水道 結
勇者が作った巨大な水路――
その完成は盛大な式典を持って祝われた。
多少長い水路だと思っていた式典に来た人々は、その素晴らしい水質を見て驚愕した。
「この水、王都の川よりも全然きれいじゃない!?」
「飲んでみたけど、井戸水って言われても気づかないぜ、これ。」
式典とともに行われた、第何次かのブランタイヤ城開拓移民募集は、当初大した期待をされていなかったにも拘らず、その日のうちに定数に達した。
この嬉しい誤算に各国の上層部から健一への賞賛が贈られるとともに、ニサヤランドへの、さらには自国の未開拓地域などへの更なる水道の整備が要請された。
ローデシア国内では再びの勇者ブームが国民の間で巻き起こったが、健一の事を軽侮していた貴族や文官の間では嫉妬と感心が渦を巻いた。
そうした騒ぎもひと段落ついたころの事。
「これで水道建設も終わっちまったな…」
明け方に目が冴えてしまい、健一がバルコニーから水道橋を眺めていると、不思議な声が聞こえてきた。
――どうでしたか?『水道』を作ってみて。
「誰だ!」
誰何の鋭い声を挙げた健一の前に、光を放ちながら『ソフィアの白紙文書』が飛んできた。
――驚かせてしまいましたね。ごめんなさい。私は上智の天使ピスティス・ソフィア。この本を司る者です。
本から聞こえてくる不思議な声は暖かく、敵意は感じなかった。健一は警戒を解いて答えた。
「それじゃああんたが…ホントに感謝してるぜ。ありがとな。その本がなかったら俺はきっと腐ってた。腐ったままアンにだけ甘える勇者人形になってたぜ。」
――そうですか。それは良かったです。でも…
「でも?」
――重要なのはこの本でも、『水道』についての知識でもありませんよ。
「は?いや、そんなことねえだろ。その本があって、実際に『水道』が具体的に示せて、作れたから俺はこうしてまた希望を持てたんだからよ。」
そう答える健一に、本の声は答えた。
――きっかけとしては重要だったのかもしれません。ですが思い出してみてください。その『水道』は、この世界に元々有った物だけで出来たのではありませんか?
「ん?そりゃそうだけどよ…」
――だとすると重要なのは本の知識だったでしょうか?この本がなくてもいずれは試行錯誤の後に『水道』は出来たことでしょう。あなたという『水道』を知る人もいたのですから。
「でも!でもよ…この本がなければ俺にはそんなことできなかったよ。だからやっぱりこの本と、アンタのおかげだ。」
――いいえ。それはあなたが変わったからですよ。自分一人が知っている優れたものを教える、という考えから、自分がかつて使っていたものを周りの皆と創り上げる、という考えに。
言われてみるとそうなのかもしれない。少なくとも今の健一は、この『水道』が自分一人ではなく、皆で創り上げたものだと知っていた。
――もうこの本の役目は終わったようですね。
その声に健一が意識を本に戻すと、本はゆっくりと空に昇っていっていた。
「待て!待ってくれよ!今回俺は夢中でやってきたんだ!記録とかとってねえんだよ!だから…っ!」
必死に呼び止める健一に、本の声はクスッと笑うと囁いた。
――大丈夫です。あなたには仲間がいるではありませんか。心配はいりませんよ?
そういう声は健一を越えた先に向けられているようだった。
――最後に一つだけ。こちらの世界の方々も知っていると思いますが、あらゆる構造物はメンテナンスをしなければ維持できません。導水渠の内部の清掃、鉛管の定期的な交換、各種設備の点検…これからは試行錯誤していって下さいね。今のあなたなら大丈夫。失敗しても立ち直れますし、皆で考えていけるでしょう?
そういい残して『ソフィアの白紙文書』は天高く昇って行った。
立ち尽くす健一の背後に、3人の気配が現れた。
「いまの声は一体何者だったのでしょうな?」
最初に声をかけてきたバートンに、まだ少し上の空で健一は応えた。
「わかんねえ…けど、きっと神様だったんじゃねえかな。俺をこっちの世界に送り出してくれた。」
そんな健一に素っ気なくエリザベスが声をかけた。
「神様ねぇ…そんなら最後まで面倒見てほしいもんだわ。メンテナンスについては試行錯誤しなさい、だなんて…」
そんなエリザベスが後ろ手に持っている本を取り上げて、アンが笑いながら言った。
「大丈夫ですよ、ケンイチさま。私もバートンも、エリーもいるんですから。ほら、エリーったら今回のことを記録しておいてくれたんですよ。きっと一番重要な協力になるって。」
「ばっ…!何言ってるのよこの王女様。まったく…ま、真に受けるんじゃないよ!」
「ふっ。それならば私はこの水道第一号をきちんと見守らせていただくとしましょう。幸いにして連合軍管理のブランタイヤ城主として正式に任命されましたからな。」
エリザベスとアンのやり取りを聞きながら、バートンが胸を叩いて請け負った。
「ちっ!…ああもう、なら私は記録してあげるわよ、全部!あんたたちだけじゃあ前に進むだけでいっぱいいっぱいで、後の事を考えられないみたいだからね!」
ぶっきらぼうに宣言したエリザベスに微笑みながら、最後にアンが健一に言った。
「では私がケンイチさまをお支えしますね。あの本は無くなってしまいましたけど、ケンイチさまの中に残っている知識と、皆の協力があればきっと大丈夫ですから!」
2人の仲間と妻の言葉に、健一も再び強い意志をその瞳に宿して頷いた。
「ああ、俺たちは生きて、前に進んでいこう。この世界で!」
「ところで次は何をなさいますか?あなた?」
「エリザベスの記録を見ながら水道もう一本かな。不安だし。」
「ですな。連合軍からも要請がきておりますぞ。」
「なんだいそりゃ。もう一回って…なんか締まんないねぇ…」
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午後8時。仕事を終えたロゴスにぃこと論正理が家に帰ると、煮物のいい匂いが漂ってきた。
「ただいま。お?今日は里芋と鶏肉の煮物か!」
「はい!好きでしょう?ロゴスにぃ。」
そう答えるソフィアの頭を軽く叩いて窘めつつ、正理は言った。
「今は正理だろ、信。」
「ううっ。上智の天使の頭を叩くなんて。せーりのいけず。」
「はいはい。」
ウソ泣きする信を軽くあしらうと、正理はネクタイを緩めつつダイニングへ向かった。
「そういえば出たんだろう?初仕事。どうだった?」
食事も食べ終わり一息つきながら、正理は信に問いかけた。
「はい!無事終わりました!不貞腐れてしまっていた魂も光を取り戻しましたし、今回の件に刺激されたあちらの世界の人たちの知への愛も高まりましたし、現実態が花開く営みを見ることもできましたし、一石三鳥の大満足でした!」
「そうか。それはよかったな。」
「はい!次も頑張ります!」
嬉しそうに目を輝かせて話す信に微笑みながら相槌を打ちつつ、正理は危惧を大きくしていた。
(加護が最初に与えられるだけのものであることには理由がある。今回はうまく言ったからいいが…)
自らの危惧が実現しないことを祈りつつ、正理は信との話に戻っていった。
初投稿の拙文をここまで読んでくださった皆様に感謝を。
タグ詐欺ではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…ソフィアやロゴス、神様たちは今後登場するということでご寛恕ください。
ローマ水道が終わってしまいましたので次のテーマ探しに少し時間がかかってしまうかもしれませんが…忘れ去られないうちに次を投稿できるように頑張ります。
最後にもう一度。読んでくださってありがとうございました!