表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リーガル・レジスタンス 〜法治国家を目指して〜  作者: ムササビ-モマ
第1章『法の不在』
7/50

第7話 『王者の資質』

1 宮廷の均衡(武のゼノビア vs 魔のセラフィナ)


 王宮の奥深く、白薔薇のサロン。

 白大理石の床に淡い陽光が差し込み、壁一面に咲く薔薇の彫刻が、まるで生きているかのように影を落としていた。


 ここは王妃と側妃たちが非公式に集う場であり、同時に宮廷の派閥が静かに火花を散らす場所でもある。


 国王ゼノンは上座に座り、王妃マルガレーテがその隣に控えている。第一側妃ヒルデガードは優雅に扇を広げ、第三側妃ソフィア・シレネ・ローゼンタリアは扇子の先を軽く唇に当て、微笑んでいた。

 ヒルデガードが最初に口を開いた。


「陛下、王妃様。グラクトが七歳となり、本格的な帝王教育と護衛が必要な時期となりました。そこで、私の生家であるゼノビア公爵家の連枝、ゼノビア侯爵家の嫡男であるセオリス・デイル・ゼノビアを、最初の側近として推挙いたします」

 彼女の声は穏やかだが、言葉の端々に確信が宿っていた。


「ゼノビア家は代々近衛騎士団長を輩出する武門の名門。セオリスは九歳ながら剣の才に優れ、血縁としても信頼できます。未来の王には、幼き日より絶対の忠誠を誓う『剣』が必要です。我が甥ならば、グラクトの御身を命に代えても守るでしょう」

 国王ゼノンは静かに頷き、視線を王妃マルガレーテに移した。


 王妃はわずかに眉を寄せたが、何も言わない。子なき王妃として、グラクトの母であるヒルデガードの影響力が強まることを、内心で警戒していたのだ。

 ここで、ソフィアが扇子をぱちんと閉じた。

 音がサロンに響き、場の空気が一瞬張り詰める。


「ヒルデガード様のお気持ちはよくわかりますわ。しかし……ゼノビア侯爵家は既に近衛騎士団長の職にあり、王都の軍権を握っておられます。その上、次期国王の筆頭側近まで輩出すれば、王宮内での武官の権力が突出しすぎます。文官や魔導官との均衡が崩れてしまうのでは……?」

 ソフィアの声は優雅だが、言葉の刃は鋭い。


 彼女はセラフィナ侯爵家出身――魔導卿を輩出する知性派の血筋である。筋肉で語る騎士団とは、伝統的に反りが合わない。


「『剣』は確かに必要ですわ。でも、王とは剣だけでは守れないもの。魔導の知恵や、筆による法の支えも欠かせません。一つの家系に偏りすぎれば、王家のバランスが失われます」

 王妃マルガレーテがようやく口を開いた。


「……ソフィア妃の言う通り、特定の侯爵家への権力集中は好ましくない。グラクトは神の子として、民全体の希望。一つの家系の影が強くなりすぎてはならないわ」

 ヒルデガードは扇をゆっくりと閉じ、静かに反論した。


「王妃様のお言葉、痛み入ります。ですが、護衛とは命を預けるもの。何より優先すべきは『信頼』です。セラフィナ家の方々に、咄嗟の剣劇からグラクトの御身を庇う反射神経がおありかしら? 剣は剣でしか防げません」

 ソフィアの瞳がわずかに細くなる。

 ヒルデガードはそこで、計算づくの笑みを浮かべた。


「……確かに、ゼノビア家一辺倒ではいけませんわね。ならば、まずは『剣』としてセオリス一人とし、グラクトの成長に合わせて、セラフィナ家や他家からも『杖』や『筆』となる側近を選出いたしましょう。魔導の知恵も、いずれ必要になりますから」

 ソフィアは扇子を軽く叩き、静かに頷いた。


「……よろしいでしょう。そのお言葉、お忘れなきよう」

 国王ゼノンは静かに手を挙げた。


「両者の意見を聞いた。グラクトの安全は最優先だ。ゼノビアの嫡男を最初の側近とすることを許す。追々、他の家系からも側近を加える。それで均衡は保たれるだろう」

 王妃マルガレーテは小さく息を吐き、何も言わなかった。


 ヒルデガードは優雅に頭を下げたが、その瞳の奥には満足の光が宿っていた。

 一歩前進したのだ。


 ゼノビア家の剣が、グラクトの傍らに立つ。そして、セラフィナ家には「追々」という約束を残した。これで、少なくとも今は均衡が保たれる。

 白薔薇のサロンの扉が閉まると、ヒルデガードは静かに微笑んだ。


(これで、グラクトの『王者の資質』が、少しずつ形になっていくわ)




2 「盾」の洗脳と「王」の儀式


 ゼノビア侯爵邸の剣術道場。

 午後の陽光が障子を透かし、畳の上に淡い光の帯を落としている。


 九歳のセオリス・デイル・ゼノビアは、父であるゼノビア侯爵と叔母ヒルデガードの前に正座していた。

 年齢離れした体格の少年は、汗で濡れた額を拭いもせず、瞳を輝かせて二人を見つめている。

 父侯爵が低い声で言い聞かせる。


「よいか、セオリス。グラクト様は神の子だ。お前は考える必要はない。ただ守れ」

 セオリスは即座に胸を叩いた。


「はい! 僕、グラクト様のためなら命だって惜しくありません!」

 ヒルデガードが優しく、しかし厳しく続ける。


「グラクト様の言葉はすべて正しい。たとえグラクト様が『黒』と言えば、白い雪も『黒』だ。それがゼノビアの忠義よ。お前は剣を振るうだけでいい。疑問を持つな。迷うな。ただ、グラクト様の影となって、剣を振るえ」

 セオリスの目がさらに輝いた。

 純朴で、疑うことを知らない真っ直ぐな性格の少年にとって、それは最高の命令だった。


「はい! 僕はグラクト様の最強の盾になります! 難しいことはわかりませんが、命をかけて守ります!」

 父侯爵は満足げに頷き、剣を渡した。


「ならば、今日からお前はグラクト様の側近だ。剣を抜くたび、グラクト様の光を思い浮かべろ。お前の剣は、グラクト様の意志そのものになる」

 セオリスは剣を握りしめ、力強く立ち上がった。


 彼の中に、リュートたちが身につけようとしている「論理」とは対極にある、「盲信」という強さが完成した瞬間だった。

 考えることを放棄し、ただ一つの光を守るための道具となる――それが、ゼノビア家の忠義の形だった。



 一方、王宮・第一王子の教育室。

 金糸の刺繍が施された絨毯の上に、グラクトは静かに座っていた。

 七歳の神の子は、金髪を陽光に輝かせ、純粋な金色の瞳で王室教師を見つめている。

 教師は古い巻物を広げ、厳かに語り始めた。


「グラクト様。側近を迎えるための『臣従の儀』――君臣の義の作法です。王族が剣を抜き、跪いた臣下の肩に刃を乗せ、忠誠を受け入れる。これは騎士叙任の模倣であり、王家の品位を体現する儀式です」

 グラクトは小さな手を膝に置き、頷く。教師はさらに続けた。


「剣を肩に乗せる際、切っ先が揺れても、相手は微動だにしてはなりません。もし手元が狂って相手を傷つけても、決して謝罪してはなりません。『上位者の刃が当たっても、それを避けない下位者の責任』とするのが、王家の品位なのです」

 グラクトの瞳がわずかに揺れた。純粋な彼にとって、それは直感的に「おかしい」と感じられる理屈だった。


「……傷つけてしまったら、謝らないのですか?」

 教師は静かに、しかし断固として答える。


「謝れば、王の権威が揺らぎます。相手に『私の不徳で刃に触れてしまいました』と謝罪させ、それを『許す』ことで、主従の絆は完成するのです。それが、君臣の義であり、王家の品位です」

 グラクトは純粋な金色の瞳を瞬かせ、戸惑った。


 幼い心に、明らかな違和感が芽生える。自分が傷つけたのに、相手に謝らせるなんて理不尽ではないか。


 しかし、教師の言葉は「それが王としての資質」として、絶対の真理のように繰り返される。グラクトは素直に頷き、渡された木剣を手に取った。


「わかりました。……練習します」

 教師が模擬の臣下役を務め、グラクトは剣を抜く。

 ゆっくりと肩に刃を乗せるが、わずかに手が震え、剣先が肩を浅く掠めた。

 教師は即座に額を床につけ、声を震わせた。


「私の不徳で、グラクト様の刃に触れてしまいました……どうかお許しください」

 グラクトは一瞬、目を丸くした。しかし、教師の視線に促され、ゆっくりと剣を収める。


「……そなたの忠誠を認める。許す」

 教師は深く頭を下げ、満足げに微笑んだ。


「素晴らしいです、グラクト様。これが、王者の資質です」

 グラクトは木剣を握りしめ、静かに息を吐いた。

 彼もまた、システムに組み込まれた純粋な被害者だった。己の違和感を押し殺し、「王」として振る舞う型を、幼い心に刻み込まれていく。


 ゼノビア邸ではセオリスが「盲信の盾」として完成し、王宮ではグラクトが「品位の型」を身につけていく。


 二人の少年は、まだ知らない。

 この儀式が、未来の「王」と「盾」を、宮廷の歪んだ枠組みの中に閉じ込めていくものであることを。




3 儀式執行と「兄」への憧れ


 王宮・「天光の間」。

 天井から降り注ぐ光が、金箔の柱を輝かせ、床の白大理石に長い影を落としている。


 謁見の間は静まり返り、国王ゼノン、王妃マルガレーテ、第一側妃ヒルデガード、第二側妃ルナリア、第三側妃ソフィア、そして多くの官僚・廷臣たちが息を潜めて見守っていた。


 中央に立つグラクトは、七歳の華奢な体に重厚な礼装を纏い、金髪金眼を静かに輝かせている。


 その前に跪くのはセオリス・デイル・ゼノビア、九歳。筋肉質で大人びた体躯は、年齢を忘れさせるほど堂々としていた。


 グラクトはゆっくりと宝剣を抜く。

 装飾過多な剣身が光を反射し、会場に淡い虹を散らす。儀式の作法通り、剣をセオリスの肩へ下ろす――が、重さに耐えかね、手元がわずかに狂った。


 刃がセオリスの首筋を浅く切り裂き、赤い血が一筋、ゆっくりと流れ落ちる。


 会場が一瞬、凍りついた。

 これは「王子の失敗」――王家の品位に関わる重大な事態。ソフィアの口元に、嘲笑とも取れる薄い笑みが浮かびかけた、その瞬間だった。


 セオリスは微動だにせず、痛みなど感じていないかのように大声で叫んだ。


「申し訳ございません!! 未熟な私が、高貴なる御剣の軌道を読み違え、無作法にも体を動かしてしまいました! この傷は、私の不徳の致すところです! どうかグラクト様、お許しください!!」

 実際には、セオリスは一ミリも動いていなかった。だが、彼は「グラクトは絶対である」という洗脳に従い、迷いなく「自分が悪い」と定義したのだ。


 痛みなど関係ない。グラクトの品位を守るためなら、この傷すら「自分の不徳」として引き受ける。

 ヒルデガードは満足げに小さく頷いた。


「見事な覚悟ですこと……」

 グラクトは一瞬、動揺した。金色の瞳が揺れ、剣を持つ手が震える。

 しかし、教師の言葉が脳裏に蘇る。


(これが……王の品位……彼は僕を守ってくれているんだ)

 グラクトは震える手を隠し、厳かに告げた。


「……許す。セオリスよ、その忠誠、しかと受け取った。余の剣となれ」

 セオリスは満面の笑みを浮かべ、深く頭を下げた。


「はっ!! ありがたき幸せ!! グラクト様のためなら、この命、いつでも捧げます!!」

 会場から拍手が巻き起こった。


「見事な君臣の義だ!」

「神の子の寛容さと、ゼノビアの忠義……素晴らしい!」

 官僚たちは感嘆の声を上げ、ソフィアは扇子で口元を隠して静かに息を吐いた。ヒルデガードは優雅に微笑み、王妃マルガレーテは複雑な表情で黙っていた。

 儀式が終わり、謁見の間から退出する回廊。

 人気がなくなったところで、グラクトはセオリスの首の傷をそっと見つめた。


「……痛くはないか? 本当は、僕の手が滑ったのに……」

 子供らしい顔で尋ねるグラクトに、セオリスはニカっと笑った。


「へっちゃらです! グラクト様につけてもらった最初の勲章ですから! それに、グラクト様が謝るなんてありえません。僕が悪いんです!」

 その屈託のない笑顔と、自分を絶対的に肯定してくれる強さに、グラクトは強烈な憧れを抱いた。


(すごい……この人は、僕の失敗すら『勲章』に変えてくれた。僕も、この強い背中に相応しい王になりたい)

 グラクトは決意を込めて言った。


「セオリス、僕にもっと剣を教えてくれ。君のように強くなりたいんだ」

 セオリスは目を輝かせ、胸を叩いた。


「もちろんです! グラクト様が強くなったら、僕ももっと強くなって守ります! 一緒に、絶対無敵になりましょう!」

 こうして、グラクトはセオリスを「兄上」と呼び、剣術の訓練を増やした。


 知性や疑う心よりも、「武力」と「情緒的な絆」を重視する道へ。それは、リュートが進む「論理」と「観察」の道とは決定的に異なる、王者の――しかし傀儡としての――道であった。


 回廊の窓から差し込む光が、二人の影を長く伸ばした。

 神の子とその盾は、まだ知らない。

 この純粋な絆が、未来の宮廷をどう歪めていくかを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ