うさぎのラッテと雪の舟
1
うさぎのラッテが住むハリルラの森は、冬になると沢山雪が降り積もって景色は一面真っ白に包まれます。
ハリルラの森は春、夏、秋と様々な風景の色を見せるのですが白一色に染まるのは冬だけです。
それは銀世界とも呼ばれ降り積もった雪がキラキラ光る事もあり、とても美しい光景なのですが森の動物達はこの幻想的な世界を見た事がありません。
森の動物達は冬眠をするからです。
冬は雪が降って周りも綺麗になるのですが、とても寒いのです。
木の実や果実などの食料もありません。
寒いのは動物だけではありません、樹や花といった植物達も寒いのです。
春や夏はあんなに枝いっぱいに広がって付いていた葉っぱや花も、寒くなると身を縮こませて咲かなくなってしまうのです。
木の実や果実もいつもは植物から沢山貰えるのですが、冬は寒くて貰えなくなってしまう為、動物達も冬は家から一歩も外に出ません。
暖かい春になるまでじっとその時を眠って待っているのです。
誰も居なくなってしまうハリルラの森の冬。
誰も居ないはずですが、森の広場では、うさぎのラッテが一人で雪だるまを作って遊んでいました。
冬はみんなが冬眠するのですが、ラッテは冬眠をしません。
山の麓のおじいちゃんの家におつかいに行く役目があるからです。
おつかいは毎日行くので冬眠はしないのです。
ラッテはおつかいの帰りに広場へ寄り道をして雪だるまを作っていました。
全部で三体。
大きな雪だるまはクマのスペランカ。小さなものはリスのシュロとコウモリのマギー。
ラッテは友達の事を思い浮かべながら作っていたのです。
そんな時でした。
ラッテ…
ラッテ…
どこからともなくラッテを呼ぶ声が聞こえます。
ラッテは辺りを見回しましたが広場には誰も居ません。
ラッテ…
ここだよ
ラッテ…
またラッテを呼ぶ声が聞こえます。
「おーい。誰か居るのかい?」
ラッテ…ここだよ
ここ、木の上だよ
ラッテは上を見上げました。
確かによく耳を澄ますと声は上から聞こえます。
しかし木の上は雪が乗っかっている為あまりよく見えません。
ここだよ
今、手をふったよ
「うーん。よく分からないなぁ…おーい。申し訳ないがここまで下りて来れるかい?ここからじゃ君の姿が見えないんだ」
いいよぉー
するとラッテの頭上、木の上から積もっていた雪の塊がふわりふわりと落ちてきます。
ふわりふわり、ゆらりゆらりと柔らかく落ちてくる綿菓子の様な雪に女の子が座っていました。
やがて静かに雪が地面に着くと女の子はぴょんっと飛び降ります。
ラッテはただただその様子を見ていました。
「ラッテ、こんにちわ」
「…こんにちわ」
誰だろう。
初めて見る女の子です。
でも女の子はラッテを知っている様でした。
それは不思議な女の子でした。
見た事がない女の子、その姿はとても不思議でした。
森の仲間達、動物達とは明らかに違います。
冬なのに全身を覆うフカフカな毛が生えてなく、すべすべな肌が露出しています。
唯一生えてる場所と言えば頭くらいで髪は銀色で “おかっぱ”。
あ、顔にも毛が少し生えていますよ。“ひげ” ではありません、両目のまゆに銀色の “まゆげ” があります。それは彼女がにっこり笑うと三日月がふたつ浮かぶ様に見えました。
着ている服も薄い生地のワンピース。空色が混じった白のワンピースなので雪が降るこの森では余計寒そうです。
でも女の子はちっとも寒そうではありません。
「ラッテは何を作っていたの?」
「…雪だるまだよ」
「雪だるま…?」
「雪でぼくの友達を作っていたんだよ」
「そんなんだ。ねえ、これは誰?」
「これはマギー。コウモリだから羽があるんだよ。こっちはリスのシュロ。シュロはふさふさのしっぽが綺麗なのさ」
「ねえ、これは?すごぉく大きい」
「これはクマのスペランカ!大きいだろ?スペランカは大きいし力持ちだけどとっても優しいんだよ」
「ラッテの友達はみんな素敵なのね」
「ああ。みんな優しくて仲が良いのさ、ぼくの自慢の友達だよ」
「いいなぁ…」
「…君には居ないのかい?素敵な友達」
「…」
「ん?」
「ラッテが…」
「…」
「ラッテが友達になってくれると嬉しい」
「…ぼくがかい?」
「うん!」
「君の…友達に?」
「うん!」
「…あっ、ははは!」
ラッテは思わず笑ってしまいます。
「あれ?何かおかしな事言った?」
「うん。だってぼく達はもう友達じゃないか」
「え⁉︎ 本当に?」
女の子は目を輝かせました。
「本当だよ」
「嬉しい。ねぇ、そうしたらわたしの雪だるまも作ってくれる?」
「もちろんさ」
「本当?だったらわたしはラッテの雪だるまを作るわ」
「よし、じゃあ作ったら二人で見せ合いっこしよう」
「うん」
「そうだ!えぇっと…」
「?」
「君の名前を教えてくれないかい?」
「名前…?」
「そう、名前さ」
「名前…」
「…」
「…」
「ラッテが名前を付けてくれる?」
「ぼくが?」
「うん。わたし、名前が無いの。今までずっと一人だったから」
「一人?友達もいないのかい?」
「うん」
「お父さんやお母さんも?」
「いるけど会った事はないの。ラッテが初めての友達だよ。だからラッテにわたしの名前を付けて欲しいな」
「そっかぁ…うん…分かった。ぼくが名前を考えるよ」
ラッテは少しだけ迷いましたが、自分が女の子の名前を考える事を決めました。
「…」
女の子の姿をもう一度、よく観察します。
自分とはまた違うつるつるの白い肌に、銀色の髪、空色が混じったワンピースの女の子はまるで空から降る雪の様です。
女の子がニコっ笑うたびに、体からふわっと雪の花が舞ってきます。
「…」
「決めた」
「!」
「ブランコってのはどうだい?君はぼくの上から雪に乗ってふわりふわりと来てブランコに乗ってるみたいだった。それと外国の言葉で雪って意味もあるんだ。君は雪のように綺麗だから」
「ブランコ…」
「ああ、ブランコだよ」
「素敵!ありがとうラッテ。わたし、この名前を大切にするね」
「ブランコはどこから来たの?」
「わたし?わたしは…あそこ」
「あそこ…?」
「空!」
「…空⁉︎ 」
「そう!見える?あの大きな雲から降りてきたんだよ。わたしは雪の妖精なの!」
ブランコは喜び両手を広げて回すと、その手の平から雪がふわり、またふわりと舞ってまるで次々と花が咲いてるみたいです。
ラッテは口をあんぐり、言葉も出ません。
なぜなら妖精はハリルラの森では神様と同じように大事に祀られていたからです。
初めて出会った妖精がとても可愛らしい女の子だったので、ラッテには信じられなくもあり、そしてなんだかホッとしたのもあったのでした。
2
ラッテは毎日冬の森でブランコと遊びました。
約束していたお互いの雪だるまを作ったり、おやつを食べながらお話ししたり、ブランコと遊ぶといつまでも時間を忘れるほど楽しかったのです。
ブランコの名前の元になったブランコを作って遊んだりもしました。
いつも一人で遊んでいた冬の森ですが、ブランコが来てくれたおかげで、今年はちっともさみしくなんかありません。
ある日の朝、ラッテはおじいちゃんの家までおつかいに行く、その時でした。
「ラッテ。おはようございます」
ブランコはラッテの家の前に来ていました。
「おはよう、ブランコ。どうしたんだい、まだ朝早いのに」
「うん。ラッテと遊びたくて来ちゃった」
「そうか!そしたらぼくは今からおじいちゃんの家におつかいに行くから、ブランコはここで待ってもらっていいかな?」
「おじいちゃん?」
「そう。ぼくは毎日おじいちゃんの家におつかいに行くのさ。薬草と野菜を届けて、ぼくは新聞を受け取るのさ」
「おじいちゃんの家ってどこなの?」
「この一本道の先の山の麓」
「…うーん、見えないわ」
ブランコは目を凝らしてその先を見ますが、おじいちゃんの家は見つけられません。
「うん。山の麓まではまっすぐだけどちょっと遠いからね。だからこれを使うんだ」
「これは?」
「舟だよ」
「舟?」
「そう、舟だよ。いつもは歩いて行くけど冬になるとこの一本道は雪が積もって川のようになるから、この舟を浮かべて行くんだ」
「え?これが雪の上を?…すごい!ねぇ、私も一緒に行きたいわ」
「ブランコも?うーん、でもこの舟は一人乗りだから二人で乗ったら沈んでしまうよ」
「だったら…わたしも作るよ、ラッテみたいな舟!」
するとブランコは、はしゃいで雪の川に飛び込みます。
ラッテは最初とてもハラハラしてしまいました。飛び込んだブランコが沈んだままになってしまうのではないかと思ったからです。
しかしブランコはすぐに雪の中から顔を出して笑顔でラッテに手を振ります。
その直後、ブランコの体が出てくると同時に雪の中から真っ白な小舟も現れたのです。
「ラッテ!わたしも舟を作ったよ、一緒におじいちゃんの家に行けるよ」
ブランコは大喜び。
ラッテは呆然。
「すごいね…ブランコ。これは雪で作ったのかい?」
「うん。ラッテも一緒に乗れるよ、乗ってみる?」
「ホントかい!ちょっと待ってて」
ラッテは家の中に戻ると急いで荷物を用意して、またすぐに外に出ます。
ブランコの作った真っ白な雪の舟の美しさにワクワクして、思わずぴょんっと飛び込みました。
ラッテが乗り込むと間も無く舟はゆっくりと動き始めます。
ラッテには不思議で仕方ありません。
なぜならラッテが作る葉っぱの舟は、自分で櫂を漕がなければ進まないので何もしなくてもスイスイと動くブランコの舟は、まるで夢でも見ている様な気がしました。
「すごいねブランコ、君の舟は。ぼくの舟とは大違いだよ」
「そう?ラッテと同じくらいの大きさだよ」
「いやいや確かに小さいけど君の舟はとてもすごいよ。ぼくの舟は櫂で漕がなきゃ進まないからね。それに比べてブランコの舟は何もしなくてもスイスイと動いて、まるで魚のようだよ」
「うん。わたし、雪の妖精だから雪の事なら何でも分かるわ」
「そうか。まるで神様みたい」
「神様…?」
「そう、神様。雪はみんなブランコに従ってるみたいな」
「ラッテ、それ、違うよ。わたしは妖精なの。妖精は雪を従えたりしないわ。わたしと雪は友達なの。だから雪に怒られる事もあるし、ケンカもするわ。勿論仲直りもするよ。雪の妖精は雪と一緒なんだよ」
「そうなの?森の大人たちは君達妖精を神様のように慕ってるからぼくもブランコは体は小さいけど神様なのかなって思ってた。そっかぁ、だったらブランコもぼく達と一緒なんだね。ぼく達もこの森と共に生活してる。沢山の花が咲く春もあれば雨が降り続いて川が氾濫する日もある。楽しい時や辛い時を共に暮らしてる。君と同じように森はぼくらの友達なんだ。ブランコ。改めて、ハリルラの森にようこそ。これからも仲良くしよう!」
「ラッテ…うん、ありがとう!」
ブランコが感激すると舟の周りの雪もキラキラ輝き始めます。
それを見たラッテは雪もブランコの友達だから喜んでるんだと感じました。
3
ラッテとブランコの楽しい日々はいつまでも続きます。
ブランコはラッテのおつかいにも毎日一緒に行きました。
ラッテのおじいちゃんもブランコが来る度に喜んでくれたからです。
ブランコもおじいちゃんに会いに行くのが楽しみでした。
おじいちゃんは物知りでハリルラの森の話しを沢山教えて貰いました。
ラッテの家でも遊びます。
家ではラッテから森の友達の話しも聞きました。一番仲の良いシュロ、マギー、スペランカは勿論、ちょっとだけケンカしてしまい春が来たら仲直りしようと思ってるモグラのジョージ、大好きなパンを作ってくれるヤマネコのアリス、春を一番に知らせてくれるキツツキのステラ、気付けば森中の仲間の話しをしていました。
森の仲間の話しを聞く度に二人は広場で仲間の雪だるまを作ります。
いつの間に広場は雪だるまで溢れ返っていて思わず笑ってしまいました。
雪だるまの他には雪合戦、かまくら、すべり台、ブランコの雪で作った家にも遊びに行きました。
雪で作っているので家の中は真っ白ですが寒くは無く、ベッドもテーブルも椅子もなんでも揃っています。
ブランコの家では今度は逆にラッテがブランコの話しを聞きました。
ただ、ブランコは雪の話しや冬の話しは教えてくれますが、今までどんな町に雪を降らしたとか、思い出話しには答えてくれませんでした。
いじわるをしてるのではなく、ただ、分からないと言うばかりです。
そしてそんな時ブランコは決まってほんの少し、悲しい表情をするのでした。
ラッテはそれ以上深く聞き返す事はしません。
少しだけお互いだんまりしてしまいますが、ラッテはまた自分の話しを語ります。
食べ物の話しや誰も知らない秘密の抜け道の話し、そしてまた二人は明るくなり外で元気に遊ぶのです。
ブランコはラッテの事が大好きになってました。
ラッテと過ごす時間は何よりも楽しく、このままずっとラッテと友達で、このままずっとラッテと遊びたいと思い続けていました。
でもなぜなのか、ラッテと楽しく遊べるほど、ラッテが大好きになるほど、胸の奥が苦しくなるのです。
病気ではないのに何かとても胸が痛くなるのです。
ラッテの話しは大好きです。
自分の知らない事を沢山話してくれてワクワクします。
笑顔にもなります。
今日は花の話しを聞きました。
桜の花、ひまわりの花、コスモスの花…春夏秋と様々な花。
冬の花も聞きたいのですが冬に花は咲きません。
冬には咲かない花の話し…
冬以外の話しが出る度に強く胸を締め付けました。
笑顔を作る度に胸が締め付けられました。
「ー…早く春にならないかなぁ」
ラッテが会話の中で何気に語った一言。
遠くを見ながらその言葉は温かみを帯びているのに気付きました。
「え…?」
また胸が痛くなりました。
「…」
「ラッテ…」
なんで胸が痛くなるのでしょう。
「ん?」
「ラッテ…もしかして、春が来るの楽しみ?」
春の話しをするラッテの顔が何か辛く見えたのです。
「ああ、勿論楽しみだよ」
「え」
「春は雪も溶けて草や花が一斉に芽吹いて…何よりみんなに会えるからね」
「…」
春の良い話しを聞く程、何か心がトゲトゲするような気持ちになります。
「ブランコ?」
「ラッテ、冬は?冬は嫌い?」
ブランコは春の話しを避ける様に冬の事を聞こうとします。
「嫌いな訳ないだろ。この白い世界ほど美しいものは無いくらいだよ。それに今年はブランコにも会えたんだ。この冬は今までで一番楽しい冬だよ」
「ほんと?」
ラッテは冬が好きと聞くとホッとしました。
だけど…
「うん!そして同じくらい春と夏と秋も好きさ」
「!」
すぐにラッテは冬以外も好きだと言います。
またキーンと胸が痛くなりました。
「早く春になってみんなにブランコを紹介したいよ」
「…」
ブランコは黙ってしまいました。
「…」
「…」
「ブランコ?」
「嫌い」
ブランコはポツリと呟きます。
「え?」
「!」
ブランコはハッとしました。
「今、なんて…」
「…」
嫌いじゃないのに、何故か口が勝手に嫌いと言ってしまったのです。
「ブランコ、春は嫌いなの?」
「…」
ブランコはどう答えていいのか、分かりません。
春は好きです。ラッテから話しを聞いてとても素敵だと思っていたのに…
「ブランコ?」
でも…
「春なんて嫌い。わたしはずっと冬のままがいい。ラッテと二人でずっと遊びたいわ。ラッテはわたしのこと、嫌い?わたしよりみんなに会いたい?」
何故だか急に歯止めが効かなくなって春を嫌いと言ってしまうです。
「…」
「ラッテ!」
ラッテにずっと冬であって欲しいと言って欲しくて…
「…」
「ラッテ、何で答えてくれないの?」
その口調はどんどん強く…
そして…
「…」
「もういい!ラッテも嫌い!」
ブランコは言ってしまいました。
「ブランコ!」
ブランコは走って行ってしまいました、ラッテの声に耳を塞いで。
ラッテは追いかけましたがブランコの姿は見つかりませんでした。ブランコの家にも行きましたが帰っていないようです。
ブランコは木の上に居ました。
木の上からラッテを見ていました。
寒い雪の中、自分を一生懸命に探してくれるラッテを見てずっと静かに泣いていました。
ブランコの目から涙が零れるたびに、涙はひらひらと雪に変わっていきます。
ラッテが大好きなのに、嫌いと言ってしまった。なんでひどいことを言ってしまったのか、悲しくて、悲しくて、どうやって謝ればいいのかも分からずブランコはずっと、泣いているのでした。
この夜、雪は更に多く降り積もりました。
そして次の日からブランコはラッテの前から姿を消しました。
4
「おじいちゃん、こんにちは」
「ラッテ、いらっしゃい。今日も寒い中ありがとう。さ、入りなさい」
「うん」
おじいちゃんはおつかいに来たラッテを温かい家の中に招き入れます。
テーブルには紅茶とお菓子が既に用意されてました。
「そういえば最近あの子を見ないが一緒じゃないのかい?」
席に着くとおじいちゃんはおもむろにブランコの事を尋ねました。
「うん…全然会えないんだ。家にも居るか分からなくて…」
「そうか、それは少しさみしいね」
「うん…」
「…」
おじいちゃんの紅茶をすする音が聞こえてくる程、家の中は静かになってました。
そして同時にブランコが居た時は、おじいちゃんの家でも彼女が元気にはしゃいでたのを二人は思い出してもいたのです。
「あの子が居ないとなんだか物足りない気もするね」
「うん…」
「また来てくれるといいけどね」
「うん。会ったら伝えるよ」
「そうか、よろしくお願いするよ、ラッテ」
「うん」
「……何かあったのかい、あの子と」
「…」
「…」
「…」
「…嫌いって言われちゃったんだ」
「…そうか。ケンカしたのかい」
「ケンカじゃないと思うけど、ぼくはブランコをどこがで傷付けちゃったのかも…」
「うむ…なるほど、なるほど。ラッテ、おじいちゃんで良ければ何があったか話してごらん。何か分かるかもしれない」
「うん ー…」
ラッテはこれまでのいきさつをおじいちゃんに全部話しました。
ブランコと初めて会った日の事、いっぱい遊んだ楽しい思い出、そして居なくなったあの日の事。
ひとつひとつ、時間は掛かりましたがおじいちゃんはずっと静かに、うんうんとうなずきながら、優しい顔でラッテの話しを聞いていました。
ラッテの話しが終わると少しだけ考えて、おじいちゃんは語りかけました。
「多分、あの子はラッテが好きなんだろうな」
「嫌いって言われたけど?」
「うむ…好きだから、嫌いって言ってしまったのだと思うよ」
「…」
「…さみしかったんじゃないかなぁ、あの子は。あの子は雪の妖精だからね」
「え」
「雪の妖精は冬にしか地上に居る事が出来ない。春になるとまた空に帰らなくてはいけないんだよ。だからラッテの友達に会う事も出来ないし、春にはラッテとお別れしなければいけない。だから春が待ち遠しいラッテに悲しくなったのだと思うよ」
「…そうか!だからブランコは怒ったんだ。ぼく、ブランコにひどい事言っちゃったんだ、どうしよう」
「それも少し違うかもしれないよ、ラッテ」
「え」
「あの子は怒ってなんてないさ」
「…?」
「あの子は春が嫌いでもなければラッテに怒ったのではないよ。むしろラッテも春も好きなのだよ、本当に嫌いならそんな事を言わないよ。ただ、ほんの少しだけ言い過ぎてしまったんだよ。だからきっと…あの子もどうしていいのか分からなくなってしまっているのかもな」
「おじいちゃん…」
「あの子とはもう会えないと思うかい?」
「そんな事ない!ぼく、今からもう一度ブランコを探してくる。ブランコに謝りたいんだ。どうかな?おじいちゃん」
「それがいいよ。あの子も謝りたいと思っているさ」
「うん!じゃあ、おじいちゃん、ぼく、帰ります。本当にありがとう、行ってきます」
「行ってらしゃっい、気を付けてな。今年は雪も多いし、春も遠いからのぉ」
「うん」
ラッテは扉を開けて舟に乗り込みます。
「え…?」
でもその時おじいちゃんのつぶやきで気付いた事がありました。
雪も多いし春が遠いからのぉ、と言った言葉。
「…」
ラッテは静かに櫂を漕ぎながら、ゆっくり周りを見回しました。
雪の森、寒い冬…
「…」
今年の春は遠い…
冬が来て、もうどれだけ日が経ったのだろう。
ラッテは初めて気付きました。
いつもの冬なら早く春が来ないかな?と待ち遠しい気持ちでいっぱいでしたが、今年の冬はブランコとずっと楽しい時間を過ごしていたので、いつ春が来るのかも気にならなくなっていたのです。
確かにブランコには、早く春にならないかなぁと言葉を漏らしましたが、それは寂しいのでは無くブランコも含めてみんなで遊んだらもっと楽しいだろうなというワクワクした気持ちです。
だから今年の冬はずっと穏やかでした。ブランコが森に来てから雪は降りますが、天気があれる日もなかったからです。
穏やかな毎日…
いつもならそろそろ雪も溶け出す頃なのに、溶けるどころか雪は今でも空から降っていて、春を知らせるキツツキが木をクチバシで叩く音も聞こえない。
何か不思議に感じたラッテは、自分の家に帰えるのをやめて、舟の舵を森の中を通る川へ進める事にしました。
森の川は雪で凍っていますが海に繋がっています。
ラッテは川を伝って海まで行く事にしました。
森を抜けてしばらく進んで行くと凍った川は少しづつ溶けていき、やがら普通の川の流れとなり櫂を漕がずともスイスイと進んで行きました。
ずぅっと川を進み舟はやがて海の浜辺に到着しました。
そこでラッテは驚く光景を見るのです。
「これは…」
浜辺には色とりどりの春の花々が咲いていたのです。
ピンクの花は勿論、黄色に紫、若葉もお日さまの光をさんさんと浴びて浜辺は命の息吹に満ち溢れていました。
海にはもう春がやって来ていたのです。
海だけではありません。
ラッテは海を離れて町にも行きましたが町も春になっていました。
ラッテは町の高台からハリルラの森の方角を見ました。
町の高台から見るとハリルラの森はとても遠く手で摘まむくらい小さく見えたのですが、はっきり分かったのはハリルラの森だけに雪が降り続いていたのです。
「ブランコ…」
その光景を見たラッテの心には真っ先にブランコの顔が浮かんできました。
そしてハリルラの森に振り続く雪はなんだかブランコが泣いている様にも見えたのでした。
「こうしちゃいられない!」
ラッテは今すぐ森へ帰る決意をしました、ブランコと仲直りするために。
5
「ブランコぉ!どこにいるだい?ぼくはここだよ、ブランコ!」
ハリルラの森に帰ってきたラッテは声を上げてブランコを探し続けました。
「ブランコ!ブランコ!」
ラッテは大きな声で呼び続けます。
しかし、返ってくるのはラッテの発した声の反響ばかり…誰も居ない澄んだ空気に響く木霊はより大きくはっきり聞こえ、それがまた哀しくさせるのでした。
ラッテはずっと森の中を探し回りましたが、ブランコに会う事は出来ませんでした。
肩を落として歩くラッテ。
ラッテの家の前、一本道に差し掛かると美しい夕陽が道の雪をキラキラと輝かせていました。
夕陽の赤が真っ白な雪を暖かく染めるこの光景にしばし見惚れていると、気のせいでしょうか、ラッテの耳に何か声が聞こえてくるのです。
ラッテ…
「?」
ラッテ…
「…」
ラッテは静かに声のある方を振り向きました。
ラッテが振り向いたのは家です。
そこに居たのは夕陽に照らされキラキラと輝くブランコでした。
「ブランコ!そこに居たんだね」
「…」
「ブランコ、ぼくは君に謝りたくて…」
「ラッテ!」
「うん?」
「あの、少し…散歩しない?わたしと」
「え、今から?でももうすぐ暗くなるよ」
「大丈夫、これがあるから」
ブランコがニコっと微笑むと雪の川から、雪の舟が浮かび上がりました。
「わぁ!雪の舟だ!またこれに乗れるんだね」
ラッテは喜んで飛び乗ります。
「うん。雪の舟は雪と友達だから暗くなっても森を迷う事はないわ。さぁ、行きましょ」
ブランコも舟に乗ると雪の舟は静かに動き始めました。
夕陽は山の中に沈んで行くほど道は紅く細く染まっていきます。舟は夕陽の方角へ静かに進み、二人も光りの筋をずっと見つめていました。
「ぼくは前にお日さまの家を探しに行った事があるんだよ」
「お日さまの?」
「うん。きっとあの山の何処かにあると思って探しに行ったけど、結局何も見つけられなかった。どうしてなんだろうって随分考えたよ、そしたらハッと答えが浮かんだんだ」
「他に家があるのかしら」
「実は朝早く起きた時に分かったんだ。お日さまが沈む時はあの山なのに、朝、昇る時はあっちとは逆から来たんだ。だからきっとお日さまは夜の間もぼく達みたいに散歩するんだよ、だから逆の山から出てくるのさ。お日さまは寝なくても平気なんだって気付いたらスゴイなって思ってね」
「お日さまはどこに散歩するんだろうね」
「きっとお月さまや星達を眺めながら歩くんだよ、今のぼく達みたいに」
夕陽が沈むと同時に月が現れ、辺りはいつの間に夜になってました。
夕陽の強い日差しとは逆に柔らかな月と星の灯りが降り出すと、二人を乗せた舟は不思議な力で少しづつふわふわと宙に浮いてきます。
気付くと雪の舟は森の木々よりも高い位置にいました。
いつもより高い位置で見る月は、とても大きく見えました。
「すごいや、ブランコ。ブランコと一緒に居るといつも楽しい事や新しい発見ばかりだ。本当にありがとう、あとごめ…」
ラッテがごめんと言いかけた時、ブランコはラッテの口に手を当てて首を横に振りました。
「ごめんね、ラッテ。わたしが先に謝りたかった」
「ブランコ…」
「ラッテにひどい事言ってごめんなさい。ラッテを嫌いって言ってごめんなさい。わたし、ラッテの事、嫌いじゃないよ。大好きだよ」
「ぼくだって…ぼくだってブランコが大好きだよ!春になったらみんなに君を紹介したいんだ。ぼくの仲間達に素敵な友達が出来たって紹介したいんだ」
「…」
「…」
「…ブランコ?」
「ラッテ。実は今日はラッテにお別れを言いに来たの」
「え、お別れ…?」
「…」
空に浮かぶ舟は森の広場に着地しました。
ここは初めてブランコと会った場所です。
「お別れだなんて。だってまだ雪はこんなに積もって…」
「ラッテ。ラッテは見たでしょ?森の外の世界を。外がどうなってるか」
「!」
「もう…春なの。外はもう春になっていて、わたし達雪の妖精は帰らないといけないの」
「帰るって…」
「うん。春になるとわたし達は、雪が溶けるのと一緒に…消えて空に帰るの」
「消える⁉︎… 消えるだって⁉︎ 」
「うん。消えて空に帰ってまた冬になるとわたし達はまた雪と共に産まれるんだよ」
「…」
ラッテはその時思い出しました。そして理解しました、ブランコが過去の思い出を言えない理由に。
雪の妖精は冬の間しか生きる事が出来ないのです。
雪が溶けると一緒に自然の中に消えて行ってしまうのです。
「本当ならもう帰らなくてはいけないのに…ラッテと居る時間が楽しくて…わたしが帰らないとハリルラの森は春が来ないから」
「でも消えてしまうのだろ?消えるっていうのは…ブランコは居なくなってしまうじゃないか。それは……死んでしまうって事?」
「ううん。死なないよ。わたしは消えるけどまた冬になればまた新しく産まれるから」
「だってそれは今のブランコじゃないんだろ?また次の冬に来るブランコは全然違うブランコなんだろ?ぼくは今の君とずっと友達でいたいんだ!」
「…」
ブランコは笑顔を絶やしません。
ずっと笑顔でラッテを見つめています。
ラッテの言葉が嬉しくて、嬉しくて自分が喋ると今にも雨が降る程泣き出してしまいそうだったからです。
「そうだ、ブランコ!今からみんなを、森のみんなを起こしに行こう。もう春だったらみんなも起きてるよ。みんなに君を紹介しよう、みんな驚くぞ。誰もいない冬なのにぼくに友達が出来たんだからね。さぁ、ブランコ!」
「…」
「ブランコ…?」
「…」
「⁉︎」
「…」
「ブランコ…!」
ラッテはブランコの手を取ってみんなの家に行こうとしました。
でもブランコの手を繋ぐ事が出来ません。
手と手はスカスカと、かするばかり…
ブランコの身体は月明かりの中、少しづつ透明に透け始めていたのです。
「…もう、お別れみたい。空のお母さんも早く帰りなさいって言ってる」
「嫌だよブランコ。ぼくはまだ君と楽しくなりたいんだ」
「…」
「ブランコ!」
「…」
ブランコはずっと微笑んでいます。
その笑顔でもう本当に帰ってしまうのだとラッテは悟りました。
「ちょっと!ちょっとだけ、あとちょっとだけ待っててくれる?君にどうしても渡したい物があって…」
だから…
「ラッテ?」
「ちょっとだけだから、待ってて!」
ラッテは大急ぎで家に戻り、海まで行った際に使ったかばんを取り出しました。
そしてまた広場に大急ぎで戻りました。
ブランコはまだ広場に居ました。
ですがその間にも氷が溶ける様に、身体はどんどん透明になってしまっています。
「良かった、まだ居てくれた。これを、君に渡したくて」
「ラッテ、これって…」
ラッテはかばんから花束を。
浜辺で咲いていた色とりどりの花をブーケにしてブランコにプレゼントしたのです。
「これは春の花!黄色いのはハギの花、紫はエンドウでピンクは昼顔。雪の白も美しいけど、春の花もとても綺麗でいい香りがするんだよ」
「これを、わたしに」
「ずっと友達の証に。夏はひまわり!もっともっと大きな花も咲くよ!秋は美味しい食べ物もいっぱいあるから」
「うん」
「今日ブランコは空に帰っても、明日また森に来てもいいんだよ!」
帰って欲しくない。
「うん」
「夏に来てもいいんだよ。夏は暑いけど川は冷たいから川で遊ぼう」
ラッテはいっぱい語りかけます。
「うん」
「秋だって森の運動会があるから、みんなでかけっこしよう」
帰って欲しくないから。
「うん」
「冬は勿論雪だるまを作ろう。また雪の舟に乗せてくれるよね」
消えて欲しくないから。
「うん」
「ブランコ!」
でもブランコの身体はどんどん透けていきます。
「ラッテ、ありがとう」
ブランコは笑顔を絶やしません。
「ブランコ」
「わたしにブランコって名前つけてくれてありがとう」
「うん」
「綺麗なお花、ありがとう」
「うん」
「わたしと遊んでくれてありがとう」
「うん」
「おじいちゃんの家のおつかいも楽しかった」
「うん」
「ラッテの話しが楽しかった。一緒にいれる時間が楽しかった」
「うん」
ブランコは目を閉じて両手を握り、うーんっと唸ります。
ハァ、ハァ、と、息も絶え絶えになりながら唸ります。
すると、ブランコの体はさらに輝き始めました。
でもキラキラ眩しくなるほどブランコはとてもつらそうで、苦しそうです。
「ブランコ!どうしたの?苦しいの?痛いの…?」
「う、ううん。くる、しくないよ。もうちょっとだけ待ってて…」
「…」
ブランコはとても苦しそうです。だけどブランコは苦しくないと笑顔で答えました。
だからこそラッテは待ちました。
やがて全身の輝きが両腕に集まり出すと、透明となって触れる事が出来なかったブランコの手が甦ったのです。
「ブランコ…その手は…」
「これでラッテの花束を受け取れる。大好きな春のお花を触りたいな…」
「ブランコ…」
ただ、そう言ってる間にもまたブランコの手が輝いて、透けてしまいそうです。
ラッテはすぐにブーケを渡し、ブランコはしっかりと受け取ると胸の中に抱え込みます。
「…いい匂い」
その直後、ブランコは花束と一緒に透明に光っていきました。
「ラッテ…ありがとう…大好き」
ブランコは目をつむると、そっとラッテの頬に口付けを。
「ブランコ…!」
目を開けた彼女が微笑むと、その姿が今までの一番の輝きを放ちました。それは温かくて穏やかで優しさのつまった、無数の光りの粒となり、粒は辺りへ飛び散りました。
地面、空、木々や川…
ブランコの体は光りの粒、無数の光の粒は渦を巻きながらハリルラの森を包みました。
ブランコはラッテから貰った花束を抱えて光の渦の中、空へ帰っていきます。
「ブランコ!」
「…」
ブランコは消えました。
するとあれだけ降り注いでいた森の雪はピタッと止まりました。
「ブランコ!」
「…」
積もりに積もった雪がみるみるうちに消えていきます。
「ブランコぉぉぉ!」
ブランコが居なくなると同時にあれだけ寒かった冬が嘘のように暖かくなってきたのです。
ラッテはずっと空にブランコを呼び続けました。
ですが、ブランコはもう現れる事はありませんでした。
仲直りしたのに、大好きなのに、涙が止まりませんでした。
ですが、不思議なのです。
ブランコが居なくなり悲しいのに、何故か消えたブランコがまだ自分のそばに居るような気がしたからです。
「ブランコは消えたんじゃない、帰ったんだ…だからまた会える」
ラッテはずっとそう呟きながら家に帰ります。
家の前の一本道、雪が降り積もって川のようだった。
それも嘘のように溶けてしまってました。
6
朝、ラッテは目を覚ますと一番に外に出ました。
きっと今日もブランコが家の前にいてくれる、一緒に舟でおじいちゃんの家に行けると思って…
しかしブランコは居ません。
そして森の雪は全て溶けてしまってました。
冬の刺すような痛みがある朝とは違う、頬をホカホカと包む朝。
どこからかキツツキが木を叩く音も聞こえてきます。
ハリルラの森は春を迎えていました。
冬眠した仲間達が目覚める春。
早くみんなに会いたい。
それなのに…
「きっとみんなは信じないのだろうな…」
誰も居ない冬の森で雪の妖精と友達になれた事を。
広場に沢山作った雪だるま、雪の舟で遊んだ事。
誰も、何も知らない、自分だけの冬…
「 ⁉︎ 」
ラッテは広場の片隅で発見しました。
「これは…」
昨晩ブランコとお別れした場所です。
そこにはラッテがブランコに渡した浜辺の花達がひっそりと、だけど元気に根を下ろして咲いていたのです。
黄色い先代萩、紫の浜豌豆、ピンクの昼顔…
「ブランコ…そうか、やっぱりブランコは消えてなかった。ここに、ここにちゃんと居るじゃないか!」
浜辺の花はあの夜喜んでくれたブランコの笑顔にそっくりで、ラッテはたちまち元気に飛び跳ねました。
早くみんなに教えてあげたい!
早くみんなに紹介してあげたい!
森に咲いた浜辺の花を、ぼくの大好きな友達の名前をみんなに言ってもらいたい!
「ブランコ!ブランコのおかげでみんなに会えるよ。ブランコの事もみんなに紹介するからね!」
ラッテは喜んで春の息吹を吸い込み森中を駆け巡って行くのでした。
おわり。