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最強戦姫の幼馴染……の世話役  作者: スタミナ0
2章:騎士の忠剣と奴隷少女の恋
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リィンの熱情



「入りたまえ」


 その一声に身震いする。

 扉一枚を隔てた先。

 そこに厭わしい商略にて人を捌く下郎がいる。

 シーズフリードが平等を唱う風土であったし、女性の身を売買する商法は禁忌とされた。故に娼館など慣れぬが、それにしてもカフスへの評価は最悪だった。

 奥から耳朶を打つ声は、鼓膜を甘噛みされたような不快感を催す爛れた欲で染まっている。

 相対する前に敵情分析ができた。

 私とは相容れぬ人間だと。


「失礼する」


 私は扉を開けて入室する。

 リィンの警戒を促す声に従い、剣の柄に添えた手は放さずに身構えた。手は震えなかった。

 追従するリィンは、一片(ひとひら)の警戒心すら窺わせぬ平静を装う。

 私は指名手配者を捕縛した傭兵。

 リィンは引き渡される商品。

 その約束と設定を違えてはならない。


「――…………なるほど」


 入室して直後。

 私は自らの警戒を自嘲してしまう。


 案内(あない)に書斎と聞いて、最低でも書棚が並び文机の一つでも設えてあるかと予想していた。

 それが書斎という物の風致である。

 だが、私が入って得た感想は「寝室」だった。

 二つの部屋を統合したような広い間取り。

 大きな円形の寝台が入り口より遠く、隅では薄く桃色がかった紫煙を立ち上らせる香を焚いている。

 そして何より。

 寝台直上に最低限の照明だけがあり、その光によって明かされたカフスの姿は醜悪に過ぎた。

 毛布で下半身を隠しただけで、酒と肉で肥やした体を寛がせ、脇に嫌悪も露な女児を侍らせて笑顔の絶えない面相である。

 痒みの元なる髪すら乏しい頭頂を掻く太く汚れた五指、それぞれ金銀銅の指輪を填めて彩っているが窮屈そうで滑稽に尽きた。

 冑で顔を匿していなければ、こちらの嫌厭も露見していたに違いない。


 私は隣にいるリィンの腕を強引に引く。

 突然のことに驚きながら、リィンは勢いで前に頽れた。最後まで奴隷としての演技に抜かり無い。

 私は扉を閉めて、カフスの方へ正面を向けた。

 カフスが物音で傍の女児から目を離すやいなや、リィンを捉えた瞳を恍惚で潤ませる。

 唇の端が疼くように、口許を痙攣させていた。


「ほう、情報通りだ。なんと可憐でいたいけなのだろう」


「指名手配に記された娘を連れて参上した。赤頭巾の小僧は仕損じたが」


「善いのだ。それより、そこな金の娘。もっと近う寄れ」


 リィンがこちらを見上げた。

 ――従う是非を問うている。

 私は首肯して、彼女を催促した。本来なら堪えがたい忌憚に庇護に及ぶところだ。

 指で招くカフスに、ゆっくりと進み出る。

 依頼通りかを間近で検めんと、身を乗り出したカフスの下半身が布から這い出た。

 上体に違わぬ醜貌に思わず顔を顰めたくなるが、それでもリィンの表情は凪いだ湖面のごとき静謐を湛える。


 要望に応じて直近に参ったリィン。

 その(おとがい)を指で持ち上げ、カフスはふんふんと鑑定する。彼女の麗らかな金の眼差し、金糸の髪を撫でてから肩や胸部に触れる。

 私は今にも抜剣しそうな自らの情念を抑えるのに必死だった。

 やおら身を引いたカフスは、リィンの手を引いて自身の胸に導く。抵抗せず懐に入った彼女は、人形さながらに表情が微動だにしない。


「うむ、本物に違いない。よくぞやった」


「して、報酬について」


「そうさな。お前はよくぞ働いてくれた、対価として(にく)き赤頭巾については不問に処そう」


 依頼主とはいえど。

 それを遂行した傭兵の分際なれど。

 傲岸なるカフスの態度は目に余り、些か湧いた反意に口が動いてしまう。


「しかし、目標物の片割れを献上した」


「だから何だ。仕事を満足にこなせん奴に立てる義理は、これで充分だ。依頼内容にあった赤頭巾の討伐の失敗を不問にする我が寛大さに目を剥け」


 柄にもなく舌打ちしそうになる。

 何が『赤頭巾の討伐を不問に処す』だと。

 その件については、地下の連中が片付けてくれると弁えた上で、一ピリンの報奨すら出さずに遇する心算である。

 浅ましい。

 もはや私をあしらって、手中に収めたリィンを愛でる後事しか意中に無いのだ。こうまでして思考まで見え透く男はそういない。


 私は前に進み出た。

 すると、カフスの顔が険相となって手を前に出す。


「何を考えている。依頼は完了したのだ、そのまま出ていけ」


「納得がいかん」


 制止を図る声に歯向かう。

 カフスの表情に一抹の焦慮が見える。


「依頼の半ばを遂行したにもかかわらず満足な馳走が無いとなれば、そこな娘を以て購って貰うしかない」


「自らの不手際を棚に上げるとは。貴様本当に騎士か」


 カフスが指を鳴らす。

 すると、そこかしこの影から小柄な影が躍り出る。カフスと私の直線上に割り込み、短く細い(かいな)を目いっぱい開帳して立ち塞がった。

 私は思わず瞠目する。

 眼前に立つ障害は、障害足り得ない。

 どれも刃を仕込んではいるが、持ち方などから扱いすら拙さを感じる女児ばかりだった。


 それに、聞き捨てなら無い。

 カフスはいま、私を――騎士といった。

 案内には傭兵と詐称(なの)ったにも拘わらず、彼は私の実状を把握している。


「なぜ私が騎士と?」


「ふん、商売柄でな」


 なるほど。

 私は今朝までシルキー殿(団長)に仕える意もなかった赤の他人。それから私の参加を知るのは、ディアブロ兵団……軍医ガレン、炊事のユーナ、団長、キース殿と。

 あとは――診療所で養生していた連中。

 たしか午前中に退院した者が一人いた。彼を買収して敵情を探ったか、それならば納得だ。朝の食卓で話した我が身の上話を知るのも頷ける。

 それにしても手が早い。


 私は眼下の幼い列びを看遣った。

 騎士だから、子を殺めるには躊躇すると心理に訴えた奸計と見える。恐怖の滲んだ童の眼が、私の剣を凝視している。

 なんと下劣なカフス。

 確かに尋常な騎士道には、傭兵や商人の流儀に敵わぬところがある。穢れて外れる以外に勝機は無さそうだ。

 ならば、こちらも演ずるとする。


「子供か。それで……私が躊躇うと?」


 子供やカフスの身が強張った。

 慮外の発見だ。

 私でも、こんなにも冷たい声が意図的に出せるのは。何分、人を貶める謀や腹芸は不得手だと思っていたが。


()の戦場にて、とうに穢れた騎士道。よもや女児どもの哀訴のみで阻めると?笑わせるなよ下郎めが」


「なッ……!?」


「この身は傭兵、かつて暗愚と謗った手法も今や常道。リィンは返して貰おう」


「で、ででで出合え!」


 カフスの切迫した声が響く。

 前に踏み出そうとして――子供の視線が、私の背後に注がれていることに気付いた。

 注目を集める気配があるのか!

 咄嗟に横へ飛びながら身を翻す。

 鎧の脇腹を、黒塗りにされた短剣の切っ先が掠めた。鮮烈な刃の挨拶と擦れ違い、私の前に暗中から黒装束が現れる。

 女児はすっかり怯えて部屋の隅に退散した。

 中央には対峙する私と大柄な黒装束のみ。


 身なりと獲物から察するに、リシテなる者。

 暗殺の術理に長けるからこそ、先刻まで闇に潜んでこちらに気取られなかったのだ。

 恐るるに価する技能である。

 私とは根幹から異なる人種だった。

 事前の情報では三人と聞き及んでいたが、地下の手勢から一人だけ派遣されたのか?


「す、すぐに殺すのだ!」


 カフスに頷きだけを返す。

 黒装束は床を蹴ってこちらに肉薄した。低く馳せる様は獣そのもの、更に照明が遠い寝台にしか無いとあってすぐ闇に紛れる。

 長剣を抜く暇はない。

 私は鉄の籠手で武装した拳で応じる。

 右で床が微かに軋む音を聞き、即座にそちらへ体を巡らせながら腕を掲げた。

 籠手と黒刃が衝突して火花が散る。直後に腕で薙ぎ払おうとするも、振り抜けば霞を払ったかのごとし手応えの無さ。

 また消えた!――空かさず背後から床の軋み。

 前に飛んで距離を取ると、切っ先で背中を小突かれるような感触。肩越しに顧みれば、踏み込んで短剣を突き出していた。

 間合いを誤魔化した回避、間一髪か。

 みたび黒装束が消える。

 攻撃を告げる床の軋み、危うげに防ぐ、また消える、闇からの迫撃、身を捻って避ける、今度は隠れずに返す刃の一撃、籠手でいなす……。


 防戦一方だった。

 絶えず兇手を繰り出す黒装束、対して必死に鎧の防御力に甘んじて受け流す以外の方策を講じれぬ私。

 この暗い室内で無闇な転身は愚策に尽きる。

 元より、重甲冑の私に機動力を求められては困るが。

 だからこそか。

 剣を抜く猶予も、相手を捕まえる俊敏さも。

 いま必要とされる戦力がなかった。


「――ッ!?ぐお……!」


 膝裏(ひかがみ)を蹴られる痛み。

 鎧の防護がない部分を、爪先による鋭い打擲が襲った。軸足とあって、思わず体勢が崩れる。

 膝を突くと、眼前に立つ黒い影。

 頭上に掲げられた短剣が、甲冑の隙間から肩を狙うように振り下ろされる。こちらも咄嗟に振り上げた腕で受け止めんとした。

 果たして。

 腕は止めたが、些か遅すぎた。

 浅いが鎖帷子を貫通し凶刃は左肩に突き立つ。

 肩をやられたとあって、左腕に力がうまく入らない。実質、片腕のみしか機能していない。

 拮抗する腕力。膂力は同等。

 それでも明らかに不利な様相だった。


「ぬ?ぐ、う、がっ……!」

「さっさと逝け、ヒルドの膝下にひれ伏せ」


 冑を側面から打つ足。

 続けざまに鎧の上から叩く片手の短剣の柄。

 次々と連打を叩き込んでくる。

 ただ凶刃を押さえるしか余力の無い現状では防ぎようがなく、無いにも等しき体から力さえも奪う暴力の嵐が始まった。

 肩の肉を食い破る短剣は、さらに深く。

 このままでは(まず)い。

 一か八かの決死の策に打って出るか……!


「しぶとい」


 黒装束が短剣から手を放した。

 一体何を――。

 疑ったのも束の間である。

 黒装束は柔軟な体で踵を直上に振り上げ、そのまま私に突き刺さる短剣の柄頭を蹴り下ろした。

 瞬間的且つ強力な後押し。

 肩の肉に深々と突き入る。鎧の中で血が溢れるのを悟った。


「ぐッ……あぁ……」


 同時に全身から力が失われた。







 カフスの横でオレは思わず腰を上げそうになる。

 目前で倒れるラッセリヒの巨体。

 相手を仕留めたと確信した黒装束がこちらに身を翻した。相手には息の乱れさえ感じられない。なるほど、個体戦力は敵がはるかに上か。


 カフスは満悦に拍手し、黒装束を讃える。

 オレを担ぎ上げ、寝台から飛び降りてラッセリヒの下までいくと、甲冑を上から踏みしだく。


「わはは、口ほどにもないわ、ゴミめ!その程度でこのカフスを脅していたのか、こちらこそ笑わせるなと言うわ!」


「カフス殿……仲間からの“念”が途絶した。直ちに地下へと行きたい」


「ん?ああ、ご苦労だった。善いぞ……後でそちらにも褒美をやろう」


 黒装束が一礼する。

 まずい……このままでは、地下の二人が危険だ!こんな(タイミング)で加勢されたら厄介極まりない。

 何としても押し止めねば。

 その為にも……。


 オレは袖口に仕込んだ細身の短剣を手にする。

 肩に担がれていた状態から、カフスの頭を抱えるようにして捕まえ、胴で彼の肩を滑って背面に回り込む。

 足で肥満体に絡みつき、短剣を首にかざす。

 異常を悟った黒装束が翻身した。

 オレは狼狽えるカフスを押さえて睨む。


「動くな。行けば、こいつを殺す」


「そういえば……お前だったな、仲間を虐げた拷問師とやらは」


 黒装束が落ち着いた声音で話す。

 不気味だった。

 普通ならカフスほどでなくとも動じていいはず。情報漏洩にしたって、制止されるとは予測していなかったはずだ。


 本来の作戦。

 それはカフスの下へ二人で行き、オレを差し出して彼に近づく。その隙を衝いてオレが拘束し、ラッセリヒと共に追い詰める積もりだった。

 たとえ伏兵が部屋に仕込まれていても、オレなら安全にカフスの内懐まで堂々と入り込める。

 まさか相手取るのが黒装束だとは思わなかったが……。


 駄目だ。

 主人と一緒に……キースと一緒にいる為には、ここでは負けてられない。絶対に勝ち残ってやるんだ!

 一緒にいなきゃ嫌だ。

 初めて会った時からわかる、あの奇妙な屈託に満ちた態度も、それでも人を見捨てない優しさも、オレを守ろうとする必死さ。

 オレを、あの人の隣にいたいって思わせてくれる。

 わかってる、これが……恋だってことも。

 物語に綴られる生易しいものじゃなくて。

 命懸けの、熱い(こころ)だってことも。

 だから負けられない。

 この黒装束を押し止めて、絶対にオレも彼を守るんだ。


 すると。

 黒装束がオレの内心を悟ったのか、諭すような口でオレに話す。


「貴き黄色、安心しろ」


「……はっ?」


「我らの目的は知れていよう。お前と、地下に侵入した『導きの赤』を捕縛することだ。お前達は共に居れる。

 すなわち――」


 黒装束の手元が霞むような錯覚。

 その次の刹那。

 カフスの首がオレの手中から飛んで行った。遠くの床に、打って転がる鈍い音がする。


「もうカフスは不要だ」


 途端にカフスの体が傾き、後ろへと倒れた。慌てて離れようとしたが、彼の体の下敷きになる。

 背中を打ち、さらにカフスの重量に押し潰される鈍痛で呻き声が漏れた。

 倒れたオレたちを、黒装束が見下ろす。


「さて、同行願おうか」


 オレへと手を伸ばしてくる。

 だめ、強すぎる。

 あの二人がいないと太刀打ちできない……!

 オレは思わず、諦念に伏せるしかなかった。


「さあ、来い――む?」


 黒装束の動きが止まる。

 オレも怪訝に思って見上げると、あちらは自身の足元を見ていた。その視線を追って行くと、足首を……ラッセリヒの手が摑んでいる。

 喫驚に固まる黒装束とオレ。

 その前で、ラッセリヒの冑がわずかに持ち上がった。


「……安心せよ、リィンは私が守る!!」


 ラッセリヒが回りながら腕をふるう。


 次の瞬間。

 黒装束は壁へと投げ飛ばされた。






 

次回へ続く。

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