龍は魔女の目覚めを待つ
大好きな女が眠りについてしまった。
このことを嘆かずにいられようか。
……あたかも、永遠の眠りについたような口ぶりで物語ってはいるが、彼女……魔女のアリアは本気で眠っているだけで、死んでいるわけではない。
ただ、その眠りというのも魔法の補助がかかったもので、身体が休息を欲するだけ眠り、次に目覚めるのはいつだかわからない様な状態である。
アリアは人間だが、人間の細胞の一部であるテロメアを修復し続ける魔法にかかっており、その肉体は老化を知らない。
故に彼女は永遠に美しく若いまま過ごし続ける。
そのことを僻む人間は何人もいたが、アリアは魔女として優秀で、力でねじ伏せることも容易だった。
といっても、国を滅ぼす様な趣味はなく、自分は有益な人間ですよと龍を従わせるような方法で国の重鎮に重用されていた。
アリアと自分が出会ったのもそれがきっかけで、始祖龍を倒しにきた小娘と三日三晩の喧嘩をすることになったのである。
魔素に愛されているようなその娘は、容赦も知らない様な攻撃魔法を次々に叩き込んできた。とはいえこちらも、だてにあらゆる龍の先祖と言われる始祖龍の名を冠しているわけでもないので、並みの魔法では鱗すら傷付かない体にさらに防御の魔法をかけてしのぎ続けた。
正直なところ、こちらが攻撃する暇も与えないほどに彼女は攻撃の手を緩めず、あちらも並みの攻撃では通らない防御の魔法を自身に掛けているのは見ればわかるので、どちらが先に体力が尽きるかの消耗戦に持ち込むしかなかったのである。
それより、アリアと名乗った彼女にいわゆる一目惚れをしてしまったのが始祖龍の運の尽き……というより、何千年と生きてきて初めて人生に狂いが生じた瞬間だったのかもしれない。
ストロベリーブロンドの美しい髪の毛が風に弄られて舞い上がる。晴れた日の空の様な美しい青い瞳が真っ直ぐにこちらを射抜いてきて、その瞬間にはころりと落ちていた。
最終的に、殴り合いの喧嘩を繰り広げて、和解することに成功した。
名前はないと告げた始祖龍に「アイン」と名付けたのはアリアであった。
そのアリアは、働きすぎで眠りについている。
あの殺しても死ななそうな面白い女が働きすぎの過労で眠っている。
とどめを刺したのは馬鹿な王族の「行き遅れ」のただ一言であった。
アリアは行き遅れなどではない。
むしろアピールしてくる男の多いこと多いこと!
それをチクチクと邪魔し続けていたのはほかならぬ自分である。
アリアの魔法の力目当てに寄ってくる貴族の男、旅先で出会った冒険者。隣国の王子などもいたように思う。
ただどの男のアピールにも基本的にアリアは鈍いので遠回しなアピールでは気が付くはずもない。
直接いっても通じないのだから、ちょっとやそっとのアピールで彼女がなびくはずもない。
そして行き過ぎた行動を見せ始めたやつには消えてもらうか、遠ざけることにした。
隣国の王子は厄介であったが、ちょっと下位の龍に邪魔をしに行くようにけしかけてしまえば、国が荒れてアリアに会いに来るどころではなくなっていた。
だから、アリアが結婚できない原因は、アインもその一端をになっているのである。
アリアをないがしろにした国を滅ぼしてやろうかと提案したが、直接手を下すことは残念なことにアリアに駄目だと言われてしまった。
彼女が眠ってむしゃくしゃしていたついでに、国が消し飛ぶ程度の魔法でも放ってやろうかと思ったが仕方あるまい。
代わりにアリアが本来討伐する予定だった邪龍どもに「今あの国に国を守っていた魔法使いはいなくなった」と伝え、ついでに他の龍にも声をかけた。
自分はちょっと噂を流しただけで、直接手を下したわけではないので問題はないだろう。
アリアという強力な盾を失ったあの国は、面白いくらい簡単に滅びていった。
アリアの力に頼り過ぎだったのだ。自業自得である。
龍に襲われて国力が疲弊したところに、隣国が攻めてきて、あっという間。
アリアを馬鹿にした姫も、王子も、王も王妃も、責任をとってさらし首にされたがどうでもいい。
アリアはまだ眠っているし、自分はとても退屈である。
毎日アリアの寝顔を眺めているというのも退屈で、以前ならば彼女から触れてくれていたが今度は逆になろうと思い至った。
しかしアリアの家には龍である自分の身体は入らない。
ということで、人化の術を学ぶことにした。人のみに魔力と肉体を保ち続けるのは存外難しく、完璧に人間に擬態するまでには五十年もかかってしまった。
然し努力の甲斐あって、眠るアリアの傍で彼女に触れることも出来る。
人間に化けた姿というのは、本来魂のもっている姿に変わるというものらしく、あとから変えることはできないらしい。
黒髪黒目の人間の男の姿をアリアが気に入ってくれるかはわからないが、人間の国に降りたときには他の雌が言い寄ってくような容姿をしているので、醜いということはないのだろう。
アリアのまつ毛まで美しいストロベリーブロンド。
あの空色の瞳が今は閉じられてしまって見えないのがひたすら残念で仕方がない。
保護の魔法がかかっているので、彼女に穢れがたまることはないのだが、着替えさせたり、着飾らせたりするのは楽しむことが出来る。
出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる柔らかい体を丁寧に清めていく。きっと起きていたら真っ赤になってひっぱたかれそうだからアリアには言えない。
人間の国で出来た新しいドレスや美容もアイン自ら勉強して、アリアへにあたえていった。
化粧や宝飾品や美しいドレスの良さは分からないが、アリアが身につければとてもよいものに見えるので、素晴らしいものだというのは分かる。
アリアの可愛らしい桜貝の様な爪に、透明なジェルを塗り、上から自分と同じ瞳の色で飾って、その上に小さな宝石をちりばめて満足げに息を吐く。
まるで自分のモノになったようで、アリアを飾るのは日々の趣味になっていた。
彼女が眠って早数百年。
長すぎるが、いつ彼女が目覚めてもいいように、人間の国でも冒険者としての地位を高め、金を稼ぎ、情報を仕入れながら過ごしている内は、それなりに退屈が紛れた。
だかやはりアリアの居ない生活は、寂しいものである。
そう思っていたら、ついにアリアの目が覚めた。
うっかり人間の姿のままだったので、アインだと分からなかったアリアに攻撃されそうになったがなんとか彼女に話を聞いてもらうことに成功した。
アリアをしいたげていた国が滅んだことに、彼女は感情を動かさなかった。
やはりあの国は、どうでもいいと本気で思っていたのだろう。
何処か冷たいとさえ感じるアリアだが、彼女は懐にいれているものには慈悲深い生き物である。
自由に旅がしてみたいというアリアの発言も歓迎すべきものだった。
その為の準備はもうできている。
これからずっとアリアと二人でのんびり生きていくのだと思えば、退屈だと感じていた心はもう浮き足立っていた。
しかし彼女の「結婚もしてもう行き遅れなんて言わせないわ!」と意気込む発言には、ぴしゃりと固まった。
「俺と結婚しようよ」とプロポーズもしてみたが、冗談だと捉えられて通じなかった。
ああ、まただ。
これだからアリアは手ごわいのだ。
「絶対邪魔してやる……」
自分以外の雄とくっつくなんて認められない。
アリアがいいなと思う男がほかに現れたとしても、最悪いなくなれば問題ない。
にこりと微笑む。
彼女の美しい空には自分だけが居ればいいのだ、これまでも、これからも。
「旅に出るのが楽しみだね、アリア。君とならきっとどこでも楽しいよ」