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最強戦姫の幼馴染……の世話役  作者: スタミナ0
2章:騎士の忠剣と奴隷少女の恋
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シルキーの砌の剣



 霊峰を遠景に望む草原。

 青空の中に葉のそよぐ大地で、ただ一本だけ佇む樹木の下に、机と椅子が置かれている。木陰の中で涼風を受けるのは、それだけではない。

 階調の乏しい白装束に身を包む老婆がいた。

 遥か峰を見る碧眼の下、淡い色をした畸形の刺繍をした頬を微かに緩ませた笑み。

 視界のすべてを慈しむような眼差しで平原を眺める。

 両手には一つ。

 円形の器に七つの珠が縁取るように填められ、微かに七色の光を灯して明滅している。特に、赤い珠は強く発光していた。


「兆しの赤ですね、虹が架かります」


 笑みを深め、掌中の器を机上に安置する。

 空になった両手を軽く打ち合わせた。音は吹けば何尋にも轟く角笛のごとく草原一帯へ殷々(いんいん)と谺していく。


 すると、霊峰の向こう側から。

 大空を泳いで迫る異形の影が現れた。

 頭上を通過し、大きく旋回して老婆の背後に付く。


 それは草原の一部を占有するほど巨大だった。

 死神の携える鎌の如き背鰭、(ヒレ)の膜は金の粉を振り撒いたように点綴とした燐光を宿す。

 錐形に尖った鼻先を老婆に近づけ、六つの鼻孔の内側にある無数の襞が蠢いて気配を確かめる。

 大きく開けられた巨大な口の中、無数の牙の奥にうねる赤い舌の上の眼球が老婆の姿を認めた。

 金の体色をした巨躯は、魚影を草原に落としている。尤も、それは皮膚や鱗の色ではなく、体表を稠密に埋める金色の花の蕾であった。

 形だけなら(サメ)と呼ばれる生物の姿態に近い。


 その畸形の巨大鮫がふっと息を吐く。

 吐息は木さえもが吹き飛びそうな暴力的な風となって吹き抜けた。

 その中でも端然と佇立する老婆が振り返る。


「来ましたね、『摘まれた花(ヲンク)』」


『…………』


「アナタの罪を雪ぎ、咲く季が来たのです」


『償、ナエル?』


 老婆は応えるように巨大鮫の顎を撫でた。

 唸り声とも付かぬ低い声で喉を鳴らし、宙を浮遊していた体を地表に落ち着かせる。そのまま身を委ねて感触を楽しんでいた。

 甘えてくる様子に老婆が目を伏せた。


「安心なさい。世に戦魔と畏れられしアナタ方――『曙の遣い(アマバリ)』の御霊は、私が清めましょう」


『……魔女サマ、コレカラドウスル?』


 魔女と呼ばれた老婆が空を見上げた。

 その脳裏に去来し、頭上の青に誰の姿を投影したかは、巨大鮫にも読み取れない。


「『ヴァルプルギスの夜』に向け、皆も集い始めています。私も参らねばなりません」


 老婆が器を懐中に入れる。

 再び掌を打ち鳴らすと、彼女の膝下に三角帽をした集団が忽然と現れた。誰もが円に広がる鍔に隠した頭を垂れている。

 怪獣と老婆の両者に見下ろされたまま黙っていた。

 その様を眺めわたした老婆が軽く虚空に指を振る。

 彼女を中心に微風が吹き、その足の裏が地面から離れていく。緩やかに上昇し、巨大鮫の背に腰を下ろした。

 跪いていた三角帽も卒然と立ち上がり、己が背丈をも上回る樫の長杖を手にし、俯いて何かを同時に呟き始める。

 それは出立を言祝ぐ文句、終の別れとも判然としないほど悲しい旋律のような歌だった。

 その声を受けて、巨大鮫は高度を上げる。

 老婆は高くなる景観に、一度だけ物憂げな眼差しを投げた後に、眼下の三角帽たちへと静かに手を振った。


「導きの赤、神秘の紫、貴き黄色、豊潤の緑、清き青、慈愛の藍、罪なる橙。

 ――――皆が一つになるときが来たのです」


 巨大鮫が一鳴きする。

 三角帽たちがその象徴たる帽子を脱いで胸に抱き、もう見えない老婆へと深くふかく一礼した。全員の解き放たれた射干玉の黒髪が肩に流れる。

 巨大鮫が尾ひれをふるい、音もなく発進。

 上空を悠々と泳ぎ出した巨影を見送ると、再び帽子を被って逆方向へと進み出した。






 *──*──*──*──*






 その転瞬。

 わたしの視界が戦慄に凍った。


 暗澹として闇が泥んだような地下でも目に焼き付くような赤い飛沫が散る。振り撒くのは二点、中空を舞う右腕と。

 上腕半ばから右腕を失った――キースだった。

 本人もその光景に驚怖で目を瞠っている。

 体信者からの通告をはね除けた途端、前触れもなく彼を不可視の刃が切り裂いた。そう形容するしかないほど、理解不能な状況だった。


 わたしの頬に一滴。

 飛散した血飛沫が貼り付いた。


 それは先刻までキースの体を巡っていた生々しい名残の微温を保ち、頬を舐めるように伝っていく。

 身の毛もよだつ感覚で指先まで痺れた。

 思考が現状の理解に追い付いていない。

 茫然自失として、その惨事を静観していた。


 キースが腕を押さえて呻く。

 喪失した右腕の切断面からは……赤い物が滴っている。

 でも、あれは血じゃない。それよりも粘度があって、垂れて床に堆積していた。

 あれは――まるで泥だ。赤い、泥。

 泥が体外に漏れ出ていくと、切断面の部分が著しく膨らみ、彼の押さえる手すらも弾く。

 膨張を続けたそれは、やがて骨を折るような音を鳴らして腕になった。


 それは全体に赤い線の走る白い異形の腕。

 前腕部が大きな六角柱の灯籠となっていて、内側に孕んだ赤い球が格子状の目から光を放っていた。その先は、灯籠を経由して太い手首と魁偉な指がある。

 明らかに人の形を外れていた。

 異様も異様、怪異である。


「うッ……ぉお……!」


 今度はキースが頭を抱えた。

 めきめきと、頭蓋の軋む怪音がする。

 黒毛が針のごとく毛先を逆立てると、皮膚の上を別の生き物のように張って、顔の前面部に移動する。

 黒いうねりとなって引いていった後頭部から、赤銅色の肌をしたうなじ、そして赤い髪が現れた。

 それは……見慣れた、キース本来の髪。

 獣の耳は極端に短く、そして角のように硬化し、顔面を覆う毛は仮面に変じた。

 ウサギ、ではない。

 ウサギを象徴する獣の耳はあれど、口許に(くちばし)と思しき短い突起、目のある筈の部分には赤く縁取られた穴だけがある。

 獣の片耳以外の外観はどこか鳥に似た仮面が完成した。


 何が彼を変異させたのか。

 先刻の毒……?

 矢の終端に付属していた赤い肉のような玉による効果か。


「ッ……キース!」


 それよりも。

 キースの容態が心配で仕方なかった。

 急激な変化はともかく、右腕を切り飛ばされての失血に立て続き、代わりに生えた異形の腕が体に如何なる負荷をかけたか。

 命に別状無いなら善し、毒性があるなら再び切断を要する刃傷沙汰。


 踞っていたキースに駆け寄る。

 後ろの体信者に牽制の眼差しを払いつつ、その肩を抱き上げた。足下に溜まった赤い泥は蒸気を立てて跡形もなく消える。

 キースは痛みの余韻が引かず、体が強く強張ったままだった。

 力なく垂れた右腕の付け根を強く摑んだ手は蒼ざめている。

 わたしの体温を感じてか、すわ顔を上げた。

 直近にいる相手の顔すら見えていないように、その視線は彷徨して体信者を見るや、表情が凍り付く。

 彼には珍しい恐怖の面持ちだった。


「未完成、未熟、未発達」


「まだ時期尚早だった」


「見誤った」


 体信者の声が地下に響く。

 それに呼応し、キースの右手の指が地面を摑んだ。指が石畳を砕き、抉りながら拳固を作る。

 赤腕(しゃくわん)の灯籠が眩く輝いた。

 赫耀の炸裂に、わたしは思わずキースの直近から壁際に退く。

 強い光の中、目許に掲げた手の隙間から様子を窺った。

 腕の灯籠の六面が引き戸のように開く。

 内側に擁した太陽のごとき紅玉がまたたくと、地下一帯の空気が急激に冷たくなった。キースの赤腕へと吸い寄せられる気流が発生し、風がわたしや体信者の体からも熱を奪っていく。

 石畳や壁に霜が降りる。


 間違いない。

 どんな力が作用したかは知らない。

 それでも、これはわたしの能力に近いモノだ。

 周囲一帯の熱を無差別に奪っている。

 しかも、熱を得るほどに灯籠の紅玉は輝きを増し、その大きさを成長させた。


 わたしは急いで能力を発動する。

 彼に略奪されつつある自身の熱を引き戻して対抗した。互いの力が反発、いや拮抗してそれ以上の体温の低下は防いだけど、体は冷たいままだった。

 そして。

 体信者は直立したまま白目を剥いていた。

 生命の維持に必要な熱を失い、低体温症で絶命している。皮膚は黒ずんで壊死し、毛先には結晶が付いていた。


 決着はついた。

 それでも、まだキースの力は止まらない。


 彼の背後の虚空に。

 翼のように四つの大きな菱形の結晶が現れた。黄緑に微光して、段々と大きくなっていく。

 赤腕もまた成長していた。

 上腕半ばのみだった白い皮膚と赤い線が肩まで侵食し、肩部に鎧のような形状が生まれる。

 キースが何か、別の物に生まれ変わろうとしているのか。


「……させない」


 わたしは息を整えて。

 キースの右腕に飛びかかった。

 成長途中の右手を踏み押さえ、剣の切っ先で紅玉を攻撃する。硬質な手応えとともに、刀身から柄本までが赤熱化した。

 握っている手が火傷しそうなほど熱い。

 それでも堪えて、力を込める。これを砕けば収まる、そんな確信があった。

 しかし紅玉に阻まれた剣の先が、だんだんと溶解していく。ダメだ、文字通りに刃が立たない!


 鋭さも硬度も失った剣を(なげう)つ。

 次いで、わたしは懐中から短剣を摑み出す。

 そう。

 これは、父さんには無断で持ち出し、あの日に二人で共有したもの。


 わたしは再び紅玉に切っ先を叩きつける。

 今度は溶解してしまわぬよう、能力を同時に発動させて、鋼に帯びる熱を冷ました。

 力をより込める。それでも足りない。

 すると、キースが動いた。

 既に右と同じ姿になろうとしている半端な左手で、彼もまた懐中からわたしと同じ短剣を取り出すと、紅玉めがけて振り下ろす。

 二撃目の鋭鉾。

 金属音と共に、紅玉に亀裂が入った。

 ここぞとばかりに、わたしとキースが体重ごと腕に乗せるように全身全霊を注力する。


 ぱきんっ。


 硝子の割れる音。

 紅玉が砕け散って、灯籠から光が失われた。

 連続して、背にあった菱形の水晶も光の粒子になって散逸する。

 わたしとキースは切っ先に乗せた重みで互いに体勢が崩れる。

 二人で床に仰向けで倒れた。

 すると、キースの右腕が変容していく。

 六角柱の灯籠が萎んでいき、尋常な腕の形に戻った。……のだけど、白い皮膚と赤い線の模様は消えずに残る。

 吐いた白い溜め息混じりに、疲労困憊に満ちた彼の声が聞こえた。


「今回は……迷惑をかけたな」


「ほんとだよ。これを機に、日頃からもっと気遣いをしてくれ」


「過労死する」


「何だい。まるでわたしが普段から面倒臭いみたいに言うね」


 無言の返答だった。

 釈然としない。


 それでも。

 急場とあって気付くのが遅れたが、彼がわたし同様に『あの短剣』を携帯していたのを知った。

 それが入念な武装であれ……戒めであれ、彼が未だに持っていることが何よりも嬉しかった。

 短剣を握ったままの彼の左手を握る。


「ふふ、君の右腕どうなってるの?」


「俺にも……わからない」


「帰ったら闇医者さんに診てもらおうよ」


「解体されるかもな」


「わたしの顔に免じて、それは止めてくれるさ」


「通じないな」


 何だって?

 わたしは地下の様子を眺め回した。

 直立不動で絶命した体信者は三人、それぞれが体格も異なるので別人であると推すると、恐らく分身ではなく残存した勢力全員だろう。

 要するに。

 わたし達は目的を達成した。


「キース、これからどうする?」


「……疲労の具合から、たぶん上の二人の加勢は無理だ。シルキーが行ってくれ」


「駄目、君を残しては行けない」


「いや、今は人手が」


「絶対ダメ」


 意地になって否定する。

 暫くして、キースは諦めたように右手でわたしの頭を撫でてきた。それが気持ちよくて、こちらも顔を寄せる。


「ここは危険だ。悪いけど……運んでくれ」


「いいよ。存分に頼ってくれ、わたしは君の恋人、いや婚約者なのだから」


「まだ二年前の戯れが続いてるのか」


「続くよ、ずっとずっと」


「……そっか」


 キースの腕を肩に回してたたせる。

 体は鍛えたので、彼の体もひょいと持ち上がる。その際に少し彼の顔が複雑そうに歪んだが、それもかわいくて思わず笑んでしまう。

 また嫌そうな顔をされた。

 元来た道を辿り、傾斜路を上がる。敵影は無い、あとはラッセリヒ達のお手並み拝見だ。


「なあ、シルキー」


 彼の呼ぶ声。

 我ながら単純に、名前を呼ばれるだけで嬉しくなる。

 眠そうに、もう意識を失う寸前なのか、彼は譫言のように小声で声を漏らす。


「俺は、おまえのこと……」


 おまえのこと――。

 肝心な言葉が聞ける気がした。


 けど、それは紡がれることはなかった。

 寝息が聞こえる。

 拍子抜けして嘆息を禁じ得なかった。非常に残念だが、いつか聞けることを期待しよう。


 そうして、わたしは彼の温もりを携えて館の外まで脱出した。





次回へ続く。

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