど。

 わたしにわかっていればそれでいいと、思った。



 この感情はいつか薄らいでいくものなのかな。でも、たとえそうだったとしても、私はきっと忘れない。刺すような痛みを思い出すことはなくても、確かに痛かったことは、忘れないよ。


「なつきさん、どういうことですか。なつきさん?」


 大好きな天使くんの声を聞きながら、私はまぶたを閉じた。


「なつきさん――」



 ねえ、天使くん。

 私がもし、あなたのことで泣いてしまったとしても、どうか自分を責めないでね。


 その代わり……その代わり、ずっと。

 ずっと私の、テンシでいてね。

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