キースの御守り
束の間のシリアス。
晩冬の森で、シルキーは遊んでいた。
俺はなぜか、子守のように彼女の傍にいる。
理由はひとつ、妙に馴れ馴れしくなった村長に命令されてのことであった。気軽に肩に触れられると、若干親父を想起して身震いしてしまう。
俺としては、樵夫の仕事の方が幾分も重要に思えてならない。
シルキーは今日で十二歳になる。
村では四方八方から歓呼の声、一歩ごとに行く手を阻んでは祝の品を贈呈する大人、賑々しい村の様相がこいつ一人の仕業となると、なかなかに度し難い。
他の同年の子供や、俺の友達なんかも、彼女を狙って好感を得たいのか、様々な物を贈っていた。山の業に巡らす頭は、葉の戦ぎすら頭を掠めず、女を追う煩悩に充ち満ちている。
無論、俺にそんな物はない。
そもそも、対象がアイツとなれば。
それよりも、皆から受け取ったプレゼントを両手いっぱいに抱えながら、森に遊びに行きたいという彼女の要望を叶える俺にこそ、なにか労いがあっても良いはずだ。
肌を刺す寒気とすら戯れるシルキー。
それが様になって美しいのだから、ほとほと呆れさせる。シルキーは、とある地方で冬の精という意味らしいので、似合うのも納得だ。
艶やかな漆黒の髪に、薄く青みがかった黒い瞳。何の由来で冬に因んだ名を付けたのか不明なくらいに神から授かったとさえ思わせる恵まれた黒漆。
少しずつ女性の体つきに近付きつつある変化を見せる肢体も、しかし肌理の細かい白さだけは変わらない。そこだけだろ、冬の雪みたいなの。
ともあれ、これでもう少し、おしとやかな女性だったなら。
そんな事を考えて、頬を指で突かれた。
何事かと振り返れば、下からシルキーが見上げている。いつの間に接近を許すとは不覚だったぜ。
これでも獣のみならず人の気配には、人一倍敏い方なのだが、よもや懐を許すまでに長く傍に居たのかもしれない。
「プレゼント、沢山だね」
「迷惑ってほどにな」
「君からは?」
「毎日相手してやってるだろ、それで対価だ」
「吝嗇んぼ」
「贅沢を言うな」
俺の腕に包まれる品々の中から、彼女は無造作に首飾りを手にして面前に掲げることしばし、身に付けてこちらに体の前面を向ける。
鎖状の磨かれた鉄の先に、小さく琥珀の玉が付いた外観。なるほど山の者が買える精一杯の、やや粗悪品ではあるが、これはこれで誠意が感じられる。
果たして、気に入ったのかと思えば、こちらを無言で凝視していた。
なんだ、その物欲しそうな目は。
「何だよ」
「似合う?」
「素敵です」
「ほんとっ?ふふ、君もお世辞が上手くなったね」
「まあな」
「…………」
痛い、無言で足蹴るなよ。
機嫌を損ね、シルキーは首飾りを俺の方へ投げ遣って背中を向けた。わざとらしくつん、と顎を上げて肩越しに俺を細目で睨む。
尖らせた口が些か大袈裟に過ぎて瓶の口みたいで、何だか面白かった。
ともあれ、この調子で家に帰せば村長のお小言は間違いなし、元よりシルキーのお付きとあって嫉視の的であるのに、これ以上のマイナス要素を招いては夜道が怖い。
渋々と、俺は雑草の繁茂した場所を選んで、プレゼントを一つずつ置いていく。土で汚さぬ為に下に草を敷くのだ。
そして、俺は脚衣のポケットに手を入れ、中身を掌に隠してシルキーの胸前に突き出した。
これはアイツが少しでも誕生日とあって、親父に促されて拵えた物だ。
シルキーが目を見開いて、手を覗く。
俺は指を広げず、ただ握り拳を出すだけ。
少ししてから、彼女が両手で中身を白日の下に曝さんと力を振り絞る。
舐めるなよ、薪割りや木伐る作業に時間を費やしてきた樵夫の握力をな。
しかし、本当に全力なのか、まるで撫でられているとさえ錯覚する弱さ。女の子にしたってもう少し力が入るだろうに。
数分の格闘の末、涙目になってシルキーが訴えかけてくる。さすがに意地悪が過ぎたか。
「ほらよ」
俺は開かせた彼女の掌中に、中身を落とす。
「……これって?」
「俗に言う“御守り”だ」
それは掌に収まる小さな袋に、川で拾った綺麗な石を容れただけの物。
クオリティは、先刻の首飾りに優る。ただ、真心こもって無い分、そこは劣ってしまうが。
袋は毛糸を編んで作り、護符の印となる物は手っ取り早く河底で一番光っていた石を都合した。
シルキーは掌の御守りと、俺を交互に見る。
「良いの?」
「それ、手作りだぞ。お前の世話して少なくなった自由時間を、更に削って製作した一品。ありがたく受け取れ」
俺がそう言うと、はっとした彼女が身を翻す。
地面に置いたプレゼントを漁ると、再び琥珀の首飾りを手にした。贈呈した本人の気持ちを一切考えないような躊躇わぬ手つきで琥珀を取ると、そこへ新たに御守りの袋を据えた。
紐を通す部分に無理やり鎖を入れて、一心した即席の首飾り。
再度俺へと振り返って、首にかけた姿を披露する。
「どう?」
「ああ。似合ってる、さすが俺だな」
「えへへ、ありがとう」
あれ、俺の自画自賛が聞こえてない。
それでも満足げなので、良しとしよう。
「困ったね、キース」
「何が?」
「こんな可愛い女の子に、髪が綺麗だなんて求婚まがいな事して、贈り物までするなんて。そんなにわたしが好き?」
何だ、その勘違いの加速は。
初速から音よりも速いんじゃないか?
こいつは事ある毎に俺が惚れている事にしたいらしく、何もかも好意的に受け取る。
村の連中を考慮しなくて良いなら贈り物もしないし、さっきの託ち顔でも放置してるんだが。
何だか俺ばかりが弄られるのも癪なので、ここは敢えて同じ戦法で反抗してみよう。
「お前はどうなんだ?」
「へ?どう……って?」
「俺のこと、好きか?」
虚を衝かれ、途方に暮れた顔のシルキー。
徐々にその相貌が含羞で赤らんでいき、珍しく小声で何かを呟きながら俯いた。新鮮な表情にこちらも驚かされるが、先立った作戦成功の歓喜が強くてそっちに酔しれる。
余韻も褪めぬ内に、シルキーが決然とした面を上げた。……な、なんだ、その顔は。
薄桃色の唇が小さく開き、また閉じる。
初めより濃い朱の差した頬は、触れれば火傷しそうなくらいに熱いのだろう、と俺は漠然と思った。
「わ、わたしは勿論、キースのこと――!」
答を口にする。
――その寸前で、シルキーの顔が凍りついた。
今まで見たことがない、可憐な面貌を怯懦一色で染め上げた凄惨な様。頬からすっと血の気が引いて、雪よりも洗練された白さに回帰した。
あまりに大きすぎる異変に、俺も少し心配になって肩を摑んだ。
「お、おい。どうした?」
「……ち、近付いて来る」
「え?」
「今日は帰ろ、早くっ!」
シルキーに手を引かれて帰途に着く。
地面に置いた贈呈品の数々を放置するのは駄目だと言ったが、聞く耳を持たない。必死に前を見据えて、否、どこか後ろを顧みることを恐れていた。
別人のように怯える彼女に、俺はそれ以上なにも言えなかった。
代わりに俺が振り向いてみる。
変わらず、勝手気儘に乱立する木々たちと足元に立ち上がる叢。吹く風が心地好い樹間の景観に何ら変化はない。
――ち、近付いて来る。
あの一言。
彼女にしか見えない、彼女にしか聞こえない、彼女にしか……理解できないモノが、忍び寄っている。
どうしてだろう。
もう彼女の親の次に、一緒にいる時間が多いというのに。
懐を許してしまうほど許容しているのに。
彼女が怯える存在を認知できないこと。
その恐怖を共有してやれないことに、どこか苛立ちを感じた。
自宅の前まで送る。
それがお付きとして最後の仕事。
最初に比して暗い面持ちの彼女は、あれ以来口を閉ざしてしまっている。いつもの騒々しさが失せると、なぜか美しい黒髪は埃がかったように褪せて見えた。
こんな状態で帰したら、お咎めを食らってしまう。
道中に味わった屈託もあって、俺は少し屈み込んでシルキーの首にある御守りを持ち上げる。
「……キース?」
意図が判らず困惑するシルキー。
俺はそんな彼女の顔を、出来る限り真っ直ぐ見ながら、頭の中から言葉を捻出する。
「何が来てるか、俺にはわからないし、何なのかも知らない。……怖いのか?」
「……うん。最近、よく話しかけてくる。『早く応えろ』って」
「何が話しかけてくるんだ?」
「わからないよ」
シルキーが頭を抱えて横に振る。
こんな彼女は初めてだ。
普段なら喜んで鑑賞していたであろうその表情が、今ではただ俺の不安や静かな怒りを誘った。俺が見たいのは、そんな顔じゃないのに。
頭を抱えながら、シルキーが苦しみに喘ぐように話す。
「でも、訊ねてくるの」
「何を?」
「――大切なモノは、なぁに?」
俺は思わず、ぞっとして後ろを見た。
森の中に夕暮れの薄闇が沈んで、ゆっくりと建物の輪郭などを溶かしていく時間帯。そんな見慣れた景色の一画から、正体不明の魔性じみたモノが蹶然と地面から迫り上がってくる感覚がした。
見えないからこそ怖い。
それはまだ良いだろう。でも、彼女にはハッキリと形として見えているのだ。
それは、俺が想像できない恐怖だ。
改めて正面に向き直り、シルキーの手を持って御守りを握らせる。
「安心しろ、御守りがある」
「あ……」
「お前を守ってやる――絶対にだ」
その為の御守りだ。
俺が離れている間も、彼女の傍で守ってくれるように。
シルキーは御守りを握る手に力を込めた。
掻き抱くかのごとく心臓の位置で袋がくしゃくしゃになるほど強く。
「うん、そうだよね、そうだった。……ありがと」
「おう」
「本当にありがとう」
シルキーが急に飛び出して、俺の首筋に抱きついた。体当たりみたいで、思わず衝撃に呻き声が洩れる。
どうにか彼女の矮躯を受け止めて、その背中を軽く擦ってやった。
「キース」
「あ?」
耳許で話される。
少し擽ったかったけど、今だけは甘んじて受け入れた。
彼女が何を言うのか、俺は耳を澄まして――。
「大好きだよ」
そう言い、突き飛ばされる。
離れ際に、頬に柔らかくあたたかい感触が残った。驚いて見ると、いつもの悪戯っ子な笑みを浮かべている。
そして俺に手を振って、家の中に入った。
えーと。
まあ、薄々わかってた。
取り敢えず、今日は帰ろう。
最後に見た、いつもの笑顔に俺も安堵した。
大丈夫、御守りがある。
必ず守ってくれる。
俺はそう信じた。
次回へ続く。