01 5番目の男
ウィンターナイト。この世界が生まれて間も無く、神は死んだ。
世界は闇に包まれ、地上には人外の魔物達が溢れ出した。
中でも人の血を好むブラッドマンという魔物は凄まじい力を持ち、町や村を襲い人々を恐怖と絶望の底へと突き落としていく。
追い詰められた人間達は教会を最後の砦として、神に祈り救いの時を待った。
彼らの祈りが届いたのだろうか、地獄の様な状況に半世紀以上置かれながらも人類は生き延びた。
救済の手が差し伸べられたのは災厄発生から七十年後。
神の力を操る予言者と未来を見通す占い師。突如現れた彼らの手によって恐ろしい魔物達は退けられ、人々の心に希望が蘇った。
恐怖の感情を糧とする魔物達は徐々に数を減らしていく。
面白くないのは人々の信仰を集めていた教会だ。予言者達が現れる前は魔物に生贄を捧げて被害を最小限に抑えていた。
生贄を選ぶ権限を持つ教会の力は絶対で、逆らう者などいなかったのだ。
それがいきなり現れた輩に人々を救う大役を奪われたあげく、教会の方針に人々が疑問を持ちはじめている。
教会は対魔物武装集団、輝士団を結成。
予言者と占い師こそが闇の力を使い、魔物達を操っていたのだと流布し彼らを荒野へ追放した。
異を唱える者や予言者達を擁護する者は輝士団が連行し、異端者として容赦無く斬り捨てられた。
今や恐れられるのは協会へと名を変えた巨大な信仰組織。平和と引き換えに人類は新たな脅威に晒されていた。
「と、いうわけだからちょっと世界征服してきなよ」
「どんな理屈からその結論が出てくるのかさっぱり分からねえ」
全面ガラス張りの部屋に居る二人の人物。
黒髪のおかっぱ頭の子供が窓から外を眺め、黒いバンダナの男がソファーに座っていた。
地上を見下ろす建物の外には荒地が広がり、暗闇の中を嵐が吹き荒れている。時折砂利の混じった雨が窓を叩いていた。
「協会の好き勝手で魔物もまた増えてきた。白百合は臆病者であてにならない。だったら僕らが支配してやった方がマシだよね」
振り返った子供は笑顔でこう言った。
白百合とは占い師の中でもトップクラスの実力を持つ集団。
彼らは未来予知能力を高く評価され、協会の規制を受け入れて町に戻る事を許可された。
追放の際に抵抗せず従ったため協会も問題無いと判断したのだろう。
一方予言者は徹底抗戦を行い協会に多大な被害を与えた。
未だ荒野と外界を繋ぐ場所には輝士団の防衛線が敷かれ、常に監視の目がある。
彼らは予言者に手出しするとろくな事が無いと悟ったのだ。予言者達はこれを敗北宣言と受け取り攻撃の手を止め、争いはひとまず終結した。
「そろそろ協会や民衆にも予言者の恐ろしさを思い出させてあげないとね。夜衣もそう思うでしょ?」
夜衣と呼ばれたバンダナの男は真面目に話を聞く気が無いらしく、姿勢を崩し行儀悪く寝そべっている。
「誰が思うか。大体魔物が増えようが外の奴らが襲われようが俺らには関係ねえだろ」
「実はもう準備は万全なんだ」
夜衣の言葉を無視した子供は部屋の中心へと移動し、テーブルの上に設置されたスイッチを押す。すると謎の原理で表面にぽっかりと丸い穴が開いた。
中から帳簿のような物と筆が置かれた台座が盛り上がる。
夜衣の頭の中に警鐘が響いた。このままここに居てはいけない。
予言者としての勘ではなく本能的な部分が、今すぐこの場を去れと告げている。
だが立ち上がろうとしても身動きが取れない。いつの間にか彼の体はロープでがっちりとソファーに縛り付けられていた。
「これは優秀な予言者の髪を束ねて作った特殊な筆、天我涼清丸だ。墨が無くてもあらゆる物に文字を書く事が出来る」
驚きや抗議の声を上げる時間が惜しい。夜衣は突然の事態にも慌てず長い袖に仕込んだ小刀を取り出し、ロープを切り裂いた。
奴が説明を終える前に何としても部屋から脱出しなければ。
戒めから解かれた彼が立ち上がろうとすると、今度は何かに足を取られた。見ると半透明のゼリー状の物体が絡み付き、ソファーと自分の右足とを繋いでいる。
「きゃー」
足には間の抜けた表情をした桃色の軟体生物が巻きついていた。覗き込むと視線を受けた桃色の物体はぽっと頬を染める。
何だ、これは。
「そして特製の予言札。墓地に生えた木を使い、白骨の粉を混ぜ込んでいる。術者の力を増幅する効果といくら破っても無くならない不思議な呪いが掛かっている。寿命が縮まるのがちょっとした欠点だね」
軟体生物への疑問を頭から吹き飛ばし、ソファーを引きずりながら彼は無理矢理進んだ。三人は余裕で座れそうな大きさと重量を備えた家具も大きな障害ではない。
ドアまでもう少し。あの扉にさえ辿り着けば危機を脱する事が出来る。鍵が掛かっていようが関係無い。
がしっ、と。今度は左足に重さが加わった。
無視して進もうとするも力が半端ではない。新種の軟体生物か。夜衣は振り払おうと足元を見た。
「お師匠様~」
そこには満面の笑みで自分を見上げる幼児がいた。あまりに突拍子も無い出来事の連続にとうとう彼は声を上げた。
「何だこいつらは!」
「よくぞ聞いてくれた」
おかっぱ頭の瞳は完全にこちらを捉えていた。もう逃げられない。
「彼らこそが我が夜幻秘密結社が魔物から開発した合成生物。軟体生物の離津留と野獣型生物、破切果だ」
紹介された二人は友好的な雰囲気を前面に押し出していたが、捕らえられた男の関心は目の前の子供にしか向いていなかった。
一見するとただの生意気な子供が、夜衣が所属する夜幻秘密結社の社長にして最高の実力を持つ予言者。
夢流だ。
夜衣の目には敵と対峙するような闘志が込められている。応えるように夢流は口を開いた。
「僕の予言では、合成生物二匹とソファーを引きずっている人物が任務を引き受け」
夢流が言い終わる寸前に夜衣は渾身の力で二人を跳ね飛ばした。
今この瞬間にそんな状態になっている者が自分以外にいるはずがない。逆に言えばその状況に置かれていなければ予言は無効となる。
飛ばされた破切果は壁を利用してきれいに着地。離津留はボールのように跳ね返った。
「無理矢理引き剥がすなんてひどいことするね、君」
「そういう風に仕向けているのはどこのどいつだ」
睨み合った二人は互いを牽制する。予言はスピードが命。言った者勝ちだ。
「あと十秒でこの部屋の扉は破壊される」
予言者は言葉自体に力がある。夜衣が行った予言は短く抽象的だった。要因が特定されないため予言としての力は弱いが、時間制限を付ける事で補っている。
自ら走り出し扉へ向かう。有言実行。きっちり十秒で行動を起こせば部屋から出られる。この短い時間ではいくらナンバーワンの実力を持っていても手出しできまい。
夜衣が扉に猛然とダッシュする様子を夢流は悠然と見送り、こう言った。
「上司の命令を聞かないと、シバ・ウィルドン・パキリカス・エンドゥーラは死ぬ」
夢流の言葉を聞いた途端、夜衣の動きはぴたりと停止した。
一秒後、嵐に巻き上げられた巨大な岩石が窓を突き破りドアへと衝突。予言通りに部屋の扉は無残に破壊された。ごうごうと吹く風が部屋の中に入り込みガラスの破片が舞う。
降り注ぐ色々な破片や何やらを受けながら、ぎこちなく夜衣が振り返る。視線の先には清々しい笑みを浮かべた夢流の姿があった。
「行ってくれるよね、夜衣。部屋の修理代は払わなくてもいいから」
夜衣は砂漠に立っていた。
カンカンと照りつける太陽。上下左右どこを見ても砂、岩、砂、岩。
横を向けば右肩に桃色軟体生物。前を向けば自分を尊敬の眼差しで見上げる幼児。
うだるような暑さの中、夜衣は考えていた。
どうして夢流があのやたらと長い名前、自分の本名を知っていたのかと。
予言者や占い師は呪いから身を守るため偽名を使っている。真の名を知られたら簡単に運命を操られてしまうからだ。
相手が格下なら予言の打ち消しも不可能では無いが、夢流は予言者の中でも最高の実力者。とても夜衣の実力ではかなわない。
逃れる方法はたった一つ。夢流の本名を暴く事。
無理だ。
彼は一秒で諦めた。
どんな予言者も本名を誰にも知られないよう細心の注意を払っている。夢流がそんな隙を見せる訳がない。探ろうとすれば任務放棄として予言が発動する。本名以前に夢流の性別さえも分からなかった。
秘密結社なんかに入るんじゃなかったと後悔してももう遅い。夜衣は砂漠のど真ん中で大きな溜息をついた。
「どうしたんですか?お師匠様」
大きな黒い瞳で破切果が見つめてくる。こいつの名前を聞いてから嫌な予感はしていた。
「お前、それは本名じゃないよな」
「もちろんです。僕は予言者見習いですよ。この名前は夢流さまに付けてもらいました」
えっへん、と胸を張る幼児の答えは予想通りのものだった。
自分の本名と同じ名の者などそうそういるものではない。全ては最初から計画されていたのだ。
本名を知られているのだから呼び出しを拒否しても結果は同じだっただろう。
「で、いつ俺がお前を弟子にした。大体俺は人に教えるほど大した予言者じゃねえぞ」
師匠呼ばわりはともかく、この幼児が尊敬の視線を送ってくる意味が分からない。秘密結社で開発された合成生物なら自分の事は聞いているはず。どこにも尊敬するような部分は無いだろうに。
「そんな事ありません!お師匠様の実力はナンバー5ですよ。夢流さまも一番期待している部下だと言っていました」
夜衣の脳裏に含み笑いをしながら破切果に話をする夢流の姿が浮かんだ。
奴はわざと誤解が生じるような言い方をしている。確かに自分は夜幻秘密結社のナンバー5。間違ってはいない。
彼は再び溜息をつくと静かに言った。
「いいか、夜幻秘密結社のメンバーは5人だ」
つまり、夜衣の実力は5人の中で5番目。一番下っ端だ。
「はい。予言者の代表に選ばれた5人ですよね」
目を輝かせている幼児はまだ理解していないようだった。そうではない。そうではないのだ。
予言者達は基本的に徒党を組まず、各々が自由気ままに生きている。
協会との戦いも一致団結したのではない。輝士団に退去するよう命令を受けた予言者の多くは、争いを回避する為に素直に従った。追放されても予言を使えば後からどうにでもなると思ったからだ。
しかし協会に対抗心を燃やす血の気の多い予言者。夜衣を含む秘密結社のメンバーが輝士団と真っ向から衝突。
夢流を筆頭に予言による攻撃と執拗な嫌がらせを行い、輝士団は精神的にも大きなダメージを受けた。
被害があまりに大きかったため協会は予言者達が蜂起して一斉攻撃を行ったと判断。関係無い他の予言者達も巻き込んで争いが拡大した。
結果。全ての予言者が敵対勢力とみなされ、町で姿を見かければ即拘束。抵抗しようものなら射殺しても良いとの命令が下された。
おかげで力の弱い予言者達は荒地で暮らす以外の選択肢を失った。実力を持った者達は秘密結社に関わり合いになりたくないと早々にこの地を去った。
夜幻秘密結社とは名ばかりで、同業者から見てもただの迷惑な連中でしかない。
こんな何も知らないようなガキに手伝いをさせようなんて、つくづく酷い野郎だ。
今のうちに現実を分からせてやった方がいいだろうが、話してやったところで理解できるのか疑問だ。
「とりあえず予言者である事は秘密にしろ。一応極秘任務だからな」
「分かりました!」
彼の苦悩も知らず破切果は元気に返事をする。面倒になった夜衣はそのうち分かるだろうとこれ以上の思考を放棄した。
泣き言を言ってきたら夢流の元へ送り返せば良い。命令違反にはならないだろう。
「それにしても暑いですわね」
こいつもいたか。
横から聞こえてきた声に夜衣は精神力の消耗を感じた。
肩に乗る軟体生物は姿に似合わず若い女の声をしている。予言者見習いのガキはともかくこのゼリー状の物体を連れて行く意味が分からない。どう考えてもこいつの存在は不信感を煽る以外の何物でもない。
「夜衣様はそんな格好で暑くありませんの?」
夜衣の格好は黒いバンダナに裾の長い白い着物、黒いズボンだ。彼の普段着だが砂漠で肌を隠すには適している。
破切果は合成生物なので半袖半ズボンでも平気なのだろう。離津留は服以前の問題だ。
「俺の感想で気温上昇を促してどうする」
予言者の彼が感情を込めて暑いなどと言えば予言となってしまう可能性がある。世界規模の気温上昇は起こりえないが少なくとも彼の周りの温度、もしくは自身の体温を上げる結果を引き起こすかもしれない。
彼の物言いが粗暴になるのも余計な事を言わないよう心がけているからだ。
夢流の様に実力がある予言者ならこのような言葉に注意する必要も無い。感情のコントロールも予言者に必要とされる能力なのだ。
「気温は別として、一旦休憩するか」
精神力の消耗に加え、体力まで無駄に消費しては砂漠を渡れない。砂漠を越えれば協会の勢力範囲だ。輝士団との交戦も考えられる。
いざという時のためにも万全の状態でなければならない。
不思議生物二匹がどの程度役に立つのか分からない以上、油断は命取りだ。
「おい破切果、札をよこせ」
一部とはいえ自分の本名を呼ぶのはあまりいい気分ではない。夜衣は出来るだけ無感情に幼児の名を呼んだ。
「はい!」
元気に返事をした破切果は首から提げた札の束、例の呪われた予言札を一枚取り出した。
持っているだけで縁起が悪くなりそうだと早々に夜衣が押し付けたもの。破切果は自分を信用して渡してくれるのだと喜んで受け取っていた。
背伸びして夜衣に札を渡そうとする破切果。しかし身長に差がありすぎるので全く届かない。任務が始まってもいないのに初っ端から不安全開だ。仕方無く屈んで札を受け取った。
予言札の効力を確かめておくいい機会だ。
破切果は期待の眼差しで夜衣を見つめている。どんな予言を使うのか興味津々のようだ。夜衣は札を持った右手を高く掲げる。
「紅茶とケーキセットが降ってくる!」
言うや否や予言は札に自動的に書き込まれた。砂漠というシチュエーションでは割と無茶な要求だ。うまくいけば予言札はかなりの効力を持つ事が証明される。
三人はそのまましばらく空を見上げていた。