シルキーの発見
監禁室にしたのは奥の部屋。
普段は物置として使用されている。
昼の騒動でも無事だったので、簡単な掃除の後に即席の監禁室に内装替えをした。
窓を厚布で覆って遮光し、完全な暗室になる。
捕らわれた黒装束は、その中心に座した。
その両脇の空間を、簡単な文机、そして机上に安置された箱に収められる拷問器具が占める。
ユーナを隣に、黒装束の直近に立つ。
俯いたまま動かない姿は、死体の様である。
しかし、舌を噛み切ったり、予て口内に仕込んだ毒薬で自殺されるのを防ぐため、拘束後は検査をしてから早急に猿轡で縛った。
武力があり、且つ危険思想のある宗教の団員は火に飛び入ることすら躊躇しない。
つまり、情報漏洩を防ぐべく自殺するのも平気に実行する。
そうなれば本末転倒なので手を打った。
扱いは慎重に行わなければ。
リシテを侮辱する者を暗殺する覚悟も然り、『体信者』と呼ばれる人間の教義に対する熱意は各々で凄まじいのは想像に難くない。
質問の言葉で不興を買えば、口を閉ざしてしまうだろう。
俺が片手の斧で頭を小突く。
すると、黒装束がゆっくり上体を持ち上げた。
奇妙な紫の刺繍を入れた男の面。浅黒い肌は脂が乗り、ぎらぎらと光って生命力を感じさせる。
瞳は賢しげにこちらを見回して眇められた。
斧を携えた俺の存在にも臆する素振りがない。
猿轡を解除する。
唾液が垂れて、僅かな呼気が洩れた。飢えた獣みたいに深く、けれど喉を削るような荒い息。
呼吸に苦しむほど拘束していないが、入念に空気を吸入する挙止は、不気味さばかりが際立っていた。
「面を見せろ」
俺は、彼の白髪の多い黒髪を摑んだ。
面を持ち上げ、ユーナの方へと強引に向ける。
視線が交錯した。
ユーナは顔が強張り、男が目を瞠る。
当然だ、リシテの係累となれば驚く。
市井に紛れて生きてゆけるリシテの民など、絶滅危惧種である。彼女が今日まで生きて行けるのは、同じ境遇にあるならず者たち、彼等を癒す彼女の心、そして飯屋店長の処世術あってだ。
環境と縁に恵まれたから、今のユーナがいる。
もしかしたら。
ユーナもなっていたのかもしれない。
この『体信者』と呼ばれる人間に。
狙い通り。
リシテの民同士なら、話し合える場合もあると望んで、こいつが口を割る可能性に懸けた。
窮地に同族の姿を見れば希望を抱く。ユーナが質疑応答を済ませれば解放すると甘言を垂れ流す。それだけで救済に食い付いて情報を開示するはずだ。
籠絡の策は効果覿面だったか。
俺はほくそ笑みながら、彼の顔を見て――。
その視線が、ユーナを見ていないのに気づく。
若干、彼女の上を見上げていた。
そこには何も無い。
黒装束が震え出し、口許を笑みに歪めた。
「ああ、何という……其処にいらっしゃったのですね、“寵愛の黒”!」
死人じみた沈黙で待機していた彼は、我命を得たりという勢いで体を左右に振る。それでも視線の先は固定されていた。
振り回される視野、それでも不動の焦点。
対応すべく眼球が激しく運動し、目許から血涙が溢れ始める。正視に堪えぬ奇行からは、総身の肌が粟立つ感覚がした。
ユーナが後退りする。
無理もない反応だった。
「ヒルド様、我は見出だしました、彼の器はここにあります!」
突然の発狂か。
俺の手すら振りほどく勢いで上体を反らし、高らかな哄笑を上げる。密閉した空間に仕立てたのが災いして、壁に反響する声が恐怖を煽る。
まるで男が何人もいると錯覚させた。
やはり、根本からコイツらは可怪しい。人間性などの有無は兎も角、根幹を構成する中に狂気が潜在しているのだ。
怖気を震って、俺の体にユーナが隠れた。
畏怖で強張る指が、まるで泥を掻くような重々しさで俺の衣服を摑んだ。
「き、キース……この人どうしたの?」
「俺にも判らない」
手応えは無かった。
どうやら、ユーナによる懐柔は失敗らしい。
黒装束は、それからも只管に何かを語る。内容も判然としない乱れた語調と早口だった。
嵐に靡く枝葉に払われ、留まる枝を探しに狂奔する鳥のような荒々しさ。
俺たちは眼中になく、その瞳は別の世界を捉えていた。
その迫力に怯えるユーナを退室させる。
示し合わせた通り、リィンが器具を持った。
奴隷として過ごした月日に見た物で耐性があるのか、彼女は拷問という行為に何ら抵抗感もなく対応する。
金の瞳は、黒装束を冷たく見下ろしていた。
手渡された器具を矯めつ眇めつする。
心を無にしろ。
余計な罪悪感や責任感は排除するんだ。
俺の願望はシルキーと一緒に人間になる。
夢見物語では終わらせない、必ず実現して戦場を抜ける。俺たちが戦わない世界を目指す為の道だ。
「ご主人、いけるか?」
「リィン、お前の主人は……やれそうか?」
リィンは一瞬虚を衝かれた間の抜けた顔。
ところが、直ぐに答えを返してきた。
「……アンタならやれるよ。オレが保証する」
「どうして」
「強い人間だから」
リィンが一つひとつを力強く言った。
不思議と体の芯に浸透していく。
自分もまた窮状にあるのに、むしろ一番非力だというのに俺よりも確りとしている。よほど俺に見当違いな信を置いているのか、それとも合理的に判断した上で遂行可能と見ているのか。
どちらだとしても。
背中を押す声音だった。心の何処かで止めて欲しいと弱音を吐いていた部分が捩じ伏せられ、覚悟の火が手元を焼く。
敵は狂信者だ、手強すぎる。
俺が磨耗するか、或いは篤き信心が折れるか。
どちらが先に相手を叩き伏せるかの勝負。
シルキーには任せてはならない、俺の仕事。
「じゃあ、第一の質問だ」
やる事は――決まってる。
二階で、わたしは踞っていた。
自室に隠って、膝を抱えて壁際に縮こまる。村にいた頃も、夜はこうしていた。
久々に思い出す。
夜闇が部屋を満たせば、その隅々から瘴気の如く滲み出てくる『黒いお化け』。忌々しい影たちは、わたしの傍で囁く。
小さいわたしは、ただ怯えた。
怯懦の海に沈み、狂乱しそうな精神の糸を手繰って胸の内に束ね、延びてくる黒い手から死守するだけの孤独。
お守りを貰って村を出てからは、もう恐怖に駆られる夜はなかった。
でも、何も変わっていなかった。
わたしは依然、彼に甘えていただけ。
肝心な所は何一つできない。
何でも許されると思っていた『愛情に甘えたシルキー』だ。
彼だって辛い筈なのに、わたしの為を想って突き放したのだろう。
それでも、彼の冷たい眼差しが胸を貫いた。
演技だとしても、あの時の辛苦は堪えられないくらい凄かった。
お願い、キース。
わたしを拒絶しないで欲しい。
君の隣にいられるなら、何だってするのに。
わたしから君を奪う理不尽を排除する為に、戦おうと、傭兵になろうとしたのに。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
『何を悔やむ、黒の影法師?』
不思議な声を聞いた。
安らぐような囁きに顔を上げる。
涙で歪んだ部屋の中に、一点だけ孔を穿たれたような黒い球体が浮かんでいた。キースと行動を共にしていた奇怪な生物だ。
まだわたしの所にいた事に驚く。
今は目障りだった。
『最果てまで、その身を愛せ』
「自分の体を大事にしろ、か。キースに、あんな過酷な役を背負わせて、わたしは安穏に過ごせっていうのかい?」
『黒の影法師、愛されるはお前に非ず。“黒”を宿していたお前しか、赤は望んでいない』
わたしは息を呑む。
黒髪の色を対価に、キースは命を繋いだ。
それが最も大切なモノとして呈示した。
ならば、黒を失ったわたしは彼にとって何者なのか。
愛したモノの名残、僅かな芳香を醸す残滓。
今のシルキーは、ただ『甘えん坊のシルキー』の影法師でしかない。
いや。
影法師なのは事実だが。
わたしは、彼の心の孔を慰撫する為だけの存在じゃない。その程度なら、二年前に見捨てられている。
キースは結局優しいのだ。
わたし個人に拘わらず、誰にでも。
大切な人と定めたら、その人の為にだけ非情になれるだけ。
出会った日からずっと、わたしの手を引く温もりは変わらない。
「……ううん、そんなことない」
『見れども視れども観れども看れども――』
「キースは、そんな人じゃないから」
『…………』
黒玉は言葉に窮して閉口する。
もしかしたら、頑固なわたしに呆れたのかも。
そうだとしても、わたしよりキースを知った口なのは解せない。彼という人間を熟知しているのは、天上天下にわたし一人だ。
その自負がある。
ただ心配なのはユーナの存在だ。
あの娘、キースに親切にして好感度を稼いでいるだけなのである。初対面で彼の兎頭に驚愕しなかった時から怪しかったけど。
人柄に惚れたなら共感するよ。
だって、わたしのキースだから。
わ・た・し・のキース!
色目を使ってくる辺りは小賢しい。
わたしだって、あと二年経てばきっと……。
あの体の曲線は卑怯だと思う。キースが彼女の胸元や脚を下卑た欲の眼差しで見詰めたことは、わたしの知る限り一度もない。
でも、心身衰弱しているときにすり寄られたら誰だって堕ちる、と思う。
幾らキースがわたしに執心だといえど油断大敵。彼も人に甘いところがあるから、今はわたしに傾いていたとしても気を付けなければ。
『過剰な自信は略奪を許す』
「むしろ君は自信が無さそうだね」
『…………』
黒玉は押し黙った。
とても良い気分である。
下階へと下りる足も軽い気がした。
しかし、いざ一階に出ればキースの姿はなかった。まだ監禁室で格闘中と思われる。
黒玉もそちらを凝視していた。
わたしは彼に張り付いて意味不明で余計な事を囁いていると聞いたので、強引に摑んで引っ張っていく。
不服そうに黒玉の全体が脈動する。
黒玉の全体で小さな星々のように光が閃く。
「君の体、どうなってるの?」
『…………』
「都合の悪いことには応答しない。まるで人形みたいだね」
『………………』
無言だった。
でも、これまでとは違う。
その微光、目付き、脈動が語るのは……憤怒。
意外である。
この黒玉、ひとの傍らに在りながら万事を傍観するだけで、他人事のごとく見つめ、自身が矢面に立つことを厭う。
「……ねえ、君って何処から来たの?」
『…………』
「もしかして――」
問いかける――その途中で。
重量感のある物が床を打つ鈍い音がした。
唐突な物音に、わたしと黒玉は反射的にそちらへと体を巡らせる。監禁室ではない、病床を並べた部屋だった。
たしか、日中にキースと黒装束の戦闘に巻き込まれ、その近辺で保護した負傷者だったはず。
ガレンさんは検診を終えた。
つまり、患者の誰かが寝台から落ちたのかも。
わたしは仕方なくそちらへ向かった。
入り口から覗く。
病室は荒れ果てていた。
主に、一つだけ寝台が転覆している。それ以外に三つの寝台、二人の患者が怯えたように毛布に包まれて一方向を見詰めている。
わたしもそちらを見てみると、窓際に誰かが踞っている。
「ああ、主……何故……我が剣は、何処へ……!」
月光の差す場所。
そこに、柄本で折れた剣を抱える甲冑――を着た人間がいた。
彼は震えていたが、やがてこちらを見て剣を投げ捨て、頭を抱えて床に打ち付ける。
明らかに正気ではなかった。
「ああ、何故!!」
それは、わたしが言いたい。
次回へ続く。