キースの決断
いつもの半分
狼狽するシルキー。
銀の髪を振り乱し、自分の様子を嘆いている様子だった。美しき黒漆を喪失したが、魅力を損なわないのは彼女の性質か、銀髪ゆえの輝きか。いや、その両方だろう。
その髪色も綺麗ではあるが、彼女は気に入らないらしく、毛先を目の前で見詰めて落胆している。今しも泣きそうな表情は、深甚なる悲哀があった。
俺は『自分の頭』を抱えて、シルキーの肩を揺すった。
俯いて動かなくなった彼女は、目許を手で覆って嗚咽を洩らしている。小さく震える肩から、思わず手を離した。
「どうして、そう悲しむ?銀だって綺麗だ」
「だって……キースが初めて褒めてくれた髪色だから」
そんな思い入れがあったとは。
俺の評価一つで重要度が変化する価値観らしく、シルキーは心底から悲嘆に暮れていた。
銀を褒めそやして上書きを企んでも無駄になる。俺としては印象が黒髪しかないから、そこに着眼して適当に言っていただけなのだが。
それはそうと。
黒い靄――『黒いお化け』は何処に消えたか。
恐らく、この兎の頭と彼女の髪色はアイツの仕業であると推察できる。仮に話の通りなら、奪っ去ったと考えるのが筋である。
しかし、本当にそれだけなのか。
悲泣の涙に濡れたシルキーの顔を手拭いで拭いてやる。
村長も奥さんも消え、俺と彼女だけの屋内に、『黒いお化け』が潜んでいないとも限らない。
余計な荷物は置いていく。
兎の頭になった以上、真っ当な生活は送れない。村長の安否は不明だが、シルキーをこんな目に遭わせているので、易々と村に置いてくれるはずがない。
先ず、人の顔に戻れるまで姿を隠した方がいい。不気味がられる。
床に置いていた『人の頭』を手巾に包んで腰に下げ、悲しみに打ち拉がれて動けない彼女を抱えて、玄関から出ようとした。
その行く手を、横から延びてきた黒い縄が床を撓り打って阻む。
飛び退いた俺の方へと先端を翻し、手巾を鮮やかに奪った。慄然として振り向くと、居間の前を塞ぐように『黒いお化け』が佇んでいた。
「キース、あれ!」
「逃げろ」
改めて警戒態勢を取る。
俺は箒を拾い上げ、剣のように中段に構えた。斧ばかりで剣なんて使った経験が無いので、不恰好は否めない。
しかし、徒手空拳で挑んでも勝てない。今は付け焼き刃だろうと何でも利用する。
『女は男が大事と言った。男は女の髪の色が大事と言った。だから両方もらう』
黒いお化けが、滔々と口にする。
その声色は抑揚がなく、無機質である。全く感情が宿っていない。
だから内容を嚥下するまで時間を要した。
シルキーは俺を、俺はシルキーの髪色を「大切」と認識している。黒いお化けは、それを強奪した。
これで間違いないはずである。
なら、可怪しい。
シルキーが俺を望んだ時点で、黒いお化けに肉一片も残らず食われる。
『前から女には聞いてた。なのに無視した。だから、無視した分だけ、「大切なモノ」を取った。その男で最後』
無視した分だけ。
その言葉に俺にはすぐ思い当たる節があった。
シルキーが以前、『黒いお化け』が話題の中に上がった際に、まるで見たような口振りで話していた。
つまり、この黒いヤツは、ずっとシルキーに取り憑いていたのだ。幾度も問を投げ、その都度無視された回数を記憶し、見合う対価として「シルキーのモノ」を略奪した。
つまり……。
つまり、居間にあった脱ぎ捨てと思われた服の真意は――。
『対価はもらった。だから、力をあげた』
「要らないから返せ」
俺の頭だけでも。
シルキーを玄関へ退かせつつ、俺は箒を床に叩きつけて威嚇した。退治法も判らない相手に立ち向かうなんて愚の骨頂。
雇用主の村長が食われた今、シルキーの面倒を見る是非は問うまでもない。
しかし、見殺しにするなんて後味が悪い。
『人の夢、人の願い、人の望み。ああ、美味しかった。ありがとう』
黒いお化けの姿が、薄く空気に溶け始めた。
霧が消散するような光景に、俺たちは手出しもせず、ただ漠然とした安心感と恐怖が綯い混ぜとなった矛盾の情念に立ち尽くす。
ただ食い残しだった『人の頭』と、不気味な暇乞いだけを残して消失した。
俺は箒を床に放って、その場に座る。
危機が去り、背後ではシルキーも胸を撫で下ろしたいた。未だ手先は灰銀の髪を気にかけているが、空いていた手が俺の襟を摑んだ。
何事かと顔を巡らせると、彼女の手が兎の頭の耳介を弄んでいた。
「もう居ないんだよね?」
「足元から浮いてきたりして」
「君はこんな時にも意地悪を言うね」
「ウサギにされた俺の方がひどい仕打ちだ」
果たして、人なのか。
ウサギの顔をした人間なんて、お伽噺でしか聞いたことがない。摩訶不思議な物語に存在し、現実を侵したりしない夢の住人である。
こんな姿で村に出れば、概ね反応の予想は付く。
先刻のシルキーが語った俺の風評が事実なら、ただでさえ敬遠していた存在が獣の面を下げて来れば恐怖の対象にしかなりえない。
この村に居られるだろうか。
シルキーは微妙だ。
村長と奥さんが行方不明、頭髪の変色などの現象から鑑みて、憐憫よりも先立つのは未知を前にした恐怖。
彼女の天真爛漫さなら、少しの時間で相手を懐柔する。実際に、山村では容貌のみならず内面まで好ましく思われていた。
彼女には居場所がある。
だが俺は残っても害悪以外に何もない。
シルキーへと正面を向ける。
「シルキー、一つ良いだろうか」
「なに?」
味方なんていない。
この破滅的な現状。
俺が下せる最善の策は、こうだ。
「俺、村を出ようと思う」
「わかった、一緒に行くよ」
それは違う。
次回へ続く