キースの跳躍
主人公、拙い戦闘。
最後のシルキーの一言。
俺は腰に下げたナイフに手を伸ばす。
いない者扱いするなら上等。
シルキーに集中している間に、脱出の手口を探すだけだ。
現状を理解するよう自身に言い聞かせる。
まず……オッサン一人とは考え難い。
村長夫妻の消滅を把握しており、そこに然したる驚怖もないとなれば、前例を、或いはこの死を事前に知っていたのかもしれない。
それはオッサン一人のみではなく、村中の大人が認識を共有している。
子供は恐らく知らない。
俺の家は新参者でもないから弁え無しという異例というのもなく、ゆえに他の家も『交換者の村』やら『契約』についての知識の伝承は未完了だ。
……本当に、俺だけって線はないよな??
そこまで考え付くと。
敵勢は村住みの大人二十余名。
きっと、そこかしこで俺とシルキーの逃走経路を閉鎖している。
急に何処までも広がる樹林に閉塞感が現れた。犇々と木々が俺たちに向かって押し寄せて来る錯覚に襲われる。
これは日々、木を伐り倒していた俺への報復だろうか。生業なので許して欲しい。
オッサンの異様な力といい、『黒いお化け』の実在と連続して驚天動地の日である。
「古くから、ここでは不思議なモノがいたんだ」
オッサンが俺の背後に踞るシルキーに語る。
真っ直ぐ注がれる炯々とした眼差しは、柔和に微笑む口許と違って威圧感がある。
上下の半面で一致しない彼の顔は、さながら別の顔同士を繋ぎ合わせた不細工な人形の様だった。それが妙に相手の心に迫る恐ろしさを醸し出す。
村長の怒り顔の方がもっと怖いが。
しかし、こんなヤツのいる、こんな連中ばかりの巣窟であろう村に、シルキーを返しても無意味である。本能的で、勘で、根拠のない推察だが、相違ないと確信できた。
偏見云々ではない。
村そのものが、俺もまだ捕捉し得ない奥底に不気味な影を湛えている。
「黒い靄状のモノが現れて、人が貴重としている物を強奪し、代わりに理論では筆舌に尽くし難い力を授与するんだよ。
私もみんなも、十二の頃になって、『黒いお化け』と契約した。」
十二の齢――それが契約した人の共通する点。
それは、たしか村で子供が仕事を始める年頃と合致する。少数で形成された山村の収入を支える為に立ち上がる砌だ。
誰もが十二に通過儀礼として『黒いお化け』と契約する風習があると仮定すると、村では大人のみならず十二歳以降は、この事態も織り込み済み。
敵の数がまた増える……リンチだろ。
いや、それは違う。
そうなると、俺はどうなんだ?
俺が『黒いお化け』の実存を知ったばかりである。十二の年が定期だとするなら、俺は二年も過ぎている。
やはり、村の裏の顔を認知していないのは俺だけなのか?
……まさか『黒いお化け』まで俺を疎外するのか?
「その中に、代々二つ以上を対価として支払い、強い能力を手に入れる血族が生まれた。それが村長の一族だよ。
シシリーちゃんの父親も、妹と両親を犠牲にして強い力を得た。君は両親と、キースかな?」
シルキーの表情が強張った。
確かに、生死を無視すれば俺は対価として差し出された。本人の意志を問わぬ『黒いお化け』によって強要された結果である。
そして、俺は彼女から『黒』を奪った。
「シシリーちゃんもまた、三人を贄とした最高傑作。
キースはね、孤児なんだよ」
今なんて?
「あの子は山の麓に捨てられた赤子だった。村の大人達で詮議し、引き取ることにした。
結果、『契約』もしなかったので異形と見なされ、疎外された」
「……」
「そう、シシリーちゃんの『代償』として流用する予定はなかったけど多ければ多いほど、得る力は強大だから結果オーライ。許婚はまた新しく選ばないとね」
最悪じゃん。
懐中のナイフを摑む手に、思わず力が入る。
俺は生け許婚の予定だったらしい。
どちらにしても、俺が死亡した筋を彼等は疑わない。
この状況で唯一こちらに許された優位性は、『俺の生存が確認されていないこと』である。これを活かした攻撃または脱出とは何か。
獣の群れを相手にするなら手段も考案できるが、相手は狡猾な人間なので難易度は一気に数段跳ね上がる。
正直に言って、俺の頭脳で算出可能か不安だ。
オッサンが再び歩を進めた。
危機感が満身に痺れた感覚を奔らせる。現況は俺のみが村人に狙われる立ち位置であり、シルキーは幸いにも保護対象。
俺一人の身の防衛に徹すれば良いが、しかし相手に渡したくないとなれば、相手を退けながら遁走る以外ない。
片手の斧が振り絞られる。
またあの、振るった軌道の延長線上を薙ぎ払う見えない切断の風が吹く。その予感に、シルキーを両腕で抱えた。
オッサンが全力で斧を横薙ぎに一閃する。
俺は身を翻し、積み重なった倒木の一本の幹を踏み台にして飛び上がる。僅か少し遅れて、下草が舞い上がり、倒木が爆ぜた。
飛散する木っ端に巻かれて、俺は着地――できなかった。
攻撃後に駆け出していたオッサンが跳躍し、空中で俺の横っ面に回し蹴りを叩き込んだ。険しい山地を往来する樵の強靭な脚とあって、発揮される威力も凄まじい。
標的だけを弾き飛ばし、シルキーを胸の中に抱く。俺は地面を跳ね転がって、樹幹に叩き付けられた。
蹴りと激しい転倒につき、起き上がった際に頭巾が外れてしまう。
俺の顔を見るやいなや、オッサンの顔が驚きの色を呈した。
「……何だ、お前は……?」
ウサギ頭の人間に困惑する。
当然だ、そんな生物は誰にだって未知の存在。
そんなモノがシルキーを守護していれば、ますます正体が判らないだろう。確実に動揺するだろう。
――だから、利して損はない。
脳内に米を淘げたような雑音が鳴り、意識が混濁する。瞼を意識的に持ち上げられず、気を抜いたら失神する状態だった。
相手が動揺している間に回復しろ。
今はそれが最善手だ。
しかし、妙だった。
あのオッサンの身の熟しは、山を生業とする者の類いではなかった。
俗世から離れた風土で暮らしてきた俺でも瞭然と理解する体捌きは、明らかに人を対象とした拳足の戦闘法である。
山育ちで必要な技量ではない。
なぜ彼が習得しているのか、ただの樵でも俺は教えられなかった。――生け贄だったからか。
オッサンがシルキーを下ろし、斧を構える。
彼が混乱から立ち直るのに、俺の回復も間に合った。正常機能を取り戻し、さながら本物の兎のごとく体を低くして歩く。
「舐めるなよ。
この『交換者の村』は、戦争のエージェントとして使われる為に、訓練を受ける。俺もその薫陶を受けているからな、兎の頭だろうが体が人の形をしているなら問題ない」
「……」
「確実に、狩る」
怖い。
けれど、その一言から察するに。
異常な能力を享受した彼らは、それを活かすべく戦争で働く人間として訓練される。なるほど、理に適ったものだ。
山仕事だけで生計を立てているかと思えば、そんな事までしていたのか。
きっと、俺の知らない大人なども外界に出動し、何者かに雇用されて戦地で活躍している。その為の訓練を、村人は受けている。
ならば、素人の俺が徒手空拳で挑んでも絶望的に勝機はない。
あの攻撃力で並ぶ者が絶無である斧の一撃。かわす事は出来ても、内側に近付いてナイフで斬るよりも早く拳や足が飛んでくる。
無理だな、お手上げだろ。
「消えるんだ、ウサギ頭!」
オッサンが斧を十字に切った。
重なり合った切断の風が壁のように迫ってくる。今までより回避し難い攻撃だった。
斜面を転がるか、それとも跳躍か。
俺は後者を選ぶ。
少なくとも、風は細く直線であり、高さを稼げば被害は受けない。
横へと高く飛び上がろうと踏ん張り、足の発条を駆使して跳ね上がった。
その瞬間、景色が変転する。
何かが頭に叩き付けられる衝撃と共に。
俺は樹頂よりも遥か高い空の上にいた。
「…………へ?」
混乱した。
こんなにも高く跳ぶ積もりはなかった。
いや、そもそも一回のジャンプでここまで飛び上がれた経験は皆無だし、そもそも人間には無理な高度である。
こんな高さから着地なんて出来っこない。
頭を庇って、能う限り梢の折り重なった場所を選んで落下せねば。
動揺に震撼する思考ではそう言っても。
体はその事実を、然るべき常識と弁えているかのように着地の姿勢に入る。予想に違わず重力の、手に掴まって再び林間へと舞い戻った。
重なる梢を打ち破り、地面に軽々と着陸。
そのときに骨を折ることも、況してや足が強い衝撃に叩かれることもなかった。
着地地点は、オッサンを横から眺める場所だった。
彼は驚愕一色の相で、こちらを見た。
「何だ、その跳躍力は……」
知らんがな。
あんたの力ほどは驚かないよ。
ともあれ、俺の優位性は何も正体不明のみではないと判明した。この跳躍力、使い熟せば相手を倒せるかも……?
まて、倒すって……どうやって?
まさか、殺すのか。獣みたいに。
俺は改めて、戦う上での勝利条件について考えて萎縮した。勝つとは、相手を動けなくさせ、逃げられる状況を作ること。
戦闘では相手に一日の長がある。手加減なんて俺にそんな余裕はない。
つまり、殺すのか。
幾らシルキーを助ける為といえども。
オッサンが駆け出した。
俺に向かって斧を携え、視線で明確な殺意を飛ばして。
いや、迷うな。
どうせ、この村では死んだ人間だ。
コイツらに手加減する必要なんて無い、生き残る為に殺すだけだ。
向かってくるオッサンの凶相。
俺は姿勢の高さを調整し、狙いを定める。
描くは一直線、初めてやる事とはいえ、先刻の着地と同じで、本能的に力加減が判る。
オッサンめがけ、思い切り地面を蹴った。
世界観が変わる。
俺以外の全部が遅く見える。
周囲の光景が高速で過ぎて、彼までの間隙が一瞬で潰れた。その瞬きの間ですら無い時間に、俺は足を突き出した体勢に変える。
そして、吸い込まれるように。
斧が振るわれるよりも迅く、足の裏が顔面に叩き込まれた。
オッサンは進行方向と逆側に吹き飛んだ。
およそ人の可動域を超えた方向まで首を捻じ曲げて回転し、シルキーの頭上すら超えて遠い樹間へと消えていく。
何処かで下草に物が落ちる音がした。
凄まじい。
これが俺の『契約』の能力なのか。
加減しないと屋内で天井に頭ぶつけるな、これ。
いやいや、それよりも。
俺は着地して、そのままシルキーへと向かう。
小さく縮こまっていた彼女の傍に寄ると、俺の胴に両腕を回して縋り付いてきた。
反射的に同じようにして受け止める。
しばらく人の胸に顔を埋めていたシルキーは、やがて俺の顔を涙目で見上げた。
「ね。ナイフ、役に立ったでしょう?」
寝てたんですかね。
次回へ続く。