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黒部の雪  作者: わっしょい黒部
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1.新黒部駅

2018年3月28日水曜日。

13時02分。JR北陸新幹線 黒部宇奈月温泉駅に到着。


北陸新幹線はどんなに雪が降っても通常運転していたと、全国紙の新聞で大きく掲載されていたときは、思わず記事をスマホのカメラで撮影したものだ。


北陸新幹線で帰ってくるのは初めてだった。

いつもは交通費をケチって池袋発の夜行バスで富山駅に帰ってくる。大学生活最後の記念にと思って新幹線のチケットを購入したのだが、思いのほか快適で、今までお金をケチって乗ってきた高速バスで体験した嫌な思い出を「うんうん」と振り返りながら、多少支出が増えても、これからは絶対に新幹線を使おうと決意を新たにした。


まあ、こっちに帰って来たんだし、これからはあんまり乗ることもないだろうけど。


ブブブブブ…ブブブブブ…

駅の改札を出ようとしたとき、スマホのバイブがパンツの右のポケットから体に響く。まるで電車を降りたのを監視カメラで見ていたのかと思うほどのナイスタイミングで電話がかかってきた。母だ。


「もしもし?」

少し面倒くさかったが、面倒くさい雰囲気で電話に出ると長い説教が始まって、いつまでも本題にたどり着かないので、出来るだけ、丁寧に出る。

「あ?陸ちゃん?お母さんやけど」

「大丈夫。分かっとる。画面に名前出とるん確認して出たから。」

「あははー。やだー。そんなん分かっとっちゃー。じゃあ、なんて言ってかけたら良いがかよー。うふふふー。」

何が可笑しかったのか、いつまでたっても笑っている母に、これから毎日こんなんかー、と少しウンザリしながら、話題を進めた。

「で?なに?」

「なにって、あんた今日帰ってくるがやろ?何時に着くがん?」

なんだ、どうやら監視カメラで見ていたわけではなさそうだ。

「今着いたとこやけど」



「は?!どこに?」


「やから、今、宇奈月温泉駅に着いたとこ。」


「新幹線の???なんでもっと早く言わんがけー?もー信じられんわ、この子」


これは、母の口癖である。昔から事あるごとに「信じられんわ」と言う。小さい頃はそれはもう悲しくて、そう言われないためにひたすらに頑張っていたのだが、大学進学と同時に東京で一人暮らしを始めた頃から、それがバカらしくなって、今ではそういう風に言う母親を遠い場所から冷静に見ることが出来るようになった。


「あーごめんごめん。なんかあった?」

「だって、そっからどうやって帰ってくるん?あんた車ないやろ?」

「地鉄で帰るっちゃ。」

「えー?時間あるがけ?本数少ないがんよ。」

そんなことは知っているし、この人は俺のことを乗り換えの時間も調べずに帰るバカ息子だと思っているようだ。

本当は13時15分新黒部発の地鉄に乗って行こうと思っていたが、この電話に出たせいで、もう間に合いそうもない。まあ、1時間も待てば次のが来るだろう。


「いいよ。急いでないし地鉄で帰る。次のやつに乗るから、3時には家に着くっちゃ。」

「もう。もっと早く連絡してくれたら、迎え寄こしたがに。今日は黒部市の学校の卒業式で、謝恩会入っとるから忙しいがよ。駅まで誰も迎えに行けんからね。気をつけて帰ってこられ。プツッ…ツーツーツー」


いつもの事である。勝手に怒って勝手に完結して、自分の要件だけ言って切ってしまう。


うちは、宇奈月温泉街にあるホテル宇奈月という、老舗のホテルだ。母はそこの女将をしている。奥まった場所にあるが、それが隠れ家のような雰囲気で人気がある。長く勤めている腕利きの料理長をはじめ、優秀な料理人たちがつくる料理も、昔ながらの伝統の味と、現代的な感覚を融合させたオリジナル料理が沢山あり、やはり人気の源になっている。なによりも、見た目には若く、身内の自分が言うのもあれだが、美人な部類の母は、いい意味でも悪い意味でも話題の女将さんだ。


3月末のこの時期は、こちらの方でも卒業式のラッシュのようだ。自分も26日に横浜にあるホテルで卒業式をしてきたばかりだった。名前を言えば誰でも知っているような東京の私大の卒業式。勉強しなくても、そこそこ勉強が出来たのだが、目指す目標が無いせいか、やる気も起きず、とりあえず母から離れるということを前提に、そんなに努力しなくても、すんなり入れそうな大学を選んだ。そんなやる気のない俺には何の期待もしていない母がひたすら依存しているのが、5歳上の兄だ。中学時代はずっとトップの成績で、生徒会長を2年と3年の2期連続で務め、県内トップの高校に学年総代として入学、迷うことなく東京の赤門がある大学をストレートで卒業し、何を血迷ったか、実家の旅館に戻り跡継ぎとして、修行している。そんなに賢いなら司法試験でも受けて法律家という道もあったと思うのに、何でこんな田舎の旅館に…と自分も思ったわけだが、多くの人が同じように思ったはずだ。まあ、宇奈月町観光協会は大手を振って出迎えていたけども。


母もそんな自慢の息子が大好きなようで、自分が高校三年生になった年に、兄が地元に帰って来てからは、完全に自分に関心がなくなったのが、手に取るように分かった。兄が大学に行って自分一辺倒になった母から「どうして、お兄ちゃんみたいに出来んがけ?」と言われることにも慣れ、冗談を交えながらのらりくらりと交わしては、面倒くさいと思っていた母をスルッと兄に奪われ、自分でもよく分からない恥ずかしいような悔しいような、今思い出しても、苦笑いしてしまうような感情に取り憑かれたことも懐かしい思い出である。


昔からの兄の後追いだけは、したくない、後追いしているとだけは思われたくないという小さなプライドのせいで、変に意地っ張りな所があるという自覚がある。「地元を盛り上げたい」という目標を小さな頃から掲げている立派な兄を横目に、「旅館のようなサービス産業で自営業とか、不安定過ぎて絶対にムリ」という目標を掲げた自分は、工学部を卒業して、機械設計として、地元の大手製造メーカーへの就職が決まった。


「この子ったら、本当に意地っ張りで、お兄ちゃん大好きなんに、全然口もきこうとせんし、就職も勝手に決めてしまって。」

と愚痴るふりをする母だが、名門大学を卒業して、地元の大手製造メーカーに就職ということで体面は保てたのか、顔は不機嫌ではなさそうだ。


「謙遜しとるがいじゃ」

兄が慰めの言葉を言ったが、お前に言われんでも分かっとんのじゃと口には出さずに心の中で思わずいきってしまう。


と、ぼんやり考えながら歩いていると、迷子になりかけた。

小さい駅とはいえ、初めて来た場所。

新幹線の駅舎の正面玄関を出たところ、新幹線と地鉄の交差する場所に新しく新黒部という地鉄の駅が設けられたことは、事前に情報として知っていたし、こっちにくる新幹線の中で、Googleマップのストリートビューで確認していた。


よしっ、と気合を入れ直して、駅舎の出口を探した。

平日の昼間とは言え、「新幹線の駅だろ?まじかよ。」と思わず口に出してしまいそうなほど、人がいない。


せっかく時間が出来たので、周辺を散策してみることにした。

今日は引越し日和だ。雲ひとつない青空で、外に出た瞬間思わず大きく伸びをする。

駅舎の隣にお土産屋があったので、寄ってみたが、案の定、店員しかいない。大きなジオラマで、富山県全域を見られるとか、ありがちな展示で5分いたらもう帰りたくなった。黒部の玄関口がこれでは、思いやられる。


外に出て、道路を挟んで向こう側にある新黒部駅に向かうことにした。新黒部駅自体はこじんまりとしていて、形は旧来の地鉄の他の駅に似ているが、白を基調として、清潔感があった。

周辺には、ねんりんやを思わせるバームクーヘン屋があった。


何だかんだで、ちょうど電車が来る時間になっていた。


ガタンゴトン、ガタンゴトン。

ゆっくりと地鉄が駅に入ってきた。地鉄は余りスピードを出さない。いや、出せないのか?まあいい。昔からゆっくり走るこの電車が、俺は好きだった。


駅は綺麗に新しくなったけど、やってきた電車は昔と変わらない。カボチャ電車だった。黄色と緑のツートンカラーの電車は、自分の小さいころより、きっともっと昔から、そう呼ばれている。ちなみに、白と灰色のツートンカラーもあり、そっちは大根電車と呼ばれている。


電車に乗ったら、やっぱり、自分しか乗っていなかったので、思わずクスリと笑ってしまった。


シートに座った瞬間、懐かしい匂いがした。



5年前か…。

5年前の俺はここを電車で通り過ぎていくだけだった。本当にここに新幹線が通るのか?と疑問に思うほど、ここは何も無いところだった。当時、高校生だった俺は、実家のある地鉄宇奈月温泉駅から地鉄魚津駅まで地鉄に乗って通っていた。


その隣はいつも決まった相手が乗っていた。あの時の「本当にこんなとこに新幹線なんか来るんかねー」と独り言なのか、俺に話しかけているのか分からないくらいの囁くような声が、シートの匂いと一緒に耳の奥にふわっと蘇った。色んなことが思い出されて、急に瞼の奥があつくなった。


あー、ヤバイ。


誰も乗っていないことで、心が油断したのか、涙が目から流れた。


あいつの葬式でも泣かんかったんに、何で今さら涙でるがんよ。


それから、30分ほど地鉄にゆられ、宇奈月温泉駅に着いた。車窓から見える景色は色んな事を思い出させた。誰も居ない電車の中で、クスりと笑ったり、ぽろっと涙を流したり、30分は短いような長いような、よく分からない時間の感覚だったが、自分をあの頃にタイムスリップさせるには十分すぎる時間だった。


宇奈月温泉駅に着くと、ホテル宇奈月と書いてある商用車のアルトが止まっていた。中から飛び出してきたのは、長くウチで勤めてくれている何でも係のヒサさんだった。

「陸ちゃん!ハハハ!元気やったかー?変わらんのー。相変わらず母ちゃんに似てシュッとしとるわ!」

豪快な感じが、全然変わらなくて、肩の力ががくーっと抜けるのを感じた。

「ヒサさん!めっちゃ久しぶりやん!そっちこそ元気にしとったんけー?」

「元気やわいよ!さっき、お客さん下ろしたら、やっちゃんから、迎えに行ったげてーって言われて、飛んできたがよ。間に合ってよかったじゃー。陸ちゃんはちっちゃい時から、裏道ばっかやからな。駅で捕まえれんかったらどうしようかと思っとったんよ。いいから乗れ乗れ!」

「お母さん、なんか言っとった?」

「あん?あー、まあ、やっちゃん昔から口達者やからの。気にすんなま。それより、シートベルトしめたか?行くぞ。」

車はゆっくり走り出した。正直、宇奈月温泉駅から家までの距離が2キロ近くあるので、少し憂鬱であったので、迎えはラッキーだった。

やっちゃんというのは母のことだ。ヒサさんは母が女将になりたての頃には、もうベテランで、あのマイペース過ぎる母も、ヒサさんにかかれば借りてきた猫のように大人しくなる。ヒサさんは俺の母や兄に対する気持ちも見抜かれていて、母だけでなく、俺もヒサさんには頭が上がらなかった。


家に着いたの2時半だった。仕事があるからと戻って行ったヒサさんを見送り、俺は茶の間のコタツの電気を入れて潜り込んだ。付けたばかりで冷たい。10年前に俺の子守りとして、家に来てくれていた雪さんが70歳で亡くなってから、火の番が居ないからと練炭のコタツから電気のコタツに変えられた。練炭のコタツは危ないとか言われるけど、俺は、あのコタツが好きだった。母よりも俺の話をたくさん聞いてくれた雪さんと同じ匂いがするから、とても安心できたのだ。


そんな事を考えながらウトウトして、気づいたら眠りについていた。まあいいか。今日は疲れたから、全部明日からやろう。そのまま俺は眠りについてしまった。

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