11 バカップル危機一髪
「ライーザ!」
ロベオはこの空間にいる唯一の味方の名を呼んだ。
先程から同じように敵としているのに、存在感が薄いために夜衣達に気付かれていなかった。
彼女の手には花ではなく小型の機械が握られていた。客室の壁に同じような形の型が残っている。汽車に備え付けてあった通信機と見て間違い無い。
ライーザは彼にOKのジェスチャーを送っていた。
「!もしかして」
破切果は胸倉を掴んでロベオを持ち上げた。彼は破切果の焦りの表情を受け、幾分の余裕を取り戻していた。
「今更気付いても遅いデス。無線で緊急信号を送りました。この汽車に凶悪犯が乗っているという情報は、すぐに協会に伝わるでしょう。迎撃部隊が送られるのも時間の問題デス」
苦し紛れの嘘か本当か。破切果が計りかねていると、ロベオの言葉を裏付けるように運転室から通信が入った。
『何が起こりましたの?夜衣様。緊急アラームが表示されていますわ』
驚く破切果を見てロベオは笑みを浮かべる。これで何とか命の危機は避けられそうだ。
呪いの効果が続いていても今の行動が裏目に出るはずが無い。協会に通信をしたのは自分ではなくライーザ。魔物よりも恐ろしい予言者達も協会ならきっと何とかしてくれる。
「ど、どうしましょうお師匠様」
ロベオを手にしたままうろたえる破切果。姿が大きくなっても中身は変わっていない。敵の思惑通りの反応をする彼とは違い、夜衣は冷静だった。
離津留の声は天井から聞こえてきた。無線機が緊急連絡用なら普通の通信は客室からでも届くはず。
辺りを見れば壁にスイッチとスピーカーらしきものがある。椅子から立ち上がった夜衣は通信機に近付き応答する。
「気にするな。お前は運転室から出るなよ」
『?分かりましたわ』
通信を切った夜衣は一つ溜息をつくと破切果を手招きした。
「戻れ」
簡潔過ぎる命令を破切果はすぐに理解した。夜衣は変身を解いて戻って来いと言っている。
ロベオは心の中でガッツポーズをした。彼もまさかここまでうまくいくとは思っていなかった。破切果は信じられないといった表情だ。
お師匠様がこんな事であっさり屈するとはとても考えられない。
要塞ともいえる輝士団を襲撃し銃撃の中をも突っ切った男が、協会に通報されたぐらいで意志を曲げるなんて。
しかし命令は命令だ。きっと何か考えがあるのだろう。
一日に一度だけの変身は五分足らずで終了した。
元の姿に戻った破切果は言われた通りに夜衣の側へ行った。解放されたロベオもそそくさとライーザの元へと移動する。
完全に余裕を取り戻した彼は勝利宣言を上げようと夜衣達を指差した。
「フッ、良い心がけデス。後は汽車を止めるよう命令しなさい。素直に応じるのであれば、情状酌量の余地があると証言してあげましょう」
優越感に浸りながら振り向いた先に夜衣達の姿は無かった。
扉の前にはライーザがいる。
彼女が部屋から逃げ出そうとする奴らを黙って見過ごすとは考えにくいし、この狭い空間で気配も感じさせずに移動するなんて不可能だ。
「あそこ」
ライーザは夜衣達の動きをしっかりと見ていた。彼女が指す方向にロベオも視線を動かす。
「何をしているのデス?」
彼が見たのは破切果を抱き込み、狭い机の下に体を折り曲げて収まっている夜衣の姿だった。
背の高い夜衣が入るには机は小さく、無理矢理入り込んだという感じだ。
「気にするな」
そう言って夜衣がテーブルの足を叩くと、鉄の板が降りてきて足の隙間が覆われた。彼らの姿が隠れると机は四角い鉄の箱のようになった。
まるでシェルターのような設備だと思うのと同時に、非常に嫌な予感が込み上げてくるのをロベオは感じた。
「ちょっと、何デスかそれは」
彼の不安を的中させるかのように唐突に部屋の照明が落ちた。赤いランプがくるくると回り警報が部屋の中で鳴り響く。
緊急事態発生、乗務員は速やかに所定の避難場所へ移動するように。というようなアナウンスまで流れてきた。
しばらくすると今度は壁の一部がだんだんと上へ開いていく。扉の向こう側でも隔壁のように何箇所か開いていく部分があった。
外に見えるのは魔物を防ぐ為に作られた防壁。防壁にも穴が開き、物々しい発射口が顔を覗かせていた。
「も、モシモーシ!何が起こっているのか教えて頂けますかー?」
たまらず小型シェルターをガンガンと叩くロベオ。すると中からくぐもった声が聞こえてくる。
「気にするな」
「気にします!」
必死で鉄の板を叩き続けるとシェルターの小窓が開き、夜衣の顔が見えた。
「うるせぇ黙れ」
「教えて下さいお願いします!プリーズ!」
身の危険を感じたロベオはこれでもかと食い下がる。
先にライーザに花占いで呪いを解いてもらった方がいいのだが、気の動転した彼はすっかり忘れていた。
行動全てが裏目に出てしまうという事も。
がちゃり、と扉が閉まる音にさえ驚いて飛び上がる。パニック寸前まで追い詰められた彼に救いの手を差し伸べたのは、やはり相棒であるライーザだ。
彼女はロベオの目の前に歩いて来ると、薄い本を差し出す。
手にしていたのは先程夜衣が読んでいた危機管理マニュアル。テーブルの上に放置されていたのを見つけたのだろう。
「さすがライーザ。気が利きますね」
彼女からマニュアルを受け取ると素早く内容を確認する。先を読むにつれて彼の顔色がどんどん悪くなってゆく。
「対魔物用の兵器デスと?」
客室内の避難設備は一つだけ。目の前にある鉄の箱だ。視線を向けると、ここは満員だと窓を閉じられた。
「そんな間抜けな所、こちらからお断りデス。ライーザ、運転室へ行きましょう」
ここから近くスペースが一番大きな避難場所。運転室へ避難してからゆっくりと反撃をしようとロベオは扉に手をかけた。
「えっ?」
扉は開かなかった。取っ手を動かしてもびくともしない。完全にロックされてしまっている。
嫌な汗が背中を伝う。彼が先程聞いた扉が閉まる音。あれは緊急事態のため自動的に鍵が閉まった音だったのだ。
この扉以外に客室から避難場所へ移動する手段は無い。開いた部分は狭く、とても人は通れない。
「た、助けて下さーい!」
再び夜衣の元へ駆け寄り、恥も外聞も捨てて命乞いをするロベオ。
もう相手が敵だろうが構っていられない。無視を決め込む夜衣達に向けて懸命に呼びかける。
一方ライーザは彼女なりに事態を打開しようと室内を物色した結果、破切果に使用された予言札を発見。破棄されていないのでまだ効果が残っているだろうと思い、鉄の箱を叩き続けるロベオへと貼り付けた。
「よし」
小さく呟いた彼女の声はロベオの耳には入らなかったが、これで助かろうとする彼の行動は不運を引き起こさなくなる。安心して命乞いが出来るというものだ。
ロベオの悲痛な叫びは鉄の板を隔てた箱の中にしっかり届いていた。
自分の活躍の場を奪われた怒りもあり、夜衣のように沈黙を守っていた破切果もさすがにちょっと気の毒に思えてきた。
行く先々で邪魔をしてきたとはいえ、元々は予言者と共に魔物と戦った同志。執拗に追いかけて来るのも手柄を立てて占い師の地位を向上させたいとの想いからだろう。
尊敬するお師匠様なら話せば分かってくれるはず。破切果はちらりと夜衣の顔を見る。
「いい気味だ。くたばれ」
駄目だ。何だか嫌な笑顔までしている。
そういえば先程後頭部に水晶玉をぶつけられて大層ご立腹だった。下手な事を言えば自分も外へ放り出されてしまうだろう。
破切果は必死に考えた。夜衣の逆鱗に触れずにあの二人を助ける方法を。
夢流が命令すれば嫌々ながらも言う事を聞くだろうに。人を利用するために生まれてきたような総帥なら、予言を使わなくても口先だけで言いくるめられるような気がする。
「そうだ、利用しましょうよ」
ひらめいた破切果は夜衣に声を掛けた。
「あぁ?」
機嫌の悪そうな声が降ってくるのを出来るだけ無視して、破切果は小さな声で話した。
「あの二人の力を利用して協会までの道のりを行くんです。そうすれば協会の迎撃網に対しても夜衣さまの力を温存できます」
助けるのではなく利用するために生かす。我ながら名案だと破切果は思った。ところが夜衣は呆れた顔をしている。
「奴等が一体何の役に立つんだ?」
反論しづらいもっともな意見。占い師は未来を見通すだけで予言者のように運命を変える力は無い。普通の人間から見れば十分凄い能力だと思うが、協会にはもっと優秀な占い師がいるだろう。
向こうの出方を予知したとしても協会側がすぐに対抗策を出して来る。
相手の読みを塗り替えるだけの実力が間抜けな占い師にあるとは思えず、無駄に足手まといが増えるだけだ。
夜衣の意見に破切果もロベオが足を引っ張る様が容易に想像できた。
「女は知らねぇが男の方は完全に役立たずだろ」
夜衣はライーザの能力を知らない。故にロベオと同等かそれ以下だと思っている。破切果も同様にライーザの事を知ったのは人質に取られたつい先程。実力を知らなければ利用すると言っても説得力に欠ける。
「でも、もし凄い実力者だったら危なくないですか。僕達今動けませんし」
破切果の読みは珍しく当たっていた。なぜなら今まさにライーザが彼らに花占いを発動させようとしていたからだ。
動かない獲物は彼女にとって格好の的。もし占いを外しても解呪の札はこちらの手の中にある。
札が効果を失うまでは何度でも利用出来る。いざという時は秘密兵器である火回り(ひまわり)の花で火責めにしようと、ライーザは鉄の箱に指差した。
容赦無い攻撃を仕掛けようとしている彼女の様子を知らずに、ロベオは命乞いを続けている。
これ以上は無駄だとライーザは口を開こうとした。
「お願いデス!せめて彼女だけは助けて下さい。ライーザはワタシが巻き込んだだけで罪はありません。心の優しいか弱い女性デス!」
ロベオが発した言葉に彼女はぴたりと動きを止めた。ロベオの後姿を見る。彼は続ける。
「彼女はワタシのたった一人の相棒デス。そこに入れてあげて下さい」
相手には見えないのに土下座までして命乞いをするロベオ。しかも自分の命ではなくライーザを助けてもらうために。
彼女は夜衣達を指していた手を降ろし、出していた花を引っ込めた。
ほんのりと頬が赤くなっている。
「ここは定員オーバーだ」
沈黙を続けていた夜衣がようやく口を開いた。否定的な事を口にしながらも、彼は破切果の言うような危険性を理解していた。
この状況で安全なのは、あくまで相手が占いを使用する場合だ。もしも火で炙られでもしたらとんでもない。耐熱性の無いただの鉄ならすぐに熱は内部に伝わり、丸焼きにされてしまう。
自棄を起こしてこちらを道連れにしようなどと考えられたら厄介だ。
そう思った夜衣は多少希望を持たせて油断させようと、譲歩したように見せたのだった。ダラダラと会話をしているうちに装置が作動してしまえばいいと鬼畜な事を思いながら。
まんまと騙された破切果はさすがお師匠様、といつものように尊敬する気配を漂わせている。
同じように助けてもらえるかもしれないという僅かな希望に、追い詰められたロベオは迷わず飛びついた。
「で、では予言でここと運転室の扉を開けてもらえませんか」
防衛システム自体を止めてもらうのが一番手っ取り早いが、敵のためにそこまでする程お人よしではないだろう。そもそもこの事態を引き起こしたのは他でもない自分達だ。助けてもらえるだけでありがたいと思わなければ。
「運転室は駄目だ。機械を止められでもしたら困るからな」
信用されていないのは当然だ。ロベオは反論したい気持ちをぐっと堪えた。
「それでは貨物車両の方に」
「却下だ。逃げるつもりだろう」
彼の提案はばっさりと斬り捨てられた。
「大体札も使えないこの状況で細かい予言が出来るかよ。俺は汽車の名前も知らねえし、客室が何号室かなんて分からねぇぞ」
もっともらしい事を言っているように見えても、夜衣に占い師二人を助ける気は全く無かった。ロベオも薄々は勘付いていたが命が掛かっている以上諦める訳にはいかない。
いよいよカウントダウンまで始まった。危機を切り抜けるには予言の力に頼る以外に方法が無い。
破切果だけは夜衣の言葉を疑わず、せめて汽車の名前だけでも調べておけば良かったと本気で悔やんでいた。
「何でもいいからお願いします!ワタシ達は逃げませんし、もう二度と邪魔をしないと誓いますから」
夜衣は相手をするのがだんだん面倒になってきた。
早く始末されて欲しいと思っていても警備システムはやけに緩慢で、本当に非常時だったら魔物に突破されるのではないかと感じる。とっとと銃撃やら溶解液やらをぶっ放せばいいのに。秘密結社の幹部が作った防衛システムの方が余程優秀だ。
それともこれが予言を使えない科学力の限界なのだろうか。
案外協会の設備も大した事は無いのかもしれない。
自分一人だけで協会を攻めれば良かったと夜衣は今更ながら考えていた。当然ロベオの訴えは右から左へと抜けて彼の耳には届いていなかった。
「本名を教えるから助けて欲しい」
夜衣の耳に聞き慣れない声と聞き逃がせない言葉が響いた。ロベオが驚いて振り返ると、今まで手を出さずに様子を見守っていたライーザが鉄の箱に密着して夜衣に話しかけていた。
「ちょっ、ライーザ。それはさすがに」
「助けて欲しい」
渋るロベオをよそに彼女は念を押した。
確かに本名を知れば疑う必要が無くなる。嘘の名前を言ったのなら予言は効かず、二人はまともに兵器を食らう。本名なら助けた後に意のままに操る事が可能となるため、相手にとって不利益にはならない。
かといってそれで夜衣を納得させられるかというのは別の話だ。任務を邪魔された恨みと、つい先程協会に通報した事実は消えない。
彼女の狙いは他にあった。
「花占い師ライーザ。本名シャイト」
ライーザはあっさりと自分の本名を明かした。そして促すようにロベオを見る。困惑する彼に彼女は続けてこう言った。
「大丈夫。二人とも助かる」
強い意志と自分に対する信頼を感じ取ったロベオは決意を固めた。どうせもう他に方法は無いのだ。
彼も同じように自分の名を口にした。
「ワタシは占い師ロベオ。本名は矢山デス」
夜衣は二人の予想外の告白に面食らった。まさか奴等が自分に本名を打ち明けるとは思いもしなかったのだ。同時に余計な事をしやがってと心の中で悪態をつく。
なぜなら次に続く破切果の言葉が容易に想像出来てしまったからだ。
「良かった!これで二人を助けられますね。お師匠様」
破切果の屈託の無い笑顔の下に、夜衣は腹黒さを垣間見た。
やはりガキでも夢流の手先には変わりない。どいつもこいつも邪魔ばかりしやがる。いっそ三人まとめて汽車の上から放り出してやろうかと思ったが、そういう時に限ってカウントが急に速度を増して窮地に追い込まれるに決まっている。
彼は信頼と実績を誇る自分の不運さを良く分かっていた。足掻けば余計に悪い事態を招く事も。
「お師匠様、早くしないと間に合いませんよ」
こちらの気も知らずに急かしてくる破切果の頭を、仕返しのつもりでギリギリと締め上げた。
「何ですか?」
堪えていない。石頭なのは合成生物だからか。不思議そうに首を傾げる仕草は、女子供が見れば可愛いと思えるものだったかもしれない。
彼にとっては逆効果だった。顔にははっきりと青筋が浮かび、目には殺気が宿っている。
「いいだろう、利用してやろうじゃないか」
夜衣のセリフには様々な負の感情が滲んでいた。
「徹底的にな」
破切果は二人を助けるためとはいえ、少し軽率だったかもしれないとちょっぴり後悔したとか、しなかったとか。
しかし、今更悔やんでも遅い。夜衣は二人の真の名を口にし、予言を発動させた。