承 1/2
妻を置いて現代に戻ってきた後。
タイムマシンは、1往復するたびに3日間の充電期間を要する。博士の心労と緊張は極まっていた。息子の腰からは、星型の果実が3つ生えていた。息子はそれをもいで食べた。ほかの果実よりも美味しいと言う。しばらくすると、また3つ生えている。どうやら、息子の身体を果実が循環しているようだった。息子は、自分の一部となった果実を食べては生やし、生やしては食べた。3つをもいで、1つだけ食べさせても、半日後には3つ生えてくる。太陽エネルギーのような、外部の力も利用しているように思えた。
博士の身体に電流が走った。
「この果実を配り歩けば、みなを救うことができるかもしれない」
それは、未来を変えることを意味する。博士はそれきり、押し黙った。人類救済は、妻を救ってからの話。
しかし、博士の意に反して、未来はすでに変わってしまっていた。人類は救われた。
妻は、変わる前の未来に取り残されてしまった。次元的に消し飛んだとも言える。それがどのような状態かは、博士でも想像することができなかった。いや、あの獣を前にして、恐ろしい目に遭う前に、無意識の世界へ溶け込んだのだと思えば、それは良かったのかもしれない。
「…」
果たして間に合ったのか。あの浮遊物体は、なんだったのか。妻を助けてくれなど、してくれなかっただろうか。あのとき、あの未来へ、戻ることはできないのか。
博士は立ち尽くしていた。場所は巨大な建造物の中。タイムマシンで降り立った所からほど近く、背の高い未来人に案内された。大部屋の真ん中には石碑があり、博士も見知った文字で書かれているようだったが、文法が現代とは異なるようで、読むことができない。
「1000年前に生まれた【最初の星の子】が残した言葉です。【最初の星の子】とは、おそらくあなたの実の息子さんでしょう。ほら、ここ、あなたのことが書かれていますよ」
僕たちを助けてくれたこの星は、父さんが未来で獲ってくれたものです。
父さんは1000年後の未来へ行くことができるのです。
父さんは、最期まで星を食べませんでした。だから、父さんには星がありません。
みんなの前に父さんが現れたときは、歓迎してください。
「私たちは1000年、あなたの来訪を待ち続けました。感謝の意を示すためです」
背の高いこの未来人は、愛嬌のある人懐こい面持ちの男で、大学では史学を専攻し、現在は役所に勤めていると自己紹介した。
その後、人類は「星」と呼ばれる奇跡の果実によって食糧危機を乗り越えたこと、それは紛れもなく、博士が未来で獲り、息子が身体から生やしたものであること、博士と息子は星をほかの人類へ分け与え、星と付き合うことへの不安を取り除く行為に一生を捧げたこと、博士は65歳で死んだが、その後も息子は【最初の星の子】として世界を渡り歩き、最終的に数十億人を救ったこと…を明るく説明した。
「今日はこれから、あなたを歓迎会場へご案内することになっています」
と言って、博士を乗り物に乗せようとする。
ふと我に返った博士は、「それは困る」と焦って言い、タイムマシンへ向かって歩き出した。
博士は未来人の話に動揺していた。僕は…妻を置き去りにした未来へとんぼ帰りすることを諦めて、この未来を創り出す人生を選んだのか。いや、目の前の息子を救うためには、この果実に頼らざるを得なかったということか。しかし、そう簡単に受け入れられるものか。歯がゆいが、未来はもう変わってしまっている。変化を取り消すことは…と、博士は思いついてしまった。
「息子から生えた果実をすべて取り去ってしまえば…」それでもし、【あの未来】へ戻れるのならば、妻に再会するチャンスが生まれる。3人で暮らす分には、【あの未来】の食糧で問題なかったのだ。星の果実に頼る必要は、僕たち家族には、ない。これが最善の手。博士の足取りが早まった。
「待って」
未来人が博士の腕を強く掴む。
「帰ってもらっては、困ります」
博士が振り向くと、未来人の顔は大変強張っていた。悲しんでいるようにも、怒っているようにも見える。博士は嫌な予感がした。このまま、帰さないつもりではないか。
「いや、帰る。それも急ぎだ。急用でね。人類が救われてなによりだ。僕も嬉しい。僕はいつでもこの未来へ訪れることができる。また来るよ」
「でも…歓迎会が…」
「実はそう、息子にきちんとした星の食べ方を教えるのを忘れていたんだ。早く教えないと、この未来が失われてしまうかもしれない。僕と息子に、この未来はかかっているわけだろう?」
そこまで言ったとき、未来人は一瞬、はっとした表情を見せ、今度は眉をひそめたまま、目をつぶった。もう一押しか。博士が何か言おうとしたとき、
「わかりました」
未来人が先に口を開いた。諦めた表情で、口を斜めにして笑っている。緊迫しているが、どこか安心させる表情でもあるのが不思議だった。
「正直に話します。私は、あなたに【この未来】を好きになってもらうために最善を尽くすよう命令されています」
博士はすぐに理解できた。だからでまかせを言う。
「大丈夫。僕はもう、【この未来】のために最善を尽くすつもりでいるよ」
未来人は満足そうに一度頷いたが、「でも」と続けた。
「あなたと息子さんが救ってくださった人類が、今こうして復興し、元気に暮らしていることを…みな、あなた方に心から感謝していることを…可能な限りお伝えするのが私の役回りです。なぜなら、【最初の星の子】が、こう残しているからです。
父さんは、僕が星を初めて食べたすぐ後に、未来のみんなに会いに行ったそうです。
そしたら、みんながすごく楽しそうにしていて、
父さんもみんなと楽しくあそべて、良かったと言っていました。
そんな幸せな未来を創るために、父さんと僕はがんばりました。
彼の…あなたの息子さんの残した言葉は、私たちにとって、予言そのものと言えます。そのとおりにしなければ、そのとおりにならないのではないか。私たちは不安なのです」
「それに、タイムマシンは旅立ったすぐの地点へ戻れるのではないのですか?ここで長い時間過ごしても、息子さんへの影響は、少ないと思いますが」
確かに現代はそうだ。しかし、博士の心には【あの未来】のことがある。消えてしまった【あの未来】は今どうなっているか、分かったものではなかった。たとえ無意味だとしても、一刻も早く行動に移したい自分がいた。博士はこの正直な未来人に好意を覚え始めていたが、それよりももっと大きな感情が、今の博士には渦巻いていた。
そんな博士を見て、未来人が言った。
「あなたはどこか、【この未来】のことや、息子さんのこと以外に、別のことを考えているように思えます。差し支えなければ、今、何がご心配なのか話していただけませんか?」
ふと、博士が気づく。この未来人は、妻のことを知らないのか。この幸せな未来が、妻の…犠牲…の上に成り立っていることを。
(息子はまだ3歳で、妻に何が起こったのか分かっていない。そうか、僕は…妻に何が起こったのか隠したまま、息子を育てたのか…すべてを諦めて…)
しかし今の博士に、妻を救う可能性を諦めることはできないでいた。
「とにかくお互い正直になること。次に落ち着くこと。最後に笑うこと」
人類の発展を願ってはいるものの、身近なところでは友人もおらず、研究にばかり頭を使い、とかく人間関係でトラブルを起こしがちだった博士に対し、妻が口癖のように言っていた言葉を思い出した。
「実は、あなた方は知らないかもしれないが、【この未来】に変わる前、息子がその果実を身体から生やす前にあった未来…今や消えてしまった未来に…妻がいる。夜、見知らぬ大きな獣に襲われて、慌ててタイムマシンへ乗り込んだが…妻だけが取り残されてしまった。僕のせいだ」
博士は経緯をすべて話した。やはり、息子は妻について何の言葉も残していなかったらしく、未来人は必死に話の理解に努めていた。
「無駄足なのかもしれないが、今すぐに現代へ帰り、………息子の身体から星の果実をもぎ取って、【あの未来】へ戻りたいと思っている」
そこまで言った。未来人はしばらく黙っていたが、やがて顔をあげ、笑顔を見せた。
「よく分かりました」
しかし…と、すぐに困り顔になる。表情が豊かだ。この男が案内役に選ばれたのも、【この未来】を好きにさせる思惑のひとつなのかもしれない。博士は、まだ男を信用しきれずにいた。
「あなたは救世主、いえ、創造主といって良い存在です。しかしその前にひとりの人間。ひとりの旦那さんだ。お気持ちは分かります。協力もしたい。
けれどもし、あなたが歓迎会を欠席し、予定とおりの反応を得られないまま過去へ戻ろうとしたそのときは、暴力的な方法で、あなたを洗脳してしまおう。上の一部はそう言っています。私が止めても、それは実行されるでしょう」
博士の予感は当たっていた。
「それに…私も、この世界を失ってしまうのは…いや、でも…」
未来人は2、3度、深呼吸をし、また愛嬌のある笑顔を見せた。自分を奮い立たせているようにも感じられる。
「あなたは、私たちが抵抗することも、おそらく分かっておられたでしょう。それでも正直にお話してくれました。やはりあなたは【最初の星の子】の父だ。彼はこう残しています。
父さんの口癖はこうです。
「とにかくお互い正直になること。次に落ち着くこと。最後に笑うこと」
みんなもこれを忘れないように!
【この未来】における思想のひとつです。私も、この言葉をいつも胸に秘めて生活しています」
博士は言葉が出なかった。その代わりに、【この未来】を創ったもうひとりの自分を思い浮かべていた。
もうひとりの僕は…妻のいない悲しみの世界で、息子を救うために、妻に誇れる自分であるために、息子とともに必死に生きたのだ。先ほど、自分だけは星を食べなかったと聞いた。それはおそらく、これから星を分け与える人々を安心させるためだったのだろう。星を生やした者は、決して宇宙人などではなく、元は同じ人間なのだと、人間である僕と、星を生やした息子が一緒に歩くことで示していたのだ。わが身のことながら、その果てしない旅を続ける心情は、想像を絶する。
心が大きく揺らいだ。しかし、やらなければならない気がしてきていた。このまま何も言わずとも、少しの間、黙っているだけで、博士は驚くほどあっさりと、【この未来】の創造を約束しただろう。未来人はそれに気づいていながら、そうしなかった。
「しかし、当のあなたは、落ち着いていらっしゃるようですが、まだ、笑えていない。それは、この問題がとても難しいからでしょう。ひとりでは抱えきれないかもしれない。どうでしょう、ひとつ、提案があります」
「提案?」
過激派とは異なる別の上から、こういった場合の指示を受けていたのだろうか。
未来人が続けた話は、博士の思ってもみなかったものだった。
「ここから、さらに1000年後の未来を見に行きましょう。その未来が、いまだ人類の幸福に満たされたものであれば、創造主として【この未来】を創ることを約束していただきたい。しかし、そうでなければ…奥さまを救いに、ひとりの男として、未来に立ち向かっても、私は文句を言いません」
(つづく)