02 ヒロインはピンク色
「なかなか来ませんわね」
「時間は指定しなかったからな。適当な日陰で待つか」
夜衣は岩の近くに腰を下ろした。砂漠には大岩が点在している。このうちの一つが昨晩の予言で秘密結社まで飛ばされたのだ。
まだ出発点の建物が見える。あまり距離は進んでいない。輝士団の監視を抜けるため乗り物は使えず歩いてやって来たのだ。
「じゃあ僕はここで受け止めます。お師匠様は休んでいて下さい」
破切果は暑さにもめげず気合いたっぷり。師匠の身の回りの世話が弟子の使命とばかりに意気込んでいる。
様子を眺めていた夜衣はふとある事に気付いた。
どうして自分はわざわざ軟体動物を肩に乗せているのか。同じ合成生物同士、破切果の頭にでも乗ればいいだろうに。
彼はすぐ行動に移した。右肩に乗る丸い物体をむんずと掴む。感触は弾力のあるグミのようだ。引き剥がそうとすると、四本足が肩をがっちり掴んでいて離れない。強く引っ張ってみても伸びるだけだ。
「何ですの?」
離津留は神経が鈍いようで体を伸ばされても全く気にした様子を見せない。痛覚が無いのかもしれない。
「俺にくっつかなくてもいいだろ。いい加減離れろ」
「いけませんわ。わたくしの役目は夜衣様をお守りする事でもありますのよ」
その体で一体どうやって守るつもりだと、夜衣はピンクの軟体生物に疑いの眼差しを向けた。
まさか全身をすっぽり覆って敵からの攻撃を防ぐつもりではないだろうか。銃殺ならまだしも、窒息死させられるなんて冗談じゃない。
「じゃあもう一つの役目は監視か」
「あら、よく分かりましたね」
夢流は意味の無い嫌がらせはしない。
予想通りの答えに夜衣は頭痛を感じた。離津留が監視目的で付いているのなら引き剥がす訳にはいかなくなった。
こいつを側に置いていなければ命令違反となり、夢流の死の予言が発動する。
任務を達成しない限り、ずっとピンクのマスコットを肩に装着したままでなければならない。風呂だろうが便所だろうが軟体生物と一緒。
夢流は意味のある嫌がらせしかしない。
夜衣は何度目になるのか分からない溜息をついた。
「お師匠様ー」
沈んだ彼の気も知らず元気な声が近付いて来る。夜衣が顔を上げると紅茶とケーキセットを抱えた破切果の姿があった。
ケーキにも紅茶ポットにも砂は付いていない。どうやらきちんと役目を果たしたようだ。
使えないガキじゃないと分かったのは良しとして、何故かティーポットに見覚えがある。
おまけにケーキが載せられた盆にはひし形の紋に夜というマーク入り。
これは夜幻秘密結社で使われている備品だ。
「どうやって降ってきた」
嫌な予感がする。夜衣に尋ねられた破切果は元の場所に引き返し、何かを持って戻ってきた。
「これと一緒に降ってきました」
破切果の手には糸のついた大きな布。形状からしてパラシュートだろう。夜衣は無言で受け取り布地を広げた。
やはり秘密結社のマークが大きく印刷されている。パラシュートを開くと一枚の紙が目に入った。
紙の先にも糸が貼り付けられ布地と繋がっていたようだ。
「あれ?何でしょうか」
破切果が紙切れを拾い、書かれた文字を見る。
親愛なる部下へ。優秀な君でも世界征服任務をたった一人で行うのは骨が折れるだろう。
これはささやかな僕からの差し入れだ。
夜幻秘密結社最高責任者 夢流より。
追伸 追っ手避けの予言をしておいたので今日は捕まらないだろう。明日からは自分で何とかするように。
「夢流さまからの差し入れですよ、お師匠様」
良かったですねー、と笑う破切果から夜衣が紙切れを取り上げる。
内容を読んだ彼は目つきの悪い表情をさらに険しくさせた。
何が秘密任務だ。最初からばらしてるじゃねえか!
叫びたい気持ちを理性で抑える。ここで取り乱しては奴の思うつぼだ。
夢流は恐らく荒野を警備する輝士団にも見えるよう、堂々と秘密結社の屋上からパラシュートを放ったのだ。
監視をしていた輝士団は望遠鏡を使い、パラシュートに繋がれていたこの紙の内容もしっかり確認したに違いない。
奴がどういう予言をしたか分からないが、明日には輝士団本部に情報が伝わる。
きっと全ての町や村の輝士団に夜幻秘密結社の名が通達され、瞬く間に追跡と予言者狩りの包囲網が敷かれるだろう。
世界征服には権力を握る協会を倒す事が必要不可欠。
協会に不満を持つ者や虐げられている者が秘密結社の目的を知れば、これを機に立ち上がる。
いくら情報を隠蔽しようと、予言での事件が起これば夜幻秘密結社の名が各地に広まる。
夢流はそれを狙っているのだ。
「狙われるのは俺一人で十分って事か」
とりあえず今の任務が終わったらあいつを殴ろう。予言を言う間も与えずに殴り飛ばそうと夜衣は心に固く誓った。
「僕達は食べなくても平気なので、お師匠様どうぞ」
夢流からの差し入れだと分かると、ティーセットを素直に受け取れない。
だからといって笑顔で勧めてくる破切果を突っぱねるのも気が引ける。予言札の実験とはいえ予言を行ったのは自分だ。
複雑な表情でティーセットを受け取ると夜衣はヤケクソ気味で紅茶ポットに直接口を付け、一気に飲み干した。
「案外お優しいですわね」
「うるせえ」
鈍い軟体動物のくせに余計な事には気が付くようだ。ポットを置くとケーキセットを見る。
合成生物の二人は食事を必要としないのにケーキの量は一人分を遥かに超えている。やはり嫌がらせとしか思えない。夜衣は比較的小さな物を口に放り込むと立ち上がった。
「休憩は終わりだ。とっとと先を急ぐぞ」
こんな任務は速攻で終わらせてやる。輝士団に見つからないのが確定しているなら、目立つ移動方法を使用しても構わない。
ちんたら歩いていては日が暮れてしまう。
「それ、どうするんですか」
破切果の視線の先には、パラシュートを再びケーキセットの器に取り付ける夜衣の姿があった。
無論夢流のメッセージが入った紙は破り捨てて燃やしている。
「こんな物持っていても邪魔だからな。予言で腹が減ってる奴にでも飛ばしてやる」
世界征服を行おうという秘密結社の一員とはとても思えない行動に、お供の二人はそれぞれ感動していた。
本当にお師匠様は素晴らしい人だと破切果は尊敬の念を高め、離津留は他の予言者達には見られない人間らしさと生活感に驚いていた。
予言者は監視され、荒野の地下に潜伏している者がほとんど。それでも不自由せず暮らしている。予言を使えば何でも手に入る。わざわざ荒野から出て外界に関わろうとするのは変人集団の夜幻秘密結社ぐらいだ。
夢流から夜衣の監視も「適当にやっておいて」と暇つぶし程度の感覚で言い渡された。
自堕落な生活を送る予言者しか知らない離津留からすれば、夜衣の行動は非常に興味深く衝撃的なものだった。
二人は知らない。夜衣が贅沢をするだけの予言が使えず、単に貧乏性なだけだったという事実を。
「破切果、札を」
「お待ち下さい!」
耳元で大声を出された夜衣は離津留を睨む。彼の視線も気にせず彼女は続ける。
「夜衣様のお手を煩わせる必要はありませんわ。ここはわたくしにお任せを」
言うや否や離津留は夜衣の肩から飛び降り、すとんと着地した。
「変・身!」
離津留が短い手足でポーズを取ると白い煙の様な物が噴出し、丸い体を包み込む。
煙が晴れた場所に現れたのは軟体生物ではなく、桃色の髪を持つ一人の美少女だった。
見た目は十五・六歳くらいのショートカット。ヘソ出しファッションの少女からは先程までの軟体生物の名残は一切感じられない。
「この変身軟体生物、離津留の能力をご覧下さいな」
離津留は目を閉じ、天を指差した。すると彼女を中心に突風が起こり砂を巻き上げる。
地面に波紋を刻みながら風の規模は大きくなり、ごうごうと勢い良く回り続けパラシュートを空高く打ち上げた。
砂嵐に包まれたケーキセットが無事かどうかは定かではない。
風が止まると離津留は自信たっぷりの笑顔で二人を振り向いた。
「どうです?わたくしの風を操る力は」
彼女の視線の先にあったのは砂嵐によって形成された二つの山だった。
一つは小さくもう一つは離津留の背よりも高い。そこは先程夜衣と破切果が立っていた場所。
可愛らしい悲鳴が砂漠に響いた。
砂漠から遠く離れた辺境の集落。緑豊かな大地にはいくつものテントが張られている。
羊達がのんびりと草を噛んでいる光景はとても平和な物で、世の争い事とは無縁に思える。彼らは同じ場所に留まらず旅を続けているため協会の支配を逃れていた。
だがそれは同時に輝士団の警護を受けられないという事。
強固な防壁も高度な武器も持たない彼らは、鈍器や槍などの原始的な手段で身を守るしかない。大きな獣や魔物に襲われればひとたまりもないだろう。
羊を見守る巻き毛の少女の目にも憂いの感情が浮かんでいた。
こんな生活がいつまで続くか分からない。諦めて町へと移った方が安全なのかもしれない。
ふと、少女の耳に何かの音が響いた。
聞き違いかと思い耳を澄ますと、音はどんどん大きくなっていく。地鳴りのような音と振動に羊達も鳴き声を上げ逃げ惑う。
魔物かと身構える少女の目の前で地面が突然爆ぜた。
「おっしゃあー!」
土と石を撒き散らして黒い影が雄叫びを上げて飛び出した。
「いやああああぁ!化物おおおぉ!」
予言を使い短時間で砂漠を突破した夜衣の目に、逃げ惑う人々と羊の群れが映る。
彼は二匹を背負い、超スピードで地面を破壊して広大な砂漠を抜けたのだった。服に付いた土を払いながら夜衣は混乱に陥った集落を見渡した。
少し見ないうちに娑婆の人間は臆病になったな、などと勝手な感想を抱いて。
混乱が収まる頃には半数が逃げ出し、残りはテントに隠れるか武器を構え侵入者を遠巻きに見ていた。
地面から突然現れた男と子供と謎の物体。
見た目からブラッドマンではない事だけは判明したが、他の魔物である可能性も捨てきれない。
何より丸い生物を肩に乗せた目つきの悪い男が、普通の人間だと思う者がどこにいるだろうか。
「で、何の用だ。巻き髪」
夜衣は一番手前で棍棒を向けてくる少女に話し掛けた。巻き毛の少女はやや後退しながらこちらの様子を伺っている。
清楚なブラウスとスカートに無骨な武器が妙に似合っていた。
「近寄らないで!化物」
夜衣達は実際一ミリたりとも近付いていないが、恐怖心に染まった人間にはそう見えたのだろう。他の人間達も彼女のように警戒し、夜衣の出方を伺っている。彼らの様子を見た破切果が夜衣に小声で耳打ちした。
「お師匠様。ここは刺激しないようにしましょう」
夜衣としては普通に登場したつもりで、騒ぎになるとは全く思っていなかった。今時昼間から魔物が出るはずがない。占い師がいるのだから魔物の襲撃があれば事前に分かるだろうに。
彼はまじまじと目の前の少女を観察した。睨まれたと勘違いした巻き毛の少女と他の住人は小さく後退する。
「一体何をしにここに来たの」
一応会話する余裕ぐらいは残っているようだから、話せば何とかなるだろう。
ピリピリした雰囲気を和ませようと、彼は極めて普通に回答した。自分なりの笑顔を添えて。
「もちろん世界征服をしに、だ」
その顔でそのセリフはマズイです!
破切果は心の中で夜衣にツッコミを入れた。そしていかに尊敬する師匠といえども突っ込まなければならない時がある事を学んだ。
「何で追い出されたんだ?普通冗談だと思うだろ」
集落から攻撃的な拒絶を受けた夜衣達は野宿を余儀無くされた。これでも砂漠や荒野のど真ん中比べたら格段に良い環境だ。
苦笑いする離津留の横で破切果は口を開いた。
「当然ですよ」
この日合成生物破切果はボケを捨て、ツッコミに生まれ変わる決意をした。