彼が好き
どのくらいの時間だろう。ひとしきり彼の匂いに包まれて、顔を上げた。私を癒してくれていた彼の手が止まり、その向こう側の優しい視線が私を見ていた。眼鏡の奥の深い色をした瞳…吸い込まれそうなその色を見つめていると、
「ぷーっ、鳥の巣」
急に王子が吹き出した。何のことかと一瞬呆けた後、自分の頭を指しているのだと気が付いた。
「お…王子がしたんじゃない!もうっ!」
膨れてみせると更に目尻を下げて笑った。
「お。いつもの調子出てきたじゃん。よしよし」
いつもこうだ。まるで私のトリセツを持っているかの様に、彼はいつも私の心を誘導する、陽だまりの方に。しかし、彼が完璧であればあるほど、歳上にも関わらず、精神的に未熟な自分に憤る。彼は「しょうがないよ、仕事にストレスなんて付きものだし」などと、いつも笑い飛ばしてくれる。ほっとすると同時に、この歳で悟りを開いている彼に、また腹が立つ。人はこれを八つ当たりという。
「うーっ、王子にもしてやる!そして笑ってやるーっ」
背の高い王子の頭に手を伸ばしてみたものの、当然届くはずがない。それならばと中腰になり、手を伸ばしたところ、まさかの王子の反撃。
「隙ありーっ!」
おうじは くすぐる をつかった
さら は 3ダメージを うけた
さらは せんいを しょうしつした
そのまま 2りは たおれこんだ
「ひゃ…ずるいよ!くすぐりは反則でしょ?」
フローリングに倒れ込んだまま抗議はしたものの、既に八つ当たりの精神はすっかりなくなっていた。
「疲れてるんだよ。最近寝てなかったんじゃない?」
優しく呟くと、彼は再度優しく髪を撫でた。
「ちょっと寝なよ。どうせ泊まるんでしょ」
目頭が熱くなった。やっぱり私には彼が必要。彼が大切。彼が好き。
「うん」
そう呟いた声が、自分でもびっくりするほど弱々しくて、でもそんなこともきっと彼にはお見通しで…私は涙を隠すようにそっと目を閉じたのだった。